第24章:獣牙の一撃
翌朝、獣人族の街の中央にある巨大なコロシアムは、早朝から熱気に包まれていた。
円形の闘技場をぐるりと取り囲む観客席は、すでに何百人という獣人たちで埋め尽くされている。毛並みの異なる者たちがざわめき、獣のような咆哮を上げながら試合開始を待っていた。
中央の砂地に、レイとガルドが向かい合う。
陽の光が二人の影を長く引き、互いの視線はまっすぐぶつかり合った。
「昨日はよくも受けてくれたな、人間」
ガルドは腕を組み、鋭い牙を覗かせる笑みを浮かべた。
「言っただろ、負けるつもりはないって」
レイは剣をゆっくりと抜き、刃に朝日の光を反射させた。
審判役の壮年の獣人が両手を掲げ、試合開始の合図を取る。
「両者、構え!」
その瞬間――
「始めぇっ!」
ガルドの姿が消えた。
いや、正確には、あまりの速度に目が追いつかなかった。
風を裂く音と同時に、レイの右側から重い衝撃が迫る。
――速い!
反射的に剣で受け止めた瞬間、耳元で金属が悲鳴を上げた。
ガルドの一撃は鋭く、重い。しかも連撃が休みなく襲いかかってくる。
レイは後方へ跳び、距離を取った。
観客席からは歓声とどよめきが混じって響く。
「やっぱりガルド様の速さは桁違いだ!」
「人間なんてすぐ倒れるぞ!」
ガルドはすでに次の一手を放っていた。
地面を蹴った瞬間、砂煙が舞い、獣の咆哮のような気配が迫る。
レイはあえて左へ身をかわし、振り向きざまに剣を振るう。
しかし――空を切った。
「遅い!」
背後から肩口への蹴りが叩き込まれ、レイは地面に転がる。砂が口に入り、苦い味が広がった。
だが立ち上がるのに時間はかけない。
――速度では勝てない。ならば……
レイは剣を低く構え、相手の動きを読むことに集中した。
次の瞬間、ガルドが再び疾駆する。
だが、今度はレイの視線がその足の筋肉の動き、砂の散り方、わずかな肩の揺れを捉えていた。
右、そして上から――!
「はっ!」
レイは剣を振り上げ、ガルドの斬撃とぶつけた。火花が飛び散り、二人の足元の砂が弾ける。
ガルドの目がわずかに見開かれた。
「今のを防ぐか……面白い!」
声と同時に、さらに速度を上げる。
レイは防御と回避を組み合わせながら、わずかずつ間合いを詰めていった。
観客の熱気は最高潮に達している。
「人間が押し返してる……だと?」
「おい、本気で強いぞあいつ!」
やがて、ガルドの動きに一瞬の隙が生まれた。
全身のバネを使って跳び込む――しかし、そこに待っていたのは逆襲の回し蹴り。
レイの視界が一瞬ぐらりと揺れる。
――危ない、意識を持っていかれる……!
奥歯を噛み締め、踏みとどまる。
レイはすぐに反撃せず、むしろ一歩下がって構え直した。
ガルドも同じく距離を取る。二人の間に静寂が落ちる。
わずかな間をおいて、同時に地面を蹴った。
砂が爆ぜ、二つの影が交錯する。
剣と爪がぶつかり、耳をつんざく金属音が響いた。
交錯の一撃から二人は跳び離れた。
息を荒げるレイの視線は、目の前の獣人戦士を捉えたまま動かない。
ガルドは口の端を吊り上げ、鋭い牙を見せつけるように笑った。
「やるじゃねぇか、人間。……だが、ここからは本気だ」
次の瞬間、ガルドの全身から圧迫感のある気配があふれ出す。
獣人族特有の戦闘形態――【獣化】だ。
筋肉が膨れ、爪は刃のように長く伸び、瞳が金色に輝く。
観客席から歓声とどよめきが入り混じった叫びが響く。
「おおっ! ガルド様の獣化だ!」
「これで終わりだな、人間!」
――やっぱり来たか。
レイは剣を握る手に力を込める。獣化すれば速度と膂力がさらに跳ね上がる。今まで以上に一撃が重くなるだろう。
砂が爆ぜた。
視界の端から影が迫り――いや、もう見えない。ただ風圧だけが先に届く。
レイは反射的にしゃがみ込み、頬のすぐ横を爪が通り抜けた。
その風圧だけで皮膚がひりつく。
続けざまに背後から重い衝撃が襲う。
咄嗟に剣を振り上げ受け止めるが、膝が砂にめり込むほどの威力。
「おいおい、まだ立ってるか!」
ガルドの声は挑発的で、それでいて心底楽しんでいるようだった。
――速度を封じなきゃ勝てない。
レイは深呼吸し、頭の中でガルドの動きを整理する。
足音はほとんど聞こえない。頼れるのは砂煙の舞い方と、攻撃前の微妙な重心移動だけ。
そして――使うしかない。
レイは片手を地面に触れ、魔力を流し込む。
「【土陣】」
足元の砂が瞬時に硬化し、細かな石柱が無数に突き出した。
ガルドが駆け込んだ瞬間、その足元の感触が変わる。
高速で走るには、ほんのわずかな引っ掛かりや凹凸が命取りになる。
「ちっ……!」
ガルドの速度が一瞬だけ鈍る。
その一拍――それこそがレイの狙いだった。
正面から飛び込み、剣を横薙ぎに振り抜く。
ガルドは爪で受けたが、衝撃で体勢が崩れる。
「まだだ!」
レイは間を置かず、二撃目を叩き込む。
刃がガルドの肩口をかすめ、鮮やかな赤が砂に落ちた。
観客のざわめきが一瞬止まり、すぐに怒涛のような歓声に変わる。
「人間が……ガルド様を傷つけた!?」
ガルドは口元を拭い、笑った。
「面白ぇ……本当に面白ぇぞ、お前!」
そして、獣化状態のまま突撃してくる。
しかし今度は、レイもその軌道を読めていた。
硬化させた砂地が、ガルドの足の回転をわずかに遅らせる。
ほんの半歩分の遅れ――それが勝負を分ける。
レイは剣を逆手に持ち替え、懐へ潜り込み、柄で鳩尾を突いた。
「ぐっ……!」
ガルドの呼吸が一瞬途切れる。
そこに全力の回し蹴りを叩き込み、巨体が砂上を転がった。
砂煙の中で、ガルドは片膝をつき、息を荒げる。
数秒の沈黙――そして、口から笑い声が漏れた。
「……降参だ。お前の勝ちだ、人間」
審判が両手を高く掲げ、勝者を告げる声が響く。
「勝者――レイ!」
観客席は爆発するような歓声に包まれた。
セラが観客席から身を乗り出し、笑顔で手を振っている。
ガルドは立ち上がり、レイの肩を叩いた。
「いい戦いだった。またやろうぜ」
「ああ、次は負けない」
そう返すと、二人は固く握手を交わした。
その様子を見ていた少女――獣人族長の娘は、目を輝かせてレイのもとへ駆け寄った。
「やっぱりすごい! あんなガルドに勝つなんて……!」
こうして、レイの仲間に新たな一人が加わることが決まったのだった。




