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「あぁ! 痛いわ!」
緋色の髪を振り乱し、翡翠を潤ませるのは、リリアン・ドラコニー。アデレイドの義妹にあたる。
愛らしい容姿も相まってさながら悲劇のヒロインだ。
「大丈夫か、リリィ!」
「今アデレイドが押したわ!」
はじまった。アデレイドは心の中でため息をつく。
劇場の深紅の幕が二人の前に見えるようだった。
「おい、アデレイド! これ以上嫉妬するのはやめろ!」
オーネット・ドラコニーは迷いなくアデレイドを批判した。彫刻のような美形が台無しだ。ドラコニーらしい黒髪に、らしからぬ赤褐色の瞳。並ぶ美形は、それにしても似ていない。
オーネットの腕の中でリリアンがほくそ笑む。両手が塞がっているアデレイドに押され、痛んだはずの足首はもう何ともないようだ。
「私はやってない」。いつもなら、そう言った。
けれど、様子見はもう終わりだ。アデレイドは大きく息を吸い込んだ。
「あぁ! リリアン! 可哀想な子……!」
アデレイドの突然の大仰な仕草に、二人が呆気に取られるが、気にせず続ける。
「私はあなたに言いつけられた通り、魔導書をこんなにも両手いっぱいに抱えているのに、その私が『押した』だなんて……!」
そこでようやくオーネットが状況を捉える。慌てたリリアンが言い訳を紡ごうとする。
「オーニー、違うの、私は――」
「えぇ、えぇ! 分かっているわ! リリアンが心優しく純朴なことは皆が知っているもの! 姉に濡れ衣を着せるなんて! そんなこと!」
アデレイドの大声に使用人たちが顔を覗かせる。
「待て、アデラ」
オーネットの制止など聞こえない。たしなめる時のみ愛称で呼ぶその性根も気に食わなかった。
「きっと勘違いしただけだわ! いいえ、違うわ。私が勘違いさせてしまったのね……!」
アデレイドは分かりやすくはっと息を飲む。
首に力を込め、顔面を蒼白にする。自然、体も震え、視界が滲んだ。
「あぁ……ごめんなさいリリアン……私が嫌な姉なばかりに、こんな勘違いをさせてしまうなんて……!」
騒ぎを聞きつけた客人たちが集まってくる気配を背後に感じながら、アデレイドは腹に力を入れた。
「謝るわ! ごめんなさい! 許されないことは分かってる、でも!」
「アデラ!」
オーネットは必死の形相でアデレイドを黙らせようとする。
「お願いリリアン。謝らせて……!」
そこで、アデレイドは号泣した。
リリアンの足元に縋り付き、這い蹲る姿はさぞ哀れに映ることだろう。反響は思っていた以上に大きいようだった。
オーネットは狼狽え、視線を泳がせる。
――さぁ、オーネット。
アデレイドは眉を目一杯下げ、リリアンの靴に頬を寄せた。苦悶の表情で目を閉じるオーネットの背を押す。
「あぁ……謝ることすら、許されないのね……」
アデレイドは絶望に伏した。床に顔を埋め、大声を上げて泣いた。
「あの子は姉だったろう」
「ちょっとやりすぎじゃ……」
「でもいつも妹をいじめているって」
「本当は妹の方が……」
――これ以上醜聞を広げる訳にはいかない、そうでしょ?
「もういい! リリィ、謝罪を受け入れろ」
オーネットはアデレイドを引き起こし、その腕に抱いた。
「オーニー?!」
「早く!」
リリアンが戸惑うのももっともだった。昨日までそこにいたのは彼女だったのだから。面白いくらいに狼狽えるリリアンを見ても、アデレイドは茶番を続けた。
「やめて、オーネット! 私が悪いのよ、私が……うっうっ……」
それを見た「元祖」は迎撃した。
「もちろん! もちろんよ、アデレイド! いえ、お姉様! 謝らないで! 私の勘違いだったの……!」
姉妹で涙を流し、手を取り合う。それを見た兄が満足げに微笑んだところで今回の幕は降りる。
拍手喝采、お涙頂戴。最高の見世物だったかしら。中にはハンカチで涙を拭う方も……。
群衆の中で一際目立つ赤毛の色男――婚約者からの冷えた視線を感じても、アデレイドは気にしなかった。なぜなら彼女自身の視線も冷えきっていたから。
舞台を降りた女優たちは表情を消し、それぞれの場所へと戻っていく。もちろん、振り返ることなく。
「はー疲れた。毎回こんなことやってんの? 狂ってるわ、あの女」
アデレイドが倒れ込んだベッドは公爵令嬢に相応しい高級品――ではなく、そこそこ高級な間に合わせのベッドだった。
アデレイド・ドラコニーは、竜の血を引いた高潔な乙女だった。半分だけ。
彼女はひと月前まで、辺境の地で母と武勇を競っていた。
「実は公爵家には正当な血を引く娘がいて、生きていたことを知った善良な公爵が愛娘を連れ戻した」というのが表向きの話。
実際は、不出来な妹に代わり、公爵家の駒にするため強制的に連れ戻された前妻の娘で、言わば被害者だった。母と領民と幸せに暮らしていたアデレイドにとってはいい迷惑だ。
そして、あの二人。
「チッ……近親相姦野郎共が」
義兄のオーネットと義妹のリリアンは男女の仲だった。しかも誰もが羨むカップルだという。
ドラコニーでは血筋と、その強さが重んじられている。「より強い血を」。そのためには近親相姦も、不倫も厭わない。
「繋子」という配偶者以外から、より強い血縁を得るための制度がある時点でお察しだ。
気が触れているとしか思えない。
しかし、本当の兄妹ではないオーネットとリリアンは近親相姦とは言えないのかもしれない。
オーネットは息子として育てられているが、ドラコニー公爵――父の実兄の子らしい。義妹のリリアンは、後妻と「とある偉大な方」との繋子なので、直接的な血の繋がりはない。
リリアンの髪色は緋色だった。魔力の高い魔法使いに現れる色。そして、翡翠の瞳はこの国では珍しい。「偉大な方」とは果たしてどこの何なのか。
我らが神獣国唯一の外敵を思う。
ちなみに母はと言えば「これも経験」と笑顔でアデレイドをドラコニー公爵家へ送り込んだ。
「獅子は我が子を千尋の谷に落とす」が我がライオネル家の家訓なので、アデレイドも特に気にしなかった。
籍もドラコニーに移った。勝って帰るまでライオネルは名乗れない。
「……こんな家とっとと出てやる」
アデレイドは体を伸ばした。鏡の前に置いたままの婚約指輪が目に入る。そう、目下の問題は、オーネットやリリアンのような小物ではない。
ドラコニーにやって来た初日に言い渡された婚約。婚約書の内容も知らされず、ただ「仲を深めろ」とだけ伝えられた。けれど、あのドラコニー公爵が直系の娘をただフェニクスに明け渡すとも思えない。
そして婚約者のエランドール・フェニクス公爵もまた読めない男だった。
――ドラコニーを食らい尽くし、必ずライオネルに戻る。
そのためには、先程冷たい視線をアデレイドに投げつけていたあの色男をどうすればいいか。正確には、どう処理するかについて、アデレイドは慎重に考えなければならないのだった。




