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「ミア! お家の方がお呼びよ!」


 いつものように孤児院でお手伝いをしていたところに、若いシスターが慌てた様子で走ってきた。洗濯物を取り込んでいた私は、あれよあれよという間に待っていた馬車に乗せられて家に帰らされる。出迎えてくれた両親は号泣していて、なにが起こったのか理解できないままソファーに座らされた。


「ミア、落ち着いて聞いてくれ」

「お父様が落ち着いてくださいな」


 目も当てられないほどに泣いている父は基本的に喜怒哀楽のはっきりしている人で、いつものことだとつい冷たく返してしまう。しかし父は私の言葉など聞こえなかったかのように、ハンカチで涙を拭いながら続けた。


「おま……おまえっ、ミア、お前に結婚の申し込みが来たぞ」

「……私に結婚の申し込み、ですか?」


 父はなにを言い出したのか。昼間から、目を開けたまま夢でも見ているのか。

 まさか、そんなことがあるはずがない。どうせ揶揄い半分の、喜ばせておいて突き落とすみたいな品のない嫌がらせでしょう? と半笑いになる私に、父は興奮した様子でテーブルを叩いた。


「嘘ではない! お相手は、あのセシル・ベルトランだぞ!?  若い!  有望株! 今まで浮いた噂もなし!  確実に初婚だ! 金と地位だけ持ったスケベ爺なんかじゃないッ!!」


 この喜びがわかるか?! と父はなおも興奮している。


「お父様? あの」

「お前、どうしてそんなに落ち着いているんだ! ミアが欲しいと言ってきたのは、百戦百勝の第四騎士団の副団長、ついには先日爵位を授けられたというあの氷晶の閃光だぞ?! いくら世間に疎いお前でも知ってるだろう?! その! セシル殿からの結婚の申し込みだっ! これを喜ばずにどうしろと言うっ?!」


 父の言葉に、私は数度瞬きをして口を堅く引き結んだ。

 セシル・ベルトラン――それは、あまり世の中の話に興味のない私でも何度も聞いたことがあるくらいに有名な人の名前だった。

 平民の出でありながら、戦場ではまるで鬼人のごとき働きによって多くの敵を屠り、数々の武勲を打ち立ててついには爵位を得た若き騎士。とどめに、数十年ぶりに現れた黒龍の討伐――しかも隣国の姫君にして聖女である女性を、自らの命を賭して守り抜いたという話まである。その一件のあと、隣国の王からは「姫の婿に迎えたい」との申し出があったそうだが、それすらも「私は祖国に生涯を捧げると心に誓っておりますので」とキッパリ断ったとか。まるで英雄譚の登場人物のような逸話が山ほどある人。

 ここまでくると、どれが本当でどれが盛られた話なのだかもわからない。歩いた後に伝説が出来ていくような、そんな男の名前だった。

 実力・忠誠心・人柄・容姿――なにをとっても非の打ち所がない。“氷晶の閃光”という彼の二つ名は、戦場での雷のごとき俊敏な働きに加え、色素が薄く文句のつけようのないほどに整いすぎている容姿と、誰に対しても平等にクールに対応することからついたものだという。

 今まで浮いた話は一つもないらしいが、今回の凶悪な黒龍退治の一番の功労者であることと、これまでの数々の働きと忠誠心が認められて爵位持ちになったことで、社交界でのその注目度はうなぎのぼりで留まることを知らないらしい。

 彼は、社交界のみならず商人たちにとっても一大注目株で、彼とのご縁を求めて着飾って夜会に参加する娘たちが増えた結果、ドレスや宝石、香水などを扱う店が繁盛しているとかなんとか。絵画のモデルにされ、詩に詠まれ、噂話に尾鰭がついて物語になり。彼の活躍はもう何周目か分からないほど盛られ続けているようだった。別の意味で社交界で注目を集めた経験のある私としては、好奇の視線にさらされているだろう彼に同情を禁じ得ない。あの遠慮のない視線、思い出しただけで寒気がする。

 第四騎士団は戦闘特化部隊であり、貴族階級出身者ではなく、元傭兵や農民出身の志願兵、貴族出身でも多少振る舞いに問題があるものなどが多く所属している。あくまで実力重視で評価され、騎士団の中でも特に危険な任務を多く請け負う性質から「生き残れば一人前」と言われるほどだそうだ。そこで副団長にまで上り詰めた彼は、貴族の娘たちだけではなく、庶民たちからも英雄のように語られて人気がある。貴族にへつらう部分が全くないのも、話を聞いていてスカッとするのだろう。

 しかしそんな噂の人が、私の人生に関わることなど一切ない。そう思っていたのだが――


「何故、私なんですか」


 ようやく挟めた言葉に、父は困惑しきった顔で頭を抱えた。


「私たちが知るわけないだろう。だが、申し込みがあったのは事実だ」

「なにかの間違いでは?」

「我々だって同じことを思ったさ。使者に何度も聞き返した。だが、お前で間違いないと言うんだ。オレンジベージュの髪にライラックの瞳、今年30になるルノー子爵家令嬢と言ったら――もう、お前以外にはいないじゃないか」

「……年齢、言う必要ありました?」


 父が手渡してきたのは、確かに私との結婚を望んでいるという手紙で、そこに書かれていたのは間違いなくセシル・ベルトランという本人の直筆サインと思しきものだった。少し癖のある筆跡で、確かに「貴令嬢ミア・ルノー殿との婚姻を望む」と、そう書かれている。

 そして、本物だと保証するためか、ご丁寧にも第四騎士団にしては珍しく伯爵家出身である団長殿のサインと、彼の家紋の印章まで押されている。これは、簡単に偽造できるものではない。

 全く意味が分からない。

 普段庶民と同じ服に袖を通し、孤児院の仕事を手伝いつつ子供たちと遊び、社交界から縁遠く夜会に顔を出さなくなってから軽く10年以上経つ私に、有名人である騎士様が求婚してきたですって?

 これが冗談でないのなら、幻覚でも見ているのだろうか。

 頭が痛くなってくる。

 なのに父は、そんな私の様子を気にすることもなく、今にも踊り出さんばかりの勢いで喜びを叫んでいた。

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