第25章:闇に堕ちた獣牙
夜の獣人の街は、昼間の喧騒が嘘のように静まり返っていた。
宿屋の二階、木製のベッドに横たわりながら、レイはぼんやりと天井を見つめていた。昼間のコロシアムでの戦い――あの獣人戦士ガルドとの死闘が頭をよぎる。
勝ちはしたが、ほんの一瞬の読みと運が重なっただけだった。あれほどの実力者と、あんな形で決着したことに、妙な余韻が残っている。
「……やっぱ強かったな」
小さく呟くと、隣のベッドで寝返りを打つ音がした。
「何? 寝れないの?」
セラが薄く目を開けてこちらを見ていた。
「いや、ちょっと考え事。すぐ寝るよ」
そう返したその時――
――ズシリ、と胸を押しつぶすような冷たい圧迫感が全身を包んだ。
空気が急に重くなり、息が詰まる。
これは……魔力だ。それも尋常ではない。
「……闇属性の魔力?」
セラもすぐに感じ取ったのか、上体を起こし、眉をひそめた。
「外から……しかも強い」
二人は同時に窓際へ向かい、外を見下ろす。
宿の前の石畳に、人影が立っていた。月明かりに照らされ、その顔が露になる。
「……ガルド?」
昼間戦ったばかりの獣人戦士が、そこにいた。だが様子がおかしい。
瞳は赤黒く濁り、唸り声を上げながら、まるで獣そのもののように肩で息をしている。
その背後には、黒いローブを纏った人物――ザイロスの紋章を胸に刻んだ闇魔法使いが立っていた。
「操っているのか……!」
レイが呟いた瞬間、闇魔法使いは指先をガルドに向け、何かを囁く。
黒い靄がガルドの全身を包み、筋肉がさらに膨れ上がる。
そして、闇の獣は宿の入り口に向かって突進した。
ドンッ――!
木製の扉が一撃で吹き飛び、宿の中に黒い影が飛び込んでくる。
「危ない、下がって!」
セラが先に階段を駆け降り、ガルドの前に立ちふさがる。
「目を覚まして、ガルド!」
叫びながら風の刃を放つ。しかし、黒い靄に包まれたガルドはそれをものともせず、突き抜けてきた。
セラの剣が間に合わない――。
ガルドの拳が、セラの腹部を狙って一直線に振り下ろされる。
レイは咄嗟に飛び込み、剣で受け止めた。
衝撃が腕から肩まで響き、足が半歩分後退する。
「セラ、ミナを連れて下がれ!」
レイの声に、セラは振り返る。
階段の上には、怯えた様子のミナ――獣人族長の娘が立ち尽くしていた。
その瞬間、ガルドの赤黒い瞳がミナを捉える。
獣のような咆哮を上げ、一気に跳躍――。
「やらせるか!」
レイが踏み込み、剣を横に払う。
刃と爪が激しくぶつかり、火花が散った。
闇魔法で強化されたガルドの力は、昼間の比ではなかった。
押し返されるたびに足場の石畳がひび割れ、剣を握る手がしびれてくる。
「クソ……本気で来てやがる!」
ガルドは言葉もなく、ただ獣のように唸り続ける。
何度も攻撃を受け流しながら、レイは思考を巡らせた。
このままじゃ、ただ押し切られるだけだ。だが、殺すわけにもいかない。
――なら、意識を飛ばすしかない。
レイは剣を一度鞘に戻し、魔力を練り上げる。
足元から風が巻き上がり、空気が渦を巻く。
「【風裂衝】!」
真横から放たれた突風がガルドの体勢を崩す。
その隙に背後へ回り込み、剣の峰で後頭部を一撃――。
ガルドの巨体がぐらりと揺れ、膝から崩れ落ちた。
黒い靄がふっと消え、赤黒い瞳が元の黄金色に戻っていく。
「……ぐ……ここは……?」
かすれた声で呟くガルドを、レイとセラは支えた。
背後で舌打ちが聞こえた。
振り向けば、闇魔法使いがじっとこちらを見据えている。
その視線には、確かに次なる企みを秘めた冷たい光が宿っていた。
そして闇の靄とともに、その姿は夜の闇へ溶けて消えた――。




