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「ミア! 私はいつか、お前のことを本当にわかってくれる人が現れると信じていた! その人がまさか、あの噂に名高き“氷晶の閃光”だとは……! ああ、これはずっと耐え続けたお前への神からの祝福なんじゃないか?! そうに決まってる!!」
「お父様、落ち着いてください」
「落ち着いてなどいられるか!」
まあまあ、とソファーから腰を浮かしている父を宥める。
「この手紙は、ご本人が持っていらしたわけではないですよね?」
「ベルトラン家の執事だと名乗る男が昼過ぎに持ってきたんだ! そんなことはどうでもいい。お前、早く返事を……ッ!」
興奮して顔を赤くしている父の隣で、母はハンカチを目元に当てながら微笑み、そっと頷いていた。けれど、その口からこぼれた言葉は、見た目からは想像できないほどに鋭い。
「細かいことを気にしている場合ではなくてよ、ミア。貴女を是非にというお話なの。それ以外に重要なことがあるかしら?」
柔らかく上品な声音。穏やかな口調で話しながらも、母の瞳の奥には、容赦のないプレッシャーを感じる。
「これを逃したら、貴女もう絶対に結婚出来ないでしょう? この千載一遇のご縁を棒に振るだなんてこと――もちろん、しないわよね?」
母の目尻からは、きらきらと美しく涙が零れ、滑らかな頬を伝っている。見た目だけなら完璧な貴族夫人の振る舞い。だがそんな母の態度は、とんでもなく強い圧としてのしかかってくる。
――そう、私はもう三十なのだ。
とっくに結婚していて良い、それどころか子供が数人いてもおかしくない年齢。現に、かつて交流のあったご令嬢の中で私以外に未婚の者はいない。
何度「結婚なんてしなくていいのです。私は、別の生き方をします」と言っても、父とラブラブな母からすれば結婚こそが女の幸せなのだろう。父と今でも手を繋いで歩くような恋愛結婚の成功例である母にとって、結婚は人生において最高の栄光なのだろう。だからこそ、私にもそれを求めている。それだけが幸せではないと思います、という私の言葉にも「貴女は愛し愛されることの素晴らしさがわかっていないだけ。女は愛されてこそ輝くのよ」と耳を貸してはくれない。
そう断言されれば、私の中にあるささやかな『自立した女』という価値観など、あっさりないものとして扱われることになる。しかもこの国では、それが一般的な意見であり、正論として通ってしまう。母だけが特別夢見がちな考え方をしているわけではない。
むしろ、私は少数派で、だから反論をしたところで多数派である母の耳には届かない。それをわかっているから、小さく唇を噛むことしか出来なかった。
ミア・ルノー。ルノー子爵家の一人娘で、訳ありな行き遅れ。ぎりぎり20代ならまだしも、もう30になっていて、実家に特筆すべき資産があるわけでもない。どう考えても、見目麗しいと噂の、才気溢れる副団長が結婚を申し込むような相手ではなかった。
彼の得た爵位こそ一代限りだが、その若さと実績、美貌を備えた人物なら、ある程度の家柄のご令嬢になら簡単に手が届くはずだ。若く、家柄にも恵まれている美しいご令嬢の中から、いくらでも相応しい相手を選べただろうに、なんでよりにもよって私なのか。
18歳前後で結婚する娘の多いこの国において、結婚適齢期をとうに過ぎたハイミスにわざわざ求婚してくる理由が一切合切わからない。そもそも彼自身がまだ20歳そこそこだった気がする。なおさら、一回り近く年上の私を選ぶ意味がない。
これで私に特出すべき才能でもあれば良いのだろうけれど、残念ながら私は平凡な容姿に平凡な教養、あらゆる部分で平凡を極めているので、そんなものには当てはまらない。当然彼との面識などないから、人知れず密かに愛を育んで来たというロマンティックな話もない。
――なにか裏があるのではないか?
そう思うのは、きっと私だけじゃない。世間もそう考えるに決まっている。
もしかして人違いでは? と思いたくもなるが、名指しで届けられた求婚状と直筆のサインが、その考えを正解とするのを難しくしている。
仮に年上好きなのだとしても、私よりは若く、経歴に問題のない未婚女性は貴族平民を問わずたくさんいる。この国には、私よりも「選ばれる理由」を持った女性が星の数ほどいた。むしろ私には「選ばれない理由」しかなかった。
――訳あり、ねえ。
その言葉を自分から思い出しておいて鬱々としてくる。もうすっかり振り切ったはずだった、喉の奥がつかえたような粘度の高い感情がこみ上げてくる。
私が訳ありと噂されるようになったのは、18の頃に起きたある出来事のせいだった。
その当時、家柄も釣り合い、性格も穏やかなちゃんとした婚約者がいた。結婚が決まり、嫁入りの準備も整い、あとは彼の領地へと向かうだけだった。
しかし彼の元へ輿入れする道中、私を乗せた馬車は賊に襲われた。ちょっとした油断から、私は高価な嫁入り道具もろとも人攫いに捕まり、数日間行方不明となった。貴族令嬢の誘拐事件など大事件だ。私は、誰かがすぐに助けてくれるものだと思っていた。だが、その期待は虚しくも裏切られる。
輿入れのために通らせてもらっていた領地には、なにやら政治的な事情があったらしい。救出の手はすぐには差し伸べられず、救出までに数日を要した結果――ようやく助け出された時の私は、ドレスは剥ぎ取られ、身を包んでいるのはボロボロの下着だけ。髪も肌も泥にまみれた無惨な姿だった。
そこから連想されることは、一つだけだった。
ミア・ルノーは、賊に穢された身体となってしまった、ということ。
高潔であるべき貴族の娘が、下賤な輩に辱められた。そんな想像が、誰の口からともなく事実として語られていった。
処女性を重視される貴族間の婚姻において、これは致命的だった。非処女、しかも賊に手籠めにされたかもしれない女になどなんの価値もない。むしろ卑下されるだけの存在だ。当然、婚約は解消され、私は『傷物令嬢』の名を授かった。
この件に関して、相手方を責めるつもりはない。後ろ暗い過去を持つご婦人など、彼にとっても損でしかなかっただろうから。
強い愛情があればなにか違ったのかもしれないが、私たちの間にこの試練を乗り越えるほどの愛はなかった。下手な同情で結婚だけはしてくれても、ずっと穢れている身と疑われたまま、愛されることのない籠の鳥にされなかっただけ、ずっと負い目を背負ってよその家で孤立するよりもマシだ。今となれば、彼とあちらのお家の対応をありがたく思っている。それに、結婚直前の婚約解消であっても、そんな事情であれば彼にも同情が集まる。そのおかげか、あの人はほどなくして良縁に恵まれたらしい、と風の噂に聞いた。皆から祝福され、彼の領地で素敵なご夫人と幸せに暮らしているのだろう。
問題は私だ。ただの婚約解消ならば、別の縁を望むことが出来た。多少とうが立っていても、誰かは受け入れてくれたかもしれないし、どこぞの貴族の後妻に求められるという道もあっただろう。けれど、私のような傷持ちには、それすら望むことは出来なかった。穢れた身体だという噂は、どんな場所でも私に纏わりつき、決して拭えなかった。




