五年前の回想 夜の中の漆黒 その1
キィン! キンッ! 硬質で鋭い音が霧の中に鳴り響く。
音の中心にいるのは少年の域を脱して間もない幼さを顔に残すリーベルトと、ようやく頭に髪の毛が生え揃い始めたジロである。
二人は夕食後の日課である剣の稽古をしていた。カーンっと間の抜けた音がした後、カランっと乾いた音を立ててリーベルトの剣が地面に落ちる。
リーベルトは自分の握力を確かめるように手をグーパーとした後、拾った剣を構えなおす。
「リーブ、ちょっと休もう」
「いえ、まだやれます」
「剣を取り落とすのはこれで何度目だ? ジェイさんの稽古の後なんだろ? ちょっと休もう。これじゃ俺の稽古にならない」
「……分かりました。……少し休んだら必ず再開ですからね? 稽古とはいえ勝ち逃げは許しません」
「最近はお前の方が毎日勝ち越すじゃねえか……、負けず嫌いだな」
「最近って言っても、先輩はずっと魔法行使禁止、こっちは全力……、これじゃぁ……」
「代わりにこっちゃこの剣で、そっちは単なる高級な魔法付与の剣。戦力差はお互いにどっこいどっこいだ」
リーベルトはハァっと息をつくと、近くに置いてあった桶を持ち上げ喉を鳴らしながら水を飲む。
リーベルトはその桶をジロに手渡す。少し飲んだだけで桶は空になった。仕方なくジロは母屋の側に置いてある飲み水用の大きな樽の所まで歩いていく。
玄関前のウッドデッキにあるデッキチェアにカルラが座っていた。
「二人ともお疲れ様」
カルラはジロとリーベルトに声をかける。
「……リーブは連日ジェイさんとウーさんにしごかれて、ヘトヘトだけど、俺は疲れてないよ」
「労いの言葉なのだから、素直に受け入れなさいな」
優しげに諭すカルラの声を聞きながら、ジロが樽に直接顔を付け水を飲む。喉を潤すとウッドデッキの階段にドカッと腰を下ろし、隣にリーベルトも腰をかける。
「……器用なものね。……ジロ、あなたリーベルトの姿が見えてないんでしょ?」
編み物をしながらカルラがデッキチェアから声をかける。
「それですよ。カルラ様……、幽界の霧と夜の帳……、こんな戦闘格差があるのに、僕は先輩を圧倒できない……、ジェリウス様は『お前は俺様ほどじゃないが素質はかなりのモンだっ!』って言ってくれましたが、ほんと自信を無くします……」
「……そんな事言われてるのか。……羨ましいぜ、ちくしょう……」
それを聞き、リーベルトが口を尖らせる。
「そりゃ僕だって《幽界視》を教えてもらうまでは、この濃霧の中で戦っていました。……でも死霊はほぼ魔法攻撃でしたから、その魔力反応から霧が濃くても攻撃の予兆は感じ取れますし、接近戦になる事など、まれでした。今はこんな便利な魔法を覚えてしまったから、視界が霧で覆われる不自由さにストレスを感じます。……でも先輩は、魔法を使えず、《幽界視》を使えなくても、易々と僕の剣を弾き返します」
「本当、器用よねぇ」
「ハイ。……ハァ、ドッと疲れが押し寄せました。先輩、やっぱり今日はここまでにします。明日の完全なる勝利の為にも、今日はもう眠る事にします」
「あら? 明日もジェイは、ここにいるの?」
「はい、マリア様に先に行ってもらい、ジェリウス様が遺跡に戻るのは午後遅くに向かうそうです。……僕の覚えが悪いらしくって」
「そんな事はないわ。早いほうじゃないの……。ジェイの絶技の継承を受けてるんだもの、すぐには無理よ。それに私もちょっと見させてもらったけれど、リーベルトの技を構成する魔法の理解度は中々のものだったわよ? 気にしないでも大丈夫。あなたならすぐにコツを掴めるわ」
「そうだと、いいのですが……。では、カルラ様、お先に休ませてもらいます」
「リーブ! ……、あ~~~~、なんでもない」
「? ……変な先輩ですね。それよりも、いいですか? 明日はジェリウス様の修行が終わっても体力を残してみせます! 今日みたいに、屈辱的な手抜きなんかさせませんからね! おやすみなさい!」
「屈辱って……」
「そういう年頃なのよ。幽界の状況がリーベルトを少年でいさせてくれないってだけよ」
ジロはリーベルトが中に入ったドアを見る。
(そうだよな。リーブはまだ少年なんだ。……マリアに夜這いをされないように気を付けろ、なんて言ってもしょうがないな。聞けば、マリアとリーブと関係を持ったのは一回きり。マリアは標的をリーブから完全に俺にしてるし……、マリアがやりたかったのは、いわゆる童貞喰いの味見ってやつだろうか?)
「おおかたジェイは、最もらしい理由を付けて、遺跡に戻るのを遅らせたいのね。封印解きたての遺跡はカビくさくて、嫌だって愚痴言ってるもの。フフフッ、ウーは交替が来なくてイライラするでしょうね」
「……あいつ、明日も朝からジェイさんの手ほどきで、修行かぁ。いいなぁ……。俺も弟子にしてくれないかなぁ」
ジロの呟きを聞いて、カルラがクスクスと忍び笑いをもらす。
「……何?」
「ジロってば、本当にジェイに憧れてるのね」
「魔法が使える男なら……、いや。貴族だろうと魔法を使えない平民だろうと、ジェイさんに憧れない男なんて、いないよ」
「でも、それはジェイの素の姿を知らない人達よ。吟遊詩人やプーセルの撒いた耳触りの良い英雄像が噂が元になってる……。ティコ・ティコ内でだって、ジェイはここでの生活のような姿は見せてないわ。マリアもウーも最初は面食らってたのよ? ……ジェイの事を慕ってる子達も今のジェイを見れば少なからず失望するはず……。なのにジロは、ブレないわね。本当のジェイを愛してる私からすると、ジロのそのジェイに対する態度は、本当に嬉しいわ」
「俺なら……穴蔵にいたあの俺状態を見た瞬間に見捨ててた……。あそこでも散々ジェイさんに口汚く罵られてたけど、それでも長い期間をかけてでも、俺を見捨てなかった。だから単純だけど、そんな世話になった俺は、カルラさんに負けず劣らずジェイさんの事が好きなんだろうね……」
再びカルラが編み棒から手を外し、クスクスと笑った。
「あぁ、ジロと話してると本当に楽しいわ……。さてっと、……それじゃ、私も部屋に戻るわね。ジロもほどほどになさい」
「うん。……おやすみ、カルラさん」
「おやすみなさい」
ジロは再び、ブートガングを手に持ち、立ち上がる。壮絶な麻薬治療はいまだに続き、ジロは体が疲弊していても眠気を感じず、すっかり宵っ張りになってしまっている。
「リーブを圧倒してるって言っても、この剣ありきだからなぁ……、もっと強くならないと」
ジロは強くならないといけない。ジロ自身の為、リーベルトの為、そして何よりもエリカの為に。
(五人の力を借りる事ができなくなるのに、まだエリカの方策が決まらない……エリカに殺人を目撃させずに済む方法なんて、無いのか?)
ジロは暗澹たる思いを胸に、汗を流すため、1m先も見えない霧と暗闇の中、露天の稽古場に戻っていった。




