3 ギメルリング(3/5)
「ここが知り合いの店?」
梓と共に訪れたのは、京都の東にある町屋ばかりが並んだ静かな通りだった。どうやら、その中にあるひとつが目的の場所のようだ。
観光地にも近いが、意外なほどに人通りは少ない。周囲を見ても何の看板も掲げられていない建物ばかりで、当然その町屋も同じだった。
本当に店なのだろうか。あまりにも店らしくないので、同行者がいなければ、私はおそらく入ることもためらっただろう。
怪訝な顔をしていたからか、梓は私にこう言った。
「友人の連れ合いがやっている――当の友人の方は不在らしいが。大丈夫だ。話は通っている」
梓は何のためらいもなく、目の前の格子戸を開けた。
その先には、真っ直ぐに土間の通路が続いている。左手にある――おそらく町屋の店に当たるだろう部分は、板戸で閉め切られているようだ。誰かが出てくる気配はない。
入り口に立ち尽くす私を置いて、梓は訪いも告げずに、さっさと奥へと行ってしまった。私は仕方なく、それについて行く。
歩いているうちに不意に通路の壁が途切れると、そこに小さな中庭が現れた。縁側に面していて、その向こうには座敷が見える。
「――ああ。申し訳ございません。お出迎えもせず」
奥の方から声がした。私の視線は自然とそちらに向かう。
そこに立っていたのは、年の頃三十くらいの着流しの男性だ。梓は彼の元まで歩み寄ると、こう言った。
「いや。かまわない。こちらこそ、突然の訪問で申し訳ない」
「話は聞いていますよ。どうぞ。座敷の方へ」
奥にある玄関から招き入れられて、梓と私は先ほど目にした座敷へと通された。座卓を挟んで私と梓が並び、その向かいに男性が座る。
「音羽槐と申します」
男性は私に向かってそう名乗ると、隣の梓に向き直った。
「それで、今回のご用件は」
この男性――音羽が、どうやら梓の言う石の専門家らしい。
梓は私のことを、同行者だ、とだけ紹介する。
道すがらここがどんな場所なのか、私も尋ねはしたのだが――梓は、石のことを聞くだけだ、と言うばかりで、ろくに教えてはもらえなかった。そのため、私は何のためにここへ来たのかもよくわかっていない。軽く名乗るだけにして、大人しく黙っていることにする。
挨拶もそこそこに、梓は早々に例の指輪を取り出した。
「こちらのリングなのだが」
梓はそう言うと、指輪を音羽に差し出した。彼はそれを黙って受け取る。
「知りたいのは、嵌められた石の種類だ。二つほど欠けているが」
欠けているのは一番端とその反対側の端から二番目。音羽は端の欠けている部分を飛ばして、順に石を見ていった。
「そうですね。オパール、ルビー、エメラルド……」
音羽はそう呟きながらしばらく指輪を見ていたが、不意に表情を曇らせると顔を上げてこう言った。
「別室で確認致します。少々お待ちいただけますか」
梓が、かまわない、と答えるのを確かめて、音羽は席を立つ。そして、座敷を出て行ってしまった。
宝石の目利きのことなどわからないが、場をあらためるくらいだから時間がかかるのかと思ったのだが――それほど待つこともなく、音羽は座敷に戻って来る。再び先ほどの位置に正座して、彼は指輪を示しながらこう言った。
「あらためまして。端の欠けている方から、オパール、ルビー、エメラルド、ガーネット、空きがあって、ルビー……ですね」
それを聞いて、梓はこう呟く。
「なら、やはり欠けたひとつはエメラルド、か。Fは定石では何だったか……」
「古い指輪で使われていたかはわかりませんが、今ではファイアオパールや長石――フェルドスパーなどでしょうか」
その会話からして、二人の間には了解した何かがあったようだ。しかし、私には全くわからない。
音羽はひしゃげた指輪にちらりと視線を向けると、梓の方へと差し出した。しかし、手のひらに置く寸前になって、音羽はどこか不安げな様子で口を開く。
「それと、こちらの品」
指輪を受け渡す姿勢のまま、二人はお互いに探るような視線を交わした。
「あまり、よくない物のようです」
その言葉に対して、梓は平然と頷く。
「それはわかっている。いや。予測はしていた、と言うべきか。まあ、それを確かめるためにここへ来たようなものだからな」
その答えを聞いても、音羽はどこか心配そうな表情だ。彼はさらに、こう提案した。
「うちでお預かりしましょうか」
「いや。心配には及ばない。私の元にあれば、悪さはできないだろう」
梓がきっぱりと首を横に振るので、音羽は、わかりました、と言うと、素直に指輪を手放した。
梓は彼に礼を述べ、早々に暇を告げる。知り合いという話だったが、ずいぶんとあっさりとした会談だ。やはり無愛想というか、何というか。ただ、相手の方も、それは了解済みのようではある。
音羽は私たちと共に座敷を出た。表の戸まで見送るつもりのようだ。
その途中に、音羽がはっとしたように目を見開いたので、何かと思えば、頭を下げながらこんなことを言い出した。
「申し訳ございません。お茶もお出しせずに」
そんなことを気にするのは、今さらな気もする。梓は苦笑した。
「かまわないでくれ。こちらも手土産のひとつも持って来ていないのだから。またあらためて、連絡させてもらう」
「ええ。お伝えしておきましょう」
音羽は笑みを浮かべると、そう言って頷いた。物腰もそうだが、基本的に穏やかな人物らしい。それだけに、指輪に対する剣呑な表情が気になった。
ともあれ、わざわざ京都まで赴いた目的については達せられたようだ。
私たちは店を後にする。結局、私自身はこの店が何なのかも、何のために訪れたのかも、わからないまま。




