そこに想いがあるのなら
すっかり春の陽気となった三月九日。学校の試験も終わり、高校受験の合格発表も終わった。中学生として過ごした三年間、その全てが終わる。あたし達は今日、卒業する。
卒業式は案外、あっさりとしたものだった。沢山練習したのだから、もっと長いのかとも思っていたのに。全校集会よろしく無駄に長い、しかし晴れの舞台だからと、気合いの入った校長先生のありがたいお話。来賓紹介、小学校の担任からの祝電、定番の合唱曲。生徒会長の挨拶は立派なものだったが、それに感動して涙を流すような真似はしない。というか、性格的にそんな自分は許せなかった。まぁ大方の予想を裏切らず、愛莉は目がうるんでいたけれども。
式が終わり、吹奏楽部によるカノンに見送られてゆったりと退場。教室に戻る前に、その余韻に浸りつつ一人でしみじみと桜の木を見ていたら、後ろから声を掛けられた。
「お前、やっぱり泣かないんだな」
「そういうあんたこそ」
声の主は振り返らずとも分かった。こんな嫌味な言い方、奴しかいない。
「僕はちゃんと心の中で感動しているんだ」
腕を組みながら、湖山は格好付けて抜かす。
「そう。まぁ、あんたにはそれよりも重要な使命がまだ、残っているもんね」
「あ、ああ……」
「煮え切らないわね」
おそらく、その決意を強固なものにしたかったのだろう。彼があたしにわざわざ話しかけに来るなんて、そんな事だろうと思っていたけれど。
普段なら軟弱者めと取り合わず、つっけんどんに返していただろう。でも、本日この日ばかりは邪険には出来なかった。湖山だけの問題なら露知らず、あたしの大親友である愛莉と辰弥が関わっているのだから。それに、こいつの所にだけは励ましに行かなかったという負い目もある。だから勇気づけてやろうと、私は言葉をかけてやった。
「ちゃんと、言いなさいよ。優」
「今、お前なんて」
不意打ちのような言い草に、面喰ったのだろう。あの湖山が珍しく、目を丸くして驚いていた。
「ん? 何かあったのかい、湖山」
しかし、大事な事は一度だけしか言わないのがあたしの主義だ。そうでなければ、ありがたみが無くなってしまう。
「……いいや。お前に焚きつけられる間もなく、ちゃんと伝えてくるよ」
言い間違いか。それとも聞き間違いとでも処理したのか。何でも良い。虚勢を張ってでも、強くあろうと見せる。それでこそ湖山優だ。心の中で、そう思った。
教室に戻ると、担任から生徒一人一人にエールをもらったり、記念撮影をしたり、卒業アルバムに寄せ書きをしたりした。部活動に所属していた人は後輩から色紙をもらったり、花束を贈呈されていたりと大忙しだ。もしかしたら式が終わった後の方が、活気があったかもしれない。
それが一段落し、一息ついた頃だった。
「愛莉、良いか?」
「うん」
――やっと、か。
半月ぶりぐらいだろうか。湖山がようやく、愛莉に声を掛けた。
もう大多数の生徒は帰ってしまったのだろう。数時間ほど前には溢れるようにいた人も、今ではほとんど姿が見えない。きっと、あえてその時間まで待っていたのだろう。
「すまない」
周りに誰もいない事を確認すると、優は彼らしいと言えば彼らしく、単刀直入に切り出した。
「結論から言う。僕はまだ、人を好きになった事が無い。だから、君の気持ちに答える事が出来ない」
「……そっか」
「すまない……」
珍しく、本当に相手を想い、悪いと思っているようだった。それだけ考えた末の事だったのだろう。“好きになった事が無い”というのは、彼なりに気を使った結果か。いずれにせよ、今は付き合う事は出来ないと、きっちり断った訳だ。
一方愛莉は、告げられた時のほんの一瞬だけ、胸が痛んだような、寂しげな顔をした。それでもすぐに、笑みを取り戻す。
「ううん、いいの」
そしてやや大袈裟に笑顔を作ってから、こう呟いた。
「何となく、予想はついてたから」
「そう、か」
「でも」
それだけでも、彼女は十分強くなったと言えるのに。
「諦めないからね」
「え?」
「ちゃんと答えをくれるまで、私、待ってるから」
相手の目を見て、自分の意思をまっすぐに伝えられるようになった。もう、彼女を誰も弱いとは言わない。
「……そうか。分かった」
愛莉の覚悟を、しっかり受け取ったのだろう。優もいつもの調子に戻り、ウインクをして決め台詞を発する。
「いつになるかは、僕でも分からないぞ?」
彼が自分の心を認め、理解出来る時まで。それにしたって、優が愛莉の事を好きになるかどうかは分からない。それでも、彼女は待つのだろう。
「うん」
二人とも安心したような、そんな柔らかい笑みを見せる。まずは一つ、決着がついた。
「あ、いたいたー」
二人が話を終え、帰路に着こうとした時、まるでどこかから見ていたかのようなぴったりのタイミングで辰弥が現れた。
「辰弥」
「辰弥君」
湖山はばつの悪そうな顔をし、愛莉は再び、緊張したように表情を強張らせる。今あった事とこれから起こるであろう事を考えれば、二人の反応は真っ当だった。
「愛莉、探したぞ」
割り入ってきた形になってしまった辰弥は、それに気付かないふりをして、出来るだけいつもの調子で話し掛ける。それで流石に察したのか、優は立ち去ろうとした。
「ああ、じゃあ僕はこれで」
「優も聞いてくれよ」
しかし、折角の気遣いもここでは無用なのだ。これは全員が揃ってこそ、意味があるのだから。
「え?」
戸惑う二人を前に、きっぱりと辰弥は宣言した。
「愛莉、俺、諦めないからな?」
『へ?』
吃驚して、二人でハモった。まさか、あろう事か辰弥の口からその言葉が出るとは、考えもしなかったのだろう。けれども、驚く二人をよそに、彼は続ける。
「愛莉も優を諦めないんだろ?」
「う、うん」
「って待て、どうして僕が答えを先延ばしにした事を知っている」
「んな事、とっくに予想済みだ。何年一緒にいると思ってんだ」
まぁ、高々数年の付き合いであっても分かるのだ。辰弥ならば、余裕で想像がついた事だろう。
「むぅ……」
「で、でもでも、なんで私が」
「諦めない事も、分かってる」
困惑しておろおろとうろたえる愛莉に、彼は当然だとばかりに言い放つ。
「好きな奴の事ぐらい、分かるよ」
これだけはっきり言われれば、彼女も平常心ではいられなかったらしい。顔を真っ赤にして動揺している。それを、本当に愛おしそうに見つめながら、辰弥は語りかける。
「だから、俺も腹くくった。諦めない」
二度目のその台詞は、奇しくも先程、愛莉が優に言ったものと同じ。だからこそ、彼女は何も言い返せない。
「頑張ろうぜ、お互い」
「う、うん……?」
疑問を感じつつも、頷く事しか出来ないのである。だが、もう一人の男はそんな事関係無いので、
「辰弥、言っちゃ悪いが、それなんか矛盾してないか?」
遠慮がちではあるが、茶々を入れる。
「良いんだよ、これで」
それにも惑わされない所を見ると、もう迷いは無いようだ。晴れ晴れとした顔で、朗々と思いの丈を述べる。
「友達としての俺は、愛莉と優にくっついてほしい。けど、俺自身は愛莉を諦めたくない。だから、これで良いんだ」
なんだよそれ、と優から笑みがこぼれる。それにつられて、同意するように二人も笑う。これで二つ。ちゃんと、片が付いた。
――良かった良かった。
これで、めでたしめでたし。あたしの存在もばれずに済んだようだし、後はそろりと消えてしまおう。だが、そうは問屋が卸さなかったようだ。
「なぁ、そうだろ? 桃香ー」
辰弥にはとっくに気付かれていたようで、呼びかけられてしまった。
「って桃香までいるのか!?」
「え、桃香ちゃん?! どこ!?」
湖山と愛莉がきょろきょろと辺りを見渡すが、生憎そんな次元にあたしは存在しない。
「くっくっく……。ばれちゃあ仕方ない」
――本当、成長したわね。
それでも、一人に暴かれてしまったのだ。姿を現さないのはフェアじゃない。あたしは大人しく、潜伏場所から顔を出す事にする。
「やぁ、諸君」
『木の上ー!?』
今年は例年よりも早く、桜が咲いたのだ。声が聞こえ、尚且つ正体が露見する事無く見張れ……じゃなかった、見守れる距離となると、ここ以上の場所は見当たらない。これを利用しない手は無かった。
「とうっ」
流石に空中で回転するのは無理だったが、足をくじく事は無く着地出来たようだ。その際、花弁が見事に舞い踊り、桜吹雪と共に降り立つ事が出来たのは、なかなかのにくい演出だと自分を褒めてやりたい。
「そんな、桜の花を隠れ蓑にって……」
「どこの忍者だよ……」
しかしこの素晴らしい登場にもかかわらず、愛莉と優には呆れられてしまった。これもあたしの百八のスキルの一つなのだから、仕方が無いのに。
「ふっふっふ。おいしい所は逃さない、それが主人公って奴さ!」
びしいっと指を立て、ポーズを作った。これがアニメだったら、キラキラとした背景が見える事だろう。決まった。本日一番の見せ場の成功に、心の中でガッツポーズをする。
だがここで、彼らの反逆が始まった。
『いやいやいや、主役って決まった訳じゃないから』
「な、何ぃ!?」
これには本気でたまげた。今まで積み重ねてきたものが、ガラガラと音を立てて崩れるにも等しく、愕然とした。けれども彼らは思い思いに、いけしゃあしゃあと自己主張をする。
「まぁ、僕らの人生を一つの物語に例えるのは、詩的で良いな」
「でもそうすると、その物語の主役って私だよね? だって一世一代の告白までしたんだよ?」
「いや愛莉。それを言うなら俺も一緒だ」
「何を言う。僕が主役に決まっているだろう。主人公というのは一番成長した者の事だ。この中では僕が一番成長している」
確かに各々間違ってはいないのだろうが、このまま言いたい放題にしていてはまずい。この場の主導権を取り戻す為に、あたしも反論する。
「いや、待て待て待て。ずっと皆をひっぱってきたのは誰だ? あたしだろう。あたしに決まっている」
『いや、それだけはないな』
「だって桃香ちゃん後から来たし」
「不幸だとは思う。でも、おいしい所だけ持っていった感が否めない」
「何より、変化率が無い」
「そんな、馬鹿な……」
連携の取れた連続攻撃に、思わず膝をついた。確かに、自分の人生は物語のよう。だから自分が主役というのだったらまだ分かる。でもそれに飽き足らず、変化率が無いからあたしは主役になれない、だと。そんな風に思われていたなんて……。
『……っ』
「あははははははは」
「ふふふ」
「はっはっは」
本気で凹んでいたら、一斉に笑われた。
「な、何がおかしい!?」
「やーっと、桃香に一泡吹かせられたな」
「やったね」
いえーい、とテンション高くハイタッチをし始める三人。もはや訳が分からない。どういう事だ。
「打ち合わせまでした甲斐があったな」
「そうまでしてはめたんかい!?」
その台詞を聞いて、ここでようやくあたしは自分が策略にかかったという事を理解した。何故かは分からないけれど、色々と思う所があったらしい。……まぁ、手のひらで踊らされている感じが嫌だったのだろうけれど。思い当たる節が多すぎて、正直何がどうなってこうなったのかは分からなかった。
要約すると、散り散りになってしまう前にあたしに一杯食わせたくなった湖山が二人に計画を持ちかけ、面白そうだからと三人が結託したらしい。でもあたしの姿が見えないので、二人は最初、計画は中止かと思ったようだ。
「いや、まさか木の上にいるとはな……」
「流石辰弥君だね」
「いやいや、こいつの性格を考えれば、どこにいそうかぐらい見当はつくさ」
「もしかして、このシナリオ立てたのも……?」
辰弥にまでからかわれていたのなら嫌だなぁという思いからだったのだが、
「いや、それは僕だ」
「なんですと!?」
まさかの湖山で、あたしは更に落ち込んだ。
「だから言ったろ? “計画を持ちかけた”のは僕だって。お前の言いそうな事ぐらいな、僕でも予測できるんだよ」
「くっ……。不覚」
あたしは奴に思考回路を見抜かれるほど単純だったのかと、多大な衝撃と一緒に、尋常じゃない衝撃を受ける。違う。すっかり彼らのペースに乗せられてしまったが、問題視するべき所はそこでは無く。
「って、全くもう。最後ぐらいしっとりしめられないのか!」
『無理』
あまりにもあたし達らしくって、四人で笑い合った。その声で先生に見つかり、さっさと下校しろと注意されたのは内緒だ。
教室に鞄を取りに行って、折角だからとそれぞれのカメラで記念撮影をした。それでも名残を惜しむように、しばらくは夕日に照らされる机を見つめていたが、いつまでも感慨にふけっていては、また先生に怒られてしまうかもしれない。
ゆっくりと踏みしめるように校舎を、そして、学校を後にする。
「じゃあね」
「また会う日まで」
「元気で」
「じゃあな」
最初に湖山が別れて、次に辰弥、最後に愛莉と別れ、あたしは一人、家に帰った。
*
その一か月後、桜は散ってしまっていたが、あたし達四人は晴れて高校生となった。
優は志望していた公立高校へ。一応本番には強いのか、見事合格したようだ。というのも、本人から直接聞いた訳ではなく、愛莉に教えてもらったのだが。
その愛莉も、同じ高校へ。想いの強さか、一説には優より良い点数で合格したという噂もある。彼女はそのまま、近くで優を見続けるのだろう。本当、一図で可愛い子だ。
辰弥は、その公立高校に一番近い私立高校へ。最初から多分、こうするつもりだったのではないかと思う。諦めないけど、彼女を追いかける為に。その姿勢をよく表している。
私はと言うと、彼らとは反対方向の私立高校へ。もしかしたらもう、会う事すらないかもしれないけれど、それでも良いと思っている。
だって、思い出は全部、心の中にしまってあるのだから。彼らと過ごした一年はあまりにも色々な事があり過ぎて、とても短く感じられたけれど。しかしそれだけに、過ごした日々も、交わした言葉も、そして勿論その仲間達本人も、全てが大切なものとなった。
それに、そこに“想い”があるのなら、絶対にまた会える。あたしはそう、信じている。
こうして、あたし達は別々の道へと旅立った。
これで翼探偵社の面々とはお別れとなります。
青春の一ページが切り取られていると良いのですが。
今までお付き合いいただき、ありがとうございました。