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フェアリー・ダブル  作者: 芝森 蛍
玉虫色の戯れと王の意向
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第一章

 迷いなくこなされるいつもの検査。特段気にかけることもないと、信頼して彼女にしばらくを預ける。

 この程度のことで彼女が……国や世界が安心してくれるというのであれば易いこと。

 それにこの時間は、永遠にも思える長い退屈を紛らわせることのできる数少ない娯楽だ。


「それで知らない顔が幾つかあったのね」

「未だ揺らぎも見える。しばらくはここで過ごすことになるだろう」

「悩みの種ではあるけれど……背に腹は代えられないわね。何かあったら言って頂戴。可能な限り力になるわ」

「対処法も定まってないのによくそんなことが言えるもんだな」


 飾らない声に、眼鏡の奥の(かば)色の瞳がじっと睨む。

 同じ思考を共有しながら、しかし都合よく知らない振りで頭の上の一対を軽く揺らした。


「……だったらもう少し協力的でも許されるんじゃないかしら?」

「他の楽しみを侵すなんてそんなの妖精がすることじゃないだろう?」

「はぁ…………」


 便利な言い訳を振り回すもう一つの顔。楽しそうに笑うその声が、まさしく妖精らしい悪戯。故にこの身までもが気分を良くしてしまう。

 結構難儀な性格回路だ。


「ま、感謝はしてるわ。ここじゃなければ惑い者達を受け入れる場所なんて思いつかないもの」

「惑い者ねぇ……」


 惑い者。それはこのフェルクレールトの大地に突如として出現した、妖精の新たな側面の事だ。

 楽しいことを生き甲斐とし、悪戯を原動力として世界を楽しむ存在──妖精。彼女たちの願いはただ一つ、自らの存在意義を示し続けることだ。

 その結果に隣に住まう者達……人間が巻き込まれ、時に振り回される。これは互いが既に納得し合った結論。

 人が食事をし、働いて、仕事をする。それと同じように、妖精は悪戯をする。それだけのこと。

 存在意義を否定する事は、その全てを不躾(ぶしつけ)に侵すこと。

 共に手を取って歩む為、世界は幾度かの衝突を経てようやくその平穏の端を手にしたのだ。

 そんな、今ある僅かながらの平穏を脅かしかねないのが惑い者という存在。

 彼女たちは人と妖精が暗黙の了解として結んでいる掌を(ほど)くかもしれないのだ。

 妖精の悪戯は、巻き込まれても命までは左右しない。それがこれまでの(ことわり)だった。しかし惑い者の悪戯はその枷を振り払って無差別にまき散らす。

 本能のままに、個が持つ力を最大限に行使して人を巻き込む。結果、悪戯の範疇を超えた影響が出て、それまでの不可侵を揺るがしてしまうのだ。

 当人たち曰く、気付けばそうしてしまっているらしい。それこそが本来の形であると衝動に突き動かされ、理性の外へといつの間にか踏み出しているのだとか。

 そうなった経験のない身からすれば実感も湧かないが…………妖精は嘘を吐かない。

 それに、そんな冗談を言う理由も思いつかない。妖精が妖精を惑わせる意義など、存在しないのだから。

 今ある人と妖精の関係を崩しかねない存在。そんな憂惧(ゆうぐ)に、様々な角度から対処を試みている人の側と。同じく妖精でありながら、例え理由が分かっても妖精の身一つでは大きなことを為せない非力な妖精と。

 結局(いず)(きた)るその時を待ち望むしかできない身の上で僅かながらな助力の枝葉は、この木陰を微かに揺らすだけ。

 だからこそ願うのは、世界と真実を恐れない特別────


「カドゥ」

「平気?」

「あぁ。支障はない」


 例えば、この二人のような…………。

 そんな風に考えて頭の上の声に意識を向けた直後、すぐ傍から声が上がる。


「さて。一通りはおしまいね。問題なしよ」

()ぬか?」

「そうしたいけど、さっきの話を聞いてそのまま帰るわけにもいかなくてね。悪いけど、二人の事しばらく預けてもいいかしら?」

「心得た」

「それくらいなら手伝おう。ここに呼んで問題ないか?」

「えぇ、助かるわ」


 尾の声に頷いた彼女。そんなやり取りを見るでなく聞きながら、再び頭の上の双子に意識を向けた。

 そこには、可愛らしく座り込んだ少女が二人。まるで間に鏡でも立てられているかのように全てが互いに反転した魂。

 ここ、カリーナ共和国で寵愛される国の主の孫。人の世の、(わずら)わしい肩書では王孫と呼ばれる少女たち。

 亜麻(あま)色の長髪を頭の右で括った姉、ピス・アルレシャと。(あま)色の相貌を瞬かせる妹、ケス・アルレシャ。

 多くを語らず深くまでを寄り添う、この身の……妖精の理解者だ。

 ふと、そんな二人が遠くへと向けていた視線を下へ。そして辺りへと回す。

 今のはきっと、この身の尾が放った妖精力を捉えて反応したのだろう。まだはんぶんと繋がりを持たない少女たちなのに、聡く敏感なことだ。


「6の根」

「4の葉」

「そして12の枝だ」


 理解して、補うように零せば、頭の上の双子が小さく身動(みじろ)ぎした。

 心が躍るのはこの身も同じだが、生憎とこの巨体を振るわせるのは色々と不都合が生じる。共に楽しめないのは不憫で仕方ない。


「もう一つ」

「16の年輪」

(しか)り。だがそれは見えず語られぬ。未だそこには及ばぬよ」


 同胞たちですら普段意識することのない裏側までをも理解する双子。

 それ故に理解されない孤独は寂しく、どこまでも暖かい。

 嗚呼(ああ)、心地良い。(はね)が疼いてしまいそうだ。


「…………一体何の話をしているの?」


 興味と猜疑。すぐ傍から向けられた声と視線に、二人と心を通わせ……秘する。


「根源と真実。それを明かすのが君の本懐であろう?」

「……宿題を増やさないで頂戴。そうでなくても色々大変なのに」


 彼女も大概抱えているようだ。検査が必要なのはこの身よりも彼女の方ではなかろうか。

 人の世界で生きていなければ、今頃彼女はいい話し相手になっていただろうに。

 そんな風に思わずにいられない混じり者を少しだけ不憫に思いつつ見つめれば、周囲の葉が揺れる。頭の上の二人を振り落とさないように気を付けつつ(おもむろ)に視線を向ければ、そこには幾つかの同胞たちが顔を覗かせていた。

 彼女たちは惑い者として人との間に不和を招いた後、魂を落ち着かせるためにここへやってきた者たちだ。

 本能に突き動かされる者達は、その魂が不安定になることが原因だ。であれば、魂が揺らがない場所で暮らせばその問題は抑えられる。

 そんな考えから、この身が縛られているここ……妖精力が溢れる空間を受け入れ場所として開放しているのだ。

 この推論を立てたのは人の側だが、実際にここへ来た妖精たちがその後同じ問題を起こしたという事実はない。そのため、少なくとも明確な解決策が見つかるまでの応急的な手段としては間違っていないかったということだろう。

 こちらとしても同胞たちが再び意にそぐわない本能をまき散らすのは望むべき未来ではない。例え今が一時的な停滞であっても、その協力で新たな道が見えてくるというのであれば、できる限りは尽くすのがこの身の意向だ。


「いらっしゃい。お菓子はあるからどうぞ好きなだけ。その代わり少し調査に協力して欲しいの。いいかしら?」


 一瞬、お菓子の誘惑につられそうになった同胞たちが、彼女の声に手を止める。次いでこちらへと向けてきた視線に、仕方なく答えた。


「殻の外までだ。協力してくれるならば、ここで退屈を遊び相手にする時間も減るだろう」


 退屈は妖精の天敵。その未来に不満を覚えた魂が、仕方なくといった様子で頷く。

 しかし彼女たちは妖精。きっと検査が終わって頭の上の双子と共に帰る頃にはきっと忘れている疑念だ。

 とてもらしいことであり、それこそが妖精の本質。楽しさこそが全てだ。

 不服そうながら、同胞たちがお菓子を手に取る。取引成立だ。


「……ありがとう。特別なことは何もないから、そのままゆっくり食べてて頂戴」


 そうして、ヴァネッサ・アルカルロプスが同胞たちの間を順に巡っていく。

 その様子を上から見下ろしていた双子が、独り言のようにぽつりと呟いた。


「殻」

「割れたまま」

「………………」


 やはり彼女達に隠し事は無理かと。諦めて、ならばせめて彼女には聞こえないようにと胸の奥で話す。


『気付いていると思うか?』


 問いには、迷いなく首を振るピスとケス。

 その天色の瞳には、微かに憂いの色が揺れている気がした。


『『バラ』は?』


 重ねての声に、一瞬だけ互いの顔を見合わせた双子。しかし答えは同じく首を横に振る物だった。

 彼女でも流石に手に余るか……。となると最悪『扉』や『黒』を頼る必要も────

 そう考えた直後、二人が別の可能性を零す。


「従者と」

「王様」

「む……?」


 『バラ』や『扉』、『黒』以外に最奥へ至る道があるというのだろうか。

 そう思案すれば、今度は双子の方から微かな妖精力と共に胸の内が流れ込んでくる。

 言葉ではない……脳裏を過ぎったのは過去の記憶。そしてそこに映る顔に一つの納得を見つける。


「……そうか。しかしあれは(いささ)か賭けが過ぎる気がするがな」

「大丈夫」

「『黒』も一緒」


 思わず胸の奥が高鳴る。あの爪弾きが、それほどとは。

 しかし彼女たちが言うのだから特別なのは確かだろう。今一度認識を改めるべきか。


「ならば彼と彼女はどうしてくれようか」

「『灰』」

「『白』」


 安直だが、仕方ない。彼女を『黒』と名付けたのが悪い。

 しかし、『黒』と『白』に『灰』か。偶然とは言え粋な…………偶然か? ……いや、彼女と彼女がそうであるならば…………。

 …………まぁ、今はいいとしよう。彼らが特別であれば、きっと遠くない未来に再び出会うはず。その時に自らの目で真実を確かめるだけだ。


「ふむ……」

「カドゥ」

「考え事?」

「色々な顔を思い浮かべたら、少し懐かしいのも思い出しただけだ」


 『黒』、『白』、『灰』、『扉』……。そんな名前が連なったことに、遠い記憶の蓋が微かに開く。

 興味を抱いたらしいピスとケスに、彼女達ならば何れ同じことだと至って共有する。


「『火山』」

「『蛇』」

「それから『宝石』だな」


 納得したように二人が零す。どうやら勉強はしっかりしているようだ。自らを特別だと思っていないからこそなのだろう。

 全く、不思議な鏡合わせ達だ。


「カドゥ」

「『大樹』?」

「『倒木』が関の山よ」


 柄にもない呼び名に微かに笑えば、頭に小さな掌が何度か叩き付けられた。無表情なままだが、その魂の揺れ方はどうやら怒っているらしい。

 こんな老いぼれに真剣になってくれるとは、嬉しい限りだ。


「……あぁ、分かった。好きな風に呼ぶといい」


 満足したのか、うつぶせに身を預けて寝転がった二人。

 それとほぼ同時、惑い者達の様子を確認し終えた丸眼鏡が鼻先にやってきた。


「随分楽しそうだったわね。少し妬けるわ」

「彼女たちがここに来るのは稀だ。偶の楽しみを奪ってくれるな」

「二人は特効薬ではないの。依存は身を滅ぼすわよ?」

(わきま)えておるよ。君と同じでな」

「………………」


 先回りして明かせないと釘を刺せば、分かりやすく眉を(ひそ)めてくれた彼女。

 研究者らしい好奇心までをも否定するつもりはないが、この距離感は大切にしたい。

 彼女はこの身にとっても代わりのいない存在なのだ。今更彼女を失って一からやり直すような面倒は避けたい。

 互いに利のあるまま、いざとなれば枯れる繋がりの方が……この身が心地よいだけかもしれないが。


「まぁいいわ。二人とも降りていらっしゃい、帰るわよ」

「ん」

「またね」

「じゃあな、お二人さんっ」


 上機嫌な尾の頭が視界を振って見送る。

 その背中が見えなくなると、途端に冷え込んだ気がした。

 空気に体を丸めて目を閉じる。次いで、先ほどやってきたもう一人の来訪者に声を向けた。


「して。何用だ、『管理者』」


 声に姿を現したのは、ブロンドのセミロングから長い耳殻を覗かせた一人の少女。彼女は気配の隠蔽を解いて、疲れたように零す。


「いくらあの二人だからって余りあれこれ開示されるとこっちも面倒なんだけれど……」

「直接話をした君なら分かるであろう」

「分かるからもう少し慎重になって欲しいのよ。あれじゃあまるで孫可愛がりしてるただのお爺ちゃんよ?」

「この身からすれば(ほとん)どが同じことよ」


 次代を預かる身だろうが、その魂が生きた時間はまだまだ若い。

 とはいえ、親から受け継いだ役割をこなそうと奮闘していることに関しては尊敬と感謝も存在する。

 彼女のおかげで幾らかの便宜もきっと図られているはずだ。


「……一つ、伝えておこうと思ってね」

「聞こうか」

「『バラ』の花弁が風に吹かれる。種はきっと託される」

「…………そうか……」


 驚きよりも安堵。その事実にこそ驚きながら、塞ぎ込むように身動ぎする。


「あなたはどうするの、カドゥケウス」

「……なるようにしかならんよ」


 できることなどありはしない。

 何よりも自分の為に納得を見つければ、微かに息を落とした彼女が(きびす)を返した。

 そんな背中に、一つだけ心残りを告げる。


「あぁ、そうだ。願わくば、『バラ』の色に恵みがあらんことを」

「…………そうね」


 結局、最後まで()せた色は戻りはしなかったかと。

 そのことだけを悔いながら、旅を始めるように根に潜る。

 さぁ、盛大にその栄光を称えよう。歴史に名を遺す、その始まりだ────




              *   *   *




 ハロウィンとサウィンが終わり、再びの日常が戻ってきた。

 古い暦での一年の終わり。今では秋の季節の終わりと言われるその節目を越えて、世界は段々と冬の色に染まり始める。その第一歩。

 けれども今年はそればかりが悩みではないと、手に余る憂いに頭を悩ませながら街中を行く。

 暦はグラードの月。肌で感じるほどに空気の暗くなった気がする街並みを眺めながら、足は自然と海へと向かう。

 道中に考えるのは先のお祭り騒ぎの裏の出来事だ。

 ハロウィンとサウィン。異界との境界線が揺らぐと言われるその時間、人々が宴に盛り上がっている直ぐ傍で、様々な問題が起きていた。

 もちろん、問題が起きるのは毎年の事。いくら対策してもしきれない、楽しさゆえの折衝事は致し方なし。

 しかし今回のそれは、これまでのあれこれと根底から違う騒動だった。

 関わっていたのは妖精。それも惑い者と呼ばれる、妖精変調(フィーリエーション)にて本能に抑えの利かなくなった者たちが起こす、命の危険さえ孕む悪戯の範疇を越えた問題だ。

 一応どうにか対処はできたが、それでも怪我をしたり、時間を忘れた者が沢山いた。

 幸いだったことと言えば、問題が連鎖してさらなる大きな騒動のうねりへと変化することだけは避けられたこと。それぞれが行き当たりばったりな彼女たちの放埓だったが故に、想定のできない問題へと発展していた可能性もあったのだ。

 もし彼女たちの悪戯がなにがしかの意図をもって行われていたらと思うと……想像するだけで足取りが重くなる。

 とはいえ事実として被害は去年の比ではない。今でも注意して目を向ければ、それらしき被害の跡があちこちに散見できる。

 本当に、大々的な問題にならなかったこと。そして死者が出なかったことだけは何よりだ。

 そんな、カリーナでのハロウィンとサウィンだったが、お祭り自体はほかの国でも開催されていた。

 昨日になってようやく入ってきた情報によれば、各国でも面倒事が起きていたらしい。

 個人的には友好的な関係を築けているブランデンブルクでの騒動が気になっている。

 何でも、問題の中心にはあのクー・シーがいたらしい。

 妖精犬士(クー・シー)。その称号は、かの王国で武に秀でた家系に与えられる名だ。

 今その武勲の象徴を身に背負っているのが、先の大戦……第二次妖精大戦の終戦間際を戦い抜き、英雄的妖精にさえ匹敵する戦果を挙げた人物。

 ブランデンブルク王国の獅子、潰えぬ紫炎牙(ポイニクス・ラサラス)の異名で恐れられた豪傑。ハインツ・コル・レオニスだ。

 その名の由来は明快。幾度となく深い傷を負って尚、その数だけ戦場に舞い戻った炎の戦士。生と死の概念すら食い潰した様な生き様と、先代国王であり英雄的妖精ヘルフリートと契約を交わしていたヘンリック・アヴィオールと肩を並べて戦を彩った、戦いの生き証人。

 不死身とさえ恐れられた彼が、世界に認められる英傑の一人なのだ。

 そんな人物が、この前のハロウィンにブランデンブルク国内……しかも王都周辺で問題の引き金となってしまったらしい。

 詳しい話はまだ分かっていないが、なんでも彼の契約妖精絡みで中々に大規模な被害が出たとか。

 もちろん、被害と言っても死者ではないが……。もしこれが戦時中の事であったならば他国が攻め入る好機となっていたことは間違いない騒動だろう。

 あまり他国の内情に首を突っ込むことはしたくないが、彼は尊敬に値する騎士なのだ。そんな人物に影響が及んだという事実と、何より彼自身のことが気がかりなのは仕方のないことだと思いたい。

 もしカリーナと同じく、ハロウィンやサウィンという時節。そして妖精変調という想定外が重なって起きたことならば、彼に責などありはしないだろう。

 しかし、ならば余計にそれらの問題がとても大きな意味と……種となり、更なる不穏の芽や蔦を伸ばさないかという心配も募る。

 結局、全ては終わり、続いていること。過去を憂い縛られるくらいならば、糧にしてしっかりと前を向かなければならないのだ。

 そのための自らの意味ならば、可能な限りを尽くしてよりよい未来へと行動を起こすことこそが、何よりの責務だ。

 ……とはいえ、何から手を付けていいかも未だ曖昧というのは、先行きが不安で仕方ないのだが。


「考え事か?」


 胸の辺りから声が響く。目を向ければ、そこには定位置である服の衣嚢(いのう)にすっぽりと収まった相棒……ネロがこちらを見上げていた。


「まぁな。考えることだらけだ。そうだろ?」

「人の煩わしさに巻き込んでくれるなよな」


 こんな面倒なのと契約しておいて今更何を言っているのやら……。


「やるべきことをする。それだけだろ?」

「例えそうだとしても、思ったところで簡単にそうできないのが人の世界なんだよ」

「妖精最高っ!」


 本当、気楽で羨ましい限りだ。


「んで? 今日の予定は? 仕事は待機だろ?」

「珍しく向こうが食事に誘ってきたからな」

「向こう……?」

「ネロもよく知ってるだろ? ほら」


 言って視界の先で神経質を服にして沈思する眼鏡の横顔を顎で示す。

 その顔を見たネロは、納得したように呟いた。


「あぁ、カガチの……」


 カガチは彼の契約妖精。妖精は基本、人の名前を覚えたりしない。相手を判断するときは、誰の契約相手かと言う基準で考える。

 カガチからしても、俺はネロの契約相手という認識だ。

 例外があるとすれば、人の血が混じった妖精たちだろうか。彼女達は人の感覚に引っ張られるのか、人の個を尊重するような振る舞いを良くすることがある。

 時には爪弾きにされることのある混じり者だが、そういう部分では人に近しい感性を持っている。故に人の側も接しやすい異なる者でもあるのだ。

 そんなことを考えながら、何やら考え事をしている友人……エルヴェ・フォルナシスに声を掛ける。


「エルヴェ」

「やっと来ましたか……」

「別に急ぐ話でもないだろ?」

「君が来るまでに、後から来た待ち合わせが三組も先に成立していましたよ」

「だからどうしたよ…………」


 それが一体何だというのか。人は人だろうに。

 相変わらず氷のように刺々しい事だと彼らしさに安堵さえする。得意とするのは(フラム)のくせに。

 彼、エルヴェとは学生時代からの付き合い。それぞれ軍に所属し、俺は海を、彼は陸を任された国を守る大人だ。

 それぞれの部隊に配属されてからは頻繁に会うこともなくなったが、それでも時折こうして顔を突き合わせるくらいの仲の良さは健在だ。

 向こうは俺のことをあまり快く思っていないらしいけどな。

 ここ最近はハロウィン、サウィンの事で行動を共にする機会が多かったが、その問題もほとんど終息している。今日が終われば、またそれぞれの戦場で責務に従事することになるはずだ。


「で、どこ行くんだ?」

「あの店です」

「ん……あぁ」


 あの店。その一言で目的地を察する。

 エルヴェの事だ。ただ雑談をするためになんて軽い理由で店は選ばない。何かしらの理由があるのだろう。


「そういえば久しぶりだな。何食うか……」


 頭の後ろで手を組みながら空を見上げる。

 冬の始まりを感じる曇天は、いつもより低い位置で呑気に揺蕩(たゆた)っていた。




 エルヴェの言ったあの店、『大地の首輪』は、軍の関係者がよく利用する飲食店だ。駐屯地からほど近いところにあり、品書きも豊富で、何より安くたくさん食べられる。毎日体を酷使する軍人にとっては欠かせない憩いの場だ。

 時間はまだ昼を過ぎた辺り。賑わうのは交代時間前後である夕方の為、今なら同僚にほとんど会うこともないだろう。


「丘にいるとよく行くのか?」

「……偶にですがね。それに、『風変り』以降は忙しいですから」


 『風変り』と言うのは軍内での妖精変調の隠語。あからさまに軍人がその名を口にしていると、平穏に過ごす人々に余計な不安を抱かせかねない。

 そうでなくても不確定な事象で、解決策も定まっていないのだ。国の尊厳の為にも、不利になるようなことは慎まなければならない。


「『風変り』と言えば、四大国会談ですね。今年はカリーナでの開催になりますから。警備には海も駆り出されると聞きましたよ」

「まぁな。それがなくても各国の頭が来るんだ。警戒と連携は密にしてかないとな」

「分かってますよ。私としてはあなたが勝手な行動をしないかと言う方が気がかりですがね」

「エルヴェこそ、その生真面目さが変な方に転ばないといいな」


 売り言葉に買い言葉。けれどもそれだっていつものやり取り。本気で喧嘩をしているわけではない。

 互いの相棒も既に無関心。十年以上同じようなやり取りを聞いていればそんなものかと。

 思いつつ、やってきた『大地の首輪』の中へと入る。


「いらっしゃい。おや、二人が一緒なんて珍しいね」

「待ち合わせです。奥を借りても?」

「ちょうどさっき空いたよ。お好きにどうぞ」


 出迎えてくれたのは恰幅のいい年配の女性。

 俺もエルヴェも顔馴染みの、この店の主だ。声は溌溂(はつらつ)で、親しみ易く。時には相談にも乗ってくれる一児の母。娘さんは若い奴に人気な、このお店の看板娘だ。

 飲み物だけ先に注文しつつエルヴェについて奥の座敷へ。注文を取りに来た娘さんに幾つかの品を頼んで腰を落ち着ける。


「んで、ここに来たってことは他に誰か来るのか?」


 この座敷はよくちょっとした話し合いの場に使われている。俺も何度か利用したことがあるが、堅苦しい話し合いと言うのはどうにも性に合わない。

 ()かなかった方が悪いとはいえ、こうして腰を下ろしてしまったことに少しだけ億劫になる。

 が、返ったのは飾らない友の声だった。


「気負うことはないですよ。よく知る相手ですから」


 言いつつ飲み物を一口。するとほぼ同時、部屋の戸が勝手に開いた。

 目を向ければ、そこに立っていたのはエルヴェの言う通り俺もよく知る顔。


「ルドガーっ。久しぶりだな!」


 ルドガー・アルレシャ。ここカリーナ共和国の大統領、グンター・コルヴァズの次男。(まつりごと)の中枢を担う人物の一人だ。


「お久しぶりです、先輩方」

「相変わらずだな、君は」

「退役しても関係は変わりませんから」


 言って笑うルドガーは従軍経験がある。その時、二年先輩に俺とエルヴェがいて。陛下の命で彼の世話をよく任されていた縁で、今でも先輩と慕ってくれるのだ。

 立場ある彼も、俺たちの前では昔と変わらない。……逆に、昔の関係があるからか、国を回す一人としてあれこれしている彼の方が違和感を覚えるというものだ。

 最初の印象というのはどうにも拭い難い物らしい。


「呼んだのはルドガーだけか?」

「えぇ。その方がいいと思ったので」


 何気なく、けれどどこか含みを持たせたエルヴェの言葉。

 長年の付き合いでその裏に隠された本心を察する。

 陸と海を任された二人に、国政の一端を担う後輩。その肩書きと、そして『大地の首輪』の奥座敷。

 組み合わせて見えてくるのは、どう考えてもただ旧交を温め合うだけの時間ではない。が……。


「あぁ、先輩。取り分けはわたしがしますので」

「自分でする方が気楽なんです。そこの鈍感にでも分けてやってください」

「うるせぇ」

「……相変わらず仲がよろしいですね」

「どこがですが」


 そういう体裁が必要なのだろうと。相変わらず迂遠なやり方だと、どこか似ている二人に胸の内を一人入れ替える。


「どうぞ」

「あんがとさん。ったく、後輩の好意も受け取れないってのは先輩としてどんなものかね」

「甘えて踏ん反り返っている輩よりは余程自立した大人ですよ」

「後輩がいないと先輩ってのは成り立たないんだぞ? 知ってるか?」

「後進は先達の背中を見て育つものです」

「他人を見たって他人になれるわけでもねぇのによぉ。なぁ?」

「お二方とも、わたしにとっては尊敬すべき方ですよ」

「……口の上手さだけは相変わらずだな、ルドガー」

「アラン、酔ってるんですか?」

「頼んでねぇよ!」


 ったく。飯くらいもっと美味しく食わせろよ。




「んーで?」

「話の前に、お二方はこの前のハロウィンとサウィンに関してどこまでご存じですか?」

「国内と、それからブランデンブルク王国での騒ぎは知ってますが……。ほかに何か?」

「……では、まず他の二国のお話についてさせていただいても?」

「スハイルとトゥレイスか」


 フェルクレールトの大地の北と西。ブランデンブルクと友好的な関係を築いているカリーナにとっては、遠くも近い国々。

 どうやらそんな国でもあのお祭りでは色々あったらしい。


「それぞれ違う形になりますが、大本は同じです」

「妖精変調……惑い者だな」

「それで、具体的には?」

「スハイル帝国の方ですが、豪雪に見舞われたそうです」

「この時期のスハイルなら雪くらい珍しくない、が……そういう話でもないんだろ?」

「はい。色々ありますが、そうですね……そんな天候でもないのに降ったとか、窓が揺れる程に吹き荒んだのに一切雪が積もっていなかった、と言う話はどうでしょうか?」


 季節が変わると、妖精たちも移動する。冬には、寒さを好む妖精がスハイルに集まる。

 もちろん、その中には雪に纏わる魂の持ち主もいるだろう。


「しかし彼女たち程度の力では、家一軒を巻き込むのが精いっぱいでしょう」

「だから一斉だったんだろ? 示し合わせたか、共鳴したか…………本能のままにって言うなら前者はないか」


 言って気付く。本能のままに力を振るう惑い者達。

 彼女たちは自らの心に従い、殆ど無差別にその影響をまき散らす。であれば手を取り合って悪戯なんてことはまず起こりえない。

 そうでなくとも妖精は個の存在。他の顔色を窺って生きる俺たちとは、根本的に価値観が違うのだ。


「結果、帝国内……特に北の地域では交通が遮断し、建物は倒壊。物流が滞り、行方不明者も出たそうです」

「死者は?」

「発表では出ていないそうですが」


 例え出ていたとしても、妖精変調が公になっていない現状発表はできまい。

 公然の秘密と言うのは憶測の呼び水。早く明確な形と、そして方針を定めて欲しいものだ。


「ま、雪が残らなかっただけでも幸いだろうな」


 とはいえ遣り切れなさは拭い切れないか。幾ら前後不覚な妖精の起こしたこととはいえ、爪痕は確かに残っている。

 しかもそんな、国も対応に追われているところへ、今度は四大国会談だ。

 ……これが戦時中なら格好の攻め入り時なんだろうがな。


「騎士団国の方はどんな被害が?」

「そちらはスハイル帝国ほど直接大打撃と言うわけではないのですが。……どうやら人が入れ替わったらしいです」

「人が入れ替わる? 一体何があったんだよ」


 言葉にされても全く想像がわかない。それ故に事の重大さではこちらの方が大きい気がするが……。


「原因はまだ調査中のようですが、わたしが知る限りですと、言葉の通り人が入れ替わったらしいのです。その、中身が……」

「中身?」

「……意識ってことか?」


 どうにか理解をしようと思いついた想像を口にする。するとルドガーは困惑したように頷いた。


(にわか)には信じ難い話ではありますが、他人の体へ入り込んでその人として振る舞うことができた、と……」

「その、体の元々の人格はどうなってるんですか?」

「大抵はまた別の体に。そうでなければ記憶がないと……恐らく意識だけ眠っているような状況になったのではないかと言われています」

「他人の意識が自分の体にねぇ……。なんかそういう本を昔読んだ覚えがあるんだが」

「『昼の星、夜の陽』でしょう? 私も読みましたよ」

「あぁ、それだ」


 『昼の星、夜の陽』とは、文学小説だ。昼と夜、それぞれに顔を持つ主人公が、それぞれの時間を生きるという物語。

 しかし、昼の顔を夜の顔は知らず。夜の顔は昼の顔を知らない。眠ることをきっかけに入れ替わる人格で一つの体が別々のことを為し、最終的に一つの結末へと収束するという、読んでいると不思議な感覚になる作品だ。

 小さい頃にあれを読んでから、しばらくは眠ることが怖くなったのをよく覚えている。


「一つの体に二つの人格が宿る人物の物語でしたか。……確かに、少し似ていますね」

「だが物語のそれはどっちも同じ体に宿った、二人の本人だ。全くの他人が、しかも後から体に入り込むなんて話じゃない」

「それに、話から察するに既にその問題は落ち着いているのでしょう?」

「はい。サウィンが終わった後、眠ったら元の体に戻ったようです。……まぁ、後は色々引いているようですが」


 それはそうだろう。自分が他人の体でいた時間、元々の自分の体が別の誰かの意識下にあったのだ。

 他人の体だからと、本人に成りすまして悪行を働けば後に面倒が巻き起こる。

 きっと今頃は、国を挙げての犯人探しが行われているはずだ。四大国の中では、最も爪痕が大きかったのがトゥレイスだろう。


「想像するだけで嫌な話だな。……で、それがお隣さんの仕業って言うのが今のところの見解か」

「幻覚を見ていたのか、はたまた別の何かか……。何にせよ、普通には起こりえない事象ですからね。まず間違いないでしょう」

「しっかし仕組みがよくわからないな。スハイルのそれは理解できるが……」


 意識が他人の体に移動するなど、普通に妖精術を使っても再現が難しい。それこそエルヴェが挙げたように、幻覚でそう感じさせているという方が納得できるのだが。

 話を聞く限り実際に被害は出ている様子。本人が他人の体だと錯覚して悪事を行っただけなら説明はつくが、意識のなかった者に関しては辻褄が合わない。

 ならばルドガーの言うように、他人の体へ意識だけが入り込んだという方がまだ折り合いもつく。

 ……だったらどういう原理でそれが起きたのかと言う話だ。


「意識の入れ替えか……」


 大人が三人して口を閉ざした沈黙。そこに紡がれた声は、料理の並べられた机の上からの物だった。

 そこにいたのは、綺麗に食べ終えた骨を頭に乗せて器用に(もてあそ)ぶカガチの姿だった。


「何か思い当たる事でもあるんですか、カガチ」

「意識だけって言うのはよく分からんが、入れ替え自体はおれ達の得意分野だ。そうだろ?」

「確かに」


 水を向けられて、皿の縁をなぞるように歩いていたネロが、足元に視線を向けたまま頷く。

 一体何の話を……。そう彼らの言動を裏返したところで気付いた。


「妖精の入れ替え……取り替え子(チェンジリング)かっ!」

「そうか……もしそれが暴走して、意図しない形で結果を手繰り寄せたなら…………」

「意識だけの入れ替えが起こっても不思議ではない」


 三人して得心したように顔を突き合わせる。……が、直ぐに冷静になって天井を見上げた。


「だとしてもどうしようもないし」

「この程度のからくりならば国内でも既に気付いていますね、きっと」

「わたし達が他国の面倒に頭を捻る理由も、それを解決する大義名分もありませんしね」


 分かってしまえばあっけない。だからこそ、無駄な労力を費やしたという自覚が、疲労感と共に押し寄せてくる。

 しかし…………。


「ただ、これが今後、ハロウィンやサウィンでなくとも起きる可能性が十分にあるってのは、なかなか厄介な話だな」

「対処法も、直ぐには思い浮かびませんか」

「結局、惑い者を正気に戻すだけが唯一ってことですね」


 どうあってもやることは同じ。対処療法があるのは構わないが、そろそろ根本的な解決策も欲しいところだ。


「けど、何となく見えてはきたな……」


 事態の全貌。まだすべてを理解したわけではないが、なんとなく理解が進んだ気がする。

 このまま行けば、今年中に何かしらの進展は望めるかもしれない。


「地道ですが、それでも少しずつ前には進んでいますよ、きっと」


 ルドガーの声に「そうだな」と小さく息を吐いて飲み物を(あお)る。

 この集まり、思いのほか有意義になりそうだと、終わりの見えない時間に天井を仰ぎ見たのだった。




              *   *   *




「随分と本題から逸れた気がしますが」

「……そうですね。フェルクレールトの現状が改めて分かった所で、そもそもの話に戻りましょうか」

「面倒事はよしてくれよ?」


 アランが行儀悪く指で揚げ物を抓みながら眉根を寄せる。

 彼の言葉に全面的に賛同するわけではないが、妖精変調関連でそれなりに大変なのは確か。これ以上仕事を増やされると本来するべきことが(おろそ)かになりかねない。

 が、きっとそんな個人的な願いなど、国は、世界は考慮などしてくれないのだ。


「面倒事かどうかと言われると少し話し辛いのですが……これは今の延長線上の話です」

「まじか……」

「それで、その話とは?」


 これ以上彼の愚痴に付き合っていても仕方ない。そう考えて先を促せば、ルドガーは飲み物を机に置いて真っ直ぐに告げた。


「『風変り』に関して、会談を経た後、大規模な調査隊が編成されるとのことです」

「…………その口振りだと確定事項か。んでもって、俺たちもそこに参加しろってことだろ?」

「もちろんこれはまだ水面下で進められている事ですが、先ほどの話を前提に考えればまず間違いないかと」

「世界規模の異変ですからね。逆に、少し遅いと言われてもおかしくはないですが」


 妖精変調は、争いではない。だから可及的速やかに世界規模の対応策を掲げることは、同規模な混乱を引き起こすことに繋がる。

 だから今回の会談で、妖精変調とその対策を四大国で共有し、改めて公然の秘密を事実として認め、動き出すと。そういう事らしい。

 これまで私たちが関わってきた惑い者の仕事と言うのは、その試験であり、土台作りだったのだ。


「因みにどれくらいの規模だ?」

「雑な見積もりになりますが、各方面にそれぞれ中隊から大隊規模にはなるかと思われます」

「各方面って言うと……峡谷と中心地と湖か」

「峡谷は王国と、湖は騎士団国と。そして中心地は四大国合同で、と言うところですかね」


 峡谷は、言わずもがなスアロキン峡谷の事。先のトロールの一件でもそうしたように、今度は国是としてあの近辺に部隊を常時展開する。

 湖は、ここカリーナ城下町より西。お隣であるトゥレイス騎士団国との国境として定められたマタル湖の事。こちらも峡谷同様、騎士団国と合同で事に当たることになる。

 そして中心地。まず、その呼び名は別名で、正確にはミドラースと言う地名の事を指す。

 ミドラースはこのフェルクレールトの大地の中心に位置する四大国の保護区域。妖精に纏わる物が沢山見つかるという事実から、争いの引き金にならないようにと四大国が共同で管理をしている地域だ。

 そこに足を踏み入れるには、属する国の承認が必要となる。

 加えて今回のこの話。四大国の合同で調査隊が派遣されるということは、それぞれの国が後ろ盾として認めた者達が集うということだ。

 つまりは世界が認めた事業…………まさに言葉通りな世界規模と言うことだ。


「その規模になると結構な顔触れが揃いそうだな……」

「惚けないでください。自覚はありますよね?」

「………………」


 もはや逃げられないのは確定。だったらその足首を縛ってやると。

 しれっと自分を除外しようとした海を任される男に釘を刺す。

 すると彼はあからさまに顔を(しか)めた後、これ見よがしに溜め息を吐いてくれた。


「はぁぁぁ……。ったく、こんなことなら途中で帰っとくんだったな」

「その場合でも、しっかりと話は通させてもらいますけどね」

「政に武官を巻き込むなよ……」


 ルドガーの話は最初からこれ。

 今後組織される調査隊、そこに確実に名を連ねる私とアランに、先に話をしておこうと言う優しさだ。

 ……もちろん、それだけではないのは重々承知。


「……つまり、それを見越して隊員の斡旋(あっせん)と管理をして欲しいというわけですね」

「話が早くて助かります。お願いしますね、先輩方」


 確認ではない。提案でもない。

 全く、こんなことになるならアランと競って上なんて目指すんじゃなかった……。

 胸の内で微かにそんなことを考えつつ、けれども目を背けることなどできない問題だと納得して。

 渋々と言った様子のアランと一緒に頷けば、最後にルドガーが上手に(おだ)ててくれた。


「ここの会計はわたしが持ちますよ。どうぞ、残りの時間は好きなだけ飲み食いしてください」


 この流れでできることなど暴飲暴食しかない。そして、そんな気力すら湧いてこない。

 分かっていてそう冗談を言う後輩に、珍しくアランと二人、気が合って同時に溜め息を零したのだった。




 『大地の首輪』の前でルドガーと別れ、友と肩を並べながら城下を歩く。

 食事も、旧交を温め合うのも楽しいはずなのに、何故だか入った時よりも疲労感を抱えて呟く。


「……この後どうしますか? お望みなら付き合いますが」

「エルヴェがそんなこと言うとは珍しいな。けど生憎と、待機中だ。その約束はまた今度にしてくれ」

「そうですね」


 飲まないとやってられない。白昼からそんなことを考えてしまうほどのルドガーの話に、行く当てもなく歩みを進める。

 しばらく無言のまま歩けば、先に口を開いたのはアランだった。


「…………あれだな。ここまで来たらいっその事中心地まで行ってみるのもいいかもな。こんな機会滅多にないわけだし」

「それに、同規模での調査隊なら、中心地が一番小規模で済みますからね」


 彼の話では、派遣されるのは各方面に中から大隊規模。しかしそれは、現場で動く人数であり、何より他国との合同だ。

 二国、ないし四国合わせてその規模になるように人員を選出する。つまり、四大国から選りすぐりの集まる中心地こそが、引き入り人数が最も少なく済むのだ。峡谷や湖の方は、二国のみ。単純に倍の数の仲間を引き連れてというのは、面倒なことこの上ない。

 ……とはいえ、人数が少ない代わりに最も期待値が高いのが中心地でもある。

 なにせあの場所には妖精の秘密がまだたくさん眠っている。妖精変調や惑い者に関する手掛かりと言う意味では、一番収穫がありそうな遠征先だ。

 部下を率いることにおいて楽をしつつ、より集中的な調査を行うか。それとも多数の部下を連れてある程度肩の力を抜いた調査をするか。

 どちらがいいとか問われれば、私もアランも前者だ。

 信頼のおける仲間と共に未知に挑む。妖精とのその先を希求することは、妖精従き(フィニアン)の本能のようなもの。

 調査と言う名目だが、ミドラースに足を踏み入れるというのは別の高揚感がある。

 ならば、折角の機会を活かそうというのが彼と確認し合った理想だ。


「あとあれだ。一応俺たちはそれなりの肩書きを背負わされてるからな。立場に見合った言動も求められる、だろ?」

「……君の口からそんな殊勝な言葉が聞ける日が来るとは思いませんでしたよ」

「ここいらで信頼も取り返しとかないとだしな」

「…………そうですね」


 別に、目に見えて存在意義を疑われているわけではない。が、事妖精変調においてはここまで後手でしか対応をしてこられていないのだ。

 何か一つ……手柄と言うと聞こえが悪いが、世界の平穏を守る騎士として役目を果たさなければならない。

 私たちが活躍をするということは、その事実以上に影響力があることなのだ。


「ったく、あいつも面倒な仕事を持ってきてくれたもんだ」

「私達だからでしょう。そう受け取りましょう」


 ルドガーの……コルヴァズ大統領陛下の期待に応える為にも、本気でやり遂げなければ。

 そんな風にどうにか納得を落とし込んで顔を上げれば、目の前に広がっていたのは陽光を受けて輝く海原だった。

 どうやらいつの間にか沿岸部まで下りてきていたらしい。


「今日は非番でしょう?」

「悩んでる時こそ海がいいんだよ。その方がすっきりする」

「そういうものですか」


 まぁ、この無限に広がるような大海を眺めていれば、ある程度心も凪いで行くというのは分かる。

 フェルクレールトの大地を比較対象にしても、この体はとてもちっぽけだ。人の身で、世界を大きく変えるなんてこと、そんな簡単にはできない。

 自らの矮小さを知れば、できることも明確になって少しだけ地に足がついた気がする。

 だったら目の前の、手の届くことから着実に。そうしていけば何れ、過去に想像の出来なかった場所へと辿り着くはずだ。

 その時に振り返っても、きっと達成感なんて覚えないのだろうけれども……。


「なぁエルヴェ。今度水竜に乗ってみないか?」

「……考えておきましょう」


 他愛ない、それこそ子供のような提案に。けれども悪くないと小さく笑って、小波(さざなみ)の音に僅かの間耳を傾けたのだった。




              *   *   *




「エド、この前話した件どうなっている?」

「既に代わりを手配済みです」

「そうか」


 執務をこなしながら補佐をしてくれる友に尋ねる。

 先のハロウィンとサウィンでは、各国に様々な被害が出た。それはここカリーナも例外ではなく、惑い者達の影響で幾つかの予定が狂ったのだ。

 特に早急の対応が求められたのが、四大国会談絡みの事。

 今年は我が国で開催する年に一度の話し合いは、事前準備が結構大変だ。

 なにせ国賓を複数もてなすのだ。国の威信の為にも、できる限りを尽くさなければならない。これは贅沢などではなく、世界の均衡を守るための物だ。

 とはいえ同じ場所で続けて開催すればその質も落ちてしまう。そのため、毎年持ち回りで不公平がないようにと、一国が開催国となるのは四年に一度。それが今年はカリーナだったのだ。


「しかし、今年はカリーナで正解だったかもしれないな」

「我が国は他の三国と比べ被害が軽微でしたからね」


 未だ混乱が収まっていない国もある。

 要人が集まるという場に、警護やもてなしができないというのであれば問題だ。開催を延期するほかない。

 しかし今回は無視のできない議題が存在する。世界の行く末を左右しかねない問題だ。だから少し懸念はしていた。

 が、どうにか開催はできそうで、各国の長たちも自国を離れられるくらいまでは内政を安定させている。

 一先(ひとま)ず形だけは保てそうで一安心だ。


「ブランデンブルク王国の騎士錯乱騒動。スハイル帝国の豪雪による公益機能の麻痺。トゥレイス騎士団国の人格入れ替わり問題。……それと比較すれば、数名の行方不明者が出た程度は、確かに些事かもしれないな」

「彼らも既に日常生活に戻っております。ご安心を」


 カリーナで起きた騒動は、言ってしまえば国全体での行方不明だ。

 度の過ぎた悪戯によって時間や記憶を奪われる。被害が少なかったのは、警戒と慎重な行動によって大部分が避けられたからだ。

 妖精の見える者は、その生き様を知っている。彼女たちがどんな風に誘惑し、何を対価に求めるのか。どう対処をすればいいのか。それは、学び舎に通ったもの達ならば嫌と言うほど聞いてきた基本だ。

 だから固い意志で断固として妖精の誘いを跳ねのければ、相手が強硬策に出ない限り被害は避けられる。

 結果、カリーナでのその騒動は他国に比べ被害が小さかったのだ。

 その点、他の三国の問題は、個人の警戒程度ではどうにもならない規模だった。広範囲への目に見えない干渉も、天災も、形の分からない結果も。全て致し方のない被害だ。

 だから今回の事は、三国が惑い者に巻き込まれたのではなく、カリーナが偶然被害が少なかった。その答えに尽きる。

 しかし、お陰で控えていた四大国会談も開催できるのだ。ほかの国も、この機会を逃そうとは考えていない。

 次に同じことを起こさないための対策。それは、誰もが望む未来だからだ。


「む……」


 考えながら意識を落としていた公務。その中に紛れ込んでいた一枚の書類に、思わず手を止める。


「どうかされましたか?」

「いや……そう言えばまだこれの連絡が来ていなかったと思ってな」

「…………これは、確かシンストラに預けていましたね」


 書類を受け取って目を通したエドが零す。彼の言う通り、その書類の案件は彼女に一任してある。

 ジネットならば問題なく人選を終えて、普段なら既に報告を上げてくれているはずだが……。

 そう考えた直後、扉を叩く音が執務室に響いた。


「入れ」

「失礼します」


 返ったのは、扉越しに少しくぐもった噂の人物の声。そのことに安堵をしつつ扉が開くのを待てば、そこに少し想定外の顔が並んでいることに気が付いた。


「ピスにケス……どうした?」

「陛下。お嬢様から陛下にお話があるそうです」

「なに?」


 この二人が話とは……。愛すべき孫だが、突飛押しのなさは随一。思わず身構える。


「陛下」

「四大国会談」

「会談? それがどうした?」

「使用人」

「参加したい」

「…………。それは……」


 彼女たちの言いたいことを察して言葉に詰まる。

 次いで視線を向けたのはジネット。

 直ぐに彼女は二人の本心を説明してくれる。


「学生とはいえ、お嬢様たちも使用人としての責務はこなされております。権利は平等でしょう」

「……ふむ」

「それにこれは、お嬢様が自ら選ばれた希望です。贔屓は致しておりません」


 ジネットが言うのだ。少なくとも使用人として最低限の事は既に教えているのだろう。であれば彼女の言う通り資格はある。

 そしてその上で、二人はその機会を物にしようと、こうして直接行動に移したのだ。

 仕えるべき者を陰から支えることが使用人の基本。その常識から外れたらしさは、二人故の物か。

 だからこそ、訊いておく必要がある。


「どうしてだ?」

「妖精変調」

「カドゥが見たいって」


 そう答えた次の瞬間、二人の片目が変質する。あれは確か……。


「カドゥケウス……。悪戯は程々にして欲しいのだがな」


 英雄的妖精カドゥケウス。そんな彼が、動けない身で外を知るために施した、視覚共有の妖精術。

 話はヴァネッサから聞いていたが、まさかこんな機会で目にすることになるとは……。

 しかし、だとすればあまり無碍(むげ)にもできなくなる。


「ピス達も」

「知りたい」

「…………はぁ……」


 こんなので国の長を任されているのに、どうして未だカリーナは国の体裁を保てているのだろう。

 我輩は、恵まれているらしい。


「……分かった」

「良いのですか?」

「この際だ、近くに置く。その方がこちらも安心できる」

「分かりました」


 目の届かないところで問題を起こすことに比べれば、その方がいくらかましだ。

 そもそも何事もない方がいいのだが……きっとそれは難しい注文だ。


「ありがと」

「お爺様」

「あぁ。……それで、ジネット。君に任せていた案件はどうなっている?」

「こちらに」


 ピスとケスの事があったからこれほど遅れたのだろう。とすると、我輩よりも彼女の方が大変だったに違いない。


「ふむ……まぁジネットの事だ。問題ないだろう。下がれ」

「失礼します」


 彼女に続いて、ピスとケスも部屋を後にする。

 扉の閉まる音を最後まで見つめて、それから眉間を押さえて溜め息を吐いた。


「学園祭か。……今年は、一筋縄ではいかなさそうだな…………」

「今お茶をお持ちいたします」

「あぁ、頼む」


 背中に重く見せない何かが圧し掛かった気がしながら顔を上げる。

 今から憂鬱に溺れて、当日は一体どうなるというのだろうか…………。不安以上の未知数は、最早厄災だ。

 せめて何かしらの結果は得られるように。そう願いつつ、改めてジネットの持ってきた報告書に視線を落としたのだった。

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