1 アンティークドール(2/5)
それが自分の考えていたものと違っていたことは、ひと目見てすぐにわかった。
私はおそらく、ゴミ屋敷という言葉から目を背けたくなるような光景を勝手に想像していたのだろう。しかし、そこには悪臭を放つゴミも、顔をしかめるような汚物も、そんなものは一切なかった。
不要な物をゴミと称するなら、それは確かにゴミだっただろう。ひとり暮らしの老女に、それは明らかに不要な物だったから。しかし、そのひとつひとつに目を向けてみると、それら全てをゴミと切り捨ててしまうことに、私は確かに抵抗を感じていた。
なぜなら――その古びた一軒家をゴミ屋敷たらしめていたのは、たくさんの古道具だったからだ。
室内からあふれて、それでもきちんと並べられていたそれらは、ひとつひとつがちゃんと名前を認識できる道具だった。間違っても、ゴミと聞いて思い浮かべるようなそれではない。
箪笥や食器、竹籠のような生活の品もあれば、箕や鍬など農具のような物もある。よくわからないが、それでもゴミとは言い切れないレトロな看板や何かの部品。一部には古美術か――とにかく、骨董品としての価値が認められるのではないだろうか、と思える物もあった。
そして、それらは敷地内にきっちりと収められ、整然と並んでいる。周囲の土地を侵すこともなく。
この品揃えからして、老女がここで実は商いをしていたのだと言われても、私は驚かなかっただろう。街を歩いていると、こういう古道具の店にたまに出くわすことがある気がする。それに近かった。
確かに雑多な物が集められていたので無秩序に置かれている感はある。しかし、それでもそのゴミ――いや、古道具が雑に扱われているといった印象はなかった。ただ、遠目で見ても、そこに物が山と積まれていることはわかったので、それがゴミ屋敷の印象を生み出したのかもしれない。
何かセンセーショナルなものを期待していた身としては、少し当てが外れた気がした。しかし、主亡き住みかにひっそりとある古道具には、妙に惹かれるものがあったことも確かだ。
そのときの私は、その流れで近所の人たちに話を聞くことすらしている。いまさら聞いたところでその内容を表に出すことはないのだが、どうにも好奇心が刺激されてしまったらしい。これくらいの図太さがなければ、孤独死を主題とした本のために、身寄りのない老人への取材を試みたりはしないだろう。
軽く話を聞く限りでは、老女の評判は決して悪くはなかった。周囲との軋轢もなく、穏やかで優しい人物だったようだ。ただ、よくわからない物をどこかから拾ってくることはよく知られた話で、それでも迷惑をかけるほどのことではなかったから、ただの奇行として概ね受け入れられていた。
ただ、残された古道具については、今後のことを危惧する声もあることはあった。今はよくても、放置されていれば、そのうち朽ちて、虫でも湧いてくるかもしれない――一部ではそんな風に心配されていたようだ。しかし、そう言った者でさえ、それはどこか他人事で、差し迫った問題だと考えていたわけではなかっただろう。
ひととおり話を聞き終えた私は、その場を去る前に、もう一度その家を遠目に眺めた。
一軒家は老女がひとりで住むには大きすぎたのかもしれない。その隙間を埋めるように、たくさんの道具は並べられている。
彼女がこれらを集めた理由は何だったのだろう。なぐさめか。執着か。それとも――
もっと早く、彼女のことを知りたかった。できることなら、直接会って話が聞きたかった。
古い道具たちを目にしながら、私はそんなことを思う。コラムや本のためではない。私は純粋に、彼女に会えなかったことを悔いていた。
季節は冬へと向かう晩秋。からからに枯れた落ち葉が冷たい風に吹かれて足元にまとわりついてくる。もう叶わない願いに諦めがつくまで、私は物言わぬ古道具たちが住むその家に、じっと目を向けていた。
「そんなわけで――考えてたものとは違ってたけど。行ってよかったと思う。インスピレーションというか、何というか……まだぼんやりしているけど、着想は得られたし」
マンションの自室に帰ってから、私はそのゴミ屋敷のことを同居人に話した。
普段は同僚以外に仕事の話などしない。しかし、これに関しては仕事というより趣味の領域に近かったし、そうでなくとも、そのときの私は妙に気分が高揚していた――あるいは、感傷的だったのか――とにかく私はいつもより饒舌だった。
そんな私を見て、彼女は苦笑いを浮かべながらこう尋ねる。
「それでも、その死んだおばあさんのことは、本には書かないんでしょう?」
続けて、物好きめ――と呟きながら、彼女は発泡酒の缶に口をつけた。そんな風に称されてしまっては、私も返す言葉がない。
黙り込んでしまった私に向かって、彼女は呆れたようにこう続ける。
「何にせよ、そんな話を聞かされると、どうも気分が落ち込むね。独り暮らしの老人の人生の終わりなんて。自分の行く末が偲ばれて、とてもじゃないけど心穏やかにはいられないよ」
「何言ってんの。千鳥。老後の心配をするには、まだ早いでしょ」
私とたいして年の変わらないはずの同居人――淡島千鳥のその言葉に、私は思わず苦笑した。
同じ世代で同性の同居人。彼女の存在は、私にとってそれ以上でも以下でもない。他人にその関係を説明するときに、私は彼女のことを、おそらく友人とすら呼ばないだろう。せいぜい知人がいいところ――相手とはそんな関係だった。
知り合ったのは、仕事がきっかけ、だっただろうか。そのとき軽く話をして、意気投合とまではいかなくとも何となく馬が合ったので、プライベートでも会うようになった。それが始まりだ。
その時期、私と千鳥はちょうど、同じように新しい住まいを探しているところで、情報を交換し合っているうちに――どちらが言い出したのか記憶は定かではないが、おそらく彼女からだったと思う――部屋をシェアしないか、という話になった。
何もずっと一緒に暮らすというわけではない。せめて少しくらいは懐に余裕ができるまで、あるいは、よりよい環境が見つかるまで。そんな話だった。考えた末に、私はそれを了承する。
千鳥との共同生活は平穏そのものだった。彼女にはルーズなところもなく、家事に至ってはむしろ率先して手伝ってくれたので、こちらが助かっていたくらいだ。家賃や光熱費などもきっちりしていて、貸し借りなども一切ない。
ただ、気になる点があるとすれば、出会ってからの一年間で、千鳥が三度も転職したことくらいだろうか。そのせいで、彼女がそのとき何の職だったか、私の認識はおぼろげだ。ネイリストだかスタイリストだか――ようするに、そういうたぐいの職業だったと思う。
そちらの業界にはさほど詳しくはなかったので、そこまで職を転々とすることがよくあることなのかどうか、私にはわからない。だからこそ、あえて深くは突っ込まずにいた。彼女はあくまでも、ただの同居人だったから。
プライベートに関してはお互いに詮索しないという暗黙の了解があった。千鳥は無断で外泊することがよくあったが、仕事で忙しいときは、私の方でも職場かその近くに泊まることはあったので、特に心配した覚えはない。せめてひとこと欲しいと思ったことはないでもないが――半年もすれば慣れて気にならなくなっていた。
とにかく、千鳥は同居人としては都合のいい相手だった。必要以上になれ合わない、束の間の旅の道連れ。べたべたしたつき合いが苦手だった私には彼女との距離感が合っていたのだろう。
そうして時折、お互いに余暇ができたときにだけ、千鳥の手料理と私が提供する安酒を囲んで、私たちはたわいもない愚痴の言い合いや世間話をした。ゴミ屋敷は、そんな時間に出た話題のひとつだ。
独り身の女たちが孤独死の老女について噂するなど、後から考えると、決して趣味のいいものではなかったかもしれない。行く末が偲ばれる、という彼女の言葉からは、何か不吉な予感がしないでもなかった。
しかし、そのときの私は、こんな日々がもう少し続くと思っていた。その後、彼女が持ち込む物に、とんでもない災厄を背負わされることも知らずに。