第20章:封印の記録を追う者
ザイロスの手からセラを救い出してから、数日が経った。学院の廊下には以前の賑やかな声が戻り、昼下がりの中庭では生徒たちが笑い合いながら昼食を広げている。
だが、レイにとってその穏やかさは、どこか薄紙一枚で覆われた仮初めの平穏にしか思えなかった。
――ザイロスはまだどこかで息を潜めている。そして、その背後にある「魔王軍」という言葉。
救出されたセラは、いつもの笑顔を取り戻しつつあったが、時折、何かに怯えるように視線を泳がせることがあった。あのときの操られた感覚がまだ残っているのかもしれない。
昼休み、学食で向かいに座るセラに、レイはあえて普段通り軽口を叩いた。
「ほら、またパンだけ食べてる。ちゃんとスープも飲まないと、力出ないぞ」
「……うるさいなぁ。別に大丈夫だってば」
セラは少しだけ笑みを見せた。それが本物の笑顔であることを、レイは祈るような気持ちで見届けた。
放課後、レイは学院長室に呼び出された。重厚な扉をくぐると、書類の山を前にした学院長が深刻な表情でこちらを見上げた。
「……君には伝えておかねばならないことがある」
低く落ち着いた声。机の上に置かれた地図には、赤い印がいくつも描かれている。
「ザイロスは、ただのならず者ではない。魔王軍の幹部格だと考えている」
「魔王軍……?」レイは眉をひそめた。
「かつて封印された魔王。その残党たちが、復活のため暗躍している。そしてザイロスは、その鍵を握っている可能性が高い」
学院長はそれ以上を語らなかった。詳細は不明、だが事態は時間との勝負だということだけが伝わる。
その夜、レイは眠れず、学院図書館の奥――「禁書エリア」へ足を運んだ。古びた鍵を開け、ひんやりとした空気に包まれる。ここには百年以上前の魔導書や記録が並び、ほこりの匂いと蝋燭の明かりだけが存在を主張している。
机に山積みされた古文書を、一冊ずつめくっていく。ページの端は黄ばみ、インクはかすれているが、それでも断片的な情報が目に飛び込んできた。
――「魔王はかつて七つの封印によって力を奪われ、各地に散らされた」
――「封印の一つは、北方の廃都に眠る」
――「封印の力が弱まる兆候として、魔物の異常繁殖が見られる」
レイの指が、ある古地図の一点で止まった。
そこには、地図の一部が黒く塗りつぶされ、ほとんど判別できない領域があった。だが、わずかに残った地形の輪郭と、別の書物に描かれた古地図を照らし合わせると、その場所は「ノルダ湿原」だと判明した。
最近の報告書には、ノルダ湿原周辺で魔物の群れが現れ、交易路が何度も襲われたと記録されている。偶然とは思えない。
「……やっぱり、そこに何かあるな」
独りごちるレイの声は、広い禁書室に小さく響いた。
さらに調べを進めるうちに、封印の守護者についての記述が見つかった。
――封印の近くには「守護者」が存在し、外部からの干渉を防ぐ。しかし、その守護者が倒れれば、封印は急速に弱体化する。
もし魔王軍が動いているのなら、守護者はすでに危機に瀕しているはずだ。レイは唇をかみしめた。
夜更け、図書館を出ると、学院の塔の上から赤い月がこちらを見下ろしていた。ぞくりと背筋を走る寒気。
――急がなければ、間に合わない。
翌日も表向きは普通の授業をこなし、友人たちと談笑する時間を過ごす。だが心は常に、ノルダ湿原と封印のことを考えていた。
授業中、窓の外に一羽の黒い鳥が舞い降りた。その足には小さな筒がくくりつけられている。周囲に気づかれぬようそれを受け取ると、中には短い一文があった。
――「湿原にて動きあり。遅れるな」
その筆跡を見た瞬間、レイの目が鋭くなる。学院長の差し金か、それとも別の誰かか。どちらにせよ、行くしかない。
放課後、誰にも告げずに支度を整える。剣と杖、そしていつも使う魔法具。
セラにも言わない――巻き込みたくなかった。
夕暮れ、学院の門を背にして歩き出すレイの背中は、迷いなく前を向いていた。
その向かう先には、まだ誰も知らない暗闇が口を開けている。




