最終話 『さらば、ミラと浪漫』
ギルドの前に一台の馬車が止まる。
ハンターたちの怒号と喧騒に包まれているはずのギルドは、今日は固く扉を閉ざし、深い沈黙に沈んでいた。通り行く人々の視線の先には、扉に掲げられた『本日、全館休業』の看板があり、珍しい事もあるものだと不思議に思わせた。
ソファに深く身を沈めていたガルドの意識が、自身を呼ぶ声にゆっくりと覚醒する。視線の先に、ネリーネが気遣うようにこちらを見て、どうやら眠っていたらしいと、ガルドは苦笑した。
「大丈夫ですか? 馬車の準備ができたと呼びに来たのですが…」
「ああ…昔の事を思い出していたよ」
「ミラさんの、ですか?」
10年以上前、チェロがどこからともなく拾ってきた少女。
そのころのミラは、今では考えられないほどおどおどしており、何もかもにおっかなびっくりと言った様子で、ガルドも心配になるほどだった。
「——それはまた…想像できませんね」
「なのにアイツの師匠ときたら「自分がついてるから大丈夫」とか言ってな。まるで野良犬でも拾ってきたかのような言い草だったよ」
ネリーネは静かに頷いた。普段、あまり感情をあらわにしない上司の一面に驚きながら、その言葉の端々に込められているミラへの想いに、温もりを感じて目を細める。
「——っと、いかん。せっかく呼びに来てくれたのに喋り過ぎた」
まるで照れ隠しするように椅子から立ち上がると、いそいそと支度を済ませた。その様子を眺めていたネリーネは、口元に手を当ててほほ笑んだ。
「ふふ、嫁ぎ先へ送り出す父親のようですね」
「頼むから、このことはアイツには内緒にしといてくれ。他の者にもだぞ?」
ガルドは逃げるように部屋を出ると、ネリーネも黙ってその後に続いた。
南区の駅へは、ギルドの傍にあるセントラル駅から行けばすぐである。この日に限って馬車を手配したのは、ネリーネ自身がミラの見送りに参加したいと申し出たからだった。あまり人混みが得意ではない彼女を気遣い、ガルドが馬車を手配した次第である。
石畳に揺れる馬車の中は、車輪が地面を駆ける音以外、静かなものだった。ミラにかける別れの言葉を反芻していたガルドの意識をふと、ネリーネが遮った。
「……ギルド長、改めてお礼を言わせてください」
不意の言葉に、ガルドは片眉を上げた。
「なんだい、藪から棒に」
「ミラさんをギルドに迎え入れた、あなたの『慧眼』に、です」
「慧眼って、そんな大げさな…」
首を振りつつ、ネリーネは膝の上で手を重ね、穏やかに言葉を続けた。
「今回の件で父に呼ばれました。相変わらず、こちらの都合などお構いなし。いつもの私だったら、ただ頷くことしかできなかったでしょう。けれど——それが出来なかった」
王国の秩序を司る、法執行官である彼女の父親の冷徹さは、ガルドも聞き及んでいる。法を絶対とし、身内であっても一切の情を挟まないその存在は、ネリーネにとって超えることのできない高い壁だった。
「——あの父に、匙を投げさせてやったんです」
鼻高々と語るネリーネの表情には、かつての刺々しさは消え、憑き物が落ちたような清々しさがあった。「正しい理屈」で娘を屈服させようとした父に対し、彼女は法理を超えた、ギルド職員としての、そして一人の人間としての信念を突きつけたのだ。
それはネリーネが、父の保護下にある「貴族の娘」から、自らの足で立つ「自立した女性」へと認められた瞬間でもあった。
(そこでどんな『修羅場』が繰り広げられたことやら…)
彼女の自立を喜びながらも、さらに一段大きくなった彼女の存在に、ガルドは苦笑いして誤魔化した。
「アイツを入れたのは、何か計算あっての事じゃない。ただ、疲れ切ったオッサンが、一波乱沸かせてやるぜっていう、そんな嫌がらせのつもりだったんだけどね」
「まあ!」
ネリーネは困ったように笑った。仮にそれが本心だとしても、いまは怒りなど湧いてこない。ギルド長として、日々抱えきれない苦悩と戦っていたのだと思えば、むしろ人間味を感じられたし、それを受け入れる事が出来る自分に、ネリーネも喜んでいた。
「——けれど、これから、ギルドは大丈夫なんでしょうか…?」
先ほどまでの穏やかさが一転、ネリーネの瞳に不安の影が差す。その表情は、いつもと変わらず凛としているが口元はきつく結ばれ、抱える不安の大きさを物語っているかのようだった。
「——今回の件に関わった者たちには、相応の罰が与えられた。エドワードのような奴はそうそう現れるもんじゃないよ」
「違うんです。エドワード…彼のやろうとしたことと、私たちの『使命』に、どれほどの差があるのか、私にはわからないんです。ミラさんがいなくなって、私たちは道を誤らずにいられるのでしょうか…」
不安におびえるネリーネの目を、まっすぐに見つめる。責任感の強い彼女だからこそ、自身を見失いかけているのだろうと、ガルドは思った。
しばらくの間、沈黙が車内を覆う。やがて目的地が近づき、馬車の速度が落ち始めた頃、ガルドは重々しく口を開いた。
「ネリーネ、君はもう以前の君じゃない。父親と向き合い、自分を変える強さを手に入れたはずだ」
ガルドは静かに、けれど力強く言葉を継いだ。
「……足りないものを補い合う。それが組織ってもんだろう? 君が迷ったときは俺たちが、俺が迷ったときは君が、互いの襟首を掴んで引き戻せばいい」
ガルドの言葉に、ネリーネは目を見開いた。
「俺たちは、もっと他人を頼っていこうや。でなきゃ、それこそエドワードみたいになっちまう」
それはネリーネには今までない考えだった。貴族の娘として、常に気高くあり、その使命を全うせんとする考えは、いつの間にか彼女を孤立させていた。ミラという存在は、そうした境界を無遠慮に破壊して回る嵐のようなものだったが、だからこそ自分も外の世界へ一歩踏み出せたのだ。
「そうですね…私ったら、また一人で考えて――嫌ですね」
「さあ、着いたぞ。湿っぽい顔はやめだ。せっかくの門出なんだから、笑顔で送ってやろうじゃないか」
馬車が止まり、御者が扉を開けた。薄暗い車内から出た時、ネリーネの視界もまた開けたような気がし、その足取りは今まで以上に凛と軽やかなものだった。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
雨が降っていた。
重苦しく空を覆う雲から、銀色の雫となって、雨が切れ目なく降り続いている。その雨の中、ミラは城壁外のぬかるみに掘られた、大穴の前で立ち尽くしてた。傘も持たず、ジャケットを無造作に羽織っただけのミラの姿に、ジュリアン卿の従者は気が気でない気持ちで見守っていた。
ガルドたちには悪いと思いつつ、ミラは一足先にラグニールを発っていた。見送られる気恥ずかしさから逃げ出したともいえるが、それ以上に、彼女には自分自身でつけなければならない『ケジメ』があった。迎えにきた従者を「オレの気が済むようにさせろ」と強引に説き伏せて彼女が赴いたのは、かつてエドワードが治めていた街——『プランボール』である。
「記録にないものは存在しません」
無機質な静謐に包まれたギルドで、感情をそぎ落とされた受付嬢は、ミラにそう告げた。調べさせたのは、かつて「ヴォルケ」だった者——エドワードに拾われ、化け物になる前に持っていたはずの、一人の女の名だ。しかし女の痕跡は、綺麗になくなっていた。
記録にないものは、最初からいなかったことと同じという受付嬢の態度に、ミラは憤りを感じつつ、黙ってその場を去るよりなかった。
(せっかくマシな体を手に入れたんだもんな…不完全な自分なんて、見たくもないか)
そんな感傷が、ミラの心に沸いてくる。
車窓から見たプランボールの街並みは、どこを見渡しても白塗りの建物に囲まれ、磨き上げられた石畳には塵一つ落ちていない。けれどその清潔さは、人の営みや汚れを一切拒絶するかのような、死のように冷たいものにミラには見えた。そんな街の印象が、自分らしくない感傷を抱かせたのかもと、ミラは苦笑する。
そして今、ミラは城壁の外、北側にある共同墓地に来ていた。プランボールの犯罪者、浮浪者、身元不明の者、そして死者を弔うだけの財もないものたちは、すべてここに埋められる。
「ミラ様…このような不浄な場所にいったい…?」
従者は辺りをきょろきょろと見渡しながら、あからさまな嫌悪の表情を浮かべていた。
名札もなければ、手向けられた花の一輪もありはしない。丁寧な埋葬とは程遠い光景だ。東西に長く伸びた四角い大穴は、まるで型をはめてくり抜いた「ゴミ捨て場」のようだった。
穴の端に立ち、ミラは底を覗き込む。泥の中から突き出された真白な手が、まるでおいでおいでもするようにミラへ向けられていた。
不規則な雨音を割って、泥を踏む音がミラの方へ近づいてくるのがわかった。
「——なんだね、お前さんら」
真っ黒なマントを羽織った墓守が、心底迷惑そうに声をかけてきた。ミラは一瞬、そちらに目を向けたが、すぐにまた穴の底の白い手に目を戻す。右腕——幾重にも包帯が巻かれたその手が、懐に忍ばせた硬い感触を確かめるように微かに動く。
「埋葬に来たんだけどね。いくらなんでもこれじゃあな…」
墓守の淀んだ瞳が背後の従者へ動き、上から下へ嘗め回した。豪華な馬車と、雨に濡れても品位を失わない従者の姿。『富』の匂いを嗅ぎ取った瞬間、墓守の顔に心底下品な笑みが浮かんだ。
「ご不満があるなら、金次第でどうにでもなりますぜ。立派な棺も、なんなら神父も用意いたしやすよ?」
「……中に入れるのは、とんでもない極悪人だぜ?」
ミラの皮肉に、墓守は鼻で笑った。
「金さえもらえれば、石ころだろうが罪人の首だろうが、拝みまさぁ」
懐に忍ばせた、右手に力が入る。
死闘を演じたヴォルケは、骨すらも残らずこの世から消え去った。そしてミラの愛刀『百骨』は、その役目を終えたかのように柄だけを残して砕け散ってしまった。その巡り合わせに運命めいたものを感じ、双方を埋葬する意味を込めて、ミラはプランボールに来たのだ。ミラはもう一度、穴の底を覗く。
(——結局これが…戦い続ける奴の結末なのかねぇ)
怒りとも虚しさともとれる、重い気持ちが去来する。ミラは覚悟を決め、懐から百骨の柄を取り出した。
「……中身はこれだけだ。丁重に扱いな」
差し出された「ただの刀の柄」を見て、墓守の顔から一瞬笑みが消える。装飾品をいただく算段がはやくも破綻したと、心底がっかりしていた。だが次の瞬間には、また下品な笑みに戻っていた。
「——へい!そりゃあもう」
汚れた手を慇懃に差し出す。その頭は、すっかり埋葬代の上乗せという計算式を組みたてていた。
(……これで、よかったんだ。そうだろう?)
ミラは自分自身に言い聞かせた。
だがその指先が、石のように固まって動かない。そんな彼女を、墓守が不思議そうに見つめる。次の瞬間、ミラが驚くほど、右手が激しく震え始めた。
(……なんだ? なんで手が震えてやがる)
心臓が高鳴り、自分でも抑えられないこの体の震えには覚えがあった。すっかり記憶の奥底に捨て去ったとばかり思っていた、過去の記憶。決められた結婚という「檻」から逃れるために、実家を飛び出したあの時と同じ感覚だった。
(…怖がっている、のか?なぜ…)
今ここで、百骨を手放す。それは単なる供養ではない。これまで「陽炎」として生きてきた自分、自由を求めて剣を振るってきた『ミラ』という一人の女の歴史を、完全に切り捨てることに繋がる。自分自身を埋葬する事への、本能的な恐怖だった。
(問題ないだろ!……オレはただ、古巣へ戻るだけだ!何を恐れる!)
自分を落ち着かせようと、ミラは必死に言い聞かせる。
これは自分が選んだ、新しい戦いのはずだ、と。けれど脳裏を掠めたのは、ヴォルケの最期の情景だった。
自分を焼き尽くすほどの熱の中、最後はすべてから解放され、彼女は氷の結晶のように美しく砕け散った。
それに対し、自分はどうだ。ボロボロになり、右腕の自由を失い、それでも死にきれずに、こうして泥にまみれて無様に生き残っている。そうしてまた、自分の過去を捨ててでも、生き残ろうとしている。
(……ああ。オレは、アンタが羨ましかったのか)
自嘲気味に笑い、震える拳を握りしめた。
この先、自分には二度と訪れないであろう、『戦士としての完成された死』。 百骨を手放すということは、その気高い羨望とは無縁の、穏やかで退屈な「生」という檻を受け入れること。それが、死ぬことよりも恐ろしかったのだ。
「……ミラ殿、流石にそろそろ…」
固まったミラの耳元に、従者がささやく。差し出された墓守の手は、泥で汚れており男の強欲さを象徴しているように見えた。
(もし、ここで手を引いたなら……?)
迷いが指先に力を込めた、その時だった。
ミラの右腕が、ドクンと鼓動を刻んだ。
「え…?」
ヴォルケを打ち倒して以来、砂漠のように枯れ果てていたはずの魔力の回路が、一瞬脈打ったように感じたのだ。
(まさか…)
ミラは握られた百骨を見た。
一瞬のことであったため、気のせいだったのではと思う。しかし現に、彼女の心臓は高鳴り、魔力が全身を駆け巡ったかのような、熱い躍動の残滓が全身に残っている。
かつて数多の死線を共に越え、最後はヴォルケの胸の中で砕け散った愛刀が、その身に残る命の欠片を燃やし尽くして、彼女に何かを伝えたかったかのようとしたかのように感じた。
その時、どこからともなく一陣の激しい突風が、墓地を真っ向から切り裂く。
泥水を跳ね上げ、唸り声を上げて暴れ狂う突風が、彼女たちに襲い掛かった。墓守も従者も「ひゃああ!」と悲鳴を上げて身をかがめ、ミラもまた、目を開けていられないほどの風に視界を奪われた。
嵐のような時間はやがて風が止み、彼らが恐る恐る目を開けたときには、あれほど執拗に降り注いでいた雨もすっかり上がっていた。巻き上げられた泥で全身を汚しながら、まるでキツネにつままれたかのように、三人はその場で呆けた。
その視界の先に、雲の切れ間から一筋の陽光が降り注いでいた。それはプランボールから少し離れた、緑の芽吹きを感じさせる小高い丘だった。そこだけがキラキラと光り、この浄化されつくした街で、唯一の神聖な場所のようにミラには見えた。
ミラは光の高台と、握られた百骨を交互に見比べる。「ふっ」と鼻から笑いがこぼれた。先ほどまで彼女を縛り付けていた不安も未来への迷いも、その神々しい導きを前にどうでも良くなっていた。
「……悪いな、おっさん」
ミラは墓守の手を振り払い、百骨を強く握りしめた。右腕に宿った一瞬の熱はすでに消えていたが、掌には確かな温もりを感じていた。 彼女はぬかるみを蹴立て、光に照らされた高台へと歩み始めた。
「もっといい場所に案内してくれるようだわ」
「ミラ殿!? ど、どちらへ!」
呼び止める従者に、ミラは赤い髪をなびかせて、にっと笑って見せた。
「あそこまで登るぜ。お前さんも付き合いな」
「ちょッ…いい加減にしませんと、我が主人が~!」
半泣きになりかけた従者を置いて、ミラは日に照らされた丘に向かってずんずんと歩みを進める。もう迷いはない。一歩踏み出すごとに、泥まみれのブーツが、確かな大地の感触を伝えてくる。
「ああ、そうだ。あそこはいい」
そう呟きながら、ミラは大地を踏みしめる。
恐れも迷いも、街を見渡すその丘の上に埋められたなら、きっと晴れやかな気持ちになれるに違いない。それこそが、右腕に抱えたものたちへの、最高の手向けとなる。ミラはそう確信していた
残された墓守は、まるで今しがた吹き荒れた一陣の風のような訪問者たちの背中を、ただただ茫然と見送っていた。まるでその歩みに合わせるかのように、雲間はみるみる広がりおだやかな日差しが地面を温めていく。
墓守が我に返った頃、二人の異邦人の姿は陽炎の波間に溶けて見えなくなった。
遅くなりましたが、なんとか最終話まで書ききる事が出来ました。
いままで何度か小説を書こうとしてはきたけれど、こうして書き終わる事が出来たのは初めてです。
それもこれも訪問者の方々がいたからこそです。
第二章も考えてはいますが、それはまたの機会に。
お付き合いいただきありがとうございました!




