第21章:共に歩む者
ノルダ湿原の名を突き止めてから数日間、レイはほとんど寝る間も惜しんで調査を続けていた。
禁書室の奥深く、古文書の束に埋もれながら、ページをめくる指先はいつも冷たく、眼差しは研ぎ澄まされていた。
魔王――古の大戦で人類と魔族の双方を恐怖で支配し、やがて七つの封印によって力を削がれ、肉体を滅ぼされた存在。
だが魂は完全には消滅せず、世界のどこかに散った封印を辿ることで、復活する可能性があるという。
封印の場所は、長い年月の間に伝承から薄れ、ほとんどの人間はそれをただの昔話だと思っている。
しかし、レイが調べた記録では、魔王の本拠――「魔王城」は今も実在し、深き霧と断崖絶壁に囲まれた死の領域に鎮座しているらしい。
そして、魔王城がある方角には、湿原からさらに奥へ続く「黒の渓谷」があり、その先はほとんどの地図から消されていた。
「やっぱり……直接行って確かめるしかないか」
呟いた声は疲れで掠れていたが、決意は揺るがなかった。
学院を休むことは覚悟していた。だが、レイは優等生で、成績は常に学年上位。数週間姿を見せなくても咎められることはないだろう。
問題は家族だった。
――余計な心配はさせたくない。
レイは学院長室へ向かい、事情をぼかして説明した。
「しばらく学院を離れます。……私用です」
学院長は一瞬だけ鋭い眼差しを向けたが、すぐに小さくうなずく。
「君の判断を信じよう。……ご両親には、研修か何かだと伝えておく」
「助かります」
準備は抜かりなく進めた。地図、魔導具、非常食、武器――すべてを背負い、日の出前に出発するつもりだった。
セラには何も言わない。前回のような危険に二度と巻き込みたくなかった。
だから、最後の晩、彼女の姿を避けるようにして自室に籠もった。
――だが、甘かった。
翌朝、まだ空が藍色に染まる頃。学院の裏門から出ようとしたそのとき、背後から聞き慣れた声が響いた。
「……どこ行くの、レイ」
振り返ると、セラが立っていた。寝間着の上から羽織ったコートは少し大きく、肩が小さく見える。だが、その瞳だけは強い光を宿していた。
「……見てたのか」
「うん。最近のレイ、ずっと何か考えてたでしょ。どうせまた危ないところに行くつもりなんでしょ」
レイは視線を逸らし、冷たく言い放った。
「セラ、お前は残れ。今回は……本当に危険だ」
「危険なのは前からでしょ!」
声が鋭くなった。夜明け前の冷たい空気が、二人の間で張り詰める。
「前のとき、私がどんな気持ちだったか知ってる? レイが帰ってこなかったら、私……」
言葉は震えていたが、セラの視線は逸れない。
レイは短く息を吐き、諭すように続けた。
「セラ、今回は魔王城だ。敵の本拠だぞ。俺一人なら逃げられる場面も、お前がいたら……守らなきゃならなくなる」
「それのどこが悪いの? レイはいつも私を守ってくれる。でも、私だって……レイを守りたい」
レイは口を開きかけ、言葉を失った。
セラは一歩踏み出し、真っ直ぐに見上げる。
「私は、レイと死ぬまで一緒にいるって決めたの。置いていかれるくらいなら、死んだ方がマシ」
その声には迷いがなく、静かな炎のように胸に突き刺さった。
沈黙の中で、レイは拳を握りしめた。
――これ以上拒めば、彼女は一人でも後を追ってくるだろう。それはもっと危険だ。
「……わかった。ついてこい」
「……本当に?」
「ああ。けど約束しろ。無茶はしない。危ないときは俺の言うことを聞く」
「うん!」
セラの顔にぱっと笑みが広がった。朝焼けの光が差し込み、二人の影を長く伸ばしていく。
こうして、レイとセラは共に魔王城を目指す旅へと踏み出した。
その背中に、まだ誰も知らない運命の重みが静かにのしかかっていた。




