-035- 進め! 新たなる死線へ!
石川県チーム2名が雲散霧消と化した同時刻。
富山県チーム一行は重大な、それも“致命的な損失”を犯しているとも知らず、その足を石川へと向けていた。
足――とは言っても、富山から石川へ徒歩で歩くには流石に無理があるので、移動手段は車である。黒のステップワゴン、大人4人が乗るには十分過ぎるほどの余裕があった。
「……っていうわけや。わしが戻ったときにゃ、翔兵くん血まみれで、見るからに死んどった」
運転を任された薫は、その状況、翔兵、薫らが敵“騎士”である耗部八太郎との戦闘、そして憂沙戯、雫らとの合流に到るまでの経緯を簡単に砕いて憂沙戯に説明した。
助手席には翔兵、後部座席には雫。その隣に憂沙戯が座っている。
「で、生き返った……と」
「せや」
「……なるほど……それが魔術師デバイス、『摂理への否定』の機能ですか……。どういう仕組みで生き返るのか――それはわかりませんが、現実に生き返ったんだったら仕方ありませんよねー……って、そんな馬鹿げた話がありますかっ!」
そうノリ突っ込みされても、当事者である翔兵ですら訳がわかっていないのだから、どうしようもないことではある。
ジトっとした目で、まるで観察するかのようにねめつける憂沙戯の視線。それに気がついたか、バツ悪そうに翔兵は言う。
「……なんだよ、幽霊じゃねえぞ? 10回くらい死んだけど、一応、生きてるからな?」
「どんな日本語ですか、それ。まさかわたしの人生において、そんな訳のわからない言葉を聞くハメになるとは思いもしなかったですよ。……というか、それだけ殺されておいて、よくあんな台詞言えましたね、翔兵さん」
「……ん、それだけ大切だったんだろうからさ。俺は八太郎さんじゃないけど、その気持ちはわかる……気がするよ。気がしただけかもしれないけど、それでも根っこのとこじゃ一緒だと思うんだ。誰かを守りたい――っていう」
「ちぐはぐですね。こっちが相手の目的に合わせてどうするんですか」
「否定はしないんだな」
「……口が立つようになりましたね、翔兵さん。けど、軽率なあなたの行動は否定出来ますよ?」
「うぐっ……」
この辺りはやはり年の功だろうか、不利と見るや的確に急所を突く辺り、憂沙戯は流石だ。仲間を危機に晒したのだから――と、それをチラつかせられては、翔兵も黙り込むしか方法はない。
「言っても、どうにしたってあの人は――」
「それはわかってるよ」
と、翔兵は憂沙戯の言葉を遮った。
「ペナルティ、だろ? デバイスを外して一日経てば八太郎さんは死ぬ。俺だって馬鹿じゃない、それくらい理解してる」
「……なら、なにも言うことはありませんけどね。……お馬鹿」
「早速言ってるじゃねーか」
薫が小さく笑った。
そこに秘めた想いは、まだ翔兵にはわからない。それでも、その横顔を見て、翔兵の顔も綻ぶ。
富山県チーム、皆一様に、その顔には疲労の色が見えた。
このデスゲームが始まり、はや二日。視界ウインドウのデジタルは午後11時を差し、もうすぐ三日目を迎えようとしていた。
初日の夜に敵“魔術師”の襲撃を受け、死線をくぐり――続く二日目には敵“騎士”も加わり襲ってきたのだから、休める暇もないと言えばそうである。
そしていま、富山県チーム一行が向かうのは石川県。
目標とするは敵“姫君”、それの撃破。
戦力が半分になった石川県チーム――これを機と見るや、憂沙戯の判断に一切の迷いはなかった。畳掛けるならば今しか無い、とばかりに。
しかし、欠けたとは言ってもそれは単なる駒でしかなく。重鎮であり、最終目標の一つでもある敵“皇帝”は翔兵らが進む中立エリア――北陸自動車道、その車線近辺に潜伏している可能性が高いのだ。それは憂沙戯の推察では、だが。
ならば当然、未知なる敵“皇帝”との戦闘も視野にいれなければならないだろう。
チームの存亡を掛け、殺し合わなければならない――
だが、事態はそんな浅いものでもなかった。
これは富山県チームが知ることもないことではあるが、目標とするマップに浮いたドット――その当人である“姫君”、毒沢桐子はいま、富山県チームがそうであるように、福井県チームの殲滅対象にもなっていた。戦場で孤立した兵士ほど、討ちやすいものもないのだから当然と言えばそうである。
加え、水面下で“翔兵のよく知る人物”が発端となり、『全世界仰天異、無差別バトル・ロワイアル』の舞台である“この異世界を根底から覆しかねない状況”になりつつある――だなんて、参加者はもちろん、主催者側である国だって予想も出来ないだろう。
「……それにしても、なんでもありですね、これ」
そんな渦中に足を踏み入れようとしているとも知らず、憂沙戯は手に持ったそれを弄びながら、独り言のように零した。
石川県チーム“騎士”、耗部八太郎のモノだった腕輪。
「デバイス――超高度AIが生み出した馬鹿げた兵器――こんなの、どうやって予期しろっていうんでしょうか。荒唐無稽にもほどがある」
「……たしかにな」
それを耳に拾った翔兵は頷く。
根拠がなく、現実味が感じられない。
それは翔兵もこの舞台に上げられてから――いや、上げられる前からずっと思っていたことだ。世界に対して、実感が湧かない。それはなにも『全バト』というこの異世界だけの話ではない。
現実の世界。
大日本帝国。
強国。
帝国民――そして低国民。
娯楽として扱われ、死んだ両親。
奴隷のような劣悪な待遇。社会的劣等感の中、空に見上げるは希望の星――楽園と呼ばれる人類の新天地、巨大人工衛星『トトゥーリア』――
「……馬鹿げてるよな、本当に。……笑い話にもなんねえ」
思うことはある。
しかし、なにもそれは翔兵だけではない。
憂沙戯だって、薫だって――そして、雫だってもちろん同じだ。
会話に参加せず、ただ通り過ぎていく景色を眺める雫。
翔兵、憂沙戯、ついでに薫らは少女を殺した雫に対し、話題をあげることはなかった。
いかなる知識をもってしても、人を殺した雫の行動を全面肯定することは難しいし、その臆病で優しい性格を知っているからこそ、口に出して言えるはずもない。
と言うよりは、そこに下手に触れてしまえば雫の大義名分が崩壊しかねない、と言うのがあったのだろう。
それにやはり、単純に同情もあった。
憂沙戯に誘導されたとはいえ(それを知るのは憂沙戯だけだが)、人殺しは人殺しだ。襲われている仲間を守るため――だとしても、敵を不吉な贈り物で撃ち抜いた事実は、どうしたって消えることはない。
この全バトという舞台がそうさせたのだと言えば解釈のしようもあり、容赦のしようもあるだろうが……しかし、一般的にそれは道徳も理念もなく、ただの純粋悪と言う他ない人として決して踏み越えてはいけない壁だった。
心情を察しての同情。
私情を滅しての沈黙。
これは憂沙戯や薫が大人だから、翔兵が雫とは違うベクトルで優しいから、とかいう話ではなく、“元来人間が持つ無意識”がそうさせた。
各々の思考も違うし、解釈のしようも異なるだろうが、こと戸津甲翔兵に焦点をおいて言えば――それは禁忌を犯した人間に対する遺物感、だ。
言っても、すでに徴兵により戦士として訓練を受けた月野憂沙戯、目多牡薫はまた異なるだろうが――ここで雫の擁護に回っておくとすると、もしも当事者でない他の誰かが、
“蒼井雫として産まれ、蒼井雫が辿ってきた人生を経験し、蒼井雫と同じように全バトに放り込まれ、同じ仲間を持ち、同じような危機に瀕したならば”――
やはり、同じように行動していただろう。
可哀想に、と。
いまの雫のように振舞い、哀れみを誘っただろう。それは誰も否定することが出来ない、彼女の思考であり、経験なのだから。
しかし、雫は知っている。
自分が可哀想なんかじゃないことを、他の誰よりも熟知している。
正当防衛で殺した――憂沙戯はそう思っているだろうし、その状況を知らない翔兵だって、撃った雫を受け入れられないにしても、なんとなく、そうせざるを得ない状況だったのだろう、と察することは出来ていた。
だが、違う。
それは客観的な視点であり、雫の視点ではない。撃ち殺す側の視点はもっと冷静に、かつ残酷だ。
炎の雨を降らし、富山チームを襲う敵魔術師――『その魔手から仲間を救うため、仕方なく殺した』。これを大義名分にしておけば、自己擁護も容易で、雫としても振る舞いやすい。
が、その胸の内では、自分が可哀想だなんて微塵も思っていなかった。
なぜなら雫は、自分に全く気がついていない敵のその背後から、無防備に走る相手に狙いを定め、酷く冷徹にレーザー砲を放ったのだから。
殺すために、撃ったのだから。
けれど、その行動とは裏腹に、撃ち抜かれた少女は原型こそ留めていなかったものの、生きていた。少なくとも、このときは。雫の無意識が命を奪うことを拒んだのかもしれない。
倒れる少女、五木六華のくり抜かれ焼けただれた右半身――駆け寄り、それを眺め、『ああ、これで私は、少なくとも炎に焼かれ死ぬことはなくなったんだな』と、雫は安心した。
死にかけの少女を見下ろし、胸を撫で下ろしたのだ。
そして六華の原型を失った身体を見て、死に染まりゆく顔を見て、熱で白濁に染まった眼球を見て、トドメを刺すことなく憂沙戯と合流した。
だから、自分が全く可哀想じゃないことを雫は知っているし、それを伏せ、大義名分という隠れ蓑に籠る自分のしたたかさに嫌気を――と言うより、怖気を感じずにはいられなかった。
罪悪感。
払拭したはずの自己嫌悪。
強烈な精神的苦痛。
だが、そうすると逆説的に、結果だけを見れば、雫の行動原理には一定の論理性があったことになる。
殺意に対し、意味付けした殺意で返す――生き残ることに躊躇はあったにせよ、排除することに戸惑いはあったにせよ、いざ行動となれば、それらの迷いは一切なかった。軽やかに手際よく、魔術師の攻撃に対応し、反撃し、再起不能に追いやった。
蒼井雫はいまや戦場に身を置く戦士ではあるけれど――しかし、デバイスという常軌を逸した兵器がなければ、ただの女子高生である。また、憂沙戯らのように成人し、大日本帝国の軍事訓練を受けているわけでもない。言ってしまえばド素人だ。
それは五木六華も同じとはいえ――いや、洗脳を受けていた分、無駄な思考がないのだから、戦士としては、やや六華のほうが上だっただろう。
二対一のアドバンテージを生かし、結果的に憂沙戯の策に乗っかる形にはなったにせよ、悪しき姫君の奴隷――キリングマシーンと成り果てた六華を、それでも雫は撃ち伏せたのだ。
恐るべき順応能力――雫はまだ、自分のその才能に気づいていない。
手綱さえ引いてやればどんな死線にも対応しうる、兵士としてこの上なき才能に。
……もっとも、今の雫は、そんなことを考えているわけではなかった。
殺した事実を胸に留めてはいるが、あくまで視線は前に――踏み越えてしまった先を、仲間を守るため、この力をどうやって使うか、そのことに終始黙考していた。
悲劇のヒロインを演じつつ、したたかに。
現実を、呑み込んだ。
名も知らぬ少女を直接殺しはいないものの、死に追いやったことについては、思うところもある。だが、これも所詮偽善でしかないことを、雫は根幹のところで理解している。
自分の精神の安定を求めて、平常を保つためにそれらしいことを考える――いままでなら、それで良かったのかもしれないが、それくらいなら生き残るために頭を回転させ、自分を黙殺したほうが、いくらか生産的だろう。
奇しくも、蒼井雫は全バトという舞台にあがり、富山チームという居場所を得、存在意義を、自分の価値を見出した。
雫は車の窓から、闇に染まる富山の景色を眺め、過去の自分を思い出す。
失敗に失敗を重ねてきた自分――全てから逃げていた自分――考えうる限り、最悪の罪を犯した今の自分。
かぶりを振って、前を見た。
生き残るために、生きるために。
彼女はいま、努力を始めたのかもしれない。
かくして。
それぞれの思い、不安を抱えつつ、戸津甲翔兵、蒼井雫、月野憂沙戯、目多牡薫ら富山県チーム一行は石川へと車を走らせる。
そして残念なことに物語は続く。
殺し、殺されようとも、最後の一つになるまで新たな死線へ。
間違いに間違いを重ね、酷く歪んだこの世界に足を踏み出して――少年、少女は大人になっていく。
だから――いつまでも同じではいられない――
だって、人間は驚くほど残忍だし、生きることは思った以上に過酷だし、現実は目を覆いたくなるほど残酷なのだから。踏み留まっている時間など、あるはずもない。
進め。
どんな困難が待ち受けていようとも、どんな災難に見舞われても、前を見て行動することだけが道を切り開く。たとえそれが間違った道でも、どれだけ傷つき、どれだけ泥にまみれようとも、立ち止まるのは死んでからでも遅くはない。
だから今は、足を前へ、前へ。
――生きるために、生きろ。




