分断
朝の空気は澄んでいた。
「昼から山登りかー……休み明けの体に効くぜ。」
斧を担いだブロックが、あくび混じりにぼやく。
「おいおい深酒はしてないだろうな。」
ラークからの疑いの目線が刺さる。
「さすがにしてねぇよ。しっかし、そんなとこで襲われたらめんどくせぇな」
「なら警戒してろ。油断してると、先に狙われるぞ」
ゴルザンが低く返すと、ブロックは「へいへい」と肩をすくめた。
「仲いいわね、あんたたち」
エルナが冷ややかに言うと、ラークが笑って返す。
「これでもチームワークは悪くないはずだぜ?」
馬車の周囲には、まだゆるい空気が流れていた。
***
山道に差し掛かった一行は、列を組んでゆっくりと進んでいく。
中腹に差し掛かる頃には、いつの間にか空が曇りはじめていた。
雲はまだ薄いが、どこか重たく、音もなく広がっていく。
誰もそれに言及しなかった。けれど、どこか息苦しさを感じさせる空模様だった。
前方には副官率いる騎士団、中央に馬車、その後ろに冒険者班。
それぞれの足音と蹄の音が、かすかに木々の間にこだまする。
エルナの耳がぴくりと動いた。
馬車の後方、周囲の風の流れが、わずかに変わった気がした。
「……風が止んだ」
小さく呟いた声に、隣を歩くラークが反応する。
「ん、何か感じたか?」
「まだ確証はない。でも、気配が濃い」
その瞬間、副官の鋭い声が前方から飛んできた。
「構えろ! 前方、茂みに動き!」
茂みがざわりと揺れた。次の瞬間、黒くただれた毛並みの獣──フレッシュバイターが姿を現す。
一体、二体、三体……続けざまに、道の左右から現れた。
「来たぞ!各員、馬車から離れるな! 周囲を固めろ!」
ラークが即座に盾を構え、馬車の左側へ飛び出す。
ゴルザンも剣を抜き、右から迫る獣へ真っ直ぐ突っ込んだ。
「ブロック、後部の守り! リシェから目を離すな!」
「おうよ!」
だが、その瞬間だった。
――ゴウンッ、と鈍い音が山肌から響き、斜面の上方で何かが動いた。
「崖だ、崩れるぞ!」
副官の声と同時に、岩と土が雪崩のように崩れ落ち、視界を遮った。
「……チッ!」
ゴルザンが舌打ちし、砂埃の中で剣を振るう。
すぐ傍にいたはずの騎士たちの姿が、煙に飲まれて見えない。
完全に分断された。
残されたのは、馬車と冒険者班、そして中にいたリシェ。
副官と騎士団は、崖の向こう側に取り残された。
「こっちは任せろ! 馬車を守れ!」
ラークが叫び、二体のバイターを同時に引きつけるように立ちふさがる。
盾に牙が食い込み、爪がギリギリと金属を削る。
「どけッ!」
ゴルザンが脇から飛び込み、斬撃を浴びせる。
だが、まだ終わらない。別の方向から、さらなる獣の気配。
「来るぞ……!」
数で押すつもりだ。崖の上に潜んでいた残党が、今度は崖下の道を回り込んでくる。
ゴルザンが斜め後ろを振り返り、怒鳴る。
「距離を取れ! 馬車を下げろ!」
だがリシェが馬車の中から身を乗り出し、叫んだ。
「後ろも囲まれてます!」
「囲む気か……っ」
エルナが矢を放ち、一体を撃ち落とす。
「動けるうちに突破するしかない!」
そんな中、ラークが叫ぶ。
「リシェ嬢、こっちだ!」
彼女が駆け出そうとした、その時だった。
――ガシャンッ!
何かが馬車の後輪にぶつかり、横転させようとする衝撃が走る。
リシェの体がぐらりと傾いた。
「危ねえッ!」
次の瞬間、盾が割れるような音と共に、ラークが彼女の前に飛び込んだ。
黒い爪が、彼の背中を裂いた。
時間が止まったような感覚の中で、
ゴルザンの視界が、真っ赤に染まっていく。