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悪役令嬢、森で拾った狼が満月の夜にイケメンになる  作者: 夜凪 蒼
第二章 満月の結婚式編

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第49話「しっぽは、これからも」

新しい暮らしの2日目は、玄関の前から始まった。


 扉を開けると、鹿がある。


 立派な角の雄鹿が1頭まるごと、朝露の降りた軒先に横たえてある。春の朝に一度見た眺めだ。あのときは寝ぼけを疑って扉を閉め直したけれど、今朝の私は閉めない。成長したのである。


「ルーク」


 鹿の向こうに、人の姿のルークが立っていた。夜明けの狩りから戻ったばかりらしく、下ろしたままの銀髪が朝日を吸って、襟元に森の露が残っている。獲物の横にただ立っているだけの男が一枚の絵になってしまうのだから、この顔は朝から本当に困る。


「求婚なら、もう済んでるけど?」


「礼だ」


 短い。しかも目が合わない。銀灰色の目は斜め上の軒へ逃げていて、指の節が鼻の頭をひと掻きした。月明かりの直球は投げられるのに、朝の礼ひとつでこれだ。


「礼って、何の」


「お前が、ここにいる」


 ……だから、それはお互いさまでしょうに。


 言い返す代わりに鹿を見下ろした。小屋の裏では、春に届いた求婚の鹿が、干し肉の最後のひと束になって揺れている。春の鹿はあんなに胸を騒がせたのに、入れ替わりに来た今朝の1頭は、暮らしの音のひとつみたいな顔でそこにある。同じ獲物が、問いから返事に変わっていた。


「次からは予告してって、言わなかった?」


「言うと、礼にならん」


 礼の流儀までこの調子である。


 しかも、鹿だけでは終わらなかった。


 庭の入り口に、小さな獲物が点々と並んでいる。野兎が1羽、川魚が3尾、山鳥がひと番い。森の縁では灰色の影がひとつ、置き逃げの真っ最中だった。


「群れの祝いだ」と、ルークが言う。「新しい番の家には、最初のひと月、それぞれの獲物をひと口ずつ届ける。群れの食卓に、お前の席が増えたという意味だ」


「……朝から泣かせにきてる?」


「事実を言った」


 食料庫は当分、賑やかになりそうだ。


 茂みが爆ぜて、灰銀の毛玉が転がり出てきた。ピートだ。式の役目のあとまる一日眠って復活した子狼は、私の足元まで全力で駆けてきて、口に咥えていたものを誇らしげに置く。


 木苺の枝、ひと房。


「これがピートの獲物?」


「きゅん!」


 尻尾が千切れそうな勢いで答えた。兎より魚より、正直いちばん嬉しい。しゃがんで首まわりをわしわし撫でたら、勢い余った後ろ足が木苺を半分潰した。献上品が。


 昼までかかって、鹿は塩漬けと吊るし肉に姿を変えた。今回は人の手が二組ある。皮剥ぎの手際は彼のほうが上で、悔しいから「治す手と頂く手は別物なの」と春と同じ言い訳をしておいた。


 午後、薬草を干していると、足元に銀色の狼が現れた。力仕事が終わった途端にこれだ。彼の中で毛皮は、仕事着ではなく寛ぎ着であるらしい。日なたを選んで寝そべり、ごろりと半回転、後ろ脚を投げ出して腹を空へ向ける。


「新婚でも、やることは変わらないのね」


 尻尾が草をぱたりと打つ。春の日を溜めこんだ腹は、今日もたいへんなもふもふである。手のひらを埋めると奥のほうがぽかぽかと温かくて、日なたの匂いがした。新妻の務め——ではなく完全に私の趣味で、薬草そっちのけの時間がしばらく続いた。


 夕方、着替えを出そうとクローゼットを開けた。左に私の服、右にルークの服。いちばん奥には、白いドレスと濃紺の正装が肩を寄せ合うように掛かっている。すこし眺めてから、静かに扉を閉めた。


 お茶は、庭のローズマリーをひと枝。花の香りに蜜の甘さ、しまいに塩がひと粒。今日はカップをふたつ並べて、片方を暖炉の前へ運ぶ。


 夜のルークは人の姿で、定位置に座っていた。カップを受け取って——ふと、その目が私の胸元で止まる。


 伸びてきた指が、首飾りの石をそっと持ち上げた。鏡のような艶の月長石。彼が牙から削り出した、精巧なほうの石だ。火明かりを受けて、芯のところで青白い光が揺れている。


「月の色に磨いた」


「うん。自慢の夫の作です」


「だが、負けた」


「何が?」


 ルークは石と私の顔を見比べて、真顔で言った。


「月のほうが暗い。お前の目より」


 ……お茶を持っていなくてよかった。持っていたら確実にこぼしていた。


「そ、それは褒めてるの?」


「事実を言った」


 今日二度目のそれが、今日いちばんの威力で飛んできた。私の頬はもう、暖炉のせいにできない温度である。褒め言葉の修行を積まれたら、この先の暮らしで身がもたない。


 カップの湯気が落ち着いた頃、隣に並んで火を見た。


「次の満月までに」と、ルークが言う。「席を、もうひとつ作る」


「席?」


「グリムが来る。ミーナも来る。ピートは床で寝る」


 椅子の話だった。新しい家族の家に、これから増えていく席の話だ。教えることも、教わることも、まだ山ほどある。


「ねえ、ルーク。しっぽ、動いてる?」


「ああ」


 まっすぐ私を見ての返事だった。それからすこし黙って、火に視線を戻して付け足す。


「明日もだ」


 明日も。狼の日も、人の日も、鹿が玄関にある朝も。


 見えないしっぽは、もう二本ある。この人の背中と、私の背中に一本ずつ。今夜も並んで揺れていて、きっと明日も、その先のずっとも。


 ——しっぽは、これからも。

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