第53章:レイの逃亡
ミナに見つかってしまったのは、ほんの些細な油断からだった。
学園の自室には、魔力を込めることで本人の姿を映し、動きまで模倣する特製の人形を残してきた。これならしばらくは誤魔化せると思っていた。だが、廊下で偶然すれ違ったのは、よりにもよってミナだった。彼女は小さな変化や違和感に敏感で、普段からレイを監視しているかのように目を光らせている。
「……レイ様。どちらへ行かれるんですか?」
その声は穏やかに聞こえるが、微妙に硬い響きが含まれていた。
レイは足を止め、笑顔を作る。
「ちょっと散歩だよ。最近は訓練や依頼ばかりで息が詰まるからな。気分転換も必要だと思って」
軽い調子で返すが、ミナの視線は冷たく鋭い。疑念を隠そうともしていない。
「……散歩。そうですか。なら、私もご一緒します。護衛は必要でしょう」
レイは心の中で舌打ちした。やはり簡単には撒けそうにない。
「いやいや、ほんの短い散歩だから大丈夫だよ。すぐ戻るし、護衛なんていらない」
「いいえ」ミナは即答した。「レイ様が一人で行動するなどあり得ません。なにか、隠しているのでは?」
――完全に怪しまれている。
このままでは本来の目的、セラのためのプレゼント探しは台無しになる。迷っている暇はない。レイは苦笑を浮かべながら、小さく呟いた。
「ごめん、ミナ」
瞬間、目をくらませる閃光の魔法を放つ。ミナが咄嗟に目を覆った隙に、レイは全力で駆け出した。
街へ向かう道を走り抜けながら、レイは焦燥感を募らせる。
(これで時間を稼げるはず……いや、甘いか。ミナはしつこいし、追跡の術にも長けている)
予感は的中した。背後から鋭い魔力の気配が追ってくる。速さは落ちない。むしろ、こちらが撒こうとするほど執念深く追ってきているのがわかる。
細い路地をいくつも抜け、ようやく建物の隙間に身を隠した。息を潜める。しばらくすると、足音が通り過ぎていった。
「……ふぅ、危なかった」
胸を撫で下ろすレイ。しかし油断はできない。ミナが完全に諦めるはずがない。
そのとき、近くの建物から荒々しい声が響いた。怒号、悲鳴、物が倒れる音。
「……ったく、今は厄介事に関わってる場合じゃないのに」
それでも、放っておけなかった。
中に入ると、数人の若者が老人を取り囲んでいた。金銭を巡っての争いらしい。
レイは軽く魔力を放ち、圧を場に広げる。若者たちは顔を引きつらせ、一瞬で散り散りになった。
残された老人が震えながら礼を言うのに、レイは「気をつけて」と短く告げ、再び街の中心へ向かう。
賑やかな大通りに出ると、そこは人と色で溢れていた。
果物を売る店の鮮やかな赤と黄、花屋から漂う甘い香り、宝飾店のガラスに反射する光――すべてが目を奪う。
レイは一つ一つの店を覗き込み、セラにふさわしい贈り物を探す。
そして、目が止まった。
銀細工のペンダント。その中央には淡い蒼色の宝石が嵌め込まれ、角度によって水面のように揺らめく。
まるでセラの瞳のように。
「……これだな」
迷わず購入し、空間倉庫に仕舞い込む。大切なものを絶対に失くさないために。
だが、その瞬間。背筋を冷や汗が伝った。
人混みの中から視線が突き刺さる。
「……やっぱり見つけました」
ミナだった。
群衆の中でもはっきりとわかる冷ややかな視線。息すら乱れていない。最初から逃げ切れる可能性などなかったのだ。
この場所で魔法は使えない。人々を巻き込めば大惨事になる。レイは即座に身体強化を発動し、群衆を縫うようにして駆け出した。
「レイ様、逃げても無駄です!」
背後からミナの声が飛ぶ。彼女の足取りは確かで、追跡の気配はどんどん近づいてきた。
人混みの多い大通りでは速度を出せず、焦りが募る。
(くそっ……! どうする……?)
角を曲がった瞬間、正面に立つ人影に気づき、思わず足を止める。
「レイ?」
それは――セラだった。
金の髪が陽光を受けて柔らかく輝き、琥珀色の瞳が驚きと心配を込めて見つめている。その姿に、レイの心臓は一瞬で強く跳ねた。
後ろから迫る気配。ミナの視線が突き刺さる。
完全に挟まれた。
セラは小さく首を傾げながら問いかける。
「どうしたの? そんなに慌てて……」
背後ではミナが無言のまま立ち止まり、ただ鋭い目で二人を見つめている。
逃げ場はない。
誤魔化すか、それとも正直に告げるか。
レイはセラの瞳を見つめ、そして背後のミナの冷たい視線も感じ取る。二つの想いが交差する中で、彼は覚悟を決めなければならなかった。
(さて……どう切り抜けるか)




