愛はひたむき
公立高校後期入学試験を明日に控え、学校中に緊張感が漂っていた。とは言え、あたしは既に推薦によって私立高校への進学を決めている為、関係ないと言えば関係ない事ではある。しかし、探偵社の他の三人は公立高校を志望しているし、クラスメイトもほとんどが公立希望なので、一概にそうやって切り捨てる事は出来ない。愛莉と辰弥は二回目の、そして湖山は一回目の挑戦だ。なんでも奴は有名私立高校を受験したのだが、結果が振るわなかったんだそうな。そういう訳で、上手くいけば三人は同じ高校に通える事になるらしい。あたしだけ仲間外れになってしまうが、それは致し方ない事だろう。……高校生になっても、こうやって馬鹿やれるとは限らないのだし。
それ故に、あたしは試験が終わるまでは大人しくしてあげようと思っていたのに。愛莉や辰弥には勿論の事、特に湖山には、余計ないがみ合いなどして負担にならないよう、気を遣っていたというのに。
「桃香、ちょっと良いか」
あろう事か、当の本人に呼び出された。
「何よ」
いつもは話がある時は事務所でか、さもなくば皆のいる前で堂々と話をするというのに。今日の奴は見るからに様子が違っていた。余裕が無いというか、困惑しているというか、そんな様子が明らかに見てとれる。
だからだろうか。普段の湖山ならば絶対にしない行動に打って出たのは。あたしがいつもの通りにぶっきらぼうな返答をしただけなのに、あんな強引な策を講じてきたのは。
「良いから、来い」
あろう事か、あたしの腕をつかんでそのまま教室の外へ向かおうとするではないか。
「ちょ、ちょっと」
これにはあたしも反抗を試みるが、いかんせん奴の方が力強く、そのまま引きずられてしまう。ひょろく見える為、体格差はそこまで無いと高をくくっていたが、伊達に運動部に所属してはいないようだ。
「大変だー! 桃香様が攫われたー!」
「優様なんで!? どうして!?」
十人十色に驚くクラスメイトの声を背に、あたしは連れ出される形で教室を後にした。
*
――優君、桃香ちゃんに何の話だろう。
結局、昨日はうだうだと悩んでしまって、一睡も出来なかった。その為、目の下のクマに気付かれないように、細心の注意を払って過ごしていたのだが……。そこに、先程のプチ事件である。あれには、クラスの子に絡まれないように下を向いて読書をしていた私も、顔を上げざるを得なかった。
――何の話をしているんだろう。
やっぱり、勉強の事だろうか。それだったら言いづらいだろうし、切羽詰まっていたあの様子にもうなづける。でも、あの優君が桃香ちゃんに教えを請うたりするのだろうか。もしかしたら……。
――私の事を、相談したりしているのかな。
私が暗い表情をしているからかもしれないが、今日は彼と話はおろか、目も合わせられていない。優君の方も当惑しているのではないか、そう思っていたのだ。突然だったし、何より言った当人でさえ、混乱しているのだから。でも、それを桃香ちゃんに相談するんだろうか……。
――もしそうだったら、嫌だな……。
他の人ならまだ良かったかもしれない。でも、彼女に私の気持ちを知られるのは、何だか気まずかった。ずっと、優君が嫌いだった桃香ちゃんの愚痴を聞いていたくせに、私は彼の事が好きだったのだから。
「愛莉」
ぐるぐるもやもや、まだ何の話をしているとも分からないのに、勝手に想像を巡らせていると、
「あーいーり」
肩を叩かれた。
「ふわっ。あ、ごめん。ぼーっとしてた」
振り返ると、そこにいたのは辰弥君だった。
「何かあったのか?」
心配そうに顔を覗きこまれ、私はすぐさま後ろに飛び退く。吃驚したのもあるし、何よりやつれている顔を間近で見られたくはなかった。
「う、ううん。なんでもないよ」
「もしかして、勉強はかどってないとか?」
確かに、その不安もある。元々、私はストレスに弱く、前期試験の時だってお腹が痛くてたまらなかった。だから力が出しきれずに、落ちてしまったんだし。
「うーん、それはそうなんだけど……。でも、やれる事はやったと思う」
あれから気合いを入れ直して、今までずっと勉強してきているのだ。一日や二日手につかないぐらいで、そんなに急激にがくっと学力は下がらない、と思う。
「そうか。なら良いんだが」
私が微笑んだからだろうか。少しほっとしたような表情を浮かべて、それから真面目な顔をして、辰弥君は言った。
「今、大丈夫か?」
「え、あ、うん……」
その普段とは違う真面目な表情に圧倒され、私達はこっそりと、先程のショックから立ち直れない教室から抜け出した。
*
「何なの? 話って」
辰弥に続き、桃香を呼び出したのには、抜き差しならない事情がある。
「実はさ……見えなくなったんだ」
そう、あれから――辰弥に相談して、僕の愛莉への想いがどうなのかと考えていたら、いつの間にか人の心が見えなくなっていた。今までそんな事はなかったから、突然不安になってしまったのである。一過性の物かと思って学校に来てみるも、結果は同じ。いつもならうるさいぐらいに見えるはずの内面が全く見えず、視界に広がるのは殺風景な景色のみ。昨日はこの僕が落ち着かなくなる事なんてあるとは思っていなかったが、成程、僕でも不安になる事はあるようだ。
「でも、なんでそれをあたしに?」
「それは……」
本来ならば、同系統の能力者である愛莉に相談するのが筋なのだろうが、生憎と今それは出来ない。かと言って、辰弥は元々能力を持って生まれたのだ。参考にはならないだろう。それに、あの話をした時の辰弥は何故か歯切れが悪かった。僕の事をからかっていたものの、本当は自分も試験が不安なのではないかと思う。そんな彼に、僕の事で悩ませるようなまねは出来ない。その点、桃香ならばそういう気遣いはしなくていいと思い、打ち明ける事にしたのだが。
「あー、言いたくないのか。あの二人には」
悟過ぎる彼女は、別の解釈をしたらしい。
「仮にも所長さんだもんね。格好付けたままでいたい、と」
「そう思いたいなら思えば良いさ」
実際、そういう思惑が無い訳でもないのだ。それに、ここで喧嘩腰になってしまっては、わざわざ恥ずかしい思いをしてまで呼び出した意味が無くなってしまう。今回だけは、なるべく乗らないようにしようと心に誓っていた。
「調子狂うな……」
そう思った直後に憎まれ口を叩かれるから、少しだけ決意が緩みそうになるけれども。しかしここは我慢、我慢だ。
「で、原因は何だと思う?」
平静を装い、刺激しないようにして尋ねる。
「んな事言われても」
「他の事件は解決してみせたじゃないか。これは依頼なんだよ」
ここで僕は初めて、桃香に頭を下げた。正確には、自然と頭を垂れていた。……よっぽど、僕は追い詰められているらしい。
「頼む、この状況を何とかしてくれ」
「何とかと言われてもなぁ……」
そうした事でようやく、彼女にも僕の本気が伝わったのだろう。腕を組み、考えるポーズを作ってくれた。
「というか、あんたの能力ってそもそもどうやって手に入れたの?」
流石、と言うべきか。どこに話の大元があるかを、彼女はすでに見切っている。出来る事ならばあまり言いふらしたい事ではなかったので、僕の方から話すつもりは無かったのだが……。僕は思案の末、重い口を開く事にした。
「……仕方が無い、か」
「そんなに話したくないなら、憶測で推理するけど」
「いや、話しておく。その方が良いんだろ?」
苦虫を噛み潰したような表情に、珍しく桃香が気を遣ってくれるも、僕はそれを辞退した。僕だけ明かさないのも、フェアじゃないと思っていたし。
「僕の能力は、僕が望んで手に入れた訳じゃないんだ」
結論から言えば、それが全て。
「母が僕を心配して、色々試してみた結果、らしい」
だから、僕の能力は皆の物とは違う。
これだけ話せば十分かとも思ったが、やはりそうは問屋が卸してくれなかった。
「何を心配したって言うのよ」
一番聞かれたくない所を単刀直入に聞かれ、ひるんだが、やはり気になるのはそこなのだろう。ここまで来たら全てを話してしまおう、そういう気分になった。
「僕は、外の世界に関心を持たなかったんだ。一切な」
いつからかは分からない。けれども、いつの頃からか確実に、僕は“他”のものに興味が無かった。それは、親の愛情をあまり知らずに育てられた所為かも知れないし、周りの連中が僕を世界の中心だというように扱っていた所為かもしれない。いずれにせよ、それによって両親が、特に母が、責任を感じてしまったという事だけは確かだ。
「過保護だと、思うか?」
「そうね、少し」
「僕もそう思った。でも、うちの事情を考えれば仕方が無い事だった」
そこで、彼女の眉がぴくりと動いた。もう気が付いてしまったようだが、話しの流れ上、端折るのもどうかと思ったので僕は続ける。
「将来、上に立たなきゃいけない人間が、他人に興味が無かったら」
「人はついてこないわね」
「そう。だから、母はそういう霊的な物に頼ったらしい。詳しくは知らないが」
「ふーん……」
これが、僕の能力の秘密。愛莉のように自らすがったのでも、辰弥のように備わっていたのでも、ましてや桃香のように天から授かったのでもない、打算的な愛情によって与えられた、僕の力。僕が後継ぎでなければ与えられなかったかもしれない能力の、正体だ。
「どうだ、何か分かったか?」
少なからず驚いたらしい桃香は、しばらく思案していたが、やがて考えがまとまったのか、ゆっくりと話し始める。
「……ねぇ、それって、あんたが人の心を知ろうとしたから、なんじゃないの?」
「なん、だと」
「他人に興味の無かったあんたが人の心を知りたい、そう思ったから。違う?」
もっとも、情報量が少なすぎるから、的外れな事を言ってる可能性も否めないけど。そう彼女は付け加えたが、僕にはそれが真実に思えて仕方が無かった。
「……そう、なのか」
けれども、それは事実のように見えるだけで、自分の中で実感として湧いてくるのとはまた別の話のようだ。
「あんた、自分の事も分かってないのね」
そう彼女に指摘されたのも、真っ当な事である。だが、僕は腹を立てるでもなく、その言葉でふと、此度の原因について思い当たった。
――嗚呼、もしかしたら自分の心を知りたかったからなのかもしれないな。
「でもさ」
これだけでも十分なくらいに、自分の心が見えたというのに。
「別に、それって良い事じゃないの?」
「え?」
桃香は更に、まるで僕を励ますように、言葉を掛けてくれるのである。
「だって、能力って、“代償”なんでしょう?」
確かに、彼女の力が目の代わりになっているように、僕らの能力は代償だ。皆少なからず何か欠けていて、それを補っているのが能力という事になる。話が見えてこない僕に、彼女は更に、こう続けた。
「代償が無くなったって事は、あんたの所に自分の本来の力が戻ってきた、そういう事でしょう?」
だったら、良かったじゃない。ようやくあんたに、人の心ってものが芽生え始めた証拠じゃないの、と。僕なんかが考えつきもしなかった事を、彼女はさらっと思いついてしまう。そして、道を切り開いてくれる。
「……ありがとう」
こいつに話して良かったと、心から思った。
「やけに素直ね……。どういたしまして」
――こうやって嫌味さえ言わなければ、本当に良い奴なんだけどなぁ。
*
「どうしたの、辰弥君。改まって」
何も知らない愛莉を連れ出す事には、非常に胸が痛んだ。しかも、優が桃香を連れ去った直後の、動揺しきっているであろう所を狙ったのである。これはもう、酷いとしか言いようがない。だが、言い訳をさせてもらえば、元々俺は今日言うつもりで、決意を固めて学校に来たのだ。それを、何でかは知らないけど、優にある意味先を越されたというだけで。
――全く、タイミングの悪い奴……。
「辰弥、君?」
俺が強張った表情で、何も切り出さずに固まっていたからだろうか。心配そうに、彼女が此方を見てくる。その視線が、いつもなら嬉しい、ありがたいと思うその眼差しが、今は辛かった。俺は、これから君を困らせようとする張本人なのに。しかし、だからこそ、あまり彼女に心配を掛ける訳にはいかなかった。
「愛莉、驚かないで聞いてくれ」
きょとんとする彼女を前に、息を整えてから、思い切って告げた。
「俺、愛莉が好きだ」
まっすぐに、俺の気持ちを。
「え?」
予想していた通り、彼女は目を丸くした。そりゃあそうだろう。まさか俺から告白されるなんて、彼女が予測できる訳が無いのだから。
「ごめんな。突然。でも、言わなきゃ前に進めない気がしてさ」
「え、あの、えっと……」
尚も動揺しっぱなしの彼女を見ているうちに、何だか申し訳なくなってしまい、つい助け船を出してしまう。
「良いんだ。分かってるから」
「そう……」
俺が全てを知った上で言っているという事で、多少は落ち着いたのだろうか。
「ごめんね、でも、何て言ったら良いのか分からないや」
戸惑いながらも、愛莉はそう返してくれた。何気なく発せられた“ごめんね”。それがやけに、重たく耳に響いた。
「……そんなに優の事、好きか?」
「……うん」
「そっか……」
ここまではっきり言われてしまっては、引くしかなかった。
「ごめんね」
「謝るなよ」
これ以上、彼女に辛い思いをさせる訳にはいかない。尚もすがりつこうとする心に蓋をして、俺は話を締めくくった。
「明日の試験、お互い頑張ろうぜ」
「……うん」
胸に広がる想いは苦く、それだけに、ふっ切れた気がした。
……いつからこの話は青春ものになったのでしょうか、と作者が怪訝に思うほどに青春してますね、彼ら。
次話もちょっぴり悩んでいただきます。