第三話
その日、僕は何もやる気が起きないまま、ごろごろと寝転がりながらテレビをつけた。
幸い、今日は休日だ。就職面接の予定も入っていない。
ベッドに横になりながらなんとなくテレビを見ていると、昼のワイドショーからローカル番組に切り替わった。
全国放送とは違い、その地域ならではの情報を流す番組だ。
チャンネルを変えようとして、はたと手が止まった。
ひまわり畑が映っている。
夢で見た、あのひまわり畑だ。
どこをどう探しても見つからなかったはずなのに。
なぜ?
どうしてこれが?
僕は、食い入るように画面を見つめた。
すると、いかにも若手とおぼしきリポーターが登場し、画面に映るひまわり畑を紹介した。
「みなさん、こんにちは。私は今、くつわ町にあります“くつわ町ファーム”にお邪魔しています」
くつわ町。
聞いたことはある。
ローカル番組だけあってここからは遠くない距離だが、あえて行こうとは思わない町だ。
リポーターは続ける。
「実は今ですね、このひまわり畑が注目されているんです。ここにあるひまわりは今から15年前、地元のボランティアによって植えられたものですが、毎年こうやってきれいな花が咲くんです。今では地元だけでなく他県から訪れるファンもおり、隠れスポットとして大人気の場所なんです」
15年前──。
その言葉に、ハッとする。
15年前、確か県内外のボランティア活動に熱心だった父に連れられてこのくつわ町ファームのひまわりを植えに行ったことがある。
夢の中ほどひまわりは咲き乱れていなかったけれど、僕は……いや、僕らは、そこで確かにひまわりの種を植えた。
「僕ら?」
甦る記憶。
その当時、子供は僕と地元の一人の少女しかいなかった。
白いワンピースを着た、女の子。
僕は彼女と一緒に、確かにこの場所でひまわりの種を植えた。
「大きくなったら、見に来ようね」
そんな言葉を発していた。
リポーターのさわやかな歓声で、我に返る。
そこにはきれいに咲き誇るひまわりとともに、巨大な入道雲が映し出されていた。
「空も見てください。大きな入道雲。これだけで、ひとつの絵として完成しそうな、そんな感じがしますよね」
僕は、最後まで見ることなく、家を飛び出した。
くつわ町。
くつわ町。
くつわ町。
念仏のようにつぶやきながら、なけなしのお金を持って駅にたどり着く。
くつわ町行きの電車。
いくつか乗り換えないといけないが、幸いにも電車は通っている。
僕は迷うことなく電車に飛び乗った。
時間にして1時間30分の距離。
夢で見たひまわり畑は、紛れもなくあの場所だ。
なんの偶然か。
たまたま目にしたテレビ番組であの場所が映るとは。
行ったからといってどうなるわけでもないが、僕はすぐにでもあの場所を訪れたかった。
電車は、ガタンゴトンと小さく揺れながら目的地へと突き進んだ。
決して多くはない家々が建ち並ぶ町並みが次第に途切れ、山や川や田園風景が広がっていく。
予想以上に、何もない。
そんな中、電車はくつわ町へとたどり着いた。
無人の駅を降り、辺りを見渡す。
タクシーどころか、バスすらない。
僕は近くの看板を見ながら、くつわ町ファームを探した。
ところどころ剥がれがかった看板には15年前にできたくつわ町ファームの名称はどこにもなかった。
ただ、比較的新しい小さな立札が、その脇に立っている。
くつわ町ファームの方向を示していた。
ここから5キロ。
近くはないが、歩いて行けなくもない。
僕は、立札を目安に歩き出した。
幸いにも、立札はいくつかの間隔で立っている。
そのため、僕は迷うことなく突き進むことができた。
空の入道雲が、夏の暑さを象徴している。
しかし僕のはやる気持ちは、その暑さをものともしなかった。
やがて、目の前に黄色いひまわり畑が見えてきた。
それを見た瞬間、僕は駆け出していた。
ついに。
ついに見つけた。
長年、探し続けていたあの場所を。
息を切らしながらたどり着くと、そこにはもう、あのリポーターの姿はなかった。きっと、別の場所にでも移動したのだろう。それはそれでありがたかった。
肩で息を整えながら、汗まみれの顔を持ち上げる。
大きな入道雲が、目の前に迫ってくるかのように広がっていた。
かつて見た、あの夢の中の入道雲と同じ形だ。
僕はひとつ息を吐くと、顔を横に向けた。
そこには。
ひなたがいた。
夢の中でしか会えなかった、ひなたがいた。
白いワンピース姿の、大人びた表情の彼女。
ひなたは、目を見開いて僕を見ていた。
予想だにしていなかった出会いに、時が止まる。
しばらく、お互いに声を発さなかった。
ただただ、顔を見合わせているだけだった。
「ようすけ」
初めて口を開いたのは彼女の方だった。
「ひなた」
「どうして、ここに?」
「ローカル番組を見てたら、ここが映ってて。夢で見た景色と同じだったから……」
じり、と近づいて来るひなたに、ビクッと肩が震える。
「ようすけ……」
つ、と彼女の瞳から涙が流れ落ちた。
「ずっと……ずっと、会いたかった……。1年に1回、ひまわりの咲く頃じゃなく、毎日」
「ひなた」
彼女の言葉に、僕はとんでもない思い違いをしていたことに気が付いた。
僕が邪魔だなんて、彼女が思うはずがない。それこそ、僕のひとりよがりだったんだと。
「ここに来れば、いつか会えるんじゃないかって。ひまわりの咲くこの時期なら、いつか来るんじゃないかって。いつも思ってた」
「ずっと……待っててくれてたの?」
「この時期だけだけどね」
僕は、嘘だと見抜いた。
きっと彼女は、秋も冬も春も、一年中ここで待っていたに違いない。
「ごめんね。10年以上も待たせちゃったね」
「ううん。来てくれたから、いい」
僕はそっと近づき、彼女の目から零れ落ちる涙を指でぬぐった。
「ようすけ、そういえば夢の続き……」
「あ……」
ひなたに言われて思い出した。
夢の中では彼女が僕の涙をぬぐっていた。その光景がまざまざと思いだされて僕の心を熱くする。
「あれ、なんて言おうとしていたの?」
「え、と……。それは……」
「教えて」
しどろもどろになる僕を、いたずらっ子のように上目づかいで見上げる彼女。
ダメだ、あの時は言える勇気があったけど、今は何も言えない。
「こ、今度の夢の中じゃ、ダメかな」
「ダメ。夢の中だと、私が起きてしまうもの」
「起きてしまう?」
「今朝はね、ようすけの言葉を待っていたら急に心臓がバクバクいっちゃって。あ、ヤバいって思ったら汗びっしょりで目が覚めてたの。ごめんね。私が起きたせいで夢が終わっちゃったね」
そうか。
そうだったのか。
あれは、ルール違反とかそういうものじゃなかったんだ。
彼女が目を覚ました、だから僕も目を覚ましたんだ。
告白する、そのことで頭がいっぱいだった僕は、全然気が付かなかった。
「今も、心臓がバクバクいってる。きっと、夢の中だと受け止めきれない」
真っ赤に顔を染める彼女を見て、僕は理解した。
彼女は、待っている。
僕の言葉を。夢の続きを。
「ひなた」
僕は勇気を振り絞って、夢で言えなかった言葉を伝えた。
「ひなた、僕は君のことを、心から……」
最後の言葉は、風に流された。
たぶん、ひなたの耳にしか届いていないだろう。
ひなたは、嬉しそうに、恥ずかしそうに、涙を流して微笑んだ。
僕はその笑顔を見て思った。
彼女の笑顔は、どんなひまわりよりも輝いていると。