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フェアリー・ダブル  作者: 芝森 蛍
宵風に奔走する炎色のアボボラ
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第五章

 ハロウィンがやってきた。

 グランドの最終日。古い暦では一年の終わりだったこの日に、一年を一日に例え、陽が落ちると考えたらしい。

 冬には主だった作物が育たず、秋に貯蓄した食べ物で(しの)ぐ。

 冷え込む日々を、命の眠る時期を、陽の光の及ばない夜と重ね、冬をそう形容したのだ。

 また、陽が落ちると途端に世界は静まり返る。人々がまともに生活できないその時間は、管轄の及ばない異界……悪霊や悪魔が跋扈(ばっこ)する埒外へと変化する。

 夜は異界の住人の空間。ならば当然、一年の夜である冬もまた、災禍の揺らめく季節だ。

 眠りに着く大地は人に厳しく、様々な苦しさを連れてくる。

 そんな自然の猛威が得体の知れない悪と重なれば、人々は矮小な身の届かない日々を倦厭(けんえん)し、その対策を練る事にした。それがハロウィンだ。

 悪霊に扮し目を(あざむ)き、(にえ)を捧げて災禍を遠ざける。原初のハロウィンの姿。

 それがいつしか意味を見失い、暦の数え方も変わって風化し、今の乱痴気騒ぎに果てる。

 現在では、その年の秋に取れた実りの豊作を称え、賑々しく盛り上がるだけの祭りになってしまった。

 その要因の一つが妖精だ。

 彼女達は楽しい事を生き甲斐とする。元々仮装と言う華やかさがあったハロウィンは、彼女達の価値観と交わる事で一気に様変わりしたのだ。

 もちろんそれで妖精達に責任を押し付けるつもりはない。楽しさが増えたところで、やるべき行いはきっちりやればよかっただけのこと。それを(おろそ)かにしてただ呆けたのは、人の過ちだ。

 ……まぁ、時代が下って様々な技術が進歩し、冬にそれほど困らなくなったというのは良い事だろう。ただし、その裏で勢いや役目を削がれた物も確かに存在していて、少し悲しくなるだけだ。

 そんな事を思ってしまうのは、学園に入って最初のハロウィンで真面目に学んだからかもしれない。少なくとも去年までのぼくだったら、こんな事は考えずに変わらない賑やかさを楽しんでいただろう。

 学ぶ事は、立派な将来を歩む為に必要な事。しかし現実は、知らない事を乗り越えるたび、次の疑問にぶつかるのだ。

 それが大人になるということならば、ぼくはまだ子供でいたい。


「けど、どうしようもないよなぁ」


 呟いて嘆息する。

 過去を知った。今を知った。

 けれども残念ながら、ぼく一人でどうにかできる問題ではない。もっと沢山の……それこそ世界が一丸とならなければ、今は変えられないのだ。

 どれだけ一人が足掻いても、やっぱり未来はそう簡単に変わらない。


「ま、今が悪いわけでもないしな」


 今では、悪霊は殆ど信じられていない。が、忌避すべき対象として嫌悪され、口に出すことも(はばか)られている。

 それはつまり、完全に元のハロウィンの儀式的な意味合いが消え去ったわけではない事を意味している。実際、ハロウィンの中ではそういう恒例も存在するのだ。

 ならば心の底から思う者がそれを為せばいい。為して、その上で今に生きればいい。


「……よしっ」


 鏡の前で身だしなみを整え、問題がない事を確認して気持ちを切り替える。

 部屋を出れば、他の生徒達が様々な衣装に身を包む、見て華やか聞いて賑やかな光景がそこに広がっていた。

 ここは学園の屋内競技場。普段は風の影響を受けやすい授業や、雨の日の外の授業を室内で行う為の建物だ。

 もちろん目的はそれ以外にも多岐に渡るが、今回はハロウィンで仮装する生徒の為に解放されている。

 右を見ても左を見ても、普段は見られない格好の生徒達ばかり。

 昔は悪霊や悪魔を模した仮装ばかりだったらしいが、今では童話の主人公や怪物など、結構何でもありな雑多な事になっている。

 ……一年に一度、理性の中で破目を外して他になりきり楽しく過ごせる日。今更細かい事を言えば、言った方が冷めた目で見られるのは確実だ。

 それに、同じく仮装しているぼくも同類。場を乱すような事を言うつもりは毛頭ない。


「へぇ、よく似合ってるね」


 模造剣を腰に下げた騎士風体の上級生を視線で追っていると、喧騒の中で直ぐ傍から聞き慣れた声が響いた。

 見ればそこにいたのは幼馴染のシルヴィ・クラズ。彼女は、元は純白らしいドレスを赤黒い血の色で染め、顔に痛々しい縫い傷を施したお姫様の格好をしていた。


「それ…………『傷姫(きずひめ)』か……?」

「うん」


 『傷姫』とは、フェルクレールトの大地でも有名な童話だ。

 内容としては、ある国の美人なお姫様が嫉妬から傷付けられ、顔に大きな傷を負ってしまう事から始まる物語。

 美貌を称えられていたお姫様が、最初は同情や心配の声を向けられるが、やがてその声が非難のそれへと変わってしまう。持ち上がっていた隣国の王子との縁談話も白紙になり、心無い周りの言動に胸を痛めたお姫様は城に閉じこもる。

 とはいえずっと部屋の中にいては家族や世話係も心配してしまう。その為着飾り、彩って顔を隠し、人目を忍んで月に一度だけ町へ出るようになるのだ。

 何度目かの外出の折、年の頃が同じくらいの男の子とぶつかった拍子に顔を見られ、お姫様である事が露見してしまう。しかしそのぶつかった相手はお姫様の顔を見ても驚いたり怖がったりする事は無く、親身に味方になるのだ。

 最初は警戒していたお姫様だが、男の子の真摯さに次第に心を許すようになり、しばらくの後唯一胸の内を明かせる友になる。

 何度か顔を合わせる中で、お姫様は男の子を巻き込んで迷惑を掛けてはいけないと至り、その事の関係を絶つ事になる。

 やがて時が経ってお姫様に再び縁談の話が持ち上がった頃、その男の子が騎士として志願しお姫様の前に姿を現す。

 しかしお姫様は再会を喜ばず、彼を遠ざける為に心ない言葉で突き放すのだ。

 それからしばらくは顔を合わせても言葉を交わさない日々を送る事になる。

 そんな中で新たに持ち上がっていた縁談の為に他国へと(おもむ)くお姫様。その護衛として少年も随伴し、共に向かう。

 すると顔を合わせた王子は、初めて目にしたお姫様の顔に驚いて化物と罵り、剣を抜いて振り下ろすのだ。けれどもそこに少年が割って入った事でお姫様が怪我をすることは無く、またも縁談は白紙へと戻ってしまう。

 国への帰り道、お姫様が少年に『どうして助けたのか。こんな醜い顔の恥は、あの時斬られて死んでしまえばよかった』と糾弾するように詰め寄る。

 だが、それを聞いた少年は『傷など関係ない。僕は君がその顔の傷以上に傷ついて、弱った、ただの女の子なの事を知っている。だから騎士として、一人の男として助けた』と答えるのだ。

 その言葉に心を打たれたお姫様は今までの態度を謝り、少年を自らの近衛騎士として取り立てる。

 そうしてお姫様は少年と共に過ごし始め、幾つかの苦難を乗り越えて結ばれると言う物語。

 このお話のお姫様が作中で揶揄(やゆ)される呼び名こそ『傷姫』であり、作品の題名だ。


「に、似合ってる……って言っていい、のか?」

「大丈夫。ロベールは気にしすぎ」

「そ、そうか……」


 顔色を伺うように思ったままを口にすれば、シルヴィは薄く微笑んで受け止めてくれた。

 シルヴィは、胸に傷を残している。それはぼくとの過去であり、後悔の証。

 この前の夏、彼女は意を決してそれと向き合い、自ら前へと進んだ。もちろんそれは喜ばしい事で、彼女の決意は尊敬に値する。

 けれどもぼくにとってはまだ少し受け入れ難いことで。直接目にする機会はあれ以降ないけれども、何となく意識してしまう。

 シルヴィは大丈夫でも、ぼくは納得しきれていない。あの時の失敗と後悔は、まだこの胸の中にあるのだ。

 しかしそんなぼくを置いていくように、シルヴィはちゃんと折り合いをつけて。こうして『傷姫』の仮装もしているのだ。


「知ってるのは少しの人たちだけ。だから大丈夫だよ」

「うん……」

「それに…………今度はちゃんと守ってくれるでしょ?」

「もちろんだっ」

「うん。期待してる」


 現実離れした風体で、しかしそこにいるシルヴィが笑顔を浮かべる。

 その段に至ってようやく納得のようなものが見つかり、とりあえず目の前の彼女の容姿を呑み込めた。


「ロベールもよく似合ってるね。騎士?」

()いたら悪魔の騎士って言われた」

「へぇ。格好いいね」


 衣装は今日限りの貸し出しだ。中には自作をしたりする器用で熱意の篭った者もいるだろうが、これでも十分ハロウィンは楽しめる。

 あと、このハロウィンの間は例外として悪魔や悪霊と言う言葉にそれほど頓着しなくなる。

 もちろん無闇矢鱈(みやみやたら)に触れて回るのは避けるべきだが、必要最低限は許される風潮があるのだ。


「でも、そっか……。お姫様に、騎士かぁ」

「な、なんだよ…………」

「ううん、なんでもないっ」


 偶然の組み合わせに、意地悪な笑みを浮かべる幼馴染。

 それから彼女は、試すように、からかうようにその手を差し出した。


「よろしくお願いします、騎士様」

「っ……!」


 普段は見せないお嬢様の顔でどこか高貴に告げるシルヴィ。目の前の手袋に覆われた甲を見つめて息を詰まらせる。

 お姫様が、騎士に手を差し出す。その意味がわからない訳ではない。

 もちろんこれがその場限りの演技な事も重々承知。

 それでも、いや、それでも……。

 僅かの沈黙で必死に考え抜いた末。演技ならば、恥をかかせる方が男の名折れだと気恥ずかしさを押し殺して、シルヴィの手を────


「シルヴィ」

「ロベール」


 取ろうとした所で、不意に直ぐ傍から聞き慣れた声が聞こえ、肩が跳ねた。


「ピス、ケス」


 シルヴィが名前を呼んで、こちらに向けていた手を下げる。と、そのまま何かを隠すように後ろ手に組んで彼女達の方へと体を向けた。

 安堵、をしてしまったのは何故だろうか。そしてそれ以上にこの胸の奥に落ちる感情は?

 ……折角決めかけた覚悟を不意にされた事への、落胆、だろうか。


「あれ、二人共仮装は?」


 自分のことなのによく分からない胸の奥に少しだけ戸惑いながら。それから目にした双子の姿にぼくも疑問を浮かべる。

 ピスとケス。ぼくが想いを寄せる双子の少女は、ハロウィンだと言うのにいつもの制服姿。

 直ぐに脳裏にこの前のやり取りが過ぎって尋ねる。


「仮装は決まってたんじゃないのか?」

「うん」

「決まってる」

「まだ着替えてないって事?」

「ううん」

「もうしてる」

「え……?」


 間の抜けた声を漏らして、それから直ぐに気付いた。

 これはまた、彼女達の中で完結した結果だろう。ぼくたちが普通は考え付かない彼女達の常識。

 ならば半年クラスターとして過ごしてきた経験から当ててみたい衝動にも駆られて、その姿を注視する。

 ……だが、何処からどう見てもぼく達のよく知る鏡写しの制服姿。と言う事は…………。


「制服姿が仮装って事?」

「ううん」

「違う」


 これしかない。そう確信と共に尋ねたが、二人は無慈悲に首を振る。仕草に、いつもと同じく括られた亜麻(あま)色の髪が猫の尻尾のように揺れて────


「あ、もしかして……」


 とそこで、何かに気付いた様子のシルヴィが確認するように自分を指差して疑問を落とす。


「ピス、ケス。あたしは?」

「3」

「8」

「うん。そうだよね。よかった……」

「…………どういうことだよ」


 一人納得した幼馴染に訳が分からず視線を向ける。すると彼女は今度こそ分かりきった試し顔で確認してきた。


「ロベール、ピスはどっち?」

「なんだよ。そんなの頭の右で髪括ってるのが…………あっ」


 そうして、ようやく気付いた。

 ピスとケスの立ち位置が逆だ。

 普段二人は互いの髪が当たらないように、ピスが右に、ケスが左に立っている。

 しかし目の前の彼女達は、それが逆なのだ。

 と言うことは考えられるのは一つ。


「お互いの仮装をしてるのか?」

「うん」

「正解」


 向かって右側、今日は頭の右で一つ括りにしたケスが、普段のピスと同じように先に口を開き。

 向かって左側、対して頭の左で一つ括りにしたピスが、普段のケスと同じようにその後を紡ぐ。

 髪型と、喋る順番まで入れ替えた双子。本来ならばそれで簡単に分からなくなってしまう鏡写し。どうやらそれが、彼女達の言っていた仮装らしい。

 制服を仮装と言っても不思議ではないこの二人。だからこそその想像を当然のように無視してくれる事に、理由が分かってしまえば相変わらずだと安堵した。


「へぇ……なるほど。けどシルヴィ、よく分かったな」

「最初は立ち位置かな。気になって確認したら、いつもとは逆の答えも返ってきたら」

「さっきの数字の奴か? まさか理解出来るようになったのか?」

「ううん。でもあたしを指していう時はいつも8と3の順番だったから。何を指してそう言ってるのかはまだよく分からないけどね」

「そっか」


 ピスとケスは特別な価値観を持っている。その数字が、一体何を示しているのか。それを知る事が出来れば今以上に二人の事を理解出来るからと、シルヴィと二人競うようにあれこれ考えているのだが……残念ながら今のところ全く光明は見えない。

 因みにぼくは20で3らしい。


「はは、けどこれじゃあ殆どの人は見分けが付かないだろうな」

「ロベールだって言われて気付いたくせに」

「なにおうっ!」


 嫌味に一々口にするシルヴィに食らい付きながら。

 そうして揃ったいつもの四人で学園の中へと足を向ける。

 さぁ、もう直ぐ学園でのハロウィンが始まる。お客さんをもてなす為にも直ぐに準備に取り掛からなくては。


「それじゃ、頑張ろうかっ」

「おう」


 教室へ向かう道すがら、幼馴染から向けられた拳に自分のそれを軽くぶつけて笑い合う。

 学園でのハロウィンが終われば、そのまま町のハロウィンに参加だ。やるべき事はしっかりとしつつ、思いっきり楽しむとしよう。




              *   *   *




「その後はどうなんですか?」


 隣を歩く実力者に視線を向ける。すると彼は、飾らず答えてくれた。


「特に何事もないな。サウィンが終わったらタルフ岩礁(がんしょう)の観光も再開するらしい」

「それは何よりですね」


 タルフ岩礁で水竜騒動があってから、一月経った。

 その後の様子を、海の守護を担当する国の要の一つ。隣の彼、アラン・モノセロスが率いる白角(ハッカク)騎士団が受け持っている。

 水竜……ドラゴンが妖精の影響を受けて集団暴走したと言う問題は、様々な被害を(もたら)して一時期城下を席巻(せっけん)した。

 しかしその噂も今ではまず聞くことはない。人の興味とはなんとも薄情な物だ。

 とはいえ人の噂に流れないからと言ってそれで物事が解決する訳ではない。問題は解決した後、再発を防ぐことこそが大切なのだ。

 その点で言えば、隣の彼は最後まできっちりと仕事をやり終えたと言う事だ。


「そっちこそどうなんだ? 巨人の一件は?」

「あれだけに限ればもう終わったことです。……が、『風変り』となると話は少しややこしくなりますね」


 『風変り』とは軍内部での妖精変調(フィーリエーション)に関する隠語だ。人の多い場所でその名前を口にすると不安を煽ってしまう為の措置。


「海は結構平和なもんだからな。タルフの一件が終わったらいくらかは手が貸せると思うぞ」

「……正直貸しを作るようで納得はしかねますが、事はそうも言ってられないようですからね」

「貸しって……相変わらずエルヴェは律儀な奴だな。陸も海も関係ないだろうに」

「貴方が無頓着すぎるんですよ、アラン」


 陸を預かる私と、海を司るアラン。

 軍を大きく二分するその勢力は、昔から余り折り合いがよくない。当然私とアランの世代も同じく、部隊内には互いを敵視する物も多くいる。

 もちろん必要とあらば協力はするだろう。しかし普段から馴れ馴れしく肩を組むような真似はどうにも呑み込めない。

 彼はその辺り、どうにも固執していないようなのだ。

 そもそも……。


「今日だってこうして一緒に見回りなんて……。お互いの隊員が知ったら面倒が起きかねないんですよ?」

「固いこと言うなよ。ハロウィンだろ? 普段交わらない者達が擦れ違う。仮装してやり過ごし、降り注ぐ厄災から身を守る。俺達騎士がしっかり働いて日々の平穏を守る為に、不必要な物を振り払うんだ。何も間違っちゃいないだろ?」

「だからと言って……どうして仮装で互いの甲冑を身に纏わないといけないんですかっ」

「お手軽でいいじゃねぇか。大体、そんなに神経質だからその年になっても相手が見つからないんだろ?」

「なっ!? お、大きなお世話ですっ!」


 いきなり飛び火した個人的な話題に思わず声を荒げる。

 た、確かに共に家庭を築く相手はいないが……それを他人にどうこう言われる筋合いはないはずだ。


「学生の時に捕まえて置けばよかったのにな」

「………………」


 アランの嫁は、学生時代からの付き合い。肩を並べて競ってきた私もよく知る人物だ。

 美人で、器量のいい……アランにはもったいないほどの人。

 彼の結婚の時には、私が仲人(なこうど)も引き受けたのだ。

 夫婦仲も良好なようで、長い付き合いとしては嬉しい話だが……。それを引き合いに出す必要性は感じない。

 ……まぁ、騎士になってから、仕事が忙しく相手が見つからないということには同意するが。


「……無駄話をしていないで仕事をしてはどうですか?」

「話題を振ってきたのはそっちだろうに」


 文句を言いつつ、しかしやるべき事はきちんとする辺りが実に厄介だと。

 学生来の付き合いと言うのはどうにも調子が狂う。

 昔はこれでもそれなりに息の合った間柄だった気がするのだが……一体いつから反りが合わなくなったのだろうか…………。


「エルヴェ」

「どうしまし──って、またですか……」


 理由を探し始めたところで冗談の色のないアランの声。何事かと彼の視線が向く先を見れば、そこには困ったように頭を掻く男が一人いた。

 彼の直ぐ傍には滅茶苦茶に荒らされた露店。この光景も、今日だけで既に三回目だ。

 無視するわけにもいかないと、おおよその原因に当たりをつけつつ声を掛ける。


「大丈夫ですか?」

「ん、あぁ。少し目を離した隙に悪戯されたみたいでな」

「どんな見た目だったか覚えてるか?」

「生憎と見えない性質(たち)でね」

「それは失礼な事を訊いた」

「手伝いましょう」

「助かるよ、騎士様」


 溜め息一つ。それから足の折れた露店を片付け始める店主。

 ハロウィンに因んだ装身具を扱っていたらしく、幾つかは壊れて売り物にならなくなっていた。

 アランと二人、怪我人が出ないようにと手早く散らかった残骸を片付けつつ小さく声を交わす。


「アラン、この壊れ方は……」

(ウィルム)だな」


 壊れた残骸の端が湿って腐食している。まるで長年沼にでも浸かって自然に食い散らかされたような惨状だ。どうやら店の足の一つを腐らせて崩してしまったらしい。

 こんな事が出来るのは水か(グラド)を得意とする者達だが、アランの見立ては私と同じく水のようだ。


「ご主人、一つ確認を。この露店の足は最初からこんな風でしたか?」

「いいや。それはないな。この店は一昨日(おととい)建てたばっかりだ。……と言うか何で濡れてるんだ? 雨なんかここ数日降ってないだろう?」

「水を得意とする妖精の悪戯だな。妖精術で腐らせたんだよ」

「はぁー、そんな事も出来るのか。こりゃお手上げだな」


 為すすべ無しと諸手を上げる男性。妖精の見えない彼には、当然その術を行使することもできない。人の手でできる対策など意味を成さない。だから怒っても仕方ないと諦めているのだ。

 とはいえ被害が出ているのは事実。それに遭ってしまった彼は不幸と言うほかない。


「……そういえば似たような話を聞いたな。今年はよく妖精に悪戯されるって」

「………………」


 妖精変調の名は、まだ公式には発表されていない。無用な混乱と誤解を招かないようにと言う事と、その原因や解決策が見つかっていないからだ。

 今回のこれも妖精変調で本能に正直になった個体が抑えの利かない悪戯をしてしまった結果だろう。

 そう推論は立つが、やはりそれを口にするのは(はばか)られる。

 彼らの平穏を守る為、明かせない事もあるのだ。


「まだ駄目になってない商品もあるみたいだが、これはどうするんだ?」

「そうだなぁ……折角だし売り歩いてみる事にするよ。他の奴等にも忠告くらいはしたいしな」

「そうですか。ではお気をつけて」

「あぁ。手伝ってくれて助かったよ。それじゃあな」


 商魂逞しい男と別れて人波へと戻る。すると隣を歩くアランが声の調子を落として呟いた。


「流石にこれ以上は見過ごせないな」

「別行動にしましょうか」

「そうだな」


 言葉少なく目的を共有して、それから示し合わせたように同時に道を曲がり、それぞれの目的地へと足を向ける。

 これは悠長に見回りなどしている場合ではない。これ以上の被害が出る前に、先回りして何かしらの対策を立てなければ……。




              *   *   *




 ハロウィンに出していた店は開かず、翌日のサウィンは一日自由に過ごす。

 そんな当初の予定は、しかし想定外の形となって想定以上の一日になった。

 賑やかだったハロウィンの日。仮装したシルヴィ達が店に遊びに来て騒いだりと言う時間を過ごした後のこと。

 翌日のサウィンに向けて開けるつもりの無かった夜の顔に常連客が一人顔を見せた。


「あれ、今日はお店は?」

「すみません。今夜は休業に……」

「そう……それは残念ね。ようやく仕事から解放されたからハロウィンを理由にご褒美をと思ったのだけれど……」


 そんなやり取りを交わしたのは、今年の五月(ウィード)頃からこの店に足繁く通うようになった女性。

 テトラフィラ学園で教鞭を振るう、シルヴィ達の担任のリゼット・ヌンキ。僕が密かに想いを寄せる人物だ。

 彼女は少し寂しそうに笑って(きびす)を返そうとする。その背中へ、気付けば呼び止めていた。


「しようと思ってたんですけどね」

「え……?」

「折角来て頂いたのにそのまま追い返すと言うのは僕としても気が引けるので。どうぞ中へ」

「……いいの?」

「準備をしていないので凝った物は出せませんが、それでもよろしければ」

「…………それじゃあ、少しだけ」

「いらっしゃいませ、お客様」


 これはきっと間違いではない。胸の奥に甘く疼く感情にそう答えを見つければ、彼女一人の為に店を開ける。

 悪いが今日は貸切だ。扉の札はこのままにしておくとしよう。

 少しだけ卑怯な自分に自嘲しつつ彼女を中へ。直ぐに明かりをつければ、いつもと同じ淡い光が店内を仄かに照らした。


「さて、最初は何に致しましょうか?」

「いつものは出来るかしら?」

(かしこ)まりました」


 机を挟めば、店員と客。それ以上でも以下でもないと割り切って接客を始める。

 こんな事だからいつまで経っても関係が変わらないのだと意気地のない自分に呆れつつ。けれども求めていない物を押し付けるわけにも行かないと理由を振りかざして、今日限りの専属へと身を入れたのだった。




 少しだけと言った彼女だったが、お酒を口につけると僅かにあった遠慮も消えたのか、いつものように楽しくお酒を飲んでいた。

 他の客が来ないのをいい事に彼女の愚痴を聞いたりと、邪魔の入らない時間をゆったりと過ごして。

 月が天辺を越え三分の一ほど傾いた所で、溜まっていた疲れにお酒の力が加わって、やがて小さな寝息を立て始めたリゼット。

 この光景にももう慣れてしまったと、机に上体を預けた無防備な姿に毛布を用意する。

 店の奥から取ってきた、彼女愛用と言ってもいい一枚をその肩に掛けようと静かに広げた、次の瞬間。机に預けていた体の体勢が悪かったのか、肘が外れてそのまま床へ────落下しそうになったところをどうにか寸前で受け止めた。

 少し無理やりに体を入れた所為で尻餅を突いてしまったが……どうやらリゼットに怪我はないようだ。

 ほっと安堵しつつ、お酒のお陰か未だ目覚める気配のない彼女の、眼鏡の外れたどこかあどけない顔を間近で見つめ……直ぐに頭を振って過ぎった考えを振り払った。

 幾ら魅力的でも、それは流石に道徳に反する。やるならば正々堂々とが信条だ。

 そう自分に言い聞かせ、胸の奥に渦巻く感情をどうにか(なだ)めながらリゼットの体を抱き上げる。そのまま店内の席へ横たえ、上から改めて毛布をかけた。

 微かに吐息を漏らしたリゼットが温もりを求めるように毛布を引っ張り上げる。艶かしささえ感じる喉の奥の声に、店の中で二人と言う状況を客観視しながら、どうにか理性で傍を離れた。

 片付けを始めた所で、指先に感じた冷水にようやく詰めていた熱い息を吐き出す。


「……全く、怖いよ…………」


 まだそこにある腕の中の温もりと匂いがじわじわと熱を広げていくのを自覚しながら、健やかな寝息を立てる彼女へと視線を向ける。

 僕の気も知らないで……。気を許してくれるのは嬉しいが、流石に無防備すぎる。我慢が出来なくなったらどうしてくれるのか。


「僕もこっちで寝ようかな」


 食器の水気を拭き取って、乾燥の為に立てて並べる。置きっぱなしだった酒を棚に仕舞い、水周りを整えれば店の奥へ。

 毛布を持って店の方へと戻ってくれば、リゼットから少し離れたところへ腰を下ろし、目を閉じた。

 彼女はお酒を飲んで眠ると起きるまでが結構長い。体が落ちても眠り続けるあの状態なら、きっと朝まで目は覚まさないだろう。

 これくらいの贅沢は許して欲しいと、何かに言い訳をしながら。微かに自分以外の空気を肌に感じつつ、まどろみの奥へと意識が潜って行ったのだった。




 目の前に気配を感じて目を開ける。

 するとそこには至近距離の女性の顔があった。


「え……?」

「目が覚めた?」


 微笑みと共に仄かな匂い。知っているその記憶に、直ぐに意識が覚醒する。


「ヌ、ヌンキさ──ぉあ!?」


 直ぐそこにいたのが想い人。想定外の事実に体が勝手に動き、探した支えが空を掻いて床へと落ちる。

 鈍い痛みを胸に感じながら改めて掌を突いたところで、目の前に差し出された手を取る。


「驚かせましたね。すみません」

「いいえ、大丈夫です……」


 無駄に柔らかく感じる掌の感触にどぎまぎしつつ体を起こして辺りを見渡す。遮光布を引いた窓の隙間から差し込む光に気付き、ようやく現状の把握が追い着いてきた。


「朝ですか」

「えぇ。おはようございます、マスター」

「ははっ、おはようございます。……朝食を作りますね。どうぞ食べていってください」


 マスターと呼ばれた所為か、そちら方面に意識が覚醒してやるべき事を見つける。

 とそこで、服が昨日のままな事に気が付き、次いで視線が目の前の彼女へ。

 どうやら僕よりも先に目が覚めたらしい彼女は、服装も当然お客様として店に来た時のまま。

 お酒を飲んでそのまま眠ってしまったのだ。冬とはいえこのままは余り気持ちよくないだろう。


「食事が出来るまで時間がありますから、どうぞ汗を流してきてください。こちらです」

「……ではお言葉に甘えて」


 先回りして案内に足を出せば、断る理由を見失った彼女が後を付いてきた。

 後で僕も寝汗を流すとしようと思いつつ店へと戻り、適当な材料で手早く食事を作る。

 しっかりと温まってくれたらしいリゼットが頬と首筋を上気させて姿を現した事に一人胸を高鳴らせながら、柑橘の果汁飲料を出す。


「ありがとうございます」

「もう陽も昇ってますが、今日のご予定は?」

「……今のところ特には。サウィンはハロウィンほど賑やかではないので、見回りもないですから」


 昨日お酒を飲みながら聞いたところによると、ハロウィンの日は学生が問題を起こさないようにと教鞭を振るう方々が城下の見回りをしていたらしい。

 それが一段落した所でこの店へやってきた、と言うのがあの時のことのようだ。

 しかしそれもハロウィン限定の話。今日のサウィンはハロウィンほど賑やかにはならない。代表的な事といえば、ハロウィンに灯した火を貰って家に持って帰るくらいだ。

 悪霊を追い払う為の火。それを家の暖炉へ灯す事で、家の中に災いが入ってこないようにと言う毎年の行事だ。

 それ以外となると特別な事は殆どない。


「学園の方はおやすみですか?」

「えぇ。今日はサウィンだから」

「ではのんびりと、ですね」

「貴方はどうするの?」

「僕ですか?」


 最早顔馴染み以上の間柄。店主と客の関係を越えた、まるで友人のような気安さに、出来た朝食の皿を机に並べながら答える。


「今日はお店を出すつもりもないので、ゆっくり町でも見て回ろうかと。火も貰って来ないといけませんからね」

「そう……」


 何かを考えるように飲み物へと口をつけたリゼット。次いで彼女は決心したような面持ちで顔を上げてこちらを射抜いた。


「あの、よかったら一緒に回って貰えないかしら?」

「え……?」

「無理を言ってお店を開けて貰って。寝て、起きて、それにお風呂と朝食まで……。流石にこのままお礼の一つもしないというのは失礼だから。だめ、かしら……?」


 思わぬ誘いに息が詰まる。流れた沈黙に、目の前の彼女は答えを待っているのだと我に返って、是非もなく頷いた。


「構いませんよ。それほどの事をした覚えもありませんが、お付き合いします」

「よかった……」


 安堵したように微笑むリゼット。湯上りと言う状況も相俟って、必要以上に色っぽく見える笑顔から視線を逸らしつつ、自分の朝食へと手を付け始める。

 が、どうにも緊張で味がよく分からなかった。


「あ、美味しい……。やっぱり料理お上手ですね」

「そ、そうですか? 有り合わせで作ったのでいつもの物とは全然違いますけど……」

「いつものも美味しいですよ。……けどこれはこれで、温かさがあって好きです」

「そう、ですか……!」


 深い意味などない。それは分かっている。

 けれども言葉の端々に胸の奥が跳ねてしまうのは仕方ないと、そう思いたい。

 この後一緒に町を巡ると言うのに……全く、先が思いやられる。

 せめて格好の悪いところは見せないようにしなくては、と。最早手元すら曖昧に食事を口に運ぶ。

 すると思いのほか量が多くて、()せてしまった。


「大丈夫ですか?」

「は、はい。平気です……」


 はぁ……何をやっているんだか……。

 そんな風に気落ちしながら食事を終えて。食器を片付けていると、荷物を纏めたリゼットが立ち上がる。


「一度家に戻って着替えてきますね。また後で……商業区画の広場で会いましょう」

「あ、はい。わかりましたっ」


 にこりと微笑んだリゼットが、扉の鈴を鳴らして店を出て行く。

 その後姿をぼんやりと眺めて、それから反芻(はんすう)した彼女の言葉にまた息が詰まった。


「き、着替えて、って……私服って事か…………。そうだ。着られるの、あったかな……」


 大概出不精な身。外に行くのも、店の品書きに使える材料を仕入れるときくらい。人前に出て恥ずかしくない服と言うのを余り持っていない。特に女性と並んでとなると尚更だ。

 が、折角彼女と一緒に過ごせるのだ。少しくらい気合を入れなければ、誘ってくれた彼女にも失礼と言う物。


「て言うか風呂っ。このままはやばいって……!」


 一気に山積みになった課題。途端に目的に追われて慌ただしく動き出す。

 ……全く、想定外にもほどがある、けど…………。折角だ、思いっきり楽しむとしよう。




              *   *   *




「それはまた面倒な事になったな……」


 行き交う人の中を二人の少女に挟まれながら進む。辺りを見渡せば目に付く同胞(どうほう)は、しかし結構な確率でその身に余る衝動を内包して燻っていた。

 居心地の悪い光景だと。意識して魂の形を自覚すれば、吐息と共に振り返る。


「怪我は無かったか?」

「うん」

「カガチのお陰」


 返ったのは平坦ながら熱く、溢れながら冷たい声。

 こちらを見つめる鏡合わせな(あま)色の瞳が真実を暴くように澄んで、世界を足りないままに語る。

 次いで二人が取り出したのは既に殆ど熱のない石炭。そろそろ効力切れか。


「役に立ったようだな」


 頷いた双子、ピスとケスが忘れ物でも返すように石炭を差し出してくる。それに手を触れれば、一瞬だけ青白く燃え盛り、炎が消える頃には石炭が消え去っていた。

 彼女達に渡していた石炭。あれにはおれの力を込めていた。

 言わば妖精術を込めた道具であり、火石のように妖精力を流し込めば命令式が起動して、中に込められた妖精術を行使できる代物。

 ここ最近目に余っていた妖精達の魂の揺らぎ。あれの対策として、妖性が不安定な個に向けて使う事で、一時的に暴走を抑えられる代物だったのだ。

 人の世界の儀式であるハロウィンとサウィン。他にも、合わせて年に八度ある流れの節目には、現世と異界の境界線が揺らぎ易い。その影響と、そして今この大地で問題視されている妖精変調と言う不確定事項。それらが運悪く重なった今回は、特に妖精の側に様々な問題を引き起こしていたのだ。

 おれの妖性は、魂に縁のあるもの。だから周りの変化にも敏感になれば、周囲が騒いでいると落ち着かなくもなる。

 折角の楽しい特別な日を、心配事で覆い隠すのは好ましくない。そう考えて、自らの心地のいい空間を作る為に……そして今ある人との関係を壊さない為に、色々手を打っていたのだ。

 その一つが先程の石炭。

 目の前の双子は、生まれ持った才と養われた価値観で妖精に好かれ易い。それを逆に利用して、彼女達に悪戯を仕掛けようとした者達の中から、魂に揺らぎが生じている者への対処を預けていたのだ。

 幾らこの身が魂に深い繋がりを持っていようとも、それ一つで事は解決しない。

 だから同じく懸念し(うれ)う双子と協力して事に当たっていたのだ。

 もちろん、おれのはんぶんであるエルヴェにも事情は話して協力してもらっている。これはもう、個の問題ではないのだ。


「他の二人は?」


 問いには首を振った双子。この様子だと気付いてはいても何も出来なかったか。

 只人にはそれが限界かもしれないな。


「カガチは?」

「平気?」

「ん、あぁ。昨日は流石に辛かったが、今日は少し落ち着いているな。二人のお陰だ、感謝してる」

「ん」

「よかった」


 微笑み、はせずに。しかし労いなのか、取り出した焼き菓子をこちらに差し出してくるピスとケス。


「いいのか?」

「悪戯は駄目」

「カガチはまだ」

「……そう言えばそうだったな」


 一日遅れのハロウィン。どんな時でも自分の調子を崩さない二人に小さく笑いつつ、お菓子を受け取る。

 こういう律儀さを、しかし打算ではなくしてしまうのがこの双子かと。契約をしていながら胸の内を少し擽られつつ、貰ったそれを口に運ぶ。

 妖精に合わせた一口大。と、そこで覗かずとも見えた昨日の彼女達の姿が脳裏に閃く。

 なるほど……こうして意識を逸らしているうちに石炭で元に戻してあげたのか。常日頃から妖精とよく付き合っているだけあって、扱いは手馴れた物という事だろう。まだ妖精憑き(フィジー)だと言うのに、末恐ろしい少女達だ。

 これならば自由を愛する者達が入れ込んでしまうのも頷ける。人間流に言うならば、彼女達は天然の(たら)しなのだろう。


「んっ、うまいな、これ」

「手作り」

「ジネットと」

「……確か見えない使用人だったか?」

 

 朧気な記憶を頼りに尋ねれば、二人がこくりと頷く。

 妖精の見えない使用人の女性。エルヴェの話ではピスとケスの世話を任されている人物で、見えていないのに隙がない不思議な人物だった記憶がある。

 もしあれで見えるのであれば、結構な妖精従き(フィニアン)になっていただろうに。惜しいことこの上ない。


「そうか。……うん、そうだな。美味しかったぞ。御礼を言っておいてくれ」

「うん」

「分かった」


 餌付けをされてやるつもりはないが、食も楽しみの一つ。今度から二人を見つけたら声を掛けてみるとしよう。何か貰えるかもしれないしな。


「カガチ」

「お仕事」

「ん?」


 そんな事を考えていると、変わらない表情のまま微かに纏う雰囲気を変質させた二人が、おれの後ろへと視線を向ける。

 緩んでいた気を引き締めなおして振り返れば、人込みの中にふらふらと漂う同胞を見つけた。

 ハロウィンは終わったが、まだサウィンの途中。何より妖精変調自体に、未だ人の世界で解決策は見つかっていない。

 数こそ大きく減ったが、不安定な者達はまだまだいるのだ。

 そして何より、ハロウィンが終わった事で人の緊張の糸も緩んでいる。昨日の余韻のまま浮かれていれば、甘言に騙されてしまう者も出てきてしまうだろう。

 だからこそ、昨日よりも今日こそが本番だと、こうして町を見回っていたのだ。


「よし。問題を起こす前に片付けるか」


 二人から貰った焼き菓子の最後の一欠片を咀嚼してやる気に換えると、標的を定めるようにぼうっと待ち行く人々を眺める魂に声を掛ける。


「そこのご同輩」

「あぁ……?」


 返った声もどこか曖昧。これはもう殆ど本能に支配されているか。

 そんな彼女の妖性は……ハッグ。人の世界では妖婆と言う呼び名を持つ妖精だ。

 普段は余り見ることのないアルプと似て、夢に干渉範囲を持つ存在。淫靡(いんび)で退廃的な夢を見させるアルプと違い、ハッグは所謂(いわゆる)悪夢を人に見せたりする。

 それだけならば起き抜けが憂鬱になったりと言うだけの刹那的な悪戯だが、問題は彼女達のもう一つの顔だ。

 人が冬を一年の夜と形容し、恐れたように、季節の巡りによって移り変わる物は確かに存在する。ハッグはその代表とも言うべき存在で、彼女達は冬の化身。これからの時期を好んで動き回る妖精だ。

 彼女達が姿を現せば雪が降るとも言われ、それを裏付けるようにこれからの季節はスハイルの方でよく見られる。

 また、冬の過酷さと重ね合わせた所為か、人の世界でハッグが人食いの化け物として描かれる事もある。

 死したる大地を徘徊し、夜に夢と(うつつ)を行き交う境界線上の理不尽。それがハッグと言う妖性の顔の一面だ。

 もちろんその側面がないとは言わない。がしかし、普通そんな残虐な顔は表には出てこない。

 その殻を破って周囲を巻き込む事が妖精変調と呼ばれる、世界規模の異変だ。

 加えて今日はサウィン。ハロウィンに続く揺らぎの日で、一年で最も境界線が曖昧になる時間。彼女達にとっては絶好の悪戯日和(びより)だろう。

 まぁ一つ運がよかった事は、今が昼間だと言う事だ。本来の彼女達の縄張りである夜の帳の中では、こうした周りの目も届き辛い。

 ハロウィンやサウィン、もしくは妖精変調と言った想定外が作用して、こうして日中にその言動がずれ込んだのは幸いだった。こんな時間から眠りこけているのは酒を掻っ食らうようなだらしのない大人だけだ。

 だから標的を定められず、こうして人込みの中で呆けていたに違いない。


「こっち」

「あっち」


 人差し指を立てたピスとケスが、指揮でもするように目の前の意識を縫い止める。

 妖精に好かれ易いからこその妙技。本能に支配された彼女には、その魅力に抗う術はない。

 宙を彷徨った指先が、やがて空へと向けられる。それにつられるように顔を上げたハッグが、陽の光に眩しさから顔を背けた。


「昼だよ」

「おかえり」

「ゥァ……!」


 小さな呻き声と共に、彼女の奥底で魂が脈打つ。それがピスとケスの狙いだと悟れば、道標であり先導者として、埋もれていた理性を引っ張り上げる。

 すると目の前の体が再び糸に結ばれたように力を取り戻した。次いで持ち上がった瞳には確かな意思の温度が揺らめく。


「気分はどうだ?」

「っ……あんたは…………灯火の……っ!」

「結構な深度から無理やり引っ張り上げたんだ。余り無理をしない方がいい」

「……気持ち悪い」

「大丈夫そうだな」


 まだ少し不安定だが、会話が出来る程度には魂の揺らぎも治まっている。これなら自分で考えて行動する事も出来るだろう。


「ここで何をしてたんだ?」

「何を…………あれ、何を……」


 記憶の混濁。これは重症だ。早急に案内してあげる方がいいだろう。


「そうか、分かった。……おれは彼女を老体の所へ連れて行く。二人だけでも大丈夫か?」

「うん」

「お願い」

「ならこれだけ渡しておく。くれぐれも無理だけはしないようにな」

「うん」

「またね」


 言っても聞かないだろうと諦めつつ、用意しておいた石炭を一つずつ渡す。

 それからふらつく妖精を連れて森の方へと向かった。


「さて、ゆっくりでいい。聞かせてくれ。何があったんだ?」

「……あんまりよく覚えてないけど、そういえばこの頃胸の奥の方が落ち着かなくて……」


 話していた方が気も紛れるだろうと。彼女自身に自覚を促す事も含めて声に耳を傾ける。

 その傍らで、噂に聞いた陽の方角の不穏に心配を募らせる。

 なんでも騎士達が不調を来たしていると。面倒な事になっていなければいいのだが……。




              *   *   *




 ハロウィンの翌日。サウィンと銘打たれたその祭日は、どこか厳かな雰囲気と共に季節の扉を叩く。

 肌を撫でる風が一層冷たく感じるのは、昨日の熱がまだ胸の奥で疼いているからだろうかと。

 陽気な前日とは違い、微かに大人な雰囲気を漂わせる町中を、幼馴染と共に歩く。


「ロベール、あれ持ってきた?」

「もちろん」


 昨日は仮装をしたまま一緒に楽しい時間を過ごしたあたしの想い人。今日は落ち着いた私服で着飾った彼は、あたしの声に答えて衣嚢(いのう)から紙を一枚取り出す。

 これは昔のサウィンで行われていた儀式の一貫。

 紙に願いや懸念を書いて、ハロウィンの日に焚いた火にくべて燃やす。煙が昇り、空に消えれば願いは叶い、(わずら)い事は払拭されると言う、お願い事の一種。

 古くは吉兆を占い将来の事……主に結婚や子宝と言った家庭的な問題の指針としていた、卜占(ぼくせん)。それが今では少しだけ形を変えて、思い煩いに対する儀式へとなった物だ。


「何書いたの?」

「何でもいいだろ。自分の為なんだから」

「そうだけどね」


 少し気になってその内容を尋ねる。が、返ったのは突き放すような声。

 これは……もしかすると随分と俗物な願いを綴ったのかも知れない。

 そんな想像をして微かに胸の奥が曇る。

 別に悪い事ではないけれども……この勘繰りが当たっているとしたら、なんだかもやもやする……。


「そういうシルヴィはどうなんだ?」

「……ロベールが答えたら教えてあげる」

「んじゃいいや」


 またあたしはかわいくない返答を……。そう胸の内で自己嫌悪するのと同時、隣から興味の欠片もない声が続いた事にまた一つ不満が募る。

 もう少し意識を傾けてくれればいいのに……。幼馴染だからってぞんざいに扱われているようで(しゃく)だ。

 今日くらいは何か一言言ってやろう。無関心にもほどがある幼馴染に向けて、また自分を追い込むだけの言葉の(やじり)を弓に(つが)えようとした、次の瞬間。その横顔があからさまに歓喜に綻んで口を開いた。


「ピスっ、ケスっ!」


 つられて前を見れば、声に気付いてこちらを振り返る双子の少女の姿。

 今日も今日とて鏡合わせな王孫殿下。どんな時でも変わらないその姿と雰囲気に毒気を抜かれて、渦巻いていた苛立ちを霧散させる。

 彼女達に罪はない。あるのは隣の愚鈍で盲目な少年だ。


「二人もこれか?」

「うん」

「一緒に行く」

「そうだね」


 四人揃えばいつもの呼吸。全ての理由と責任を幼馴染に丸投げして、四人で寒さを避けるように身を寄せ合って坂を上る。

 目的地はカリーナ城下町の上……前にルーナサでボーンファイヤーを行った場所だ。

 今回の篝火(かがりび)は一箇所だけ。また、町中を巡って火を灯して回るルーナサの逆で、丘の上の篝火から火を分けてもらい、それを家へ持ち帰って魔除けとして暖炉に灯す事が通例だ。

 その為、サウィンの今日は城下町の人々が次から次へと丘を目指す。一体この町の何処にこれだけの人がいたのかと不思議になる光景は、圧巻でもあり面白い。

 そんな道行きが、やがて長い行列に捕まって歩みを止める。ここから先は火を貰う長蛇の列。冬の入り口の寒さに耐えながら、ただひたすらに遅々とした歩みを享受するだけだ。

 とはいえ、目的を持って待つ事は特段苦ではない性格。それだけ長くの間大切な友人と、そして想い人と過ごせるというのはなんだか少し得な気分だ。

 と、そうして人の熱に囲まれながら他愛ない話を広げようとした所で、ピスとケスが見慣れない何かを握りこんでいるのを目にする。


「二人共、それ何?」

「ん……なんだ? 黒い石……?」


 声に気付いたロベールと一緒に顔を寄せてよく見る。するとその黒い塊が仄かに明滅している事に気が付いた。


「光ってる?」

「なんか温かいな」

「石炭」

「道標」

「…………?」


 いつもの単語での会話。しかし残念ながらその言葉だけで全てを察する事は出来ない。

 とりあえずただの石ころではない事と、何か意味のある代物だというのは理解したが……。そもそもどうしてそんなものを二人が持っているのか。


「借り物」

「あげない」

「そっか」


 どうやら大切な物らしい。

 ……なんだか不思議な石炭だ。見ていると何故か心が落ち着く気がする。

 無粋な視線から逃れるように、二人が石炭を服の中にしまう。とそこで、忘れていた防寒具を取り出した。


「そうだ、これ」

「お、温石(おんじゃく)っ」


 温石とは、火で炙って温めた石の事だ。冬の時期はこれを布で包んで持ち運び、暖を取る。

 あたし達妖精憑きや妖精従きにとっては火石や妖精術で代用も出来るが、こっちは妖精力が必要ない人の知恵。その気になれば道端からでも用意できる簡易的な防寒具だ。


「さっきここに来る前に買って来たんだ。ほら、ロベールも」

「ありがと」


 火石を買うよりずっと安く手に入る温石。しかも買った石を店に戻せば払った金額の半分が戻ってくると言う仕組み。

 この温石は、ただの石より熱を長く保持する事が出来る物を使う。だから店側も利益を減らしてでも元に戻ってくるようにしているのだ。

 熱した状態で水に落としたりしない限りそう簡単には割れたりしない。沢山再利用してその分儲けようと言うのが彼らの商売の形なのだ。


「はぁ、温けぇ……」

「二人はこの後どうするの?」


 じんわりと広がる温かさを感じながら双子に尋ねる。火を家に持ち帰った後は特にやる事もない。昨日の続きで今日も町を巡って遊べたら……。

 そんな風に考えたが、返事は首を振る物だった。


「……そっか。分かった」


 こうして一緒に過ごしていると忘れがちだが、二人は王孫殿下。そう言う用事が入っているときもあるだろう。

 仕方ない。隣の幼馴染を振り回すとしよう。……それはそれで楽しいし。


「お、あと少しだな。少し温まっていくか?」

「そうだね。って、あれ……?」


 別に何をするわけでもないけれど、この寒さだ。少しくらい火の傍でのんびりしていくのもいいだろう。

 と、そんな事を考えて顔を上げた視界に、見覚えのある後姿を見つけた。


「ね、ロベール。あれ……」

「ん? どれだ?」

「ほら、あそこ。火の傍にいるのって」

「あ、先生」


 人込みの中、私服に身を包む担任教師の姿。そして、その隣にもう一人、想定外の顔が並んでいる事に気が付いた。


「あれ、隣にいるのって……」

「ジルさんだな」

「……あ、そっか」


 そこでふと、脳裏に閃く物が。

 途端、これまでの記憶が整合性を持って一つの結果に繋がり、納得する。

 次いで直ぐに隣の空気の読めない幼馴染に釘を刺す。


「ロベール、声掛けちゃ駄目だからね」

「え、何でだよ……」

「何でも。いい!?」

「お、おうっ……」


 あれを邪魔させるわけには行かないと。少しだけ声を張って肉薄すれば、勢いに負けるように頷いたロベール。

 ……後は二人次第。あたしは、恋する者の味方だ!




 それから遠目に二人の姿をしばらく見て、体も温まった後に丘を後にした。途中でピスとケスとも別れ、ロベールと二人の帰途へ。

 と、しばらくして、丘を離れてから殆ど喋らなかったロベールが顔を上げた。


「あ、そういうことかっ!」

「……なに?」

「いや、さっきの二人だよ! あれって付き合ってるって事だよなっ?」

「さぁ、どうだろうね」


 相変わらずこういう事になると洞察力皆無なことだ。

 あたしが見るに、あれはそれより前。どちらかと言うとあたしとロベールの関係に近い気がする。


「けど二人っきりだったんだぞ?」

「知り合いなんだから、偶然でも会えば話くらいするんじゃない?」

「そ、そうなのか……?」

「さぁ」


 これが勉強になればいいと、まともに答えずはぐらかす。

 そんなあたしの態度に眉を(しか)めたロベールが、それから前を向いて零した。


「……けどなんつうか、お似合いだったな」

「よく知ってる二人だしね。本当にそうなら応援してあげたいかな」

「だなっ」


 そこに関してはロベールも同意見らしい。他人の恋愛を道楽にしようとしない辺りはロベールらしさ。

 その気持ちの半分でも自分の周りに向けてみればいいのに。


「そうか。それで声掛けるなって言ったんだな」

「実際はどうか分からないけどね。ただ、邪魔はしない方がいいと思っただけ。ロベールも、変な事はしないでよ?」

「分かってるって。しかし、そっかぁ……」


 この調子だと明日にでも口を滑らせてしまいそうだ。しばらくは傍で様子見をするとしよう。


「ピスとケスは気付いたと思うか?」

「……さぁ、どうだろうね」


 あたしの気持ちも見透かしてくれたのだ。あの二人ならきっと気付いている。

 それでも口にしないのは……興味がないからと言う線が濃厚そうだ。あの二人も、鋭いようで大概鈍感だから……。


「……なに笑ってんだよ」

「べっつにー。じゃあまた後で」

「おう」


 何か約束した訳ではない。けれども既に二人の間では決定事項。

 こんな関係だって、何もないよりはましだと満足する事にして、家への道程を弾む足取りで歩く。

 ピスとケスにも、先生とジルさんに会う事もきっとない。本当に、久しぶりの二人っきりだ。楽しむとしよう。


「あ、そうだ。あれ付けていかないと」


 脳裏に、誕生日の贈り物を思い浮かべつつ、棒の先に揺らめく炎を見つめて思う。

 これから冬だと言うのに。胸の奥が暖かいのは不思議な感じ。

 それが寒さのお陰と言うなら、冬と言う時間がこれまで以上に好きになれそうな気がしたのだった。

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