五年前の回想 自由落下
「ジェイさん、見張りは? このまま家に一緒に帰って大丈夫なの?」
水分を全く含まない幽界の霧が段々と明るくなっていく事にジロは焦躁を感じる。
「でえじょうぶだ。この世であの監視バリバリの家に連れて帰って、一緒に生活を送れる唯一の外部隊員が、こいつだからな」
「ヒヒヒッ!」
独特の笑い声を上げ、ジロの左隣を歩くアンナは猫背気味の背を得意げに反らせた。
三人は今、横並びとなって堂々と、幽界の地図にも載っている街道を家の方向へと向かっている。
「どういう事?」
「こいつは高度な結界使いなんだよ」
それで答えは全て出たとでもいうように、右隣のジェリウスはそれ以上の説明をせず、徹夜となった為か、大きくアクビをする。
アンナにも目を向けるが、アンナは飽きもせずに、無言でジロの全身を舐めるがごとく視線を這わせている。
「……それだけ? それと連れ帰る事が繋がらないんだけど……」
「あのな? 結界っつーのは何も攻撃を防御するだけが全てじゃないんだぜ?」
「よ、よく言う。れ、れ、レイルだって、わ、私のけ、結界、み、み、見るまでは、最初は、ジロとお、お、同じ程度の認識だった、く、くせに……」
「うっせえ、黙ってろ。 いいか、ジロ? こいつの結界はまず見破れねえ。俺様やカルラですら、謎が多い魔法が結界魔法だ。そんでこいつはそれを駆使するのが得意な奴ってわけよ」
「見破れない? 魔法感知にかからないって事?」
「それもあるが、その他諸々だ。この漆黒女は、一体どうやって幽界に入国したんだと思う?」
「えっ? どうやってって、見た通り……アンナ様は普通に飛んで国境を越えて……、あっ!」
「そういう、こった。《飛行》なら離陸から着地までを魔法継続するわけだが、この頭のイカれた女は――」
「――ちょっ! レ、レイル! ジロにそ、そんな嘘、お、教えないで。い、イカれてなんか、な、ない! ほ、本当だよ。ジロ……」
「イカれてんだよ。ジロ、テメエもコイツのイカれた着地は見ただろ?」
「見てはないけど、衝撃は凄かった」
「ほ、褒められた? 確かにす、凄くて。私も初めてだったけど、し、新鮮で、よ、よ、良かった」
アンナはスキップを踏むが、お世辞にも軽やかとは言い難かったが、楽しそうな様子を見てジロもなんとなく気持ちが明るくなる。
「良かっただとよ、イカれ女が。かなりの上空で飛ぶのを止めて、自由落下で墜落しやがったのに、こいつはピンピンしてる」
「この女は落ちてきて、下映え生い茂る地面に大穴をあけるほどの落下後なのに、スキップしてやがる。ジロは結界魔法の事を知らねぇだろうから言っとくが、ふつうは結界の中では他の魔法なんぞ一切使えねぇからな。なのにあの衝撃を起こすエネルギーをどうやって拡散しやがったのか、俺様にはさっぱりわからん」
「途中まで飛んで、そこから結界魔法を使うにしてもそんな状況で魔法を編めるのも凄い」
「ひ、ヒヒヒッ! ち、違うよ、ジロ。と、途中からも、な、なにも、さ、最初から、わ、わ、私はひ、飛行なんてつ、使って、な、ない」
「そんな見当違いの考察への返答よりも、俺様の疑問にこたえやがれ」
「はぁ? わ、私がレイルに? な、なんで?」
ジェリウスがチッと鋭く舌打ちをする。
「とにかくだ、俺様をもってしてもこいつの結界魔法だきゃぁ、謎すぎる、見当もつかねえ。おい、どうやったんだ?」
「レイルのあ、飽くなき探求心には、け、敬意を。で、でも君には、ひ、ひ、秘密」
初見では二人の仲は悪そうだったが、二人はお互いのお互いに対する態度を気にする様子はない。ジロ目にはそんな二人の関係性が少し眩しく映る。
「じゃぁよ、落ちてきたのは普通に落ちてきたのか?」
アンナは頷いた。
「引っ張られる感覚は、け、結構、た、た、楽しかった」
「凄いですね。アンナ様。自由落下が……楽しいとか……」
ジロの言葉に前髪の下のアンナの目が大きく見開き、身震いをしている。
(喜んで……るのかな?)
「ただ落ちてきたんじゃねえぞ? 言わずもがなの事だが、今は国境周辺の監視がすげえことになっている。例えどんな上空を《飛行》で飛ぼうが、魔法の反応なんざ即座にバレる。だが、こいつはバレずにここに来る事ができた。
「カルラが気づいた空にあったおかしな反応は、ティコ・ティコだけが知るアンナの結界の魔法反応だ。アンナの事を知らねえ限り、普通はあれが魔法反応だとは気づけもしねぇ。……、俺様だって、カルラに言われて反応を探るまでは、気づきもしなかった。言わば、アンナだけがメンバーに伝えられる符牒みたいなもんだ」
「飛行を使わず、どうやって飛んだのですか?」
「そ、それはね。ひ、飛行のた、た、達人に雲の、う、上まで、つ、連れて行って、も、もらっただけ」
「……死ね。漆黒女」
「れ、れ、レイルがか、勝手に、勘違い、し、し、しただけ。わ、私は、わ、悪くない。ヒヒヒッ。れ、れ、レイルは、わ、わ、私のま、魔法に、あ、あ、憧れがすぎるから、こ、荒唐無稽な結論でも、わ、私にならできるかもって、お、思っちゃう、お、愚かだね」
アンナは再びクスクスと笑いだす。
「ちくしょう……。おい、ジロ。この女はどこから落とされたと思う?」
「国境の監視は厳しい……。それなら、普通は……う~~ん、そんな常識外れ――」
「――こいつはな? 国境のだいぶ手前で飛行を止めて、落下し始めたんだぜ」
「……国境からここまでですら、結構な距離があるよ師匠。そんな上空に、飛行で行けるもんなの?」
ジロが穴蔵から脱出時、ジェリウスに抱えられて飛んだ高度も中々のものであった。あれでは多分感知されてしまうのだろう。
アンナが今しがたおこなったという、連合の魔法反応監視態勢から逃れるほど国境から離れた場所で《飛行》を解除し、そのまま家を飛び越え、さらに疾風光を使用してなかったとはいえ、丸々二時間は走り通した場所の落下地点まで落ちてくるにはどれだけの高高度で、落下を開始すれば、あの落下地点に届くのか、ジロには皆目見当も付かなかった。
「やろうと思えば行けるが……、そんな飛行の使い手はそうそういねえ。
「それにあんま、上に行き過ぎると、血液が煮えて死ぬらしいから、それも知ってるとなると……心当たりは一人いるな」
「誰だろう」
「オメエも知ってるかもしれねえ、オメエの爺さんのお仲間のババアの一人だ」
「あぁ……鳥のように自在に飛べるの達人がいるってエピソードを聞いた覚えがある」
「……でも腑に落ちねぇのは、たかだか女一人がどんな高度から落ちてこようが、あんな大穴ができるわけがねぇ。こいつの結界術解析へのヒントがそこにある気がするぜ」
「ひ、ヒヒヒッ! ほ、放り投げられた時は、た、た、楽しかった……け、け、けど、もっとた、た、高くからのほ、ほ、方が、よ、よかった」
「……。どうだ、この漆黒女がヤベエ奴だってわかったろ?」
「れ、レイル。お、怒る……よ?」
「ケッ! テメエとはいずれ白黒つけねえとなって思ってたから丁度いいぜ。今、かかって来い」
「お、お、男って、……ほ、ほ、ホント、ば、バカ……。そして、ティコ・ティコのお、男たちは、そ、kそ、揃いもそろって、く、クズ、だ」
「俺様をその他の有象無象と一緒にすんじゃねえ……」
「わ、わ、私みたいなか、か弱い、お、女は、け、け、決闘なんて、し、しない。そ、そ、それでも、れ、レイルがか、か、からんで来るのなら、こ、こ、これからはジロに、ま、ま、守ってもらう」
アンナが上目遣いで顔を真っ赤にしながらモジモジとジロを見ている。
「……アンナ様、勘弁してください。そんな状況になったら俺が剣を抜くよりも早く、ジェイさんは俺の魂を体から引っこ抜きますよ」
「な、な、なら、ふ、二人で一緒。く、く、屈強な、き、き、騎士様と、か、か、か弱い私で、れ、れ、レイルのあ、相手を、す、するの」
「テメエが、か弱いだぁ? 俺様が全力で殺そうと奇襲を仕掛けても、無傷のまま俺様をからかい尽くしながら、悠々と歩いて離脱するようなイカれ女が、か弱いだと?」
「殺し合い? アンナ様はティコ・ティコと敵対する組織に居たことがあるのですか?」
「ううん。わ、わ、私がティコ・ティコには、は、入った時の、は、話。稽古しろってい、い、言うのをずっと、む、無視してたら、れ、れ、レイルがき、き、キレて、こ、殺しに来たの」
「……仲間じゃないっすか、なにやってるの、ジェイさん……人としてどうなの?」
「もうやらねえよ。あんときはティコ・ティコ全員からから、きっついペナルティ喰らったかんよぉ」
ジロは自分の師匠の天衣無縫さに少し呆れた。




