第96章:廃都《エルメア》
夜明け前、薄暗い街の外れ。
霧に包まれた古代街道を、レイとセラは歩いていた。
向かう先は――かつて栄華を誇り、今は誰も寄りつかぬ廃都。
その中心部で、行方不明のマリーナが目撃されたという。
「……本当にここで合ってるの?」
セラの声が小さく震えた。
見上げれば、石造りの塔が崩れ落ち、街の残骸が無数に並んでいる。
空は曇天に覆われ、風が吹くたびに灰色の粉が舞った。
「魔力の残留を感じる。間違いない、マリーナはこの先だ」
レイが前を見据える。
その眼には、淡い蒼光が灯っていた。
二人はゆっくりと瓦礫の道を進んだ。
途中、壁一面に刻まれた古代文字が目に入る。
セラが指でなぞると、かすかな声が響いた。
『――汝、神を超える者にあらず。』
空気が揺れた。
レイが即座に魔力障壁を展開する。
周囲の瓦礫が浮き上がり、地面が脈打つように震えた。
「結界……まだ生きてるのか!」
「古代の封印よ。けど、この力……誰かが“起動”させた」
セラが杖を掲げ、光を放つ。
廃墟の奥――そこには、巨大な祭壇のような建造物が現れた。
その中央に、鎖に縛られた少女がいた。
長い金髪、傷だらけの腕――マリーナだ。
「マリーナ!」
セラが駆け寄ろうとした瞬間、空気が凍りついた。
黒い霧が立ちこめ、祭壇の上に影が形を成す。
それは“人”のようでいて、“神”のようでもあった。
漆黒の衣に包まれ、顔は深い闇に覆われている。
ただ、その目だけが、紅く妖しく輝いていた。
「……来たか。ザイロスを葬った者よ」
声は低く、重く、まるで大地の底から響くようだった。
「お前が……マリーナを?」
「彼女は“鍵”だ。新たな門を開くための――神の器」
レイが前に出る。
「神、だと? その名を軽々しく語るな。お前は何者だ」
影が微かに笑った。
「名を問うか。ならば覚えておくがいい。私は《闇の神影(ダル=ネレウス)》」
その瞬間、空気が歪んだ。
闇の波動が広がり、周囲の石像が一斉に動き出す。
「レイ!」
「くそっ、守護兵か!」
レイが詠唱を短く切る。
「――“蒼雷槍”!」
雷光が放たれ、石像を貫く。しかし次の瞬間、背後から闇の腕が伸びた。
「遅い」
ダル=ネレウスの声が響く。
レイの背後に黒い魔力の触手が伸び、瞬時に彼を絡め取ろうとする。
だが、その瞬間――
「“聖域結界・ルミナシェル”!」
セラの詠唱が響き、光の結界が闇を弾き飛ばした。
彼女の額には汗が浮かぶ。
「この力……ただの魔族じゃない。神格の一端を――」
「理解が早いな、娘。そう、“私は神の欠片”。ザイロスの主たる存在だ」
「……!」
レイの脳裏に稲妻が走る。
「ザイロスの、主……だと?」
「そう。奴は“私の一部”に過ぎなかった。だが貴様がそれを討ったことで、私は目覚めた」
影が腕を広げる。
祭壇全体が闇に覆われ、空間が反転した。
目の前の景色が一瞬で変わる。
無数の浮遊する石床、宙に漂う光球、上下の概念すら消えた世界。
「ここは……異界の領域!?」
セラが息を呑む。
レイは剣を抜いた。
蒼い刃が空間を裂き、光を生む。
「ここから先は、お前の好きにはさせない」
「ほう。では見せてみろ、“人の力”とやらを」
衝突の瞬間、世界が震えた。
レイの蒼雷と、闇の神影の黒炎がぶつかり、空間が弾ける。
セラの詠唱が支援に走るが、闇が彼女を飲み込もうとした瞬間――
「させるかっ!」
レイが地面を蹴り、閃光と共に斬り払う。
闇の触手が散り、光の火花が舞った。
しかし、ダル=ネレウスは微動だにしない。
まるで遊んでいるような、静かな余裕を湛えていた。
「悪くない。だが、これが“人間の限界”か」
黒炎が渦を巻き、レイの足元から噴き上がる。
咄嗟に跳び退るも、腕に焼けるような痛みが走った。
視界が揺らぐ――だが、退く気はない。
「……俺は、神に届く」
レイの蒼い瞳が光を強めた。
体の内側から、未知の魔力が滾る。
“蒼の魔導紋”が浮かび上がり、空気が変わった。
「その力……何だ?」
「知らねぇよ。でも、こいつが言ってる。“まだ終わらせるな”ってな」
レイが剣を構えた瞬間、蒼雷が爆発した。
まるで天そのものを切り裂くような閃光が、闇の神影を包み込む。
「貴様……!」
ダル=ネレウスの声が揺らぐ。
光が闇を押し戻し、祭壇が崩壊していく。
「セラ、今だ!」
「わかった――“解呪の光輪・セラフィーネ”!」
鎖が砕け、マリーナの体が解放される。
レイは彼女を抱え、光の中へと飛び込んだ。
次の瞬間、世界が砕けるような音が響き――
二人は元の廃都へと戻っていた。
息を整えるレイの背後で、崩壊する祭壇の中から、声が響く。
「面白い……人間、貴様の中に“何か”が眠っているな」
「……お前は何を知ってる」
「それは次に会う時に話そう。だが、覚えておけ――真の神はまだ目覚めていない」
闇の神影は霧の中に溶け、消えた。
静寂。
崩れた石の上で、レイは拳を握る。
「……やっぱり、終わってなんかいなかったんだな」
セラがそっと隣に立つ。
「でも、また戦える。あなたとなら」
レイは頷いた。
そして、遠くの空を見上げた。
――そこには、まだ“神”を巡る新たな戦いの影が、静かに迫っていた。




