六年前の回想 死霊の善意の道
幽界に入ってから五日目。
エリカの調子が出てきた。
元来の明るさを取り戻したのには、ジロが出発前から口をすっぱくしてエリカに言い聞かせてきたように、無意識ながらもジロの強さに希望を抱いたからだとジロは思っている。
初日のレイスを皮切りに、日中も一時間に一度の頻度で死霊達は襲ってきた。
ワイトや人間に限らずゾンビ化した元生物が大半を占めたが、毒液などの物理的対策は無題の日記に記してあったし、日記にあった通りそれら襲撃者の全ては、聖女であるエリカに目もくれなかった。
そして最低でも一日一回はレイスも混じった編成で襲いかかってきた。
最高の形で幽界での戦闘経験を得たジロは、その全てを事もなげに切り抜けた。
そんなジロの姿を見たエリカは、持ち前の明るさで、たった二人だけの生け贄行の、最初の精神的葛藤を乗り越えつつある。
だがジロには、まずい事になっているというエリカに言えない焦燥感があった。
エリカの手前、そんな態度は微塵も見せないが、その理由は無題の日記に記述がなく、今実際に起きている現象、つまりはジロの前に現れる死霊の数と頻度が尋常ではないという事にあった。
無題の日記の中では、祭壇につくまででもっとも妨害を受けた例は、暮れの国に入ってからレイスが単体で三回である。
そして多く場合ははまったくの妨害がないままに祭壇へと辿り着いている。
だが今回は、暮れの国入国前で、しかもまだ五日目なのにも関わらず、妨害は数十回を越えている。
少女のエリカはこの幽界で暮れの国を目指す西進に疲れ切って、横になるとすぐに深い睡眠に入るので、知るよしもないが、夜の死霊達のさらなる狂騒ぶりを知らない。
念を入れ、百にも及ぶ死霊の気配があった時は、《昏睡》という水精霊由来の眠りの魔法をエリカにかけ、その体をジロにきつく縛って、エリカを背負いながら戦う夜もすでに二日あった。
夜の死霊はレイスが群れを引き連れて来る場合も多く、レイス共の連係を受け、物理的な傷ではない傷を、ジロに一度だけ与えた。
そのレイスはまるで自殺するかのように、斬られながらもジロに抱きついた。
そして『ポーキス』の力なのか、暴れ牛に跳ねられた人間のように、そのレイスがはね飛ばされながら消滅した。
だが抱きつく際にレイスはジロの鎖帷子が覆っていない腕に三秒ほど触っていた。
レイスが触れたその箇所ジンジンと痛みを伴う痺れがあった。
数時間後には痺れも痛みも無くなったが、あの感触は怖気を覚える。
あの攻撃を受け続ければ人間は、まるで陸に上がった魚のように、身動きも取れずに、緩慢に死んでいくのだろう。
研究資料によれば、死霊は物理的な傷よりも、生物の生命力といったものに直接攻撃を仕掛けて来るという。
魔族であるならば、魔族と戦い頭部に受ける傷と、指の先の傷の重傷度は全く違うが、高位の死霊ならば頭部も指先も同じだけのダメージを受けてしまう。
この事は、死霊以外であるのならば急所だけを守るようにすればいいのだが、死霊に対しては全身全てが急所となり、その《エナジードレイン》を受け続ければ、例え無傷であろうと、生物は死にいたる。
◆
計画より大分行進日程が遅れている。
五日目で、これでは正直まずいと思った。
人の手の入らない旧街道は雨水によって凸凹が激しい。
道自体が草木に埋もれない理由は無題の日記にあった。
そして今は自分の目でそれをみている。
街道の草木が全て枯れ果てている。
それ以外は丈の高い草木に埋もれている。
まるで手入れされた草の回廊を進んでいるかのようだ。
これを無題の日記では『死霊の善意』と書かれていた。
エリカが一人で逃げる時に、先々に道しるべがあるというのは大いに役に立つだろう。
大人の足で暮れの国、入国まで三十日。
そして祭壇までに七日はかかる。
エリカの足で、ゆっくりと進んで入国に八十日。
祭壇までは十五日の計算だ。
道中無題の日記に沿って、リーベルトと試算した計画がそれだった。
今はもっと時間がかかってしまっている。
エリカの足を休めながら進む方策はある。
暮れの国へ入ると、古代ペール大王国の魔法技術の粋により、傷む事のない石畳の街道が続いているという。
そこに入れば背負ってある台車を組み、その上にエリカを乗せて彼女の体力温存とともに行進速度の上昇が見込める。
幽界に入ってからずっとエリカは手を繋ぐ事を要求している。
心細いのだろう。
背負ってやりたいとも思うが、ジロの体力が他の何よりも優先させるべきだと判断した。
この襲撃頻度では、体力を少しでも消耗しないように、それがエリカの生還へと繋がる。だが、この死霊の襲撃が続けば、消耗を避けていたとしても体力が底をつきかねない。
夜も数時間は眠る事ができるが、睡眠は足りていない。
ジリ貧であったが、打開策が見当たらない。
ジロはこの異常事態はアーティファクトが影響しているのだろうと考えていた。二人が持つ五つの強力なアーティファクトが死霊を呼んでいるのだと思っている。
しかし生還するには絶対にこれらの力は必要だ。
ここに来て、離脱していった護衛達がいればと悔やんだ。
(足手まといと切り捨てずに、脅迫をしてでも連れ帰っていればと……)
冷気が横から吹き込んできた。
エリカは素早くジロの剣域を脱し、冷気の方向に向かって、自らもカルンウェヌンを構えた。
ジロは剣を抜く。
ワイトが三体脇の草むらから飛び出た瞬間に、ジロは斬り滅ぼす。
それを見届け、冷気が無くなったのを確認すると、エリカがテテテっと走り寄ってニッコリと笑い小さい腕を伸ばして、ジロの手を握る。
二人は手を握りながら『死霊の善意』を順調に進んでいく。
状況はジロが予想していたよりも早く、そして確実に悪化していた。




