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フェアリー・ダブル  作者: 芝森 蛍
灰の燻る交錯の邂逅
19/56

第四章

 二人がソファに体を預けて小さく息を吐く。それと同時、エドが紅茶を用意して彼女達の前へと差し出した。


「ありがとう、二人共。疲れたか?」

「少しだけ」

「でも楽しかった」

「それは何よりだ」


 久しぶりのピスとケスへの頼み事。春に一回行ってから再び溜まっていた妖精力の宿った道具の鑑定。

 開けてみるまでわからないびっくり箱。けれど不用意に鍵を差し込めばどうなるか分からない代物に関しては、双子の知見を借りて安全に確かめる。年に三回あれば多い方な彼女達の特別は、既に二回目。この様子だと年の終わりにもう一度その力を貸してもらわないといけないだろうかと考えつつ、手元で行っていた書類仕事を終えて彼女達の隣に腰をおろす。


「因みに気になった物はあったか?」

「これ?」

「これ」


 何かを確かめるように視線を交わして二人が同時に一つを指差す。それは水晶の塊のような自然の産物で、内側に妖精力の何かが絶えず揺らめいているという不思議な物体。事前の話では(フェリヤ)に由来するなにかではないかとの話だったが、彼女達が出した結論は(グラド)に属する一品らしい。

 何でも波長に干渉して形が変化するものらしく、二人が触った時は五芒星の結晶となり、その内側に更なる五芒星を逆さまに作り上げるという奇妙な姿をとっていた。

 多くを語らない二人が興味を示すという事はそれだけ重要な代物なのだろうが、詳しい話は研究者達に任せるとしよう。妖精についての理解が早まる事を願うばかりだ。


「お爺様」

「お仕事は?」


 唐突に跳んだ話題。いつもの事だとそれまでの思考を横に置きエドを一瞥。特別秘する事でもなかったか、反応をしないという許しが出た為に素直に答える。


「様子を見にある場所に行く予定だ。それがどうかしたか?」

「ひま」

「付いて行っていい?」

「お嬢様、あまり陛下のお仕事の妨げになるようなことは……」

「いい。……ふむ、知らない相手でもないからな。どうだ、エド」


 付き添いとして壁際に控えていたジネットの言葉を遮って尋ねれば、彼は仕事の手を止めて考えるような間を空けた後零す。


「……構いませんよ。先方には話を通しておきましょう」

「助かる」

「誰?」

「カドゥ?」

「いいや。だが彼と同等に世界にとって価値のある人物だ」


 こと人の世界のこととなるとその感覚が鈍くなりがちな双子を試すように言明を避けて小さく笑う。僅かにこちらを向く無表情に面白くなさそうな色が混じった気もしながら重い腰を上げた。


「時間もいい頃合だ。直ぐに準備をしよう。ジネット、馬車まで二人を連れて行ってくれるか?」

「承りました」


 察しのいい彼女は、どうやら先ほどの言葉で誰に会いに行くのか気付いたらしい。双子に甘い彼女のことだ、我輩が合流するまでに更なる助言で二人に答えを教えてしまうかもしれない。

 折角ならいつも平坦な二人の感情を揺らしてみたいものだと。少しだけ子供のようにわくわくしながら彼女達を見送って、用意された服に着替えていく。


「よろしかったのですか?」

「なにがだ?」

「お二方にとってあのお方は……」


 エドの言わんとしている事を先回りして小さく笑う。


「大丈夫だ。それに、彼女も会いたいと言っていたのでな」


 脳裏に浮かべた顔に、厄介なのに二人も絡まれたものだと思いつつ。準備を終えて用意された馬車へと向かえば、城内の芝の上を緩やかに羽ばたく黄色と黒の配色の蝶を二人が追い駆け回していたのだった。




              *   *   *




 馬車に揺られてやってきたカリーナ城下町の商業区。斜面に栄える都の中腹に位置する活気溢れる一角に、そのお店は佇んでおられました。

 温かみを感じる木造に、採光と開放感を両立させた大きな硝子窓。微かに伺える中の様子はどこにでもある普通の内装で、先客らしき人影が一つ見えました。


「どうされますか?」

「……時間には煩いから仕方ない」

「畏まりました」


 絶対の言葉を聞き届け、扉を開ける前に規定の回数軽く叩きます。特別な来訪者を知らせる響きにこちらに気付いた店主がやって来くると、扉を開け来店を歓迎してくださいました。


「ようこそ、時間通りですね。さぁ、中へ」

「あぁ、邪魔するぞ、マリー」


 マリー。そう呼ばれた女性がにこりと微笑んで中へ。その中で、陛下の後ろから入店した二つの影を見つけて小さく体を震わせるのが見えました。


「へ、陛下……!」

「あぁ、よい。ゆっくり待たせてもらおう」


 品物を見ていらした先客がこちらに気付くや否や、突然国の主が目の前に現れた事に慌てて背筋を正す。少しだけ間が悪くございましたね。

 いきなり目の前に国の主が現れれば誰だって緊張しますでしょう。仕方のないことです。

 こちらを気にしながら菓子を買ったその男性は、こちらに礼をして逃げるようにお店を出て行かれました。あの方には悪い事をしてしまいましたね。やはり外で待つように進言するべきでしたでしょうか……?


「繁盛しているようだな」

「えぇ、おかげさまで。固定客もそれなりに居るのよ?」

「城でも何度か頂いてるよ」

「ふふ、お口に合うといいけれど」


 上品な物腰はきっと生来のものでしょう。その下地が彼女にあるというのは存じております。


「それで、今日はどんな予定の訪問だったかしら?」

「なに、特別な事はないさ。様子を身に来ただけだ。ついでにお土産を買って帰ろうかとは思っているがね」

「どれがいいかしらね」


 楽しげに笑みを浮かべるマリー様。その笑顔に脳裏で記憶を僅かに重ねれば、目の前の彼女に血の繋がりを感じます。


「二人共、どれがいいか。好きなのを選べ」

「お久しぶりね、ピス、ケス。また大きくなったわね」

「うん」

「久しぶり」


 お嬢様に向けられた菫色の視線は愛に溢れて。次いで彼女は頷いたお二方の傍に膝を折るとその小さな体を両腕に抱きました。


「あぁ、もうっ。二人共可愛いわね!」

「んん……」

「苦しい」

「折角だからもうちょっとだけ」


 茶目っ気と共に身動ぎするお嬢様を抱きしめるマリー様。僅かに掻いたお嬢様の指先が綺麗に編み込まれた薄紅(うすくれない)色の頭髪を揺らします。


「ジネット」

「助けて」

「マリー様、お召し物が皺になってしまいますので」

「あらいけない。ふふ、ついね」


 その気持ちは、よく分かりますが。思わずそう口を突きそうになって、どうにか押し留めます。今は公務に同伴中。お仕事の一貫です。わたくし個人の都合は二の次でございます。

 遠回しに具申すれば、マリー様は立ち上がって陛下の方へと向き直られました。


「もしかしてお兄様に何か言われましたか?」

「いいや」


 お兄様。マリー様がそう呼ばれるのはブランデンブルク国王、ヒルデベルト・アスタロス陛下の事でございます。マリー様は、マリー・アスタロス姫殿下……ヒルデベルト陛下の妹君に当たるお方です。

 場合によっては王女殿下と呼称させていただく事もございましょうが、そこはブランデンブルク王国の変遷に絡む話でございますので使用人のわたくしからは控えさせていただくとしましょう。


「まぁ、あ奴も大概心配性ではあるからな。気には掛けておるだろう」

「王族に人質……。肩書きだけは大層なものですからね。ですがわたしの夢は幼い頃より一つ。こうして菓子店を営む事でしたから。それを叶えてくださったグンター陛下には感謝をしてもし切れませんわ」

「人質など殆ど形だけよ。目に見える方が都合がいいというだけ。巻き込んで申し訳なくは思っているがな」

「お陰でこうしてそれなりの自由が得られて、世界は今日も平和に巡っているのです。何を悲観する事がございましょう。今日は特に、お二方にもご挨拶できましたしね」


 微笑んでその目を向けた先にはお嬢様が。お客に向けて陳列された色とりどりに柔らかい甘味の顔は透明な硝子の奥で宝石のように輝いていて、それらに夢中なお二方の耳にはこちらのお話は届いていらっしゃらないご様子です。何かお気に召した物があったのでございましょうか。


「ジネットさんもいつもありがとう。今丁度新作を考案している最中だから、出来たら声をかけるわね」

「ありがとうございます」


 時折マリー様のお作りになる菓子をお嬢様にご提供しております。少しばかり親愛表現が大きいマリー様にお嬢様は僅かながらの苦手意識を持っておいでですが、お茶のお供としての菓子に貴賎はないようで。

 このお店の商品は、お嬢様のお気に入りの一つでございます。


「何か気になるものでもあったかしら?」

「ん」

「これ」

「ふふ、ありがとう。箱は別がいいかしらね?」

「お気遣いありがとうございます。お嬢様、帰ってからいただきましょう」

「うん」

「楽しみ」


 心なしかいつもより上機嫌な返答な気が致します。こうしてご自分で選ぶ事は稀でございますので、きっとそれがお気に召したのでございましょう。


「城にはどうしますか?」

「適当に見繕ってくれ」

「だったら折角だし全部持っていってもらえるかしら。それで今日は閉めようと思うから」

「いいのか?」

「えぇ、予約分は奥に確保してあるから」

「なら好意に甘えようか」

「お買い上げ、ありがとうございます」


 上品な雰囲気で腰を折ったマリー様。王族御用達、王族が作る菓子と言う触れ込みで一部で人気のこのお店は、きっと店主の柔和な朗らかさもその要因の一つなのでしょう。

 お店の顔である陳列棚から次々に箱詰めされていく様をお嬢様が硝子に手形がついてしまうほどに見入っておられます。お嬢様も女の子ですからね。興味がおありなのでしょう。

 と、手馴れた手つきの傍らマリー様が疑問を零されます。


「そう言えば民草姫はどうしているの?」

「……さぁな。あ奴はそれこそ妖精のような自覚なしだ。きっと放蕩生活を楽しんでおるのだろう。この前も何を勘違いしたのか寝物語の冒険譚の如く長い手紙を送りつけてきおったわい」

「元気にしているようで何よりですわね」


 民草姫、と言うのは愛称でございます。今目の前にいらっしゃるマリー様のように人質交換によってカリーナから他国へ赴かれたグンター陛下の姪……お嬢様の従姉妹(いとこ)に当たるお方です。

 その奔放な振る舞いから、カリーナにいた頃には親交の深かったブランデンブルクの王妃、露草姫ことローザリンデ様と比較して民草姫と呼ばれておられました。ご本人もその呼び名を気に入っていらしたようで、よく城下への視察のお供を引き受けたものです。……この事は陛下には今でも内緒ではございますがね。


「そう気軽には会えないけれど、もし機会があればまた話をしたいわね」

「あんなのとか?」

「王族だからこそ憧れるものよ。あの子みたいに自由の翼を持つその巣立ちにはね」

「我輩としてはピスとケスの悪影響にならないでせいせいしてるがな」


 あの方が今カリーナにいたとすれば、お嬢様と一体どんな関係を築いていたのでしょうか。少し興味がございます。

 そんな風に考えつつブランデンブルクからの客人、マリー様の近況を視察なさったグンター陛下は、手土産に菓子の箱を受け取ると店を後にされました。


「今日はこれで終わりにしてある。久しぶりに家に寄ろうと思うがいいだろうか?」

「はい。それではご案内致します」


 陛下が家に戻られるのは随分と久方ぶりのことでございます。いつもは公務のため、城の中で寝泊りをされておいでですので。


「家には誰が?」

「今頃ですと奥様はご在宅かと。旦那様は夜にお戻りになられると伺っております」

「ふむ。折角だ、泊まっていこう。構わないな?」

「もちろんでございます」

「お爺様も一緒?」

「あぁ、お邪魔するよ」

「楽しみ」


 随分と楽しげな御様子のお嬢様。今宵はいつもより少しばかり長くなりそうでございますね。




              *   *   *




「ただいま帰りました」

「お帰りなさい、ジネット。あら、お義父(とう)さま。どうかされましたか?」


 馬車の音に玄関まで出れば、顔を見せたのは使用人のジネット。直ぐ傍からは愛すべき双子の娘も顔を覗かせる。今日も無事で何より。

 と、更にその後ろに見えたのは私のもう一人のお父さんの顔。家名こそ婿養子で違うが、育ててくれた父親と同じくらいに尊敬している人物、カリーナ国王グンター・コルヴァズ大統領陛下、その人だ。


「今日はこっちに泊まろうと思ってな」

「そうでしたか。では夕食にも気合を入れないとですね」

「あぁ、楽しみにしている」


 彼が(うち)に来るのはいつ以来だろうかと。記憶を遡りつつジネットに視線を向ける。


「ジネット、お義父さまをお連れしてくれる? お茶は私が用意するから」

「畏まりました。どうぞこちらへ」

「ピスとケスに土産を持たせてある」

「はいな」


 笑顔で答えて台所へ。すると元気な二人がおもてなしでも考えたか茶器の用意をしていた。


「ふふっ。二人共手を洗った?」

「うん」

「洗った」

「ならそのままお願いしようかしら。お土産は、これね。あぁ、マリー様のお店に行ってきたの?」

「お爺様のお供」

「楽しかった」

「そう、それはよかったわね」


 基本的にジネットと共用の台所。女の戦場である勝手口で、慣れた足取りの準備。人数分のお皿を用意し折角のお菓子を取り出して並べ、丁度沸いたお湯で茶葉を躍らせる。

 僅かに蒸らして琥珀色の液体をカップに注げば、天井を反射する表面が微かに揺れる。立ち上るのは湯気と共に上品な香り。うん、いい感じに色が出た。


「お母様」

「持っていく」

「そう? じゃあ気をつけてね」


 今日一日ジネットの傍にいたからか、使用人の真似事が気にいったらしい。興味がある事を無理にやめさせるものではないかと。彼女達の思いを尊重して任せれば、少しだけ危なっかしい手つきでお茶と菓子を運び始める。

 きっとこれも立派な経験の一つ。母親として口出ししたいところをぐっと堪え彼女達が忘れていった食器を持って後を追いかける。

 と、部屋の前まで来て両手が塞がっている事に気が付いた二人が助けを求めるようにこちらへと振り返った。こういうところ、まだまだ子供よね。

 くすりと笑って扉を叩けば、声と共にリゼットが開けてくれる。お盆を持った二人に気付いてこちらに視線を向けてきた彼女と小さく笑い合えば、声無き言葉で二人で見守る。

 座るお義父さまも少し不安そうながら温かい眼差しでピスとケスの事を見つめ、彼女達が運び終えるのと同時その膝に招いた。


「ありがとう、二人共。さぁ、食べようか。ジネット、君もだ」

「……では失礼致します」


 家族の団欒に立場など関係ないと。冠を脱いだただ一人の好々爺として使用人を促せば、そうして温かい一時が始まる。

 買ってきていただいたお菓子はよく知った味で。舌の上で優しく(ほど)けて溶けてしまう甘さは少し控えめ。だからこそ人気のお店なのだろうと彼女の手作りに舌鼓を打つ。

 傍らで語られるのはピスとケスが今日見聞きしてきた二人だけの世界の話。

 私も当分会っていないマリーの様子は元気そうで。また今度暇な時にでも遊びに行こうかと思いながら思考は更に別の所へ。

 マリーはブランデンブルクからやってきた大戦終結の立役者の一人。王族と言う不自由な身で世界の為にとその名前が平穏を導いた事は誇るべき偉業だ。本当ならそんなやり取りなどせずに決着すればよかった話なのだけれども、人の世界は人が語ってもなお煩雑で、一枚岩でもなければ一筋縄でもいかない。

 それをどうにか繋ぎとめてくれている彼女。その兄君である現ブランデンブルク国王、ヒルデベルト国王陛下や、その最愛である露草姫、ローザリンデ様とも前に数度顔を合わせただけ。

 特に私はローザリンデ様とは瞳の色を失って以降一度お会いしただけで、その国王が惚れ込んだと言う綺麗な露草色の双眸を直接拝見した事はない。

 それもまた大戦の傷跡。願わくば一度で構わないからその尊顔を拝謁したいと思いながら、未来を憂う。

 円を描くように行われた四大国での人質交換。カリーナからは私の姪に当たる人物がトゥレイスに赴いているが、そんな彼女も、そしてマリーもいつか自国に戻れる日を切に願っている。それはきっと、(しがらみ)の多い四大国の数少ない同意見なのだろう。


「奥様」

「どうかしたの?」

「旦那様がお戻りになられたようですのでお迎えに行ってまいります」

「そう、よろしく」

「失礼します」


 考えているとジネットが立ち上がって礼儀正しく断り、部屋を出て行く。私にはその才覚がないからなのか、ジネットはよく細かい事に気が付く。今回のように来客があったり誰かが帰ってきたりすると当然のように一番にそれを察知して出迎えてくれるのだ。

 一体何をどうして外の事を把握しているのか……。それが彼女に感じる唯一の疑問だ。使用人とは皆そういうものなのだろうか。

 と、不意に外を見れば傾く陽に時間を知る。


「ごめんなさい、お義父さま。そろそろ夕食の準備をしないと」

「あぁ、もうそんな時間か。ならルドガーと一緒にゆっくり待たせてもらうとするよ」

「ピス、ケス。余り困らせないようにね」

「うん」

「わかった」


 物分りのいい二人の娘がこくりと頷くのを見て部屋を後にする。

 ジネットのことだ、あの人を案内したら直ぐに台所に来てくれることだろう。そうしたら一緒に夕食の準備を始めるとしよう。

 脳裏に材料と献立を同時に並べながら戦場へ。手早く身支度を整えれば、想像通りジネットが姿を現す。


「お手伝いいたします、奥様」

「ん、よろしくね」


 本来なら食事の用意は使用人の仕事。彼女や他に雇っている者に任せるなり、料理人でも呼んで振舞ってもらうなり幾らでもやり方はあるのだけれども。個人的に料理と言う物が昔から好きで、よくつまみ食いを目的に母親の隣を付いて回っていたから自然と自分もそうするようになってしまったのだ。

 ルドガーと所帯を持ってから最初の頃はよくそれでジネットと言い合いになったのも今ではいい思い出。だからこそこうして仲良く主人と使用人の垣根を越えた付き合いが出来ているのだ。


「ジネット、何か変わった事はなかった?」

「いえ、お嬢様もいつもと同じように自覚を持って振舞われていましたよ。マリー様に抱きしめられた折に少しばかり辟易を顔に出していらっしゃいましたけれども」

「最初があれだものね。苦手になる気持ちも分かるわ」


 くすくすと笑いつつ手際よく材料を切る。片隅で思い出すのは、彼女達とマリーの出会いのこと。

 彼女達が始めて顔を合わせたのはマリーが家に遊びに来ていたときのこと。見知らぬ客人に興味があったのか庭に面した窓から二人してこちらを覗きこんでいた娘を招き入れての楽しい時間。

 そう考えていたのだが、思いのほかにマリーが二人の事を気に入って人形でも愛でるように二人を追い掛け回したという出会いなのだ。どうやらマリーは可愛い物が大好きらしく、そこに関してはともすれば主人の事よりもピスとケスの事を第一に考えがちなジネットと気が合う様子で、時折店を訪れては手土産に菓子を買って帰ってきてくれるのだけれども。

 その最初がきっかけで二人には苦手意識が芽生えたのか、マリーに触れられる事が彼女達にとっての数少ない苦手に分類されたようなのだ。他にも重い服や一つしか無いものは二人にとって不必要らしく、よく倦厭(けんえん)している。


「まぁ、あそこまで遠慮のない触れ合いはこれまでしてこなかったものね」

「お嬢様はどうあっても陛下のお孫さんですから」


 私も王族の一員になって体験した。立場を重んじるカリーナでは王族と言うのは特別以上の扱いを受けるのだ。

 それは望む望まざるに限らず、ただその血縁に生まれたというだけで必然背負ってしまうもの。避けられない宿命と言うものだ。

 彼女達が国を引っ張る椅子に座るかどうかは分からないが、そうでなくとも今後知らず絡みつく楔。どこかで折り合いをつけなければ、逃げてばかりもいられない責任だ。

 とは言え彼女達はまだ14歳。19でお酒が嗜めるようになり、20で結婚が出来るカリーナでは、その辺りを区切りに大人の仲間入りと言われる。それまではまだ子供。私にとってはいつまでも可愛い娘だ。

 学園を出て自らの足で歩き出すそのときまでにゆっくり王族として、大人としての振る舞いを覚えていけばそれでいい。


「その内慣れるでしょう。彼女達がどんな道を選ぶにせよ、それは彼女達の決断。それまでは温かく見守っていましょう」

「そうですね」


 私よりも母親らしく世話を焼いているかもしれないジネットが微笑む。

 大丈夫。私とジネットがいればどれだけ不思議な少女でも立派な大人に育ててみせる。それが大人の愛情と言うものなのだから。




              *   *   *




「え? 二人も来るの?」

「うん」

「だめ?」


 忙しなく準備を整えながら後をついてくる二人の声に耳を傾けていると、想定外と言うか……ある種想定内な音が響いて思わず足を止める。

 つい先ほどわたしと話がしたいと研究所にやって来た陛下のお孫さん二人。一体今日はどんな突飛押しもない事を言い出すのかと期待半分、不安半分の面持ちでいたのだが。


「だって前に言ってた」

「行く時は声を掛けるって」

「あー、確かに言ったなぁ……」


 己の失言を呪う。

 前に無断でカドゥ……カリーナの英雄的妖精、カドゥケウスの居城へと忍び込み、そのまま招かれた双子。彼女の近侍である女性、ジネット・シンストラまでを巻き込んで行方不明騒動にまで発展した出来事は鮮明に記憶に残っている。

 二人はこの共和国の珠玉の双葉。未来が楽しみな王族に連なる少女だ。消息が分からなくなったと言われれば誰だって心配するし、気には掛けるだろう。

 そんな彼女達をカドゥのところで見つけ出したその時に、大人として、立場ある者として彼女達に言い含めた言葉。

 もしカドゥのところへ行きたいのなら今度からわたしを通して欲しいと。確かにそう言ったのを覚えている。

 とは言っても子供。大人の忠告を素直に聞き届けるかどうかは分からないと、脅し半分で心配の念と共に告げたのだが、そこは嘘偽りなく純粋無垢なピスとケス。真正面から言葉を受け止め、こうして正直にわたしの下へと許可を取りに来たのだ。

 ……いや、言いつけを守ってくれるのはありがたいのだけれども。何故か肩透かしを食らったような面持ちなのは何故だろうかと。別に彼女達との追い駆けっこを望んでいた訳ではないのに……。


「聞いた」

「カドゥに会いに行くって」

「えっと、だれに……?」

「お爺様」

「今朝」


 思わず天井を仰ぎ見て溜め息を落としてしまう。

 あぁ、またあの人の孫可愛がりが発動したのか。相変わらず目に入れても痛くないと、この二人にはだだ甘らしい。あまり情報漏洩をされては困りますよ、陛下。

 今度それとなく進言しておくとしようと。心の片隅に留めつつ目の前に向き直る。


「わたしはお仕事なんだけど、二人は何しに行くの?」

「遊ぶ」

「おしゃべり」


 彼女達にとっては英雄的妖精も世界の均衡も知ったことではないらしい。この二人らしいと言えばそれもそうか。……なんて諦めてしまう辺り、わたしも大概この子達に毒されている気がする。


「ジネットさんやご家族はなんて?」

「ジネットには言った」

「いいって言ったらいいって言ってた」


 つまり許可は得ていて、最終判断はわたしに委ねられていると。一体いつそれほどの信頼を勝ち取ったのかよく分からないが……まぁいいとしよう。

 どうせこの二人に言っても聞かないだろうし。なら下手な行動を起こされて目の届かない所に行かれるよりは傍にいてもらった方がまだ安心出来るというものだ。

 考えて、小さく息を整えると頷く。


「……うん、分かった。それじゃあ今着ている服の上からでいいからこれを着てね」


 言って彼女達に差し出したのはカドゥのいる区域を出入りする為の装束。装束と言っても堅苦しいものではなく、ただの外套だ。……いや、ただのと言うには少し特別だが、まぁ別に説明しなくても着てくれればそれでいい。ある種の通行証のようなものなのだ。

 前に無断で行った時以外はいつもこれを着ていた為に、慣れた様子で二人も外套を羽織る。

 が、最初に着た時に珍しく不満を漏らしていたのだが、どうやら彼女達はこの外套が御気に召さないらしい。身軽な方が好きなのだろう。

 しかし着なければ連れて行けないと。最初の時に慣例だからと陛下が言っていた為か、裾を気にしながらもとりあえずは羽織ってくれた。こういうところは素直で可愛いんだけれどね。


「ん」

「できた?」

「大丈夫。それじゃあ行きましょうか」


 とてとてくるり。女の子らしく着こなしを確かめるように目の前で鏡合わせに回った二人に頷けば、彼女達も頷き返して共に研究室を出る。

 前を歩く二人の背中を眺めながら思う。

 ……なんだろう、これ。…………あぁ、これが子育てしてる感じなのかしら。結婚しているけれど子供がいないからよく分からないのだけれども、母親ってこういう感じなのかな……。




 ピスとケスと共にやってきたカドゥケウスの居城。妖精の多く集まるその秘匿地域に足を踏み入れれば、直ぐに来訪者を察知して数多もの隣人達が傍にやってくる。

 少し煩わしいほどに興味を体中に纏って口々に囃し立て、こちらに瞳を覗きこんでくる彼女達。特にピスとケスの二人はわたしと違いその身に妖精の波長を宿しているわけでもないのに、手厚い歓迎を受けている。

 稀にいる、妖精に愛される人。大抵は妖精術の扱いに長けていたり、はたまたわたしのように彼女達の根源が混じっていたりと言う場合が多いのだが、彼女達はそれとはまた違った部分で妖精達に好かれているように思う。

 考えるに、その瞳。彼女達の胸の奥に眠るそれが、妖精の真実を看破する力を秘めているからだろう。

 ピスとケスには、普通の妖精憑き(フィジー)妖精従き(フィニアン)にはない特別な力がある。いわゆる特技と呼ばれるその能力は、人は妖精が見えれば誰でも。妖精は人と契約するとその身に宿る特有の能力だ。

 大抵は得意とする属性に沿ったものになるが、時折それを逸脱したような珍しい……ともすれば妖精との架け橋にも、はたまた相容れぬ不条理にもなる物が存在する。

 二人はその中でも特別に異質で……彼女達には妖精の根源が見えて聞こえるのだと、この前陛下から直接聞いた。

 双子として人の世に生を受けた彼女達。その姉、頭の右で髪を括るピスは、その目で見透かし。妹で頭の左側に髪を纏めたケスは、その耳で聞き届けるのだと言う。

 にわかには信じ難い話だが、そういうものなのだから仕方ない。自分以外には認識できないその世界に共感しろと言う方が難しい。

 妖精の真実を暴く、時には反感さえ買いかねないその力。けれども彼女達は妖精が見える身でありながら、必要以上に干渉はしない。……正確には、外よりも内。直ぐ隣の自分と織り成す完成された世界で完結しているが故に、妖精達を害さないでいる。

 だから知っても興味がなくて。本当に必要にならない限りはその認識を表には共有しない。そのある種の秘密主義が、多くを語らない妖精にとっては勝手に理解してくれる共犯者として心を許す要因になるのだろう。


「いいの?」

「ありがと」


 つい先日ルーナサがあったように世界は実りの季節へと足を踏み入れている。その豊穣の恵みを歓迎にと手渡された二人が、赤い木の実をそのまま口に放り込んだ。

 ともすれば元々ここにいたように。景色の一部として馴染む双子の背中に、虹色の二対四枚を幻視した気がして小さく微笑みが零れた。


「どうかした?」

「ううん、なんでもないわ」


 楽しい事に敏感な妖精にとって、人が笑う事は興味の始まり。とは言え今過ぎった感慨を口にして、そのまま二人を妖精の世界へと悪戯に隠されても敵わないと。ごまかすように持ってきていた飴玉を差し出せば、目敏く見つけた数人の妖精が(たか)るように距離を詰めた。

 これでもはんぶん同族の身として彼女達とは親しかったつもりなのだけれど。餌がないと殆ど見向きもされないのは少し新鮮な感覚だ。勝負ではないが負けた気がして、少し悔しくも思う。

 そうして森の中、肌に感じる妖精力の密度を重く感じつつ歩みを進めれば、目的地に辿り着く。

 一際高く伸びる巨大な樹。幾つもの木々が身を寄せ合うように絡まって、まるで大木のような様相を呈する幻想的な空間の、その根元。洞穴のようにぽっかり開いた洞に、とぐろを巻くようにして横たわる巨体。

 岩のような体と、小船のように大きな羽。人ならざる体躯は身を小さくしていても存在感を放つドラゴンのもの。その、爬虫類を思わせる威厳ある顔と、その隣にもう一つ……尾に付いた小さな顔。頭と尾、二つにそれぞれ別の顔が付いた、双頭のドラゴン。その一対二頭に嵌められた左右で異なる色合いの瞳が四つ、同時にこちらを見つけて微かに身動ぎした。


「ようやく来たか」

「ごめんなさいね。彼女達が付いてきたいと言っていたから準備に少し時間が掛かって」

「いいさいいさっ。久しぶりだな、雛鳥たち」

「うん」

「元気?」

「身動きは出来ないが、元気だとも。この前も人の宴を遠くから覗き見ていたぞ」


 この前の宴とはルーナサのことだ。随分前に、ここを離れられない身でありながら人の世界の事が知りたいと言っていた二人。その要望を叶えようと研究の傍ら試行錯誤して、どうにかその手段を整えて彼らに人の世の空気を体感させてあげたのだ。

 まだまだ試作段階の使い勝手はよくない方法だったが、ここに長らく閉じ込められている彼らにとっては新鮮だったようで満足しえもらえたようだった。今度は景色だけではなく音なども共有出来るようにといま試行錯誤している。


「次はもっと楽しんでもらえるように準備してるから。メイボン……には少し難しいかもしれないけれど、ハロウィンやサウィンくらいは期待してて」

「あぁ。だが、人の世も(せわ)しないだろう? 無理だけはしてくれるなよ」

「心配してくれるの? ありがと、カドゥ」


 今日は気分がいいのか、いつもより饒舌な声に嬉しくなる。ピスとケスのお陰だろうか。カドゥは彼女達を気に入っている節があるから。つれてきて正解だったかもしれない。


「さて、こうして話をしてるのも楽しいけれど、やるべき事もきちんとね」


 わたしの傍を離れカドゥの下へと歩み寄ったピスとケスがその体に触れて登ろうとする。一瞬止めようかと焦ったが、カドゥは楽しんでいるのか登り易いように身を沈めて彼女達を招いた事に安堵した。英雄的妖精相手にもいつも通りな彼女たちは相変わらずだ。

 子供らしい双子を見つつ、思考は仕事のそれへ。


「それで、話って言うのは?」

「惑い者のことだ」


 惑い者、と言うのはカドゥが言い出した言葉だ。妖精の本質……妖性が、時折暴走して悪戯以上の現象を引き起こす。そんな風に平穏を乱す存在の仮称だ。この春より時折見るようになった妖精の姿で、今も尚対応策の目処は立っていない。

 その内この現象自体も四大国会談などで話し合われて、公的な事象として認識されるはずだ。惑い者は、それまでの仮置き。分かり易い記号と言うのは理解がしやすいのだ。


「また出たの?」

「伝聞ではあるが、まず間違いはないだろう。場所はここより陽の方角……大地の裂け目の付近だ」

「大地の裂け目……スアロキン峡谷ね」


 スアロキン峡谷は、隣国ブランデンブルクとの国境だ。未だ燻る国家間の火種の抑止力として、日々両国の騎士が睨みを効かせている区域。……とは言ってもカリーナとブランデンブルクの関係は良好で、世界の均衡の為の体裁でしかないのが本音だ。戦後あの場所で大きな衝突が起きた事はない。

 が、しかし。カドゥの言葉はそれを覆しかねない事実だ。


「あそこはうちとブランデンブルクが目を光らせてる。もし何かの拍子に引き金が引かれれば、面倒な事になるわね」

「人の世の(わずら)い事など妖精にとっては関係のない話ではある。……が、同輩が望まぬ不和を起こすのを見過ごすわけにもいかぬ」

「何より、(いさか)い事は楽しくないからなっ。ようやっと落ち着いた流れを再びひっくり返したくはない。益のない争いのなど、願い下げだ」

「そうね」


 思う事は違えど目的は同じ。だからこそこうして忠告してくれたのだろう。己は動けない身。人の力でどうにかして欲しいと。

 彼にはこれまで何度も助けられてきた。何より、楽しい時間を沢山紡いできた。ならば少しばかり、そのお返しをするとしよう。


「詳しい情報はあるかしら? 言える範囲で構わないわ。事前に分かっていれば対処も出来るはずだもの」

「それについてはあたしがお話しようかしら?」


 声は背後から。思わぬ方向からの言葉に驚いて振り返れば、そこには一人の妖精がいた。

 短く揃った黒い髪に、宝石のような紅の瞳。はんぶん混じっているわたしにも気配を悟らせなかった自由の象徴は、薄く微笑んでこちらを見つめる。

 次いで少しだけ目を(すが)めれば、彼女の奥底に渦巻く表層に触れて再び驚いた。


「……あなた、妖精寄りの……」

「無粋な事を言わないで。あたしはティティ。この話をそこの老いぼれに持ってきたの」

「…………そう。よろしく、ティティ」

「えぇ、よろしく」


 言葉の先を遮られる。言い損ねた彼女の来歴。それは──この世界では随分と珍しいクォーターと言う波長。

 わたしのような半分ずつ……ハーフィーは稀にいる。契約を交わした妖精従きと契約妖精が更に惹かれ合い、愛の証を紡ぎ出す。それがハーフィーだ。そんなわたしのような波長の持ち主と、更に純粋な来歴の持ち主との間に生まれる歪んだ奇跡の寿(ことほ)ぎ。それがクォーターだ。

 中でも目の前の彼女……ティティは、妖精寄りのクォーター。ハーフィと妖精の間に生まれた極めて非凡な存在だ。

 クォーターは、この世界に数えるほどしかいない。それは、親となる二人……ハーフィーと純血の契約と言う事例が稀にしか起こりえないからだ。

 基本的に合いの子は契約の先にしか生を受けない。種族を超える交わりと言うのは、信頼が第一だからだ。

 契約は互いの深い部分で惹かれ合い、均衡を好む。純血には純血が。混じり者には混じり者が、と言うのが通例なのだ。その一般的を逸脱して結ばれる事が、まずありえないこと。更に子を()すなんて、気が触れたと言われても仕方のない所業なのだ。

 何せ生まれてくる子はどちらかに偏るから。人と妖精の歩むこの世界で、中途半端以上に爪弾きにされてしまうから。居場所を、見つけられないから。

 どちらから見ても不完全で。どちらから見ても不均衡で。そんな、曖昧で不確かな存在は容易には肯定されない。

 そんな、板ばさみなど程遠い迫害の覚悟を、己の子供に背負わせるのかと……。倫理観が残っていれば、きっと誰もが首を振るはずだ。

 それでも世界は広く、煩雑で。現に彼女のような存在は、指折りではあるが生きている。

 見方を変えれば、随分と珍しい……それこそ、()えれば幸運とでも言うような存在。その身に数多もの過去を背負い未来を憂いて今を生きる不定の彼女は、けれどもそれを楽しんでさえいるかのように不敵に微笑む。


「カドゥ、いいかしら?」

「あぁ、好きにするといい」


 ティティが親しげにカドゥの愛称を口にする。世界の爪弾き物と、世界の英雄。まるで両極端な二人が、けれどもどこか型に嵌ったようにも思えるやり取りを交わす。常道を歩まない者達だからこそ、何か共感する事があるのだろうか?


「それじゃあお話と行きましょうか、半端者さん。何が知りたいの?」

「……ヴァネッサよ」

「そうね、ヴァネッサ。何が訊きたい?」


 からかうように、試すように。こちらの瞳を覗き込んで逸らさない強い色の双眸。彼女がクォーターだからなのか、その視線の奥に不思議な色が揺れている気がして目が離せなくなる。

 まるで、強大な何かに射竦められたように。はたまた、自分が自分を見つめ返すように。


「……似た者として飾るのは無しにするわ。その子はどんな子?」

「あたしが見たのは川の子に丘の人々(ベルグフォルク)

「川の子……ナイアドね」


 ナイアドは水辺に住む妖精で、ニンフの系列。基本的にどこの川にも一人ないし複数の彼女達がいて、比較的簡単に目に出来る存在だ。

 丘の人々は子供でもよく知っている、トロールのことだ。森の巨大な番人にして財宝の守護者。人の物語……特に英雄譚などではよく化物として登場する妖精だ。

 どちらもそれなりに有名な存在故に、数自体は多く確認されている。だから必然と言うべきか、惑い者としてその姿を現す可能性も……考えておくべきだったか。


「場所は、スアロキン峡谷よね。確かにあそこなら川も森もある。どうやら間違いじゃなさそうね」

「妖精は嘘を吐かないのよ」


 妖精は嘘を吐かない。より正確には、嘘を吐けない。それは半分混じっているわたしもよく知っている。


「……他には?」

「さぁ。あたしが見たのはそれだけだったから。それよりもいいの? 無駄な問答してて」

「……………………」


 楽しそうに笑うティティ。この空気……ガンコナーによく似た悪戯好きの感じがするけれども。今は彼女の来歴を暴いている場合ではないか。

 それに妖精の中でも特に彼女は危険な香りがする。下手に手を出して痛い目を見るなんて嫌だ。今は見逃してカドゥに向き直る。


「行くか」

「えぇ。世間話は帰ってからでいいかしら」

「楽しみにしているとしよう」


 どうせ報告に来るのだ。積もる話はその時に。

 思いつつピスとケスを呼ぶ。彼女達は……意識を外している間にカドゥの頭の角の周りを興味深そうに両側から眺めていた。随分懐いて、そして懐かれたものだ。こんなの初めてだ。


「ピス、ケス。帰りましょう」

「ん」

「わかった」

「その前に一つ、いいかな?」

「まだなにか?」


 声は尾の口から。彼はその体から降りてこちらに向かってきていたピスとケスを絡めるように進路を塞ぎ、そのまま二人の瞳を覗き込む。

 次いで感じたのは妖精力の発露。一体何を……そう考えた刹那、二人に向けて妖精術が行使されたのが分かった。


「っ、何を……!」

「ちょっとした間借りさね。この目で一度見ておく必要もあるだろう」

「この目って……あぁ、なるほど」


 動けない彼がどうやって。そう考えた直後、振り返った双子の瞳の異変に気付く。

 ピスは右目を、ケスは左目を彼女達本来の(あま)色から変質させていた。どうやらカドゥが妖精術で二人の視界に自分のそれを重ねているらしい。視界共有と言うわけだ。

 原理としては波長を重ねて擬似契約をしているのだろう。英雄的妖精は契約をしていなくても破格の力を持つということだ。この前のルーナサの応用だろうか。


「未だ直接惑い者の様子を見たことはないのでな。すまないが目を間借りさせてもらおう」

「うん」

「いいよ」

「感謝する、比翼の雛鳥よ」


 ……ただ外の世界を見たいだけではなかろうかと。少しだけ彼の思惑を邪推しながら、それから二人を連れて自然の居城をあとにする。禁足区域を出る頃には、双子の瞳はいつも通りの色に戻っていた。

 しかしながら少し面倒な事になったと。これで二人を同行させなければカドゥに何を言われるかわかったものではない。……が、彼女達が危険地帯に随伴すると言うのもそれは面倒な話で。そして恐らく、それを進言するのがわたしになるというのが目下一番の苦難だ。

 馬車に乗って動き出した客車。その中でいつもと変わらない様子の二人に小さく溜め息を吐く。


「どうしたの?」

「疲れた?」

「ん…………そうね。きっと今日寝る頃にはくたくたね」


 惑い者のことだけでも頭が痛いのに。半端物だからって便利に使わないで欲しいものだ。

 人と妖精の橋渡しなんて方便。結局は板ばさみに過ぎない。一介の研究者には度し難い苦痛だ。


「……とりあえず、今日はこのまま家に帰りなさい。同行には隊を編成しないとだから、日時が決まったらまた連絡するわ」

「ん」

「わかった」


 子供……と言うよりは、彼女達は気楽で羨ましい。せめて口添えくらいしてくれてもいいのに。

 叶わぬ願いを胸に抱きつつ揺れる天井を仰ぐ。次いで浮かんだ想像が、未来の彼女達の隣にわたしがいる姿を幻視してまた一つ悩みの種が増えたのだった。




              *   *   *




「用はそれだけではないのだろう?」


 あの双子ちゃんにまた会えるなんて。彼女達も大概数奇な運命を持っていそうだとその背中を見送れば、後ろから掛けられた声に振り返る。

 おっとそうだった。元々の目的もしっかり完遂しなければ。

 思いつつ、双頭のドラゴンを見つめる。

 カドゥケウス。この世この時代では人より崇められるほどに強大な力を持った存在の内の一人。人の国々に一人ずつ現れて争いを終結へと導いた彼らは、英雄的妖精と呼ばれる世界の均衡の要だ。

 ここカリーナには彼。頭と尾に顔を持つ、異形のドラゴン。大地に根差すその波長は妖精でもあり精霊とも言われる煩雑にして簡素なものだ。

 彼とは旧知の間柄。それ故に重要な存在だ。


「えぇ、もちろん。いつもの見回りよ。後は一応、貴方の確認。どう? 変わった所はある?」

「いいや。この地は妖精力に溢れている。外の者達のように判別がつかなくなるような事はない」

「しっかしいいところに居を構えたものね。ヘルフリートが知ったら怒るわよ?」

「はんぶんを見つけたと聞いたが?」

「相変わらず耳聡いのね。……噂通りよ。相手はまだ学び舎に通うひよっこだけれども。ま、自由にはなれたんじゃない?」

「ふむ、そうか…………」


 人の世界にそれなりに耳を傾けるカドゥは話が早くて助かる。彼女も……カドゥとまではいかなくとももう少し外に意識を向けてくれた方があたしも嬉しいのだけれども。

 ここに来る前に確認した北の英雄的妖精の事を思い出しつつ嘆く。


「ストリガは相変わらず。ニミュエも変わりなかったわ」

「その名で呼ぶと彼女は怒るだろうに」

「愛称よ、愛称っ」


 カドゥの声に答えつつ、彼の巨体の傍を跳びまわって目視で確認する。……うん、彼も問題はなさそうだ。


「いくらこの場所でも外である事には変わりないんだから。余り過信はしないでよ?」

「自分のことだ。一番よく分かっている。この身が惑い者になってしまえばようやく平穏らしきものを紡ぎ始めた人の世に再び災禍を撒き散らしてしまう。益のない争いは不必要だ」


 英雄的妖精と崇められる彼が惑い者になって本能のままに行動すれば、新たな争いの火種になってもおかしくはない。あたしとしてもそれは避けたい未来だから、こうして定期的に様子を見に来ているのだ。


「そちらこそ余り無理はしてくれるなよ?」

「大丈夫よ。対策してるもの」


 惑い者対策。その原理の根底から理解しているあたしは、どうにか命令式を書いて妖精術で妖性の暴走を抑え込んでいる。もちろんその場凌ぎにしかならないのは分かっているが、手遅れになる前に彼との再会を果たせばいいだけのこと。

 ……あの半端者は、あたしじゃないもう一人と契約したらしくそこは納得いっていないけれど。お陰でこうしてまだ自由を有効活用出来ているのだから、とりあえずはそれで釣り合いが取れているとしよう。これはあたしにしか出来ない事なのだから。


「それで。どうするの?」

「何がだ?」

「あの子達。随分気に入ってるみたいだけれど」


 そんなことよりも。目下の興味はカドゥが珍しく示していた興味だ。

 ピスとケス。確かこの国の長の孫……と言う妖精からすればややこしい事この上ない血筋の少女達。双子と言う、類稀な出生はどこか自分の来歴を重ねてしまうくらいにあたしも気になっている鏡合わせ。

 その二人に、この巨体は妖精らしく魂を揺らしているのだ。


「望んだところでそれが叶えられるとは限らない身の上だ。……が、その時が来れば答えは分かる」

「それいつよ」

「人の暦で約二年後だ」

「気の長い話。そのころには根でも生えてそうね」

「そうならないように楽しみにしているさ」


 朽ち果てようとしていた倒木が新たに芽吹かせた双葉。それだけでも妖精のこの身にはそれなりに興味深い楽しさだ。彼の思いが実を結ぶのかどうか……まだ当分先の話だろうが、自由なうちは経過観察でもしに来るとしよう。


「どちらが早いか競うか?」

「別にいいけど……あたしは後回しにしてるだけでその気になれば今すぐにでも彼を手に入れられるわよ?」

「そうも容易に事が進まないのが人の世の楽しさだ」

「身動ぎ一つしないから耄碌(もうろく)でもしたの?」

「なんとでも好きに言えばいい。そう言う楽しみを見つけただけだ」

「刹那的に生きる妖精が遠大な夢を描くなんて……くだらないわね」


 頭の中まで凝り固まったらしい双頭から興味が失せて翅を揺らす。


「……じゃ、扉の様子だけ見させてもらうわよ」

「あぁ、頼む」


 彼も丸くなったものだと。一人ごちて彼が根城とする巨木の内側、虚の中へ。途端に光が届かなくなり暗闇に遮られたそこを、妖精力を頼りに上へ上へと昇って行く。

 数多の木々が絡み合って出来上がった巨大な樹木。外がうねっているのならば内側も同じで、あちこちから好き放題に伸びた枝が行く手を阻まんばかりに所狭しと網を張る。

 妖精一人がようやく通れるかと言う小さな隙間を何度も抜け。やがてここまで身を寄せ合うように捩れていた木々が何かに遮られたように四方八方へと枝を伸ばす、その頂上。まるで巨大な茶色い皿のようなその中心に、虹色に揺らめくものを見つけて近寄る。

 これは遺産。過去に存在したあたし達の故郷の、その末端。蜂蜜酒の彼女曰く────洛園扉(フェアリーゲート)と名付けられたそれは、一帯に妖精力を発生させるその根源だ。

 あたしが扉と呼んでいるそれからは、絶えず妖精力があふれ出している。そのお陰でここ一帯はかの楽園のように妖精力が溢れた空間となっているのだ。

 自然を具現化したような存在である妖精。ならば自然そのものにも妖精力は影響を及ぼす。結果この辺りの大地は豊かで、彼が棲み処にしているこの巨大樹もその一つ。

 満ちる妖精力と繁栄する自然。その二つの要因から、あたし達妖精が好む場所としてそれなりに賑やかなのだ。特に英雄的妖精として妖精力を普通より多く必要とするカドゥにとっては、ここ以外で存在を保てる場所がないほどだ。

 本当はもっと妖精らしい自由に身を預けていてもいいのに……。不便な事だ。

 そんな事を考えつつ、異変がないかを確認する。惑い者の事があって少し気になっていたが……どうやらここに問題はなさそうだ。今のところは、だが……。


「……とりあえず少しだけ貰っていきましょうか」


 この身も人が言う所の野良。契約相手を持たない自由の身だ。だから時間を経る(ごと)に存在を肯定する根源……妖精力が失われて、その内消滅してしまう。

 あたしは他の妖精と違い、色々な(すべ)を知っているけれども……それでも妖精であるその(くびき)からは逃れられない。多少存在維持ができても、それは先延ばしにしているに過ぎないのだ。

 また、そういった姑息な手段は根源に干渉する場合が多いから、人が言う所の寿命をより縮める行為に他ならない。だからできる限り自然に妖精力を蓄える為に、こうして直接吸収して留めておくのだ。

 本当は彼女のように妖精力を妖精力のまま保存しておけるといいのだけれども……この小さな体ではそんな大規模な妖精術は使えない。だから精々悪あがきする程度だ。

 ずっとここにいられれば自由を愛する同類達のように人の暦で二、三十年で消滅すると言う事もないのだろうが、あたしにはやるべき事が沢山ある。それに、娯楽のない自然の中で無為に過ごすなんて性に合わない。

 全ては彼と彼女の為に……。過去より続くこの魂の約束を果たすために、今はただその時に向けてできる限りの事を成すだけだ。




「もう行くのか?」

「これでもそれなりに忙しい身なの。あの子達にも着いていかないとだし」


 一通り確認を終えて彼の聖域を後にする。


「ま、元気そうでよかったわ。それじゃあまた」

「あぁ、彼女達を頼む」

「言われなくても。……あれはあれであたしのはんぶんに匹敵する特別さだろうしね」


 答えて、翅を震わせ木々の合間を抜けてゆく。

 この国に来て出会った双子、ピスとケス。彼女達はこの世界を変える片鱗にすら届きうる逸材だ。この一件が片付いても、巡ってどこかで再会する縁が結ばれている気がする。そう言う、特別だ。

 だから彼女達も記憶には留めつつ。やるべき事を一つ終えて次の目的を脳裏に描けば、自然と頬が緩む。

 まだなんとなくの予感でしかないが、近々彼に会える気がする。あたしの唯一にして、絶対。大切な、はんぶん。

 目の前に姿を見せるわけにはいかないだろうが、成長した彼の様子を直接知れるのは心躍る。

 だから早く、あたしのこの胸の疼きに答えを頂戴────クラウス。

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