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新人受付嬢が怖すぎて、お嬢様ウント取れません!  作者: 白黒熊男
安酒は 高貴な香りに 咽びいて
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16 『迷い道 寄り道ばかりの 人の道』

北ラグニール憲兵隊本部へ来訪したエドワードとヴォルケを、ベアトリスが丁重に出迎えた。

エドワードはその存在を一瞥もしない。苛立ちを隠そうともせず、速い足取りで歩を進める。背後を追うベアトリスの表情に動揺はなく、彼らを暗がりへと案内した。

地下牢の天井から僅かに入る光に照らされて、ミラは壁に縛られていたその姿は凄惨だった。顔面は紫黒く腫れ上がり、乱れた髪が血と汗で頬に張り付いている。引き裂かれた衣服の隙間からは、乾ききらない生傷が赤黒い口を開けていた。


「——まったく口を割らんのです」


そういう屈強な憲兵は、顔が出来の悪いジャガイモのようにボコボコになっており、鼻に入れた詰め物が赤く染まっている。エドワードが金を掴ませて、何かしら耳打ちすると憲兵たちは全員階上へと消えていった。

重い木製の扉が、残響を引いて閉ざされた直後――乾いた打撃音が地下の静寂を切り裂いた。

エドワードの平手打ちがベアトリスの頬を直撃し、彼女の体はなすすべもなく石壁に打ち据えられる。眼鏡の奥、エドワードの瞳には、怒りの炎が燃え上がっていた。


「放っておけと言ったはずだ。そうだな!」


暗い地下にエドワードの怒声が響き渡る。ベアトリスは打たれた頬を抑えたまま、じっと床を見つめて動かない。だが、その双眸に宿る光は、つい先日までの怯えた少女のそれではなく、底の知れない暗い淵のようだった。


「——ククク…」


二人が静かな睨みあいを続ける最中、繋がれたミラが乾いた笑いをこぼした。腫れ上がった瞼の隙間から、射抜くような瞳がエドワードを捉える。


「——その女の方が、よっぽどオレの事をわかってるぜ。テメェの生ぬるいやり方じゃ、何も変わらないと踏んだんだろうよ」


ミラに言われ、エドワードは地面に座る少女を見た。ベアトリスは相変わらず何も言わない。しかしミラの言葉を裏付けるように、彼女の目から一筋の涙が零れ落ちた。

エドワードは鉄格子に掴みかかると、怒りで震える声を絞り出す。


「貴様は、何もわかっていない。私がその気になれば、法の名の下に、貴様などすぐにでも死刑にできるんだぞ!」


ミラは、喉を鳴らしてガハハと笑い飛ばした。気管に逆流した血に咽せ、赤い飛沫をぶちまけながらも、その笑いは止まらない。エドワードの顔は見る見るうちに土気色へと変わっていく。目の前のボロ雑巾のような女に嘲笑われ、その屈辱に、鉄格子を掴む手が無様にガタガタと音を立てた。


「ヴォルケ!」


エドワードは耐えきれず、兵士を連れてくるよう、背後に控えていた影に怒鳴りつけた。


「——たしかに、私が甘かったようだ。おかげで目が覚めたよ。お礼に、貴様には地獄をプレゼントしよう」


慌てて降りてきた憲兵に向かい、エドワードは大声で叫んだ。


「この女は自白したぞ!ここにいる私の部下二人が証人だ。異論はないな?」


困惑する憲兵たちは、狂気を孕んだエドワードの顔と、笑い続けるミラの顔を交互に見渡し、彼へ深々と頭を下げた。


「——もう一つだ!」


エドワードは反転し、ミラの方お振り返る。怒りに狂った目が、爛々と狂気に輝いている。


「ギルドは、この女との雇用契約を本日付で解消。よって、貴様がギルドに負っている全負債は、即刻、本人の返済義務に帰結するものとする!」


一息にまくしたて、彼は残酷な笑みを浮かべた。


「支払期限は今この瞬間だ。返済不能であれば……ギルド長たる私の権限をもって、貴様を『島流し』に処すよう要求する!」


ミラの笑い声が一段と高くなった。そして憐れむような眼でエドワードを見ると、ぽつりと呟いた。


「——だから、お前は甘いんだよ」

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


屋敷に通されたガルドは、主の顔を見てひとまずの安堵を覚えた。

イサイモン・ドル・ヘイケンは、この雨の日の不意の来訪者を、以前と変わらぬ手放しの好意で迎え入れ、暖炉の燃える客間へと案内してくれた。


「隠居生活にはまだなじめないと見えるね、リガルド。こんな雨の日にわざわざ訪ねてくるなんて」


イサイモンは旧友をからかうように笑いながら、暖炉のそばの特等席と、淹れたてのあたたかいお茶を差し出した。


「いただきます」


カップに口をつけると、舌を焼くような熱さに、指先から体がしびれる思いがする。まだまだ体に受け入れるには熱すぎるとして、両手でカップを包み込んだ。


「それで、いったいどういう要件なんだい? いや、急かすわけではないが、君とは審査会くらいでしか顔を合わせる事がなかっただろう?」


ガルドははにかみ、目の前で燃える炎をじっと見つめた。しばらくそうして黙っているうちに、ゆっくりとイサイモンへ顔を向ける。


「——どうにも、ただ隠居というわけにもいかなくなりましてね」


ガルドの声音から温度が消えた。イサイモンの顔から柔和な笑みが引いていき、訝しげに自身も暖炉の火へと身を寄せた


「今回の審査が、真っ当な道理の上にあるものでしたら、私も喜んで庭いじりでも始めていたのですが……。どうも、腑に落ちんことが多くてならんのです」

「どういう事だい?」


ガルドはもう一度、カップを口へ運ぶ。紅茶は程よい温度まで下がり、喉を通る熱さが、彼の胸の奥にある覚悟を静かに後押しした。


「今回の審査会――最初から、私を追い落とすこと自体が目的だったのではないか、ということです」


イサイモンは大げさに考え込む素振りを見せたが、すぐに首を振ってその懸念を打ち消そうとした。


「考えすぎだよ、リガルド。エドワード卿は、君と同じギルド長を務めていた男だと聞く。私は君らの仕事にあまり明るくないから、つい君に気を許してしまったが。…つまりは、年貢の納め時ってやつじゃないのかね?」


イサイモンはガルドの肩に手を載せ、肩の力を抜くように催促した。しかしガルドの表情は晴れない。


「——私はね、審査日の二日前に、ある筋から貴方の急病と、エドワード卿の代理を聞いたんですよ。ええ、彼の名前は以前から聞いてました。異例の抜擢でギルド長になった男ですからね」

「それだけ出来る男という事じゃないのか?」


あくまで楽観を装おうとするイサイモンに、ガルドは逃げ場のない質問を静かに投げかけた。


「——ちなみに、イサイモン卿は知っていたのですか?彼が自分の代理を務めることを」


イサイモンは瞬きをし、すぐに頭を振った。


「いや、彼を知ったのは審査日の当日だよ。君の解任の知らせと同時にね」

「…では、体調を崩されたのは、いつから?」


しばらく記憶を辿り、イサイモンは眉を寄せた。


「審査の一週間くらいだったか。ひどい眩暈と吐き気に襲われたのを覚えてるよ」

「その時点で、誰かに代理人の依頼を?」

「いや…していない。ギリギリまで様子を見ようと思って」


ガルドの言わんとすることが、ようやくイサイモンの脳裏で一つの形を結んだらしい。ふくふくとした頬が徐々に血の気を失い、険しいものへと変わっていく。

わなわなと震えだしたイサイモンの手に、今度はガルドがそっと手を添え、慈しむような目で友人を見つめた。


「——私もね、これが考えすぎであれば良いと思っているよ。だがそう思えない以上、だんまりを決め込むわけにもいかなくてね」


ガルドは冷めきった紅茶を一息に飲み干すと、礼を言って席を立った。

客間の扉の前、真鍮のノブに手を伸ばしかけたガルドは、ふと思い出したようにイサイモンを振り返った。


「ちなみになんだが、最近、屋敷の人間が増えたとか減ったとかはあるかい?」


イサイモンは呆然とした表情のまま、ただ弱々しく首を振った。


「今度からは身辺調査を徹底する事を勧めるよ」


呆然と立ち尽くすイサイモンを残し、ガルドは静かに客間を辞した。


――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


坂を上がるにつれ、街の喧騒は雨音に塗り潰され、代わりに高く聳える石壁が威圧感を持って迫ってくる。壁外貴族の矜持を象徴するヴァリエール家の屋敷は、漆黒の闇の中に、まるで巨大な墓標のように静まり返っていた。

建物はイサイモン邸よりも遥かに壮大ではあったが、その分、至る所の補修が追いついていない。近くで見れば、彫刻の欠落や荒い修繕の跡が、かつての栄華を痛々しく物語っていた。

屋敷の主、バルドニル・ド・ヴァリエールは、執務室でガルドを待ち構えていた。

部屋に入った瞬間、むせ返るような熱気がガルドを襲う。大きな暖炉には、はち切れんばかりに薪が放り込まれ、猛烈な勢いで炎が踊っていた。その上に、精緻な銀細工の燭台が置かれ、煌々と照らされている。


「今更、何の用だね。落ちぶれた元ギルド長が、こんな汚い真似までして」


バルドニルは机の上に、ガルドから届いた手紙を放り出した。


――ベアトリスの将来に関わる重要な話がある――


その一文だけで面会を勝ち取った無作法なやり口を、鼻で笑っている。その表情には、勝ち誇った者の余裕と、格下を憐れむような侮蔑の色が濃い。


「いやぁ、こうでもしないと、お会いできないと思いまして」


ガルドは、バルドニルの指先で鈍く光る、新品の重厚な印章指輪シグネットリングに視線を落とした。


「——随分と景気の良さそうですね」


バルドニルはその視線に気づくと、手をポケットの中へ隠した。


「要件を言いたまえ。私は君を許してはいないし、ましてや今の君に割く時間など、本来一秒たりとも持ち合わせていないのだからな」


豪華に彩られた立派な肘掛け椅子に深く背を預けながら、バルドニルは冷ややかな視線を送った。


「……まさか、私に助けを求めに来たわけではあるまい?」


ガルドは頭をかき、困ったようにはにかんだ。ポケットから愛用のパイプを取り出し、バルドニルの顔色を伺う。返ってきたのは凍てつくような拒絶の沈黙だった。火をつけるのを諦め、それを懐へ仕舞い込む。


「——場合によってはその逆。というより、閣下とベアトリス…いや、この由緒あるヴァリエールの家を救う事になるかもしれませんよ」


バルドニルの表情から笑みが消え、大げさにため息を漏らした


「…君がギルド長の任を解かれて、良かったとつくづく思うよ」

「私も常々、もっと相応しい者がいないかと頭を抱えていたところです。ですが、空いた穴を埋めるのは、誰でもいいというわけではありませんのでね」


ガルドの態度は決して強硬なものではなかった。しかしその目はじっとバルドニルを見つめ、そらされる事はない。バルドニルは視線を合わせたまま、少し居住まいを正した。


「——それでは聞かせてもらおうか。わざわざ雨の中をやってきて、うちに何をもたらしてくれるのかを」

「その前にお聞かせいただきたい。あのエドワード卿を、閣下に推薦したのは、いったいどなたですか?」


バルドニルは目を見開くと、やがて邪悪な喜びに満ちた笑みを浮かべた。


「なにを言うかと思えば。その者に復讐でもするつもりか?」

「——復讐、というのは少し違いますが、事と次第によっては、そうなる可能性もありますね」


バルドニルは席から立ち上がると、まっすぐに出口へ指さした。


「もういい。貴様のその、人を食ったような物言いには反吐が出る。どうせ娘の名を出したのも方便であろう。さっさと出て行け、この無礼者が!」


ガルドもまた、ゆっくりと立ち上がった。だが、その足は出口ではなく、バルドニルの方へと向かう。両者の視線が、暗い部屋の中で火花を散らした。


「——私はね、閣下ほど高貴な生き方はしてきちゃいないが、それでも学んだことが一つあるのですよ。人が他人を褒める時、それは自分自身の影を隠したい時だ、とね」

「ほう、随分と空しい人生を送っているようだな」

「そう思いますよ。おかげで他人を信用する事が難しくなったが、ギルド長としてなんとかやってこれてました」


ガルドは懐から、使い込まれた皮のフォルダを取り出し、バルドニルの鼻先に突き出した。


「——なんだ、それは?」

「エドワード卿の就任までの間に、私の権限で集めた資料です。彼がかつて運営にかかわっていたギルドの」

「それで?」

「正確には、『死亡者リスト』です」


バルドニルは初めて瞠目し、リストに目を向けた。

黄ばんだ紙面の一枚につき、十人以上の名が羅列されている。それが一枚や二枚ではない。ページを捲るたびに、夥しい数の「死」がバルドニルの指先にまとわりついた。


「……その中には、現場のハンターだけでなく、不審な死を遂げた受付嬢も何名か含まれております」


ガルドの声が、低く、冷たく響く。

バルドニルは再び目を剥いた。必死に活字を追う。リストを持つバルドニルの手が、ワナワナと震え出す。その震えに合わせて、指先の新品の指輪が、カチカチと不快な音を立てて机を叩いた。

ちなみに、本当に受付嬢が含まれているのか、ガルドはわかっていない。確証のない、完全な出まかせだ。だが、貴族たるバルドニルを揺さぶるには、十分すぎる劇薬だった。


「——もう一度、聞きますよ。閣下」


背後の暖炉で爆ぜた薪の音が、静寂の中で銃声のように鋭く響いた。バルドニルが、弾かれたように視線を上げた。

ガルドは、逃げ道を塞ぐように射竦めるような目で見つめ、重く言葉を発した。


「この男を閣下に推薦し、ヴァリエールの名誉を泥で汚そうとしたのは……いったい、誰なんですか?」


バルドニルは完全に狼狽していた。壁外貴族特有のプライドと、事態の重さに対処しかねている恐怖が入り混じり、ようやく彼は重い口を開いた。


「……フェルドナンド商事の、イライジャだ」


 

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