なろうテンプレについて ①
「なろう系」という呼び方がある。
なろうには多種多様な作品がある中で、なろう系というと概ね「人気の系統」全般を指している。テンプレとほぼ同義である。
さらに言うと、なろう系・テンプレはしばしば「蔑称」として使われることが多い。ライトノベルもそうだが、娯楽として発達した定義不明のジャンルはバカにされやすい。小説の語源からしてそうなのだから歴史は繰り返しているのだけど。
バカにされている、で終わると実に不完全燃焼だ。
なので今回は「テンプレ、なろう系とは」という話をする。
まずなろう系といっても、いくつかの話がごちゃ混ぜになっている。
1:題材、設定
2:ストーリー展開、構造
3:コンセプト、テーマ
4:無料投稿サイトの性質
ざっくり分けるとこんな感じだ。
1:題材、設定
これは勇者、魔王、冒険者ギルド、スライム、ゴブリン、乙女ゲー、VRMMOといった「なろう系を知る者が単語を聞けば理解出来る」ものの数々だ。
これらがテンプレ、として機能するのは理解しやすい、先入観があるからだ。
たとえば「導きの語り部」や「赫醒者」などという単語がファンタジーで突然出てきたとしよう。これはオリジナル用語であり、初見でどういう人間を指しているのか読者にはわからない。ルビをふらないと読み方すらわからないものもある。
ここで「勇者」と呼ぶと、読者は「ああ、ファンタジー世界において異能力を与えられたり使命を帯びたり、魔王を倒すとされている人のことだな」と漠然としたイメージで理解する。実際にそうである必要はない。魔王を倒す使命をーと言われても魔王と和解してもラブコメしても、なんなら魔王になっても良い。先にイメージがあることで、それを裏切ることもまた物語の娯楽性となりうる。
すなわち、ゼロから世界の成り立ちに至るまで理解せずとも、既に自分の中にある漠然としたイメージについて新たな解釈を与えられたり、肉付けされて具体的により強固なイメージとして物語中に登場するのがここにおける「なろう系の題材」である。
また、当然「ストーリーやキャラの魅力を味わいたい」という時、「世界観の設定は読者にとって魅力の中心ではない」ということになる。その場合も「既にある設定」を使うことで理解と受容を促し、より少ない労力で読者に読んでもらうことが可能となる。
学校を舞台にしたラブコメで「黒板」や「教室の机」のデザインや構造に大した差がないのと似たようなものだ。共通認識の世界において「他とは違う要素を作り込む」ということは「物語における必然性があるのではないか?」と注目されやすい。それがないと「ただ無駄な設定を読まされた」となって読者は離れやすいだろう。
さて、同時にバカにされやすい理由はここでもある。
創作者、あるいは創作物に慣れたオタク、幼い頃から図鑑や設定集を読むのが好きな人間にとって「作り込まれた世界観」というのはそれだけで「面白い娯楽」であり、「自分たちの理想とする到達点の一つ」なのである。より緻密に美しく作り込まれていることこそが「良いことである」と。
そういった人間にとっては
「削り落とすこと」
「共通認識を利用すること」
「簡略化すること」
によって出来上がった
「表面上は大量にある設定」
あるいは
「あまり設明されないことで勝手に読者がそう見ている設定」
というのは手抜き、怠惰に見えてしまう。
もっと強い言葉を使うのであれば堕落に見えるといったところか。
細かく作り込まれた世界観をガッツリ書いて欲しい、と思う人々にとって、簡略化された理解しやすい世界観が「読みやすくて娯楽として正統派だ」と言われる風潮は我慢ならないと思う。まあわからないでもない。
要するに批判されている気分になるのだ。自分たちが魅力的だと思うものが、嫌われる要因である、と。
「作り込む」あるいは「設定になろう系とは全然違う独自用語を使う」ということをしつつ、なろうで人気の設定題材にすることは不可能ではない。
作り込む場合は、作り込む用語をテンプレ設定にしてみれば良い。
たとえば冒険者ギルド、と言いながらその実態を「魔物と魔法の研究機関」にしても良い。名前と実態のギャップは作りこんで説得力があれば、ウケる要因の一つである。
これがウケないとすれば「望まない方向に作り込まれた」「そもそも作り込んだつもりで設定解説が長いだけ」「作りこんだは良いが、物語で機能せず意味が無い」などの複数が該当している可能性が高い。
独自用語を使う場合は単純な話で、「なろう系テンプレで言えばこの設定に近い」というのを意識すれば良い。先程あげた例で言えば「導きの語り部」は「世界を救った英雄が神に認められ、その世界を導くものとして永遠の寿命を得たもの」だとする。
勇者に寿命と死がないという設定だとしよう。魔王を倒したあと、強すぎる力は世を乱すと、表舞台から姿を消したという状態、つまりこれは「魔王倒したあとの勇者が隠居している」である。
要するに「わかりやすい言葉を使う」か「わかりやすい理屈を使う」のどちらかだ。
どうしても「伝わりにくい独自用語」と「理解しづらい独自設定」の両方を組み合わせて「他にはない斬新な世界観」を用いたい場合はこのやり方は難しいだろう。
そういう人たちはおそらく「難しいことが魅力的で高尚である」と思っているのではないだろうか。
難易度の高いテストで高得点をとると嬉しいようなもので、複雑な設定を作って理解出来ることが楽しいことである、と。
しかし考えても見て欲しい。
難しい、というのは「できる人が少ない」ということである。そして理解出来ることが楽しいのだとすればそれは「数少ない理解出来る人にだけ面白くなる」ということである。
長いので分割して2、ストーリー展開、構造については次回に




