第五章
「と言うことで今回の調査には彼女達も同行する」
陛下直々のお言葉に緊張しながらこちらに突き刺さる視線に耐える。
時は朝。夏と言えどまだ少し涼しい日の昇りきっていない時間に、カリーナ城の中庭に集められた面々。それは今回の調査任務を同行する選抜隊だった。
筆頭は国を守護する騎士達。普段は城下の警備や、時には国境付近にまで赴く事のある彼ら。その一個小隊が今回の危険を退ける為の剣であり盾だ。
そんな彼らが守るのが、国で働く研究者達。主に妖精に関する真実を暴こうと日夜部屋に篭る知識の獣。その中でもある程度動く事が得意な者達。不本意ながら分類的にわたしはここらしい。
そして最後の特別枠が、陛下のお孫さんであるピスとケスの二人。彼女達は今回の調査任務の最重要護衛対象だ。
「話は聞いているだろうが、今回の任務には妖精が大きく絡んでいる。十分に注意するように。皆、無事に帰ってきてくれ。頼んだぞ」
少し心配そうな声は、特に双子に向けて。どこからどう見ても鏡合わせな二人は、静かにこくりと頷く。
きっと一番世話をする破目になるのはわたしなのだろう。陛下も簡単に言ってくれる……。
まだ始まってすらいない任務を想像して胸の内で息を吐く。どうやら今回は、長い旅になりそうだ。
惑い者と呼ばれる妖精の暴走現象。常日頃彼らが行う悪戯とは異なり、場合によっては命さえ左右しかねない干渉を行う存在。彼女達は人の側のみならず妖精の側にもそれなりに大きな問題を齎し始めている。
それを解決、または未然に防ぐ為の研究を行っているのが私が所属する国立の研究所だ。今回はその研究所に発令された珍しい任務。内容は、惑い者の捜索だ。
そもそもこういう荒事が絡み易い仕事は研究者には回ってこないのが常だ。わたし達は頭脳労働担当であって表に出て調べるような立場ではない。しかし今回はそうも言ってられない状況らしく、事態は急を要するとのことだ。
何でも問題が起きているのはスアロキン峡谷……お隣のブランデンブルク王国との国境周辺。小さな火種が大きな諍いに発展しかねない重要地域の一つだ。
先の大戦……第二次妖精大戦が終わって約二十年。人質交換が行われて一時の平穏を紡ぐ今、それを支える一つの柱が国境線の監視だ。あの睨み合いがあるから国境より遠く離れた場所で特に荒事もなく静かな日々を送れている。そこに何かしらの異変が起きると、混乱はたちまち各国に伝播して今ある物を壊してしまう。
だからこそ可能ならば未然に防ぎ均衡を維持する為にわたし達が派遣される事になったのだ。
……が、恐らく今回の面子で一番問題になるのは多分そこではない。いや、もちろん大変な事なのは重々承知だが、それ以上に周りの関心を引き付けてやまないのが──ピスとケスの二人だ。
彼女を筆頭として今学生として学んでいるのは全て戦後に生まれた子達で、彼らはあの苛烈さを過去の歴史として知っているのみの未来溢れる若葉だ。そんな、実戦経験などないに等しい……彼女たちに限っていえば契約すらしていない妖精憑きが危険な場所に同行するというのが、目下誰もが考える不安要素だ。
加えて彼女達はこの国で指折り数えてその中に入るだろう大切な存在。陛下のお孫さんなのだ。そんな二人がどうして一緒に行動するのか……一応説明こそ先ほど陛下からあったけれども、真実を知るわたしからすればあればただの体裁に過ぎない。
陛下のお言葉を信用しないわけではないが、誰もがもっと別の理由があると勘付いている。……それくらいにあの人は愛すべきお孫さんに甘い。もしわたしが理由を知らなければ好奇心に駆られていたかもしれないほどの取ってつけたような同行理由だった。
もう少しまともなのは思いつかなかったのだろうかと。そんな悪態を思わず吐いてしまいたくなるのにはもちろん理由がある。
今回、わたしは彼女達のお目付け役に任命されたのだ。もちろん任された仕事もこなすが、最優先事項は彼女達の身の安全を守る事にある。
こうなった原因を遡れば、やはりあの時……カドゥとのやり取りの場にわたしがいたからなのだろう。要らぬ説明をしなくていい。それなりに双子と関係を紡いでいる。そんなどこにでもありそうな二点から、適役として選ばれた。
光栄な事かもしれない。誰かが羨むかもしれない。……けれどもわたしは、ハーフィーだ。半分入った妖精の血が、本能で自由を刺激する性を宿しているのだ。
だから本来、こういった何か目的に縛られるような事は余り得意ではない。自分の気持ちの赴くままに、考えるままに事を成す。興味を満たすためだけに足を出す。そんな繰り返しで、気付けばカドゥとの橋渡しとしての立場を得たに過ぎない。今回のこれは、想像外の……いわば面倒だ。わたしがやりたかった事じゃない。
とは言え上申した所で代わりがいるわけもなく。ならば紡いで重ねた関係である程度を許してもらえるわたしが誰かの身代わりになるのは、とても道理に合っているのだろう。上の人はいつも勝手なことばかり言ってくれる。
そんな胸の内の悪態と共に溜息を吐く。
「大丈夫?」
「疲れた?」
「ん……平気。ちょっと鬱憤が溜まっただけ」
ハーフィーという形の魂をしているお陰で嫌な事にはとことん拒否反応が出る。これの所為でいままで面倒に巻き込まれた事もあるのだが、なおせるものでもないのだから仕方がない。どこかに捌け口を探すか、別の興味で上塗りして紛らわせるしかない。
「二人は疲れてない? 長い任務になるから、動けなくなる前に適度に休息を取ってね」
「うん」
「わかった」
今回彼女達には特別席が設けられている。と言っても荷馬車の荷台に腰を下ろせる空間があるというだけだが、進んで休憩してを繰り返す目的までの道中では嬉しい特別扱い。大人のわたしたちには容赦のない行軍が強いられている。
因みに調査に加えて国境付近で警備をする騎士への物資の補給も任務には兼ねている。幾つものやるべき事を同時進行でこなすのはただの効率化だ。
わたしや二人は言わばそのおまけ。護衛こそされているが、きっと彼らの本来の目的ではない。だからできるだけ迷惑をかけないようにしなければ。
「ティティ」
「教えて」
声は直ぐ隣から。歩調さえ同じ時を刻む彼女達の意識が、直ぐ前を飛ぶ黒い妖精に注がれる。
ティティ。彼女は自由を愛する野良の妖精で、わたしとどこか似ている人間が四分の一のクォーターだ。今回の任務の発端ともいうべき情報を持ってきた妖精で、彼女のお陰でこうして外に足を向けている。
「川の子」
「丘の人々」
「……あぁ、まだあなた達では分からなかったかしら」
妖精が妖精を呼ぶとき、大抵はその来歴や魂の形を指す。彼女達は波長で会話する。その為、固有名詞で意思疎通するよりも魂でやり取りをしがちなのだ。目の前の彼女をティティと名前で呼ぶのは殆ど人間だけ。妖精同士の会話なら、もっと別の通り名で呼ばれるはずだ。
その際の呼び名と言うのが、それぞれの妖精が宿す根源である。今し方二人が落とした、川の子、丘の人々と言うのがそれだ。
「でもその話題は楽しくない。だからそこの半分におまかせするわ」
二人の視線がこちらに向く。また面倒を押し付けられた。仕方なく彼女達の疑問に答える。
「川の子っていうのはナイアドの事よ。よく川の近くにいるから一般的にそう呼ばれてるの。丘の人々はトロールね。そう言う名前の大抵は、よく棲み処にしている場所やそれぞれが楽しいと感じる第一衝動なんかが候補かしら」
ガンコナーを恋語らいと呼ぶのもその一つ。彼らは悪戯で甘い言葉を囁いて乙女の心を惑わせる。時には中傷して言い寄り魔なんて言ったりもするが、呼び名が複数あるのは珍しい事ではない。トロールだってうつろな人々などと言われたりもする。
「魂の形を別の名で呼ぶのは、直接言葉にされる事を彼女たちが嫌うからよ。妖精は秘密主義、余り自分の事を喋らないの。二人だって勝手に知った風な口を利かれたり、勝手な風評を押し付けられたりするのはあまりいい思いはしないでしょう? 妖精は特に楽しい事に敏感だから、その逆になるような事を過敏に遠ざけてるの」
「大体あたし達が人の事を暴こうとした事があったかしら? いつだって遠慮なく踏み込んでくるのはあなた達の方。だからってやり返すなんて楽しくない。そんな慎みのない言動の共存相手に誰だって胸を開きたくはないわ」
言葉以上の嫌悪を乗せて放つティティ。四分の一だけ人間が入っているからか、その言葉が嫌に人間臭くて痛く感じる。
「ま、そこの二人は別みたいだけど」
ちらりと向けた視線。ピスとケスが小さく首を傾げる。
わたしにも半分混じっているから何となく分かる。彼女達は妖精の本心を理解している節があるのだ。
いわゆる妖精語の会話と言われる類の、波長同士の嘘のないやり取り。本心だけで交わされる、妖精特有の人には見聞きする事の出来ない世界の意思疎通を、時折見透かしたように理解して音にすることがあるのだ。
人の価値観で言い換えれば、考えている事を言い当てられるのが近いだろうか。
場合によっては忌避されかねないものだが、彼女達はそこの線引きに注意でも払っているのか本当に触れて欲しくない部分は言葉にはしない。ただ、何となく共有できたらいいな……と思う事に気付いて理解してくれると言う便利な理解力の持ち主なのだ。
恐らく彼女達の言動がどこか妖精に近しい事に端を発しているのだろう。特技とはまた違う、彼女達の不思議な能力だ。
「ナイアドってどんな子?」
「トロールってどんな子?」
問い掛けは少しずれた所から。……もしかして最初からそれが知りたかったのだろうかと考えを巡らせる。
さて、魂の形を言葉にすることまでは、まだどうにか許してもらえるだろうが……。その先である魂の根源に触れる部分を音にしていいものかと悩む。
秘密主義な妖精達。来歴を暴かれる事を嫌う彼女達の、その本質を詳らかにする行為は最早禁忌だ。例えこの場に川の子や丘の人々がいなくとも避けるべき話題。
何せそれらは、彼女達の存在意義……。延いては魂を侵す事に繋がる。下手な事は言えない。
そう考えてティティに視線を向ければ、彼女は呆れたように小さく笑ってピスとケスの傍に寄る。
「……妖精や妖性に興味があるのはいいけれども、余りそういう事を口にしないように。今回は特別に教えてあげるから、次からは自分で調べなさい。幾ら人の世界でもこれだけ歴史重ねてるんだから少しくらいは知識が眠ってるでしょう?」
「えぇ。けどいいの?」
「暴かれるのは嫌だけれども、理解されるのは嫌じゃないもの。そう言うものなの」
単純で複雑な理由だ。だからこそ底の見えない探究心が疼いて、わたしはきっと今ここにいるのだろうけれども。
ティティが少し考えるような間を空けて紡ぐ。
「…………そうね。二人にしてみれば、6で4と20で3と言えば伝わるかしら? 基本的に人に害をなすような魂ではないけれど、惑い者に関しては別。気をつけておきなさい」
「うん」
「わかった」
あの少ない説明で納得する辺り、その中に答えがあったのか、はたまた妖精語の会話のような何かでティティから直接告げられたのか……。何にせよ、突飛押しもない二人の疑問がまたいつ飛び出るか分からない。気難しいらしい性格のティティに丸投げせずに、可能な事はわたしが対処するとしよう。
* * *
空の旅ならもっと楽で早いのに。そんな感慨を胸に落としつつやってきた人の世界の国境。確かスアロキン峡谷とか言う名前の場所だ。
人は名前を付ける時に由来を気にするらしく、恐らくここにも何かしらの理由があるのだろう。峡谷の底には川が流れているから、その名前かもしれない。……妖精には関係のない話だ。
到着と共に騒がしくなった空気。人の発する熱気に、少しばかり自然の空気が侵されると思いつつ、その時が来るのを待つ。
と、また思いつきか、双子の少女が傍にやってきた。
「惑い者」
「いる?」
ピスとケス。カリーナと言う国の王族に連なる血筋の少女。
彼女達は今回惑い者と呼ばれる妖性の暴走現象を調べにここにいる。その為補給などで訪れている軍の大人たちと別行動で自由を謳歌しているらしい。人間ではあるが、どこか妖精に近いのが彼女達双子だ。
「まだ見てないわね。ま、その内出会えるでしょう。……それよりもカドゥ、ちゃんと見てるんでしょうね?」
答えて、それから二人の瞳をじっと覗き込む。すると天色の双眸がそれぞれ片方ずつ色を変えた。
「……ん、ならよし。折角の外の景色なんだから存分に楽しみなさい」
「うん」
「大丈夫だよ」
「ほら、二人もこう言ってることなんだし」
彼女達の瞳は今、人の世で英雄的妖精と崇められる存在、カドゥケウスのそれと繋がっている。妖精術での視界共有。二人がカドゥと同じ地に属する波長の持ち主だからこそ出来る芸当だ。
双子が見たものを、あの森の中から動けないカドゥが共有できる。目的は惑い者をその目で見て確かめる事だが、別にそれ以外に使う事が悪いとは言わない。そうでなくともカドゥは自由に身動きが取れないのだ。こういうときくらいは少しくらい妖精らしい事をしてもいいだろう。
とは言え、共有しているのは視界だけ。それを通して二人に何かをお願いしたりと言う事は出来ない。何を見るかは、ピスとケスに委ねられている。人の輪から少し外れている彼女達に任せていては本当に望むものを見られないかもしれない。
これでもカドゥの事は気に入っているし、不便にも思っているのだ。あたしが少し手を貸すべきだろうか。
「あ、見つけた。少しいいかしら。あなたたちに頼みたい事があるの」
そこへやってきたのは今回のもう一人の同行者。国で研究者として働いている眼鏡の女性だ。いわゆるお目付け役。
彼女達も人として妖精が起こす騒動の解決策を探っているらしいと、ここに来るまでに聞いた。惑い者の発見はその研究に大きな進展を齎すかもしれないとのことでこうして一緒に行動しているのだ。
「なによ。これから二人と一緒に辺りを見回ってこようと思ってたのに……」
「悪いわね。けどこっちを片付けないと周囲を捜索するのも無事には済まなくなるの」
「どうしたの?」
「なにするの?」
あぁ、二人の興味が向こうに移ってしまった。妖精に似ている二人だからこそ、こうなった彼女達の意識を再びこっちに向けさせるのは面倒だと分かる。
「二人に仲介役……交渉役をお願いしたいらしいの」
「交渉って……一体なんのよ」
「国境の睨み合いが続いているのは話をしたでしょう? それが本当に衝突する前に話し合いで解決したいのよ。とはいえ騎士を送り込むと面倒だからそれ以外の、こっちに戦う意志がない事を示せる人に任せるしかない。そこで候補に挙がったのが二人だったの」
「……あなたでいいじゃない」
「大人より子供の方が無益な警戒心を募らせないで済むって事よ。それに二人は王族。彼女達の言葉ならブランデンブルク側も蔑ろには出来ない」
また面倒なやり取りと思惑だ。これだから人の世界は煩雑で嫌いなのだ。
もっと簡単に相手を信じられればそんな小細工しなくて済むのに。本音で会話できる妖精にしてみれば益体もない事この上ない。
「ピスたちでいいなら」
「頑張る」
「本当? お願いしてもいい?」
「うん」
「任せて」
「一応訊くけど、危険な事はないのよね?」
「その危険を避ける為の対話だもの。そんなに気になるならティティが傍についていてあげれば?」
「嫌よ、面倒くさい。……カドゥにでもやらせておけば?」
丁度目を共有して全てを見ているのだ。何かあれば彼から無理を捻じ曲げるはずだ。一々あたしが出張る事でもない。
……それに、あたしは出られない。彼が近くに来ている。まだ姿を見せるわけにはいかない。彼の野望が確かな熱を持つまで、あたしは接触できない。あたしのしている事を知られるわけにはいかない。
「…………分かった。二人共それでいい?」
こくりと頷くピスとケス。彼女達がそう納得したなら、最早あたしに口を挟む筋合いはない。
「それじゃあ直ぐに向かってくれるかしら。落ち合う場所はスアロキン峡谷の底よ。これを相手の人に渡してきて欲しいの」
「これは?」
「お手紙?」
「二人のお父様からの預かり物。実はこれを届ける事も今回の仕事の一つなの。一緒に任せてもいい?」
「うん」
「大丈夫」
「それじゃあお願い。気をつけてね。」
「うん」
「いってきます」
「……その辺見てくる」
妖精らしいどうでもいい理由を付けて傍を離れる。それから辺りを探せば、目的の魂を見つけて声をかけた。
「ねぇあなた」
「なになにどしたのどーしたの?」
振り返ったのは川の子。この辺りを棲み処にする自由な魂だ。彼女は……うん、大丈夫。まだ揺らいでは居ない。
「あなたの目と耳を少しだけ貸して欲しいの」
「お返し対価は用意をしてる?」
「えぇ、もちろん。だからお願い」
「分かったお任せお手伝いーっ」
「ふふ、ありがとう」
川の子にしては陽気な声。元気がいいのは、まだ転生をして間もないからだろうか。そんな事を考えながら、カドゥがあの二人にそうした応用で妖精術を行使。目の前の視界を共有する。
「それじゃあ谷の底にいる人を見てきてくれる?」
「人知る瞳は人知れずー」
楽しそうに呟いて。それから川の子が翅を震わせ峡谷へと飛び込んでいく。彼女達川の子は、その名の通り川に住まう妖精だ。だからこそその存在の形は川の流れに同一視される。その気になれば水の流れを借りて自然に溶け込むことが出来る。そうして、水辺に寄ってきた人に悪戯を仕掛けたりするのだ。
今回はその目を少しだけ貸してもらう。近付かずに何かを観察するのはこれが一番だ。
思いながら意識を外に。人の世界の治安を守る騎士達の意識がこちらへ向いていない事を確認すると、妖精術を更に一つ行使。
それはこの身の彼女が得意とした認識阻害の妖精術。受け継いだものは確かに息づいて、あたしが今ここにいる意味を確かに覚える。
あたしはただ、世界の為に全てを捧げ、あたしの為に彼に会いに行くだけ。それを少しだけ、今は遠回り。
妖精なら基本誰もが行える自然への……人の認識の隙間への滑り込み。そこに更に高度な幻術を重ねがけして、誰にも見つからないように姿を隠す。この状態なら例えハーフィーであってもあたしを見つけられない。可能なのは恐らく、魂に干渉範囲を持つ子達だけだ。川の子にも見つけられないだろう。
「さて、彼はいるかしら」
あたしの魂が揺れているから近くにいるのだろうが……そう考えていると、共有した視界の先に目的の横顔を見つけて思わず肩が震えた。
丁度峡谷を降りてきたらしいその姿。記憶の頃より随分と大きくなった背丈は人間らしく、掛けた眼鏡が知的に写る。
昔のままの、灰被りに灰色の瞳。どこかずれたような瞳はここではないどこかに焦点を結んで大望を揺らめかせる。
……あぁ、やっと見つけた。あたしのはんぶん。
隣にいるのが……あぁ、やっぱり。学び舎まで行ってした確認は間違いではなかった。彼女だ。……いや、だからこそ彼であるその意味なのだろうけれども。
「お待たせしてすみません。クラウス・アルフィルクです」
「ピスはピス・アルレシャ……」
「ケスはケス・アルレシャ、です」
そうして、あたしのはんぶんと世界に干渉しうる双子が邂逅する。彼と彼女達の縁。あたしは歴史を見通すほどの力を持っては居ないけれども、何となく思う。
あの三人は、きっと大きな意味を持っている。クラウスは当然、ピスも、ケスも。記憶に留めておくべき存在のはずだ。
「えっと、二人が向こうの……カリーナ共和国からの使者ってことでいいのかな」
「シシャ……」
「ってなに……?」
今すぐにでも目の前に姿を現して、妖精の特権で悪戯と称して連れ去ってしまいたい。彼と彼女が手をとればきっと、直ぐにでも世界の夢は実現する。そんな予感がひしひしと肌を刺す。
「……二人は誰かに言われてここに来たんだよね?」
「お父様に言われてきたの」
「あなたとお話しなさいって」
けれどもそれは、駄目だ。意志の、思いの……感情のない行動は、夢足り得ない。彼には、しっかりとそれを手に入れてもらわなければならない。
彼の記憶に施された封印を介して伝わる、彼の内側。まだ閉じたままの彼の彼が、いつか確かな形を持ってその身に宿るまで。
あたしもあたしを隠して────彼女も彼女である事を知らないままに。その時に向けてただひたすらに道標を灯すだけだ。
「それじゃあお話しようか。二人は……ピスちゃんとケスちゃんはお父さんから何か預かってない?」
それに何より、あたしは彼女を……彼の傍で我が物顔をしているあの白銀の爪弾き者を許容できていない。
彼女はきっと知らないから。自分が何者なのか。どうしてここにいるのか。偶然と必然を手繰り寄せて、彼のはんぶんになった、その理由を。
自覚がないのは、罪だ。知ろうとしないのは、怠惰だ。
あたしは彼女に甘えを許さない。それだけの未来を託されている。信じて向き合うまで……向き合った後も、きっと。あたしは彼女を受けれられないだろう。
そう言う魂だから、仕方ない。
「預かるね。僕からはこれを。二人のお父さんに届けてもらえるかな?」
とりあえず今日は元気な彼の姿を見られてよかったと。人の世の面倒事も恙無く片付きそうな空気を感じて、感覚を借りた川の子から意識を離そうとした、その刹那────
「……さて、それじゃあ最後に一つ頼みごとをしてもいいかな?」
「何?」
「難しい事、出来ないよ?」
不意に。恐らく、それは偶然に。何かを探すように辺りを見渡した白銀の彼女が、こちらを見つめて視線を止める。
気付かれた……? …………いや、違うか。単純に川の子がいたから気になっただけか。
深い、透き通った蒼色の瞳。あたしの紅と、正反対の温度。他にも全く正反対な所は沢山ある、彼女との違い。それを見つめ返して思う。
きっとどこまでいっても、あたしと彼女は最後まで相容れないのだろう。擦れ違い、重なっても、それは交差するだけ。決してそのまま並走などしない、対極だ。
だからきっと、今日この時こうして相容れないのも、その一つ。
「あそこにいっぱい居る騎士の人たちに、戦いはないから帰っていいよって伝えてくれるかな?」
「わかった」
「頑張る」
平行線なら仕方ない。それがあたしの彼女の関係だ。
そう納得を落とすのと同時、ピスとケスが踵を返してその場を離れる。必要な事を知れた。これ以上自由に彷徨う魂を縛り付けるのも失礼だ。
妖精力の会話で目を貸してくれた川の子にお礼を告げて二人の下へ。峡谷より戻ってきた二人は、その足でハーフィーの彼女の下へ。
「終わった」
「騎士の人たちに伝言」
「お疲れ様。伝言は、そうね……ついてきて」
とてとてと後をついて行く二人。その背中を眺めつつ思う。
ふうむ。さて、どうしようか。後やるべきことと言ったら惑い者の様子を見ることくらいなのだが……今のところその気配は無い。これではただの徒労だ。見つけたら、応急処置くらいはしておこうと思ったのに……。いなければもうここに用は無い。カドゥへの連絡も必要ないし、ここでお別れか。
あの二人の傍はそれなりに楽しかった。また面白味もない目的邁進に身を費やすのかと思うと少しだけ憂鬱になる。
……いっそのこと二人を連れて…………。いや、彼女達はそんな甘言につられたりはしないか。……それよりも、変な噂を流される方が面倒かもしれない。
楽しかったのは本音だが、そこの線引きはしっかりしておかなければと。進まない気を妖精の思考回路で楽しさに変換する。
…………よし決めた。二人の記憶は封印していこう。そうと決まれば早速行動だ。あの二人は勘がいいから、気付かれる前に済まさなければ。
* * *
双子の目を借りて覗いていた世界。正直な所、人の世の厄介事に興味は無いのだが、それでもそこに同胞が絡んでいると思うと無視は出来ない。
今この身がこうして動けないながらそれなりの自由が許されているのは、偏に人の世界の温情に過ぎない。
英雄的妖精と祀り上げられて称えられる日々。対外的な肩書きである英雄と言うその響きも、裏を返せばただの殺戮者でしかない。
自然を壊した人の戦。第二次妖精大戦と呼ばれているそれに、何の因果か関わる事となって。同じような力を持った同胞とぶつかり、その存在にさえ手を掛けた経験がある。
それは自分を守るためであり、決して望んで行ったものではない。けれども決断や理由がどうあれ、結果は結果。望まぬ行いは……けれども忘れていい過去では無い。
それをしっかり背負って刻んだまま、今ここにいる。
英雄など、勝手な言い分。この身は、同胞の自由さえ奪った非道だ。
自らを縛りつける戒めの中で、しかし変わらず求める物も確かにある。この身は大きくありながら、妖精だ。本能のままに疼く自由への渇望を捨て去る事は出来ない。
だが満たされぬ思いほど切なく苦しいものは無い。だからこそ、願っていたのだ。いつか自由を手にしたいと。
まだ望みは半分も叶っていない。妖精としての魂の声を全て達しているとは言わない。……達する事など、ないのだろう。妖精とは、そういうものだ。
けれども願いは……夢は、思い描かなければ形にはならない。そしてその願いを、幸運にも微かに手にする事がで出来た。
快くその瞳を間借りさせてくれた双子の少女。人でありながらどこか妖精に近しい魂を持つ彼女達。人の世で王の系譜として血を示す彼女達は、ともすれば至宝とも言われる存在。そんな二人の飾らない言葉に甘えて、今こうして世界を自分の目で見られている。
争いが終わってから、代わり映えのしない景色をずっと見続けてきた。目を閉じても、目の前に広がる景色を……木の幹についた傷でさえも鮮明に思い出せるほどに記憶に焼きついている。
その、閉ざされた狭い世界から飛び出して。まるで己が意思で思いを遂げるように……大きな翼を広げるように外の世界を眺めている。
スアロキン峡谷。国境と呼ばれる、人の住む地の境界線の一つ。思想と歴史を隔てるその大地の裂け目は、大戦時に幾度もこの目に収めた場所。
……しかし今の世は平穏そのもので。睨み合いが続き緊張の均衡を描いているその場所だが、大地が焦げ、地形が変わるようなあの記憶と比べれば随分と穏やかなものだ。今では緑も増え、妖精が暮らすには丁度いい自然が溢れている。懐かしささえ感じる心地よさだ。そんな森の中で、少女達が一つの梢の下に腰を下ろす。
人と自然は調和しない。そう感じるほどに人はその手で世界を作り変える。けれども彼女達はその枠組から外れたように、空気に静かに溶けていく。
まるで、森から生まれた小人のように。はたまた、根付き枝伸ばす大樹のように。始めからそこにいたかのように、呼吸が混ざり合う。深く吸って吐いた息が、彼女達の鼓動と重なった。
「戦争、やだね」
「ね、やだね」
共有する妖精力から感情でも流れ込んだか。脈絡もなく口にした二人の声。自問し、自答する、完結された世界のお話。世界の殆どを拒絶するその端に触れて思う。
あぁ、そうか。彼女達は、ただ────
「休息中悪いね、結果を聞きに来たんだけど」
声は目の前から。互いに向いていた視線が既に聞き馴染んだ姿を捉える。
短く切り揃えられた黒い髪。強い色を妖しく灯らせる双眸は熱い紅。この世界の片鱗をその身に宿す、始まりの名の彼女。……いや、今はティティだったか。
「……会えた」
「話した」
答える音が調子よく響く。短く、簡素で、けれども全て。多くを語らない彼女達の言葉は、それ以上の感情と無感情によって妖精が交わす会話にも近しい波長を紡ぎ出す。
だからこそ、二人は妖精に愛される。踏み込まずに理解し。共有して尚無関心。その場限りで意味しか詰まっていない、そんな声。
二人はきっと、魂の形を間違えたのだ。そんな風に思わずにはいられない。
「そう。それで、契約妖精の方は?」
そんなやり取り、先ほどはしていなかったというのに。さも当然のように問うティティの声に、何も問わずに必要な答えだけを返すピスとケス。
「……よく、わからない」
「ただ、お似合いだとは思った」
「っ! そう……」
ティティの肩が揺れる。彼女が気にするのも、まぁ分かる。それくらいに要となる魂が、あの場にはいた。
ティティの……彼女の対となる存在。妖精にとっての全てであり、その一つ。思うに、彼女はその自覚が欠如しているように思えたが、それは彼女の問い。きっとその内、確かな答えが見つかり、実を結ぶのだと夢を見て。
それよりも気になる彼女の隣の存在に想像を馳せる。
人の姿でありながら、妖精の魂をその身に宿した少年。灰被りの頭髪に灰色の瞳。どこか諦観したような、けれども希望にあふれたような。混線しては解けるような願いの塊。
彼が恐らく────扉の鍵なのだろう。そんな予感が、胸の奥で疼く。
ピスとケスに負けず劣らず特別な魂。ティティと、彼女が意識するもうはんぶんに望まれる、その意味。きっとまだ遠い未来。夢と言う曖昧で、確固たるその形。人でありながらこちら側に近しいその歪んだ形に、少しだけ同情する。そして同時に、期待する。
彼は、成し遂げてくれるだろうか。悲願を抱き、数多もの思いを巻き込んで、紡いでくれるだろうか。とても二人よがりな感情が、胸を打つ。…………いいや、だからこそ。彼に馳せる。
かの魂は、きっと全てを真実に変えてくれると。
「……あなたは何であの人を追いかけてるの?」
「ピス……?」
不意に、頭の外から声が響く。少し沈んでいた思考が目を開き、遅れて鏡合わせな少女の片割れの問いだと気付いた。
鏡合わせな少女達が異なる言動とは珍しい。興味と共に耳を傾ける。
聞こえてくるのは……純粋な疑問。同じだけの感情はケスからも覚える。
全くの別行動、と言うわけではないようだ。ただ純粋に思った事を口にしたかどうかと言うだけ。とは言え片割れだけがそうすると言うのは彼女達にとってこれまでにないことだったのか、ケスの胸の内には姉に対する疑問が渦巻いている。
「…………貴女達は知らなくていいことよ」
震えた声は感情の発露。余り本心を表に見せないティティがあからさまに怒って問いを跳ね除ける。彼女にとっては触れて欲しくない、妖精としての自由の一端だったらしい。
と、徐に彼女の小さな手が二人に伸びる。気付けばいつの間にか目の前の姿が人間大のそれに変わっていた。
人化の妖精術。しかし不完全で、その背中には二対四枚の翅が震えている。
一体何を……。そう考えた直後、伸ばした腕が二人の頭を抱いて────同時に妖精力を感じた。
そうして気付く。駄目だ。幾ら君でも、悪意で人を惑わせては駄目だ────アル。
声なき声で借りた感覚に向けて告げれば、その感情が届いたかのようにピスとケスが腕を跳ね除けて手に手を取りその場を去る。背中に、悪戯な声が響いた。
「──あら、残念」
彼女は、今……二人に妖精術を掛けようとした。詳しいところまでは彼女達を介してだから分からないが、魂に干渉するような術式だろうか。
何にせよ、二人が彼女の悪戯に巻き込まれなくてよかったと安堵する。二人の事は気に入っているのだ。人の温情で穏やかに過ごしている身からしても、その系譜に連なる少女達に迷惑は掛けたくない。
また今度、彼女に会ったら釘を刺しておくとしよう。自由な魂を持つ妖精と言えども、して良い事と悪い事があるだろうに……。
「びっくりしたね」
「大丈夫」
零した二人の声。改めて内側から二人の様子を見てみるが、彼女の影響は無い。どうやら効果が及ぶ寸前で逃げられたようだ。とりあえず一安心。帰ったら二人にも注意だけはしておこう。
考えていると森を抜け、騒がしい人の中へ。二人が辺りを見渡すと、視界の中に目的の人物を見つけて近寄る。気配にかこちらに振り向いたのは、人の世界との伝令役を務めてくれているヴァネッサ・アルカルロプスだった。
「あ、よかった。二人とも姿が見えないから探してたのよ。どこ行ってたの?」
「森の中」
「お散歩」
「そ、そう……。行かないで、とは言わないけれど……今度からは一言くれると助かるわ」
「わかった」
「ごめんなさい」
二人のお目付け役として同行している彼女。先ほどこの身が感じた不安を彼女も抱いていたらしい。
特に彼女はハーフィーとして。普通の人間以上に感情に左右され易い魂をしている。心配は人並み以上だろう。
こちらの声を届けて二人に直接忠告などが出来ればもっと楽なのだが、仕方ない。もし今度同じような事があるとすれば、その時は妖精語の会話で二人に声を届けられるようにするとしよう。
「あれ、ティティは?」
「さっき会った」
「お別れした」
「お別れって……ここから別行動って事?」
自分でも分からないと言う風に首を傾げる二人。真実を口にしないのは妖精の味方として彼女を助けたいからか。それとも単純に気にしていないからか。
しかしながら、思い返してみても彼女が同行する理由は聞いていない。考えられる可能性としては、二人に興味があったからか、ある種の責任感か……。はたまた谷底で見た彼と彼女のことか…………。
何にせよ、彼女の真意は最早関係ない。また一人の時間へと戻ったのならその自由が全てだ。
「…………まぁいいわ。それでこの後だけど二人はどうする? わたしはまだ調査があるから残るけれど、先に帰るかしら?」
「一緒に帰る」
「一緒は駄目?」
「駄目って……調査を見たいって事?」
「惑い者」
「カドゥ」
それぞれに左右の目を指差して告げるピスとケス。どうやら瞳を借りた時に言った言葉を二人は覚えていてくれたらしい。
「そうだったわね。……分かった。その代わり余り遠くに行かないように。いい?」
「うん」
「分かった」
惑い者の調査と確認。先ほど別れたアルが持ってきた情報を疑っているわけではないが、この目で直接見ればわかる事も増える。そうすれば人の世に迷惑をかける騒動に手助けが出来るかもしれない。
そんな思いから二人と感覚を共有したのだと改めて思い返す。
「もう直ぐ準備が終わるから。そしたら一緒にいきましょう……。あ、その前にお昼ね。食べてからにしましょうか」
空に輝く陽は丁度真上。妖精には必要ない食事と言う栄養補給は、万全な行動の基礎だ。欠かす事は出来ない。
何より二人は成長期。未来溢れる双葉に水や養分が必要なのは道理だ。それに────今回は彼女達を通して疑似体験も出来る。
それもまた楽しみだと妖精らしく思えば、双子の少女が揃って頷いたのだった。
準備を終えて目的遂行に動き出す。辺りを緑に囲まれた景色に覚える安堵は本能的なもの。やはり人の中よりも自然の方が性に合っていると自覚する。
惑い者の捜索。この辺りで見られたと言う川の子と丘の人々。もし本当ならば大きな問題だ。
しかしながら今のところその姿を目視で確認できていない。川の子はいざ知らず、丘の人々が暴走すればその存在の痕跡は確かに残る。それが見られないところを見るに、一時的なもので今は落ち着いているのか、はたまた既にここを離れたか……。
そんな事を考えながら国境周辺を散策する。捜索場所は彼女が惑い者を見たと言っていた周辺だが、川の子の方は特にそれらしい姿も痕跡もなかった。基本的に人の側が手を出さなければ災いを振りまくような存在でもないのも確か。その姿を目にしたときも、周りに人の姿はなかったのだろう。国境警備隊も、峡谷の下まで降りて目の前で睨み合うような問題が起きているとも聞いていない。そこに関しては不幸中の幸いか。
詳しい調査は人に任せつつ。次いで向かった森の中には確かな痕跡が残っていた。
「これ……嘘…………」
混じり者の世話係が思わず零す。
丘の人々は巨人とも言われる大きな体躯を持っている。人の身の丈数倍はある体は、生物以上の恐怖を見たものに感じさせる存在だ。
体の大きさだけで言えば竜としてのこちらの身の方が大きくはあるが、どちらにせよ人ならざるものであるのは確かだ。が、流石にこれは見過ごせない現実だろう。
惑い者の暴走。その話を聞いたときには、恋語らいのように本能に抑えが利かなくなって人に悪戯をした、と言う話かと思ったのだが……今回はそうでは無いようだ。
と言うのも、今目の前に存在している痕跡は、どうにも妖精一人が起こせる影響の範囲を有に超えている。なぎ倒された幾本もの樹木。踏みつけられた草花。捲れた大地。直ぐ近くに架かる橋さえも壊しかねない衝動の跡。範囲にして、およそ人の家が二つか三つは建つだろう広さだ。
これほどの景観の変化、契約して妖精力の供給を受けられるならいざ知らず、自由な身の妖精一人では到底なしえない。もちろんここに惑い者が複数集まったと言う事もないだろう。例え本能に抗えなくなったとしても、妖精である事には変わりない。基本的に群れない妖精が、身を寄せ合うなんて事は、まずありえない。加えてそれが全て惑い者であることなどほぼ皆無だろう。
それらから考えるに、まず個が為した影響と言うのが第一仮説。その上で、一人の惑い者がこれだけの自然を荒らすとなると、この身である英雄的妖精に匹敵する存在か、はたまたそれを可能にする────物理的な巨体と言う可能性。
「6だよ」
「4だよ」
ピスとケスが何とはなしに呟く。
6で4。それは彼女達であり、この身にも宿る魂の波長…………地に属する証だ。二人には、どうやらその残滓が感じられるらしい。
広範囲に渡る影響を及ぼし、地に属する、個の妖精……。駄目押しのように巨躯と言う可能性が重なれば、既に想像は一つ以外を追いかけていない。
「……まさか、ここに顕現したって事…………?」
宿る半分で彼女も気付いたのか、眼鏡の奥の瞳に驚愕の色を灯して零す。
丘の人々…………トロール。大地と財宝の管理者。欲に駆られ、自然と言うこの世の財産を簒奪せんと襲い来る夷狄より守護を請け負った番人。かの者が、どんな理屈か人の殻を破ってその姿を顕現させた…………。それならばこの惨状にも納得がいくのだ。
「でもそれは……」
「調べもの」
「しないの?」
「へ……? ぁ、そうね。それじゃあ手伝ってくれるかしら?」
「うん」
「わかった」
けれどもどうして。そんな疑問は、きっとようやく動き出した彼女と同じもの。
丘の人々と同じ妖精の身でありながらも、理屈が理解できない。本能の……魂の形が具現化するなど、信じられない。なぜなら妖精のその体は、人に似せた小さなそれ。その膜を破って妖性が顕現するなど、前代未聞だ。
これはどうにも、一筋縄ではいかない騒動の予感がする。ともすれば、今ある平穏を脅かしかねない、その予兆に────この身も例外ではないのかも知れないと謂れのない不安を抱く。
けれど、それは駄目だ。もし英雄的妖精として崇められるほどのこの魂が暴走すれば……それこそ争いの火種になってしまう。ようやく紡いだ穏やかな日々が、また崩れてしまう。
惑い者。その存在に端を発する世界の変調を身近に感じて、それから惜しむ。
もう少し早く知っていれば、先ほど別れた彼女に解決策か、そうでなくとも対抗策くらい訊けたかも知れないのに。
それにだ。もしこの問題が土地に、ではなく妖精に対して起きているものであれば、そう遠くないうちに問題が大地全体に広がってしまう。気付いた時には既に手遅れ……その未来を想像して、直ぐに嫌な未来を否定した。
……そうなると決まったわけではない。だが、今から対策を講じておくべきだろう。
彼女達の瞳から遠巻きに世界を見つめながら、考える事しか出来ないこの身でそう嘆くしかなかった。
* * *
「そうか。大変な任務を任せて悪かったな。ゆっくり休んでくれ」
「はい、それでは失礼します」
腰を折ったヴァネッサが静かに部屋を出て行く。扉が閉まったのを確認して小さく溜め息を吐き出せば、紅茶を注ぎなおしたエドがカップを差し出してくれた。
「ありがとう。二人もどうだ?」
声と共に振り返る。視界の先には、窓から夕日色に染まる海原を眺める二人の少女の姿。
後姿であってもこの二人を見分ける方法は変わらない。そんな事を考えるのと同時、声にこちらへ振り返った天色の瞳が向けられた。
「うん」
「飲む」
「おいで」
招くと、とてとてと可愛らしい足取りで二人が傍にやって来て、そのまま我輩の体を挟むように腰を下ろした。目の前に出されたカップを器用に指で挟んで持ち上げ口につける。
血の繋がった孫であるピスとケス。次男の娘である彼女達は、今回カドゥケウスより齎された変調について調べる為に、ヴァネッサに任せた調査に同行してスアロキン峡谷まで遠征をしてきた。
国境警備隊への物資補給も兼ねた行軍は二泊三日のゆったりとした道程で、彼女達にとってはいい冒険だったはずだ。夏休みの思い出になればいいのだが。
反面、引率役として二人と面識のあるヴァネッサに任せていた所為か、先ほどの面と向かっての報告では任務以上の疲れが顔に浮かんでいる気がした。もし今度があるとすれば、その時はジネットでも世話係に同行させるとしよう。
「そう言えば二人だけで遠くに行くのは初めてだったか。どうだった?」
「楽しかった」
「また行きたい」
「そうかそうかっ。うむ、とは言え二人共まだ学生だからな。今回みたいな事はそうないと言わざるを得ないのが事実だ」
丁度長期休暇だったからどうにかなったが、学園での日々がある以上そちら優先。幾ら優秀な二人と言えど、学徒の義務を無視して特務に励む事を推奨は出来ない。いくら溺愛する孫でもそれは一緒だ。
「しかしもし機会があればまた声を掛けよう。学園で勉強する事も立派だが、外でしか学べない事もあるからな」
二人はきっともっと世界に目を向けるべきだ。二人だけの世界で完結せずに、周りにあるものを知るべきだ。その課外授業を経て二人が立派な妖精従きや大人になれるのであれば、少しくらいは目を掛けてやりたいというのが本心。それくらいに可愛くてしかたないのだ。
「カドゥも楽しかったって言ってた」
「ティティに悪戯されそうになった」
「む…………。怪我などはしていないか?」
「うん」
「大丈夫」
「ならいいが、そうか…………」
少し飛んだ二人の話題に直ぐに追いつく。カドゥ……カドゥケウスは今回の任務を彼女達の目を通して直接見ている。それがあったからこそ二人に同行を許可したという経緯もあったのだが……彼には色々と世話になっているのだ。少しくらいの妖性らしい我が儘は許すのが人の世界を預かる者としての度量であり責務だろう。
対してティティに関しては……実はヴァネッサからの報告でしか知らない。どうやら今回の話を持ってきた張本人らしいが、二人とはこの前のルーナサで既に一度会っていたらしい。そこから紡がれた縁が巡って今回の調査にも同行していたのだが……どうやら少しばかり振り回されたようだ。
口振りから察するに直接の被害は受けていなさそうだが、こうして報告してくれる辺りそれなりに記憶に残る出来事だったようだ。現に惑い者のことよりも先にカドゥとティティの話が出ている。彼女にとっての優先順位はそういうことなのだ。
「野良の妖精は人に悪戯をする事を生き甲斐としている者もいる。中にはそれで命の危険だってあり得るし、何より今は惑い者と言う前例もある。……二人の事だから大丈夫だとは信じたいが、あまり深入りをし過ぎないように。分かったか?」
「うん」
「分かった」
彼女達は嘘を吐かない。言葉を違えない。それがどれだけ簡素で淡々とした物言いであっても、一度そうと決めた事を貫き通そうとするのが二人の性格だ。頑固、と言うよりは妖精に似ていると形容する方が正しいかもしれない。
「そうでなくとも二人は妖精に好かれ易いからな。その辺りも学園でしっかり学ぶように」
紅茶を飲み終えた二人の頭を撫でれば、こくりと頷いてそのまま立ち上がった。
「帰る」
「またね」
「あぁ、気をつけて」
それもまた、いつものように。前触れなどない彼女達は、扉を閉める仕草まで鏡写しにしながら部屋を後にした。
途端、部屋の空気が一気に冷え込んだ気がしつつ。休憩は終わりだと自分に言い聞かせて机に戻る。
「さて、仕事の続きだ」
言葉にして頭を切り替えれば、すぐさまエドが仕事の顔で大量の書類を手に持って傍に控えたのだった。
……残念、今日中には終わらなさそうだ。
今夜はもうこのまま椅子で寝てしまおうか。老体に鞭を打った仕事量に辟易して寝床までの労力すら億劫に感じながらの休憩。けれどもとりあえずこれでようやく休めると、目頭を指で押さえながら首を回す。
「陛下。こちらアスタロス陛下からです」
「む」
そんな風に僅かばかりの自由に溺れていると声が直ぐ傍から。見ずとも右腕であるエドの物だと安堵する思考が、それから続いた名前に思わず声を漏らす。
直ぐに彼から差し出されたそれを受け取って中を見れば、綴られた文字は良く知る彼のものだった。
ヒルデベルト・アスタロス。隣国、ブランデンブルクの国王である、我が旧友にして仇敵。公私共に仲の良い、数少ない存在だ。
一体何用だろうかと。食事の誘いなら是非も無いのにと思いつつ文面に目を通せば、それは国境での出来事に関する物だった。
報告でも聞いているが、事の発端はブランデンブルク側から。もちろん望んでのものでない事は理解しているが、沈静化したからこそ改めて謝罪の文言が綴られていた。
「律儀な奴よの」
「そちら、ピス様とケス様がお持ち帰りになられた書簡にございます」
「何故それを早く言わん」
「危急の用件では無いと判断いたしましたので、落ち着いてからと思いまして」
分かりきった答えに嘆息して手紙を机に投げる。もちろんそんなのは封筒を見れば分かる。事が急を要するなら、封の印が妖精力由来の別のものだ。分かっているからこそ、疲労の捌け口に八つ当たりしたに過ぎない。
「……最初に惑い者が出たのは向こう側だったらしいな」
「そう聞いております。それがきっかけで少し衝突をしてしまったと。幸い、怪我人は出ておりませんでしたが」
「出ていたら今頃我輩はここには座ってない。違うか?」
惑い者の出現によって起きた国境の騒動。詳しい事はブランデンブルクでも、そしてカリーナでも現在調査中だが、話はどうにも一筋縄ではいかなさそうだ、と言うのが返ってきたヴァネッサからの報告だ。
春の、誕生祭の時に起きた騒動から早三ヶ月。だと言うのに問題ばかりが起きて明確な解決策が一つも出てきていないのが問題の解決策が見つかっていない何よりの証拠だ。
もちろんヴァネッサを筆頭に頭を悩ませているだろう研究者達を非難するつもりは無い。それくらいに複雑で前例の無いことだというのは承知しているつもりだ。
「今回は大事になる前に彼らが連絡してくれたお陰で素早く解決できた。……とは言え未だ解決策が見つかっていないのも事実だ。それに今回は惑い者が別の形で顕現した可能性があるとも言っていた。問題は刻一刻と大きくなっている」
早期解決は最早難しい。それどころか手の付けられない所まで拡大しつつあるように思う。
どうして今なのか。何が原因なのか。せめて一つでも分かれば……そうでなくとも手掛かりさえあれば何かが変わる気はするのだが、どうにもそう簡単にはいかない様子。
ならば国を預かる身として、やるべき事は……準備はしっかりしておかなくてはならない。
「またいつ起きるとも知れないからな。……軍全体に惑い者に関する情報を開示、共有する」
「よいのですか?」
「想定外をそのままにしておいても、次無事に乗り切れるとは限らない。それに皆も薄々感づいている。ならばその存在を共有して、有事の際に二次災害を引き起こさないのがせめてもの対処だろう。今城下にいる将官と……各隊の隊長達に召集を掛けておけ。いいな?」
「果せのままに」
恭しく腰を折ったエドが部屋を出て行く。それを見送って椅子を半回転。重い腰を持ち上げ窓を開けて外に向かう。
肌を撫でた風は、夏と言う事もあって温かい。が、海からのものの所為か少しだけ潮の匂いがした。手摺に手を掛け、殆ど光の無い城下町を見下ろす。
「妖精、か…………」
「呼んだ?」
声は頭上から。ここ最近姿を見せなかった相棒に手を伸ばせば、彼は飛び疲れたように乗った。
「……どうしたんだ? 疲れてるみたいだが……」
「そうだな。気苦労ばかりだ」
「王様ってのも大変だな」
他人事なはんぶんに薄情な事だと笑って。今日はもう外には行くつもりの無いらしい彼を連れて執務室に戻る。
……さて、そろそろ寝る準備をしなければ。明日はまた面倒な一日になりそうだ。




