17 『乙女心と秋の蟲』
カイルは一人、ロビーの隅の壁に寄りかかり、ギルドの様子を眺めていた。
なにをするわけでもない。ミラなき今、カイルがプリムに会う方法はない以上、せめていつでも駆けつけられるようにと、こうして時間を見つけてはギルドに来ている。
かつてミラの座っていた席を見る。すでに新しい受付嬢が座っており、その事実がカイルを余計に孤独にさせた。
貴族のものを盗み、『島流し』にされたと聞いた時、カイルにはまるで信じられなかった。盗みという行為そのものというより、『貴族のものを盗むミラ』というのは、カイルの知るミラではない。そう、仲間たちに伝えると、
「また勢いに任せて馬鹿をやったんだろう」
と返されて、カイルもなにも言えなくなってしまった。
(——島流し…)
カイルはギルドの天井に目を運び、見えるはずのない上空を見上げる。
ラグニールの南、はるか先に広がる海の上には、『浮島』と呼ばれる空に浮かぶ島がある。『島流し』とは片道の転移魔法を使って、その島へ飛ばされることを言った。
遺跡同様、島がいつからそこにあるかは、誰にもわからない。かつてはその島を『自国領土』だと主張する国が、大勢の民を移住させた事があるという。しかし浮島はすでに独自の生態系を確立しており、空を統べる魔物たちが占拠していた。
そしてなにより、高度の浮島での生活に人は馴染むことができず、とうとう王国はそこへの移住を拒否。その代わり罪人の監獄として利用し、その所有を主張し続けた。
実質の死刑宣告に近い。カイルも仲間たちも、今度こそはと思わずにおれなかった。
ロビーに視線を戻す。
くだらない自慢話や、依頼の取り合いが聞こえなくなって久しい。刺々しい罵声と、それを冷ややかな目で眺める衛兵たちのいる風景も、カイルにとってすっかり日常になりつつあった。
視界の端で、見覚えのある老ハンターが、しつこく受付嬢へ言い寄っているのが見えた。
「ポムさん、どうかしました?」
「おお、おお!カイルか」
ポムは皺だらけの顔をほころばせた。聞けば、彼の飲み友達である、中堅ハンターとその仲間たちと連絡が取れないため、ギルドに相談に来たのだと言う。遠征か、クエストに難航しているのではと問うと、
「そうだと思っていま、この嬢ちゃんに確認してもらってんだけどよ。ないって言うんだよ。依頼をした記録が」
カイルは受付嬢の方を見た。少女は申し訳なさそうに頷き、カイルに文字が読めるか聞いた。頷くと、木製ファイルに光の粒子が文字を形成しており、ハンターの個人情報、最後に受けたクエストの内容と日付が表示されていた。
カイルが内容を聞かせるとポムは、間違いないのかと何度も念を押してきた。カイルが再度確認し、頷いて見せた。
「そんな馬鹿な!あいつがチビとカカアを置いてどこ行くってんだ!」
ポムはしつこく確認を頼み込もうとした。
「——おい、いつまでやってんだよ」
カイルよりもさらに若いハンターのパーティが、こちらを苛立たし気に睨んでいた。その胸に、これ見よがしに煌めく金色のプレート。最近、入りたての新人たちだった。
「悪ない。いま、すこし立て込んでいるんだ。悪いけど、別の所に並んでくれないか?」
カイルがにこやかにそう言うと、いきなり新人ハンターの手が彼を突き飛ばした。
「錆銀が、なに偉そうに言ってんだ?」
『錆銀』とは、カイル達のような古参のハンターライセンス所持者への蔑称だ。
目を剥き、顎を突き出してくる。明らかな挑発だった。カイルはチラリと衛兵の方を見た。その鎧の下から、刺すような視線を感じる。
「聞いてくれ。この爺さんの仲間が、行方不明かもしれないんだ。時間がかかりそうだから、よそへ行った方が利口だと思わないか?」
新人たちは口々に不満を穿き始めた。
「テメェらが退けばいいだろうが!」
「ギルドもわかんないって言ってんの、聞こえてんだけど」
「はーい!もう死んでると思う人?」
下品な笑いがこだまする。まるで同じハンターと思えず、カイルは拳が痛くなるほど握りしめた。
「…カイル」
ポムが心配そうにカイルをのぞき込む。カイルはその手に誘われ、その場を離れる事にした。その背中に、吐き捨てるように罵声が浴びせられた。
「あれでハンターかよ。『錆銀』にはプライドもないのかね」
カイルの歩みがぴたりと止まる。異変を感じたポムがその腕を掴もうとするが、一瞬遅かった。
新人の胸倉に掴みかかりひねり上げる。
「なにやってんだよ、コラ!」
新人ハンターが必死に抵抗するが、カイルの手は万力のように彼の胸倉をつかんで離さない。決してミラやガッゾのように、力自慢を自負しているわけではないが、相手はあまりにも非力だった。腕がほどけないと見るや、仲間たちがカイルへ罵声を浴びせる。
「おい!ギルド内は暴力禁止だろうが」
「やめてよ!アタシたちがなにやったってのよ!」
騒ぎを聞きつけた衛兵が、有無を言わさずカイルの後頭部を殴りつけた。カイルの姿勢が崩れる。
「ギルド内での暴力行為は禁止されている。全員、大人しくしろ」
衛兵が低く怒鳴りつけると、新人たちは一様に自身のライセンスを翳して見せた。衛兵は逆にカイルの胸倉をつかみ、首から紐でつながれたライセンスを無理やり引きちぎった。カイルの顔を近づけ、低くうなる。
「貴様ら古株は、いつまでも昔の習性が抜けんようだな」
「ぐぅ…!」
衛兵の拳がカイルの鳩尾深くに打ち込まれる。
「俺たちの仕事を増やしやがって。ちったぁ新人の見本になれ!」
二発、三発と拳がカイルに叩きつけられる。
「や、やめろ!やめてくれ!」
ポムは衛兵の袖に縋りつくが、拳は一向に止まらない。その様子を、新人たちは珍しいものでも見るように、ニヤニヤと見つめている。
周囲にいた熟練ハンターたちが、たまらず声を上げた。 だが、別の衛兵が警棒をカウンターに叩きつけ、金属音を響かせる。
「静粛に! 異論がある者は、一律『規律乱し』として連行する! ……今のこのギルドの秩序を守るのは、我々だ」
その脅しに、熟練ハンターたちは口を閉ざした。ここでしょっ引かれれば、明日からの依頼も受けられない。家族を養えなくなる。しかしなお、声を上げる者たちはいた。
「——わ、悪かった。俺が悪かった」
謝罪の言葉を口にするカイルを、衛兵は苛立たし気に地面へ放り捨てた。
「チッ…手間をかけさせる。おい!こいつは『反省室』行きだ」
衛兵に引き摺られ、カイルはギルドの奥へ連れていかれた。彼を知るハンターたちは、拳を握りしめ、連行されていく後ろ姿を見送るしかなかった。
カイルが衛兵に引き摺られ、しばらくして経ったころ。
扉が壊れんばかりの勢いで蹴り開けられ、ロビーに巨大な影が射し込んだ。知らせを聞きつけたガッゾが、鬼の形相で衛兵に詰め寄る。
「——カイルを、解放しろ!」
息を切らして駆けつけたその手には、すでに彼の大剣が握られている。ロロも、彼には珍しく顔を赤くして武器を手に取っている。リプレは彼らの背後で周りに視線を走らせている。普段の彼女からは想像もできない、氷のように鋭い視線だ。
背後には同じく、顔を真っ赤にした熟練ハンターたちが数十人。全員顔を怒りでゆがませ、手に手に武器を持っている。
「衛兵ども、そこを空けろ! あいつを返さねぇなら、今ここで全員叩き潰してやる!」
ガッゾの咆哮に、金プレートたちは悲鳴を上げて散り散りとなり、衛兵たちが槍を水平に構える。ロビーの空気は一気に沸騰し、一触即発の殺気が充満した。
「き、貴様ら!全員、追放処分にされたいか!」
衛兵の脅しも聞こえない。ガッゾを含め、ハンターたちの目は怒りで染め上がっていた。
「……そこまでです」
その熱を断ち切るように、冷徹な声が響いた。
カウンターの奥から現れたのは、ネリーネだった。いつものように完璧に整えられた制服。その「ギルド職員」としての揺るぎない立ち姿が、今のガッゾには何よりも癪に障った。
「どけよ、事務屋。いまさら何の用だ……」
ネリーネは衛兵の前に立つと、まっすぐにガッゾの目を見る。言葉を選び、しかしはっきりとした声でネリーネは言った。
「——……今ここで暴れれば、多くの血が流れます。剣を治めなさい」
「いくら綺麗事を並べたって、もう無駄だ。そっち側の勝手な言い分なんざ、もう知ったこっちゃねぇ」
「そちら側」という言葉が、ネリーネの胸を鋭く刺した。
それは彼女自身が引いていた境界線だったからだ。自分は貴族であると。その血と、地位のために自分を律することを、幼い事より課していたのだ。
しかしエドワードの選民思想を目にし、彼女の胸に去来したのは明確な嫌悪だった。むしろ仲間の窮地に怒り燃えるハンターたちにこそ、彼女は同調するところがあった。
それはあの夜、泥まみれのミラと、紅茶を飲みかわした時のように。自分はハンターたちの理解者になれたのだと、そう思えた。けれど、それは安全な場所から手を差し伸べていたに過ぎない。
怒り狂うガッゾたちの目に映る自分は、ミラを見捨て、カイルを牢に追いやった「冷酷な管理者」そのものなのだ。
己の傲慢が生み出した深い孤独感が、冷たい霧のように彼女を包み込んだ。
一瞬だけ唇を噛み締めると、静かにガッゾの前へと歩み出た。
そして――。
彼女は無言のまま、荒くれ者たちの前で、深々と腰を折った。頭を下げ、その視線を床の冷たい石畳に落とす。
「…………お願いします。どうか今は、引いてください」
震える、しかし芯の通った声だった。
「彼は…カイルは、私が必ず無事にお返しします。なので、どうか…」
プライドの高いネリーネが、衆人環視の中で見せた、魂の謝罪。
ハンターたちの中に動揺が走る。ガッゾの剣を持つ手が微かに震えた。
ネリーネが今、何を背負ってこの場に立っているのか。彼女もまた、この歪んだ状況の中で必死に「ギルド」を繋ぎ止めようとしていることを、その震える肩が物語っていた。
「…………チッ」
ガッゾは天を仰ぎ、苛立ちをぶつけるように大剣を床に突き刺した。石床に亀裂が走り、重い音がロビーに響き渡る。
「……分かったよ。あんたのツラに免じて、今は引いてやる」
ガッゾは首を巡らせ、カウンターの奥で怯える職員たちを、射抜くような眼光で睨みつけた。
「だがな、ギルドの連中に言っておく! ……ミラを見捨て、この上カイルまで見捨てるようなことがあれば……その時は覚悟しておけ。俺はこの建物を、跡形もなく更地にしてやるからな!!」
それは、ラグニール最大のハンター集団による、明確な「宣戦布告」だった。
ガッゾたちが吐き捨てるように去っていく中、ネリーネは頭を上げたまま、動けずにいた。その拳は、白くなるほど強く握りしめられていた。
イライジャ・フェルドナンドが所有する会員制サロンにて、選ばれた貴族や大商人たちを迎えた夜食会が催されていた。
重厚な扉のこちら側には、ラグニールの喧騒とは無縁の、洗練された静寂と香水の香りが満ちている。壁を飾る名画や、磨き抜かれた調度品の数々が豪勢な室内を一層華やかに彩る。
エドワードが進める「ギルド改革」によって、安価な労働力と貴重な資源を手に入れた投資家や商人たちは、赤ら顔でエドワードを褒めたたえた。
「……相変わらず素晴らしい手際だね、ヘイゼル卿」
「貴公のような御仁と知己を得られたこと、イライジャ殿に感謝せねばなりませんな」
グラスを合わせる会員たちの称賛を、エドワードは当然の権利として受け流す。ギルドの椅子に座り、粗野なハンターどもの相手をする自分など、彼にとっては仮の姿に過ぎない。
ソファに深く腰を下ろすと、隣に座るイライジャが、声を潜めて切り出した。
「ところで、例の『遺物』の回収ですが……。もう少しかかりますかな?」
「ご心配なく。ちょうどいい『使い潰し』が手に入りましてね。近日中には片が付く予定です」
イライジャは満足げに目を細め、エドワードのグラスに深紅のワインを注ぎ足した。
「……実は、隣領のアルベーアにも面白そうな遺跡が眠っておりましてね。いま、そちらの管理権にも根回ししているところなのです」
イライジャの言葉に、エドワードは薄く笑みを浮かべ頷いた。
「それは重畳。このギルドも、良い具合に熟してきたところです。私の後任には、またどこかの田舎貴族でも据えおいてください」
「蝗」たちが、次の緑を求めて地図を眺める。
その濁った瞳には、もはやラグニールの未来など映っていない。あるのは新天地への根拠なき希望と、新たな餌場に向けられた、底知れぬ強欲だけであった。




