六年前の回想 死霊
ジロは眉をしかめる。
日記の記述を思い出す。
弱い死霊で《ワイト》と呼ばれる下位の死霊族は、裸やボロを纏っていると書いてあった。
そして鎧を纏っているように見えるそいつは、死霊の中では力ある《レイス》である事がわかった。
想定外であったが、この剣を試すにはいい初戦になったかもしれない。
(俺がここで倒れた場合の事を、今エリカに伝えるべきだろうか?)
とジロの心中に今までの人生で味わった事もない程の弱気がわいてきた。
しかしその考えを捨てる。
いつかはその話を言って聞かせないとならないが、それは今ではない。
今はエリカが幽界の環境に慣れる事が最優先だ。
絶対にここでは、終われない。
人界でゾンビと戦った経験は一度だけある。
ガルニエの領地の墓地でゾンビが多数発生した時にマニーとサイラスに、ランス共々連れていかれた。
戦闘が得意でないランスですら、傷一つなくゾンビを倒せた。
不意を打たれたり、闇にまぎれていれば脅威だが、目視できれば敵対生物の中では人間にとって、もっとも与し易い。
訓練されていない農民ですら鋤や鍬、木製の槍で倒せるほどだ。
だが、人界と違い幽界のゾンビはその中に最も下級の死霊を内包しているというから、人界の経験とは別物と考えよう。
レイスがスピードを上げてこちらに向かって来た。
ジロは剣を抜く。
さすがにジロは死霊とは戦ったことがない。
レイスよりも弱いワイトですら未見だ。
愛剣と違い、強力なアーティファクトであるブートガングが鈍く輝きを放ち、驚いた事に、それだけで体に力が沸いてくる。
アーティファクトとと呼ばれる武具とはこういう物なのかと、知識では知っていたが初の実体験を迎え、ジロは驚いた。
ブートガングが、ジロの気力すらも大幅に増強しているようだ。
レイスが残り百mの辺りでスピードを弛め、ついには止まった。
ゾンビを待っているようだ。
その行動を見て、幽界内の死霊が『死霊族』と呼ばれる理由が解った。
(こいつらは考えて動いている。人界にいて、ネクロマンサーなんかに操られるっていう、頭のからっぽな死霊とはまったくの別物だ)
ジロは剣を握る手に注意を向ける。
いつもの握りと違う気がし、握りなおす。
(大丈夫。俺は爺さまの孫だし、手には爺さまも使っていた伝説級の剣がある。鎧もそうだ。レイスが止まったのもゾンビを待つと言う事は、アーティファクトに気づいたからかも知れない。生存本能にしろ戦術思考にしろ、人間と同じだ。なら必要以上に恐れる意味はない)
ジロは構えを解き、握りも弛める。
深呼吸しながら、剣をダラリと下げてから肩を押さえてポキポキと首をならす。
背負っていた『カートボルク』を邪魔にならない場所に放り投げる。
爺さま、アーティファクトをこんな扱いしてごめんなっと思った。
(大分マシになった。普段の俺に近い。そして剣の力で普段の俺以上でもある)
「エリカ!」
「えっ!? な、何!?」
「従者……じゃなかった、リーベルトの奴は、今頃美味いモンでも食べてるんだろうな、こいつらを片づけたら、記念に昼飯はおいしいものを食べような!」
「うん!! クッキーをいっぱい持ってきてあるから、それを食べようよ!!」
「そうだな、だけど一枚を割って、半分ずつだ。甘いモンは首飾りを渡した帰り道でも、ずっと食べていたいからな」
エリカが息を飲んだ。そして――
「――うん!!!」
っと元気に、声音から察するところ、満面の笑顔でジロに返事をした。
レイスがゾンビを待ってくれた事で生まれた、時間的余裕にジロは感謝した。
もう力みはない。普段通りだ。
エリカも小さな身ながら、最低限の戦う姿勢が整っているようだ。
なら、俺が負けるわけがない。
ダラリと脱力したまま、レイスの動きを見る。
ジロを幻惑するかのように、左右に揺れている。
無題の日記には死霊族特有の《幻惑の踊り》とかいう魔法に似た攻撃のようだが、剣の力か鎧の力なのか、それとも単にジロの心が勝ったのか、ジロには負の効果が一切出ていない。
ゾンビがついにレイスを先行し、ゾンビも若干動きの速度が上がった。
百m、五十、三十、二十m。
距離がどんどん縮むのを冷静に見る。
十m、レイスはまだ前へ出ない。
それならそれで構わないとジロは思った。
五mになったところで、ゾンビは人界では考えられない程の動きで距離をつめてきたが、予想外の事態にもジロは慌てず、剣を振ってジロを掴みかかろうとしていたその両腕を斬る。
斬った感触はあったが、これまで経験した事もないほど、あっさりと人体を斬り裂いた。
その感触に驚きはしたが、剣筋を乱さぬまま、左右のゾンビを腰の上から胴斬りし、正面の手無しとなったゾンビに強く前蹴りを入れて距離を開け――
――レイスが向かってきた。
通常では剣が間に合わないタイミングの中、ジロは冷静にリーベルトに鍛え上げられた《筋肉強化》を唱え、レイスをゾンビごと下から斬り上げた。
あたかも死霊を物理的に斬ったかのような手応えに惑わされず、冷静に剣を止め、追撃としてレイスの頭の上からブートガングを振り下ろす。
再度距離を開けて、敵の出方を見ようとすると――
レイスが断末魔の叫びを上げながら、霧に溶けるようにして消えていく。
ジロはその様子を油断せずに最後まで見届けた。
見届けている最中にゾンビから新たな死霊、裸であることを見ると《ワイト》の一種が三体、死体から抜け出てきたので、手応え無く斬ると、声も上げずに苦悶の表情で消えていった。
ジロは周囲を見渡しながらエリカの方へと後ずさる。
そして構えを解かず、ジッと何が起きても対処できように心静かに待った。
それから充分時をおいてから、構えを解く。
幽界の死霊も人界と同じように、溶けて消えるように死ぬようだ。
周りにまぎれたのかもしれないと思ったがそうではないようだ。
死霊に対する感知魔法があれば、死ぬ前からその魔法をかけてその消滅、もしくは擬態を確認できたが、そう言った魔法はまだ開発されていないため、無題の日記にもあったように、危機が去ったかどうかは目視で判断するしかない。
ジロはブートガングの細身の刀身を見る。
死体を斬ったのに、刃こぼれどころか、ゾンビを斬った脂の曇りなども一切ない。
紙さえ無駄にできないので、道草で一応刀身拭った後、懐紙で水気を払う。
無題の日記では、強敵とあったレイスをこうもあっさりと切り裂く事ができたのは間違いなく、この剣の力に他ならない。
死出の旅路に惜しげもなく、この剣をくれたマニー・ガルニエに感謝を新たにした。
「爺さま、ありがとう」
ジロは聖女選定が決まって以来、初めて幽界からの生還に、強い希望を見いだした。




