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でも、神に誓っても良い。
私はあの時、賊に穢されてなどいないのだ。
私は、あの日も、今も、正真正銘、清らかな身体のままだ。
ドレスは高価だからとすぐに剥ぎ取られて下着姿にされはしたが、肌にはほぼ触れられていない。危ない場面はあったけれど、様々な要因が重なったおかげでなんとかあの場をやり過ごせた。
しかし、ないものを証明するのはあまりにも難しい。
あの時あの場にいたのは、盗賊の一団と、彼らに攫われてきた貧民街の子供たち、それから私だけ。私の身の潔白を証言してくれる人はいなかった。
いや、子供たちは私の純潔を証言してくれたようだけれど、それらは信憑性のある発言とは捉えてもらえなかったようだ。貴族社会において、子供で、そして貧民でもある彼らの言葉は、なんの意味も持たなかった。
私のすべては、『疑わしきもの』とされてしまったのだ。
社交界からは忌避され、疑いはやがて『事実』になり、口さがなく言われるようになった。
当然穢れた私と交流を持つ令嬢などいなくなった。明らかに卑しいものを見るような、そのくせ表面だけ取り繕った憐れみ混じりな表情で接してくる人たちとの交流はストレスが大きく、全ての視線から逃げるように社交界に顔を出すのをやめた。そんな私に、父も母もさすがになにも言わなかった。
それからしばらくして私は、王都の外れにある修道院でお手伝いをさせてもらうようになった。
そこでは、私はただの『ミア』だった。ここで必要とされていたのは手伝いの手であり、子供たちを抱きしめる腕だけ。どこかの貴族の話など知る由もない彼らと共にいた方が、私にとってはよほど気が楽で、身体を動かしていた方が余計なことを考えなくて済んだ。
シスターたちは優しくて、子供たちは可愛くて、慣れない料理や掃除、畑仕事に最初こそ戸惑ったものの、心は穏やかだった。気付けば、十分に満たされた10年を送ってきていた。このまま、孤児院の子供たちのお世話をしながら一生を終えるのだと思っていた。
――なのに今更。
若き騎士、セシル・ベルトランから突然結婚を申し込まれても、無条件に喜び頷けるわけもなかった。
しかし。
娘が傷物と噂される状況に陥った両親は、きっと今日まで社交界で肩身の狭い思いをしてきたのだろう。心を痛めてきたのだろう。それなのに、それまでと変わらず今日まで私を愛し、守り通してくれた。彼らに報いる手段があるとすれば――この国の価値観を絶対とするのなら――確かに、この縁談は救いだろう。
私が結婚して、婿を迎えて子供を作らない限りは、親戚から誰かを養子にするしかない。両親とてそれは覚悟していただろうし、自分たちと直接血が繋がっていない人が跡を継ぐことを厭うているわけではないだろう。実の子がいても、その子が当主の器でなければ遠縁から養子をとる貴族も珍しくない。現に、うちの近しい身内にも優秀な男性は何人もいて、跡継ぎ候補の選定に入っていることも知っている。しかしそういう事情とは関係なく、彼らは自分たちの実の孫を抱ける日が来るのを楽しみにしていた。そして、結婚という形こそ私の幸せだと信じて疑わなかった。
私は、両親の期待をこれ以上裏切ることはできない。だからこそ「このお話、お断りします」などと突っぱねることはできなかった。
それにしても相手が悪い。
いや、逆に良すぎると言うべきか。
訳ありな人が相手だったら、お互いに利害が一致したのね、と納得出来たものの、貴族社会に綺羅星のごとく颯爽と現れた人が、わざわざ私のような、もう旬をとっくに過ぎている訳あり女に求婚してくるなんて、あまりに非常識だ。
両親も、突然の求婚の理由に思い至るものはないようだし、我が家が彼になにかしらの援助をしたという話もないようだ。そもそも、有望株とはいえ平民出身の騎士様にほいほい投資できるほど、家は裕福なわけではない。父の商売に騎士が関係するとも思えず、理由はまるでわからなかった。
――くじ引きでもした?
もしそうなのだとしたら、貧乏くじにもほどがある。そんなくじが本当にあったのだとしたら、神様を恨んで良い。もしくは、なんらかの処罰の一環としか思えない。だとしても、私以外にも未婚の貴族の女性はいるのだ。少々難ありだろうと、私ほどの理由ではない。
――もしかしたら、あの噂を知らないで私を選んだ?
ここまで結婚してきていない事情を知らないだけだとしたら、問題は簡単に解決される。理由を知れば、彼から離れていくだろう。
こんなに条件の良い縁談、私の口からは断れない。だが、相手からの辞退となれば、両親だって納得するしかないはずだ。かつて、あのセシル・ベルトランから結婚を望まれたことがある、という実績だけでも、両親の面子も多少は立つかもしれない。
――もしかして、そういう高度な恩を売られている?
なんて突拍子もないことにまで考えが飛んでいく。
……単純に、どこかの誰かと間違えている可能性が一番高いだろうか。似た名の令嬢がいたような記憶もないが、背格好が近いだけの誰かと勘違いされているのであれば、実際に会えば確実に想い人ではないと気付いてもらえる。
そう期待して
「このお話、考えさせてください。まずはベルトラン様とお会いしたいのですが」
そう答えた私だったのだが――
事態はこちらの思惑通りには動いてくれなかった。