12
「ああ、いらっしゃいませ。邪魔はしないでいただきたいと申し上げましたのに……けれど、もう、いいでしょう。我が『神』は降臨され、我が前には『時空の門』が顕現しつつあります。生贄は捧げられ――我らは取り戻すのです。あのころの、幸せを」
少女に背中を向けたまま、青年は幸せそうに語る。
やせぎすで血色の悪い彼の上空には、うねうねと青白い触手の集合体のようなものが浮いていた。
その顕現はまだ途中なのだろう、その触手の群れは、どこか『薄い』。
存在感が希薄で、姿さえ透けて見える。
彼の前には『門』があった。
それも透けた、まだまだ薄いもの。
だけれどたしかにこの世界に顕現しつつある――
「あなた、『外界より来たりしモノ』どもの魔術を使ったね」
マナは言う。
青年はぎょろりとした血走った目で、マナへと振り返る。
「わかりますか、この素晴らしき力がなんであるか。そうです! 第三魔王のもたらした外界魔術! 我が家にいつのまにか置かれていた、古いはずのない古い書物! この街を襲った惨劇を回避できる唯一の手段が、それにあった、時間遡行の儀式なのです!」
青年は一冊の古びた書物を持っていた。
それには、読めない言語でタイトルがあった。
「この本自体が、時間をさかのぼり、現れたのです。ただイタズラで過去の著者が未来の日付を書きこんだわけではない! この本には『第三魔王』のことも、しっかりと書かれている! たかだか数年前のことを、この古い書物は、見てきたかのように書いているのです! ……ああ、福音! なんたる福音! 世の多くの者が信じてきた神は、我らを救ってくださらなかった! しかしこの書物で崇められている神は――第三魔王は! 私を救ってくださる!」
「それであなた、信奉者になったのね」
――信奉者。
おぞましき、生理的嫌悪感を催す、あまりに違う『外界より来たりしモノ』という脅威。
それに触れ、正気を失い、その姿に神聖さを見出し、崇めるようになってしまった者。
それを『信奉者』――この世の神を見失い、外界の神に近寄ろうとする異教の者と呼ぶ。
「……まったく、こんなことなら、最初からついててあげればよかったわ。お節介がいつも中途半端なのよね、あたし……」
「あなたも生贄となりたかったのですか?」
「違うわ。――こんなことする前に、あなたを止めてあげたかったのよ!」
ズドン!
巨大なリュックがおろされると同時、床にたたきつけられた。
屋敷全体が揺れているかのような重量感を伴う音を立てて、リュックの中身が宙を舞う。
宙にちらばる武器たち。
マナは男から視線を逸らさず、片手をのばしてそのうち一つをつかむ。
魔術用の短いステッキ。
宝石のはまったそれを、マナが薙いだ。
「『風よ』!」
旋風が吹く。
それは青年の体にぶつかりそうになるけれど――
――その前に、上空でうごめく透けた触手が、青年を守った。
「もう神は降臨されています。私はすでに、神の庇護を受けているのです。外界の神に! この世界の魔術など! 通じるものですか!」
「通じるし、今のはあんたを狙ったんじゃないよ」
言葉の通り。
風の刃は青年には弾かれたが――
――青年の背後、ベッドにつながれたアシュレイと、その妹。
彼女たちに殺到する青白い触手を切り裂いていた。
「……神への供物になにをする」
「その子らは、供物なんかじゃない。……一生懸命、生きてんだよ。助けようと、がんばってるんだよ。それをあんなにして! だいたい、人を犠牲にしなきゃ人助けもできないような神さまなんて、そんな情けないもん頼ってんじゃないよ!」
「……」
青年は、自分の両耳に、それぞれ小指を入れた。
根元まで。
ボキッ、ぐちゃり。
骨の折れた音と、なにかがつぶれたような音が響く。
「ああ、ああ、福音! 福音! 我が神を汚すものの言葉はもはや聞こえぬ! ごうごうと我が神のいさましきうなり声で、私の耳は満たされている!」
「……話し合う気が、ないんだね」
「神よ! あの無力なる邪魔者に死を! 神は――私は間違っていない! 僕は、ただ、助けたい、助けたいんだよ。どうしたらいいの? 神さま、お願いします。あいつが悪いんだ。あいつを、助けてください。助けて? ああ、違う。救って――殺してください。お願いします。神さま。殺して」
透けた触手が、マナへと襲い来る。
アシュレイの心に触れていたものとは比べものにならぬほど、太く、数が多いそれらが、一斉にマナの体へと殺到し――
抵抗するヒマもあたえず。
たしかに、その心を貫いた。




