1.竜への独白
この国では、古くから竜が崇められている。
竜は神の遣い。
天より遣わされ、人々にさまざまな加護を与える存在だ。
雨をもたらし、作物を育て、災害をも退ける。
そして、竜と心を通わせることのできる人間は「聖女」あるいは「聖者」と呼ばれ、国の中でも特別な地位を与えられてきた。
竜と心を通わせた者が暮らす国は、災害に見舞われることなく、豊穣を約束される。だからこそ、この国ではその存在が何よりも尊ばれていた。
しかし、竜は人間の営みに深く立ち入ることを好まない。
聖女や聖者であっても、少し感情を交わす程度のことが多い。
ましてや、生涯を共にするほど人間を愛した竜など、これまで一度もいなかった。少なくとも、そう伝えられている。
先代の聖女が亡くなってから、長い年月が経った。
いまだ、次代の聖女、あるいは聖者は正式には認定されていない。
それでも、この国には近年、かつてないほど素晴らしい竜の加護が与えられていた。
天候は穏やかで、土地は豊か。
災害はほとんど起こらず、作物はかつてないほど実った。
だから人々は信じていた。
きっと、どこかにいるのだ。
竜と強い絆を結んだ者が。
そんな折だった。
一人の男爵が、ある少女を連れて王都へやってきた。
「私は見たのです!」
男爵は声高らかに言った。
「この娘が、竜と心を通わせるところを!
娘はおそるおそる竜へ手を伸ばし――竜は、その手を拒まなかった。」
その証言、それだけで十分だった。
人々は歓喜した。
ついに聖女が現れたのだ、と。
少女はたちまち聖女として受け入れられた。
そして、聖女を連れてきた男爵は英雄となった。
その裏で、男爵が公爵と手を結んでいたことなど、誰も気づかなかった。少女が本物の聖女ではないことも。
仕組んだ者たちと聖女と呼ばれた女以外はだれも気づかない。
そして、聖女は王太子の寵愛を得た。
イリヤは王太子の婚約者だった。
そして、イリヤは、今日、処刑される。
処刑までの数日間、イリヤは脱走防止も兼ねて、石造りの高い塔に幽閉されていた。
塔の窓から見える景色だけが、せめてもの慰めだった。
空が近い。雲が流れていく。
どうして、私はここにいるのだろう。
私はなぜ、殺されるのだろう。
答えは、あまりにも馬鹿馬鹿しいものだった。
婚約者である王太子殿下の「真実の愛」の相手である聖女を害そうとした。
それが、イリヤの罪らしい。
青天の霹靂とは、まさにこのことだ。
イリヤは彼女を害そうなどと思ったことは、一度もない。
そもそも。イリヤは王太子殿下を愛していない。むしろ、冷ややかな目で彼を眺めていたくらいだ。
婚約だって、イリヤが望んだものではない。幼い頃に、家の都合によって決められた政略結婚。
王太子妃になることに、憧れなどなかった。
むしろ、イリヤを縛りつける重い鎖でしかなかった。
「……馬鹿みたい」
ぽつりと呟いて、窓の外を見る。
私が国のため、家のために我慢してきたことは、何だったのだろう。
好きでもない人との婚約を受け入れた。
王太子妃になることを受け入れた。
自由に生きることを諦めた。
叶えたかった恋も、胸の奥へしまい込んだ。
なのに。
何もかも、無駄になってしまった。
本当は。
イリヤには、叶えたい恋があった。
一緒に生きたいと思える人がいた。
この国を捨ててでも、あの子と一緒に行きたかった。
私のルディ。
けれど。もう、遅い。
家族に疎まれても、婚約者に必要とされなくても、国のために。家のために。
いつか何かが報われるのだと、そう思って、諦められなかった。だから、自分自身を鎖で縛りつけるようにして、生きてきた。
振り返ってみれば、私には、何も残っていない。
家族も、婚約者も、地位も、未来も。
何もない。
「……ルディ」
短い間しか、一緒にいられなかった。
それでも、あなたといた時間は、幸せだった。
もう、私の中にはルディとの思い出しか残っていない。
「結局。あなたが、私の人生のすべてだった」
窓の外へ目を向ける。
青い空が広がっている。
「……ルディ」
もう二度と会えない。
ルディ、ルディ。
最期にひとめ、あなたに会いたい。
あなただけが、私の未練なの。




