第94章:静寂
少女がギルドの医務室に運ばれてから、三時間が経った。
昼の喧騒を失った夜のギルドには、灯されたランプの光がゆらゆらと揺れている。
カウンターの奥からは治療魔法の光が漏れ、外ではまだ雨がしとしとと降り続いていた。
レイは壁際に背を預けたまま、黙って様子を見守っていた。
隣にはセラが座り込み、焦げたような匂いのする布を手に握っている。
少女の服の一部だった。そこに刻まれていたのは、奇妙な紋章──黒い鎖のような模様。
「……やっぱり、普通の魔物じゃない」
セラの声は震えていた。
レイは小さく頷く。
「わかってる。あの時の反応、明らかに人為的だった。誰かが意図的に、魔物を操ってた」
部屋の奥から現れた老魔導師グランが、深くため息をつく。
「封印魔法……それも人間に施された形跡がある。これは千年前、魔王戦争の時代に使われた“魂の鎖”と呼ばれる術式だ」
「魂の鎖……?」
「その者の精神を縛り、主の命令に逆らえなくする。だが本来、人に使うことは禁忌じゃ」
レイはベッドに横たわる少女を見つめる。
金色の髪が枕に広がり、胸元で淡く光る鎖の紋章がゆっくりと脈打っていた。
まるで、誰かが遠くから彼女を支配しているかのように。
「……助ける方法は?」
「今のままでは難しい。だが、もし“術者”を見つけ出せば、鎖は断てるかもしれん」
グランの言葉に、レイは静かに拳を握った。
その瞬間──少女の唇が微かに動いた。
「……た、す……け……マリーナ……」
「マリーナ……!?」
セラが身を乗り出す。
少女のまぶたが震え、かすれた声で続けた。
「……あの人が……連れていかれた……黒い鎖の、男たちに……」
そのまま、再び意識を失った。
◇ ◇ ◇
数日後。
ギルドに緊急報告が届いた。
『ギルド職員・マリーナ・クレイン、東の街道で消息を絶つ』
報告を読んだ瞬間、セラの表情が凍った。
レイも無言で立ち上がり、報告書を握りつぶす。
「……あいつ、また危険な依頼を引き受けてたのか」
マリーナはいつも、冒険者のために危険を承知で物資の調達をしていた。
明るく、優しく、誰よりも仲間思いで。
そんな彼女が、何の連絡もなく姿を消すなんて──ありえない。
グランが静かに口を開く。
「東の街道で、“黒鎖の刻印”が発見された」
その言葉に、室内の空気が一気に重くなる。
「黒鎖教団……まだ動いてたのか」
レイの声には、かすかに怒りが滲んでいた。
ザイロスの崩壊後、各地で“黒い鎖”の紋章が見つかる事件が続いていた。
しかし、組織の全貌はいまだ掴めていない。
彼らの目的はただ一つ、“世界の静止”──すべての魔力を封じ、神の時代を取り戻すこと。
「……まさか、マリーナを実験に使う気か」
セラが唇を噛みしめた。
レイは無言で腰の剣を掴む。
「行くぞ。依頼だとか報酬だとか関係ねぇ。今度は俺が、絶対に守る」
「私も行く」
「当然だ」
二人は迷いなく立ち上がると、外に出た。
空はすでに夕闇に染まり、街灯の明かりが雨の粒を照らしている。
「……レイ」
「なんだ」
「あなた、少し変わったね」
セラは微笑む。
「昔は誰かを助けるとき、どこかで迷ってた。でも今は……まっすぐ」
レイは苦笑した。
「……そうかもな。守れなかった奴が多すぎた。もう、繰り返したくないだけだ」
二人は雨の中を歩き出す。
その背中を、ギルドの灯りが静かに照らしていた。
◇ ◇ ◇
東の街道へ向かう途中、荒れ果てた集落の跡を通り過ぎる。
建物の壁には、何本もの黒い鎖が刻まれていた。
どれも焼け焦げたような跡で、魔力の残滓がまだ漂っている。
セラが指先で触れると、微かな幻影が浮かび上がった。
鎖の中心には、フードを被った人物の姿。
その者は低く笑い、こう言った。
「“彼女”が鍵だ。マリーナ・クレインを使い、封印を解く」
レイの表情が一変する。
「……やっぱり、狙いはマリーナか」
その時、周囲の地面が不気味に震えた。
次の瞬間、土の中から無数の黒鎖が伸び、二人を包み込もうとする。
「くっ、また幻影魔法か!」
セラが詠唱を開始し、光の障壁を展開する。
鎖が弾かれ、地面に叩きつけられた。
その間にレイは剣を構え、黒い影を切り裂く。
「──“解放”」
刹那、光が走る。
鎖の幻影がすべて砕け散り、夜空に光の粒が舞い上がった。
静寂。
そして、レイは空を見上げて呟く。
「待ってろ、マリーナ。今度は……必ず助け出す」
セラもその隣で頷いた。
「ええ。あの子の笑顔を、もう一度取り戻すために」
雨が止み、月が雲の隙間から顔を出す。
その光は、まるで二人を導くように、遠く東の山脈へと伸びていた。
──そして、そこに待ち受ける“黒鎖教団”の真なる黒幕が、静かにその存在を目覚めさせる。
「来るがいい、レイ=ノヴァリア。神を名乗るにふさわしい者か……確かめてやろう」




