1 アンティークドール(1/5)
デタラメな迷路のような街に、その店はあった。
入り組んだ坂道を進み、ようやくたどり着いた路地の先にある行き止まり。そこには、人ひとりがどうにか腕を伸ばせるだけの広場がぽっかりと空いている。周囲を建物に囲まれているせいか、明るい空は切り取られ、まるで黄昏時のように昼なお暗い――そんな場所にその店はあった。
突き当たりにあるのは、白い壁に突如として現れたかのような重厚な木製の扉。いかにも古びて見える、その扉の上部には磨りガラスの小窓がついていた。
しかし、そこから中をうかがい知ることは難しい。そもそも、その扉からして周囲からは浮いていて、まるでどこか異界への入り口か――そうでなくても建物の裏口くらいにしか思われなかった。
ここが話に聞いた店だろうか。知らされた特徴とは合致していたが、街の独特な空気がそうさせるのか、それとも自分の心持ちのせいか、どうにも不安が拭い去れない。扉を開けることをためらうほどには。
よく見れば、扉の両側には窓がある。黒い鉄格子が嵌められた、妙に厳めしい窓だ。
しかし、分厚いガラスのせいか、単に薄汚れているだけか、やはり室内を覗き見ることはできない。ただ、わずかに揺れる光の存在が――ランプか何かだろうか――その向こうに、かすかな気配として感じられた。
ぐるりと巡らされた壁は、余所者を追い立てるように無言で威圧感を与えている。とはいえ、ここまで来てまごついていても仕方がない。私は意を決して、その扉へと向かった。
荷物を抱えていたので、苦心しながら肩で扉を押し開ける。蝶番が軋むと共に、高く澄んだ音を立ててドアベルが鳴った。
「いらっしゃい」
どこからか聞こえてきたのは落ち着いたアルトの声。しかし、声の主が姿を見せる気配はない。
店の中は雑多な物であふれていた。テーブルやイス、キャビネットなどの調度品。絵画に人形、彫刻といった室内装飾品。その他にも細々とした品が無秩序に置かれている。ただ、そのどれもが時を経ていることがひと目でわかるような、そんな古めかしい物ばかりだった。
しかし、それは当然のことだろう。なぜなら、ここはアンティークショップなのだから。
食器やグラスが並べられた棚を恐る恐る通り過ぎ、下げられた照明やら籠やらの間をかい潜る。そうして進んで行くと、その奥にようやく人の姿を見つけた。
洋書で埋もれているカウンターの向こうにいたのは、年の頃二十代後半くらいの女性。詰襟と長袖の黒いワンピースに、長い髪を引っ詰めて後ろでまとめている。
声の主は彼女だろうか。客が来てもにこりともしない、何とも愛想のない店員――いや、聞いた話が確かなら、彼女こそがこの店の主なのだろう。
店主は訪れた客にちらりと視線をくれただけで、すぐにその目を手元に戻した。単眼鏡を片手に何か――アクセサリーだろうか――をためつすがめつしている。話に聞いていたとおり、容易ではない相手のようだ。
私は深く息を吸うと、こう切り出した。
「買い取って欲しい物があるのだけれど」
そう言って、私は抱えていたダンボール箱を差し出した。
しかし、店主の表情は変わらない。ただ、その手に持っていたアクセサリーをカウンターの上へ静かに置くと、背筋を伸ばして真っ直ぐにこちらを見据えてくる。
鋭い視線と無言の圧力にたじろいで、私が思わず箱を引き寄せると、女はようやくその口を開いた。
「私は回顧にも感傷にも逸話にも興味はない。そういったものによって、その物の価値以上に特別な価値を付与することはできない。それを了承した上でなら、その物に見合った価格で買い取ろう」
その回答に、私は思わず面食らってしまった。
客に対する言葉としては、彼女の言い分はいささか冷淡ではないだろうか。商売なのだから、たとえ嘘でも、もう少し愛想よく振るまうべきだろう。
とはいえ、相手がそうであるなら、こちらも遠慮はしない。自嘲めいた笑みを浮かべて、私はこう問い返した。
「メモリーにセンチメンタルに……エピソード、ね。じゃあ、呪いには?」
そこで初めて、店主はわずかばかり表情を変えた。興味を示したのか、それとも呆れたのか――その小さな変化からは何もわからない。
店主は目の前に差し出された箱を見やってから、あらためて私の顔を見返す。そして、少し不機嫌そうにため息をついた。
「アンティークは文化そのもの。呪いは文化だ。その物が本当にそれを有しているというのなら――それに見合った価格で買い取ろう」
それが彼女の答えだった。
私がその店を訪れることになった、きっかけのできごと――となると、昨年まで時を遡ることになる。
秋も深まった頃のことだ。地方紙にとある記事が掲載された。おそらくほとんどの人が大した関心を払わないだろうそれは、老女の孤独な死を報じたものだった。
遺体は民生委員によって発見されており、そこから警察に通報されたものらしい。死後かなり経っていたようで、当初は事件性も考慮され捜査は長引いた。そのため、近所では不審な点があったのではないかと噂されたようだ。しかし――
結局のところ、老女の死はただの孤独死として処理された。地方紙には続報が載ることもなく、葬儀が行われたという話もない。そうして、その小さな事件は人々の記憶から忘れ去られていった。取るに足らないできごととして。
私がそれを知ったのはその記事が掲載されてからで、自分のタイミングの悪さに辟易したことをよく覚えている。というのも、その亡くなった老女は、私が目をつけていた老人のひとりだったからだ。
身寄りもなく交遊関係もほぼない――先のないひとりの老女。そんな相手に目をつけていた、などと不穏に思われても仕方ないが、これには理由がある。
私はその頃、小さな出版社で勤めていた。あまり名も知られていない専門雑誌などを細々と扱っているようなところだったが――そんな中、私はライターとして雑誌のコラムを担当することになる。これが存外好評を得た。
それを受けて持ち上がったのが、コラムの内容を元に一冊の本にしないかという話だ。願ってもないことだったので、私は一も二もなく引き受けた。そのコラムの主題こそが「孤独死」だ。
せっかく本になるのだからと、私は追加で取材を行うことにした。そういった経緯もあって、私は噂で知ったその老女に、是非とも会いたいと働きかけようとしていたのだが――
彼女の死はその矢先のことだった。
ひとり住まいの老人など、今どき探せばいくらでも見つかる。そういう意味では代わりはいた。しかし、その老女に限っては彼女でなければならなかった事情がある。
それは、彼女の住まいが、近所でも評判の――いわゆるゴミ屋敷だったからだ。
そういった要素は話題性もあったし、それでいて今のところ他が取材をしたという話も聞かない。コラムにも無い要素だったので、そのときはまさしくおあつらえ向きだと判断したのだった。
とはいえ、それも彼女が亡くなった今となっては叶わない願いとなってしまった。タイミングが悪かった、というより他ないだろう。しかし――
どうしても未練があって、私はその後も周囲をそれとなく調べていた。調べるといっても大したことはできないのだが、これもネタのひとつにはなるだろう、くらいの感覚だ。
その一環として、私は噂のゴミ屋敷にも訪れている。それも、遠くから見るだけのつもりだったのだが――




