2 日記帳(5/5)
次の日――
私は再び、あの店へと向かっていた。デタラメな迷路のような街にあるアンティークショップ、あかとき堂へと。
初めて訪れたときとは違って、今度はダンボール箱を抱えてはいない。その代わりに、ずしりと重い鞄を持っていた。
昨日あれだけ迷ったわりに、店にはすんなりと辿り着く。何だか拍子抜けしつつも、私は目の前にある扉を押し開けた。
蝶番が軋むと共に、高く澄んだ音を立ててドアベルが鳴る。
「いらっしゃい」
昨日と同じように聞こえてくる、店主の声。昨日と同じなら、彼女が客を迎えに出て来ることもないだろう。さまざまな物と物の間を潜り抜けて、私は奥のカウンターへと向かう。
やはり昨日と同じように、店主はそこにいた――が、この日は本を読んでいたようだ。彼女の視線の先にあったのは、古めかしい洋書。
店主は顔を上げて私の来訪を確かめると、あからさまに顔をしかめた。
「昨日の今日で、また何か? 他の品に怪異でも現れたか? それとも、まさかドールを返して欲しい、とでも言うんじゃないだろうな」
私は首を横に振る。
「どれも違う。まだひとつ、見せてないものがあったと思って」
私はそう言うと、持っていた鞄を示してみせた。店主は訝しげな表情を浮かべたが、一応気を利かせてカウンターを空けてくれる。
私は鞄を下ろすと、中から数冊のノートを取り出した。
「個人の日記帳なんて買い取りはしてないだろうし、興味もないんでしょうけど」
私は軽い気持ちでそう言った。別に、この日記帳を買い取ってもらおうと考えていたわけではない。ただ実物を見てもらおうと思って、持って来ただけなのだが――
しかし、店主はそれを聞いて、平然とこう答えた。
「そういった物も、取り引きされることはあるが」
「は?」
私は思わず間抜けな声を出す。まさか、そんな風に返されるとは思っていなかったからだ。
店主はなおも、こう続けた。
「取り引きされている。うちでは扱っていないが。探してみるといい。興味があるなら」
私はその言葉の意味を必死に考えた。取り引きされている、のか。個人の日記帳が。しかし、なぜ。
「個人的な日記だけど? 取り引きって、売り買いされてるの? なんで?」
店主はさして何とも思っていない様子で、こう答える。
「読むためだろう。どんな理由があれ、誰かが欲しいと思えば、商売は成立する」
それは――どうなのだろう。どんな日記帳が売り買いされているのかは知らないが、他人に読まれることを前提にした日記など、そうあるものではないと思うのだが。
そういった日記帳を求めるということは、その人の明かされない心の内を覗き込むようなものだ。それとも、その辺りはちゃんと本人の了承を得ているのだろうか。実際に他人の日記を読んでいる自分が、とやかく言えることではないのだが。
考え込んでしまった私に、店主は呆れたような顔でこう促す。
「それで? 君はどんな目的でここを訪れたんだ?」
店主に尋ねられて、私は当初の目的を思い出した。しかし、咄嗟にどう切り出すべきかを迷う。
考えがまとまらないままに、私はこう答えた。
「やっぱり、もっと詳しく話しておいた方がいいと思って……あんな人形を押しつけたからには」
私が彼女に見せたかったのは日記帳そのものではない。そこに書かれている内容――人形に関しての記述だ。
あの西洋人形に関連して起こった、一連のできごと。それを実際に読んでもらって、判断を仰ごうと思っていた。おそらくは――そういうことに詳しいだろう、この店の主に。
私が日記帳のことについて、どう伝えようかとまごついているうちに、痺れを切らした店主の方から、こう尋ねられた。
「つまり――君は人形の呪いを心配して、またこちらに来た、と?」
およそのところは、その認識で合っている。私が頷くと、店主は呆れたように苦笑した。
「君も変わっているな」
常に厳しい表情だった彼女の顔が、そこで初めて和らいだ気がした。
とにかく、付箋の貼られた日記帳から該当のページを探し出す。そうしている間にも、私は待ち構えている様子の店主にこう話した。
「だって、そういう人形は動いたり、捨てても戻ってくるだけじゃなくて、首を締めたり、事故を起こしたりもするんでしょう?」
そして、ときには首をかき切って人を殺すことも――いや、違う。それは、違うはずだ。私は唐突に浮かんできた千鳥の死のイメージを意識的に追い出した。
店主は怪訝な顔をしている。
「……何の話をしている?」
「知り合いが言ってたの。呪いの人形の話。有名なオカルトで、映画にもなってるって」
私がそう言うと、彼女は心底嫌そうな顔をした。それ以上、それについて言及することをためらうほどには。
「ああ……あの人形のことか」
そう呟いて、なぜかため息をつく。店主は続けてこう言った。
「だとすれば、君はやはり、何も知らずにあれをここに持ち込んだ、ということだな」
何のことだろう。私が訝しげに首を傾げると、店主はカウンターの下から何かを取り出し、それをぞんざいに投げてよこした。
私はぎょっとする。安物の茶碗ですら、あんなに丁寧に扱っていたのに。
慌てて視線を向けた先。そこにあったのは小型の機械だった。
「盗聴器だ」
――とうちょうき?
言葉の意味が理解できず、私はただ混乱していた。そうしているうちにも、店主は淡々と話し始める。
「あのアンティークドール。ボディに妙な部分があると思ったら、そんな物が隠されていた」
言葉を失った私に向かって、彼女はこう続ける。
「くだらんな。何が呪われた人形だ。何が人形が戻ってきた、だ。おそらく誰かが戻したのだろう。当然、生きた人間が」
「だ、誰が?」
私は戸惑ったまま、店主にそう問いかけた。彼女は鋭い視線で見返してくる。
「そこまでは、私は知らない。調べるつもりもない。ただ――」
店主は私のことを真っ直ぐに見据えると、こう言った。
「なぜ、こんな物がここに持ち込まれることになったのか。説明してもらおうか」




