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真っ二つの魯山人

別にお金がある訳ではない。


って、いつもお金のことばっかりだなと、あすかは苦笑いした。


もっとも、それは骨董屋の宿命のようでもある。

骨董屋というものは、たとえ「正」の道を進もうと、「邪」の道を進もうと、お金に換算できる「価値」という厄介な代物が、どうしても背後霊の如く、くっついて回るものなのだ。


けど、このあすかの場合は、必ずしもこの限りではないのかもしれない。


なぜならば、彼女の場合はそもそもその「正」も「邪」も、どちらの道も進んでいないからだ。

例えるならば、彼女は正道から一本外れた裏通りの、そこからまた一つ角を曲がったとこら辺にある「細〜い裏路地」をこそこそと歩き回っている。そう言った方が正確だった。


まぁ…言うなれば「外道」である。

身も蓋もない言い方だが。


というわけで、彼女の普段扱う品物には、あまり普遍的な「金銭的価値」はなかった。もちろん、以上の理由から投資にも向いていない。

それは自分でも自覚していた。


「浮世絵? 茶道具? いえいえ、そんな資金力はありません。私はしがない物故専門です」


でも、あすかはいつもそう堂々と心の中で言い、胸を張っていた。

張るほどの胸もないが、とにかく張って、毎日頑張っているのである。


だから、彼女はまだ、そこまでお金の魔力に心を奪われていないと言っていい…のだが……。


それでも今、彼女は


「買うべきか……余計な買い物か…?」


と真剣に頭を悩ませ、今日も使ってもいい金額を算出すべく、脳内の電卓をパチパチと叩いていたのであった。



あすかのいるここは、彼女の馴染みの骨董屋 《ホシクズ》。

荻窪からは、電車で一駅行ったところの、骨董屋激戦区(?)西荻窪に店舗を構えていることから、すぐに行きつけになり、店主ともまもなく顔見知りになった。


店主はあすかより一回り以上、年上の43歳男性、榊仁介さかきじんすけ

この世界の中では若手の方だ。実際、新進気鋭の骨董商として雑誌にも取り上げられる程で、業界では有名人だった。

まぁ、あくまでも業界内限定の話ではあるが。

そこがまた、骨董屋の悲しい性である。


クーラーの効いた店内は、骨董屋というよりも、アンティークショップといった感じで、全面古い廃木材を使った、とてもお洒落な仕上がりになっている。

そこの真ん中に、どどんと大きな錆びついた鉄製のテーブルを置くなど、定期的に模様替えする凝った見せ方にも、なかなか定評があった。


店の壁には、三段の飾り棚が付いていて、そこに西洋、東洋、日本の陶器類が綺麗に、ゆったりと、並べられている。

ここは、食器、日用品など、実際に使うことのできるアンティーク専門店なのだ。そういうところも、どこかあすかの《手乗屋》とコンセプトが似ていて、すぐに榊とも意気投合したのである。


そんな店内の三段の飾り棚、デルフトの皿や、スージークーパーのティーセットなどが並ぶ棚には目もくれず、あすかは先ほどからずっと、その棚の「下」を真剣に睨んでいた。


そこには、無造作に床に置かれた一つの蔦の籠が。

その中にはこれまた無造作に放り込まれた、いくつもの皿があった。


そのうちの一枚が、先程からあすかの目を釘付けにしていたのだ。


あすかはちらっと顔を上げる。カウンターには今、誰もいない。

榊は電話をしてくると言って、席を離れていた。


だから、あすかはしゃがみ込み、もしかしたら商品ではなく、ただの未整理品かもしれない、その籠に思い切って手を突っ込んだ。

「そんなの関係ねぇ!」

と言わんばかりに。

これも骨董屋の悲しい性であった。気になったものは、確かめずにはいられないのである。

それがたとえ、売り物じゃなかろうとも。

骨董屋は逞しくないとやっていけないのだ。


「あ」


が、あすが手にとってみると、ちゃんと値段が張ってあることにすぐに気がついた。

皿の裏に、小さくラベルで、30000と。


「さ、三万円!?」


しかし、その数字は余計にあすかを驚かせただけだった。


高いからではない。


いくらなんでも安過ぎるからだ。


だって……それはどこからどうみても、


「この魯山人の織部陶板が…?」


だったからだ。


北大路魯山人 (1883ー1959)という人を一言で「これ」と形容するのは非常に難しい。

ひとつ、職業という観点からだけ見てみても、書、篆刻から始まり、画、料理、陶器と生涯に渡って手広くやった。しかし、現在において、魯山人の代表的な仕事と言ったら、やはり料理と陶器になるのだろう。

魯山人にとって、料理と陶器は切っても切り離せぬものだった。

彼は大正十四年から『星岡茶寮』という会員制の料理屋を永田町で経営し、そこで自ら料理したものや、監修し料理させたものを、自分の焼いた器に盛り付け、客に提供した。かなり贅沢な趣向であるが、会員は皆、華族や政治家、一流企業の社長、文化人などである。彼は、この理想の料理屋を開くための資金も、自らが主催する同人組織『美食倶楽部』の会員達から寄付を募ったというのだから、なかなかに徹底している。

しかし、まぁ、色々とあって、彼は後にこの星岡茶寮を追い出されることになるのだが……。

だが、それでも彼の美食への追求と、それを引き立たせる器というものへのこだわりは生涯消えることはなかった。


魯山人は若い頃から書をよくした。そして、その関係からやがて篆刻、陶器の染付へと興味を伸ばしていき、三十二歳頃から作陶の絵付けに取り組み始め、四十代から本格的に須田菁華窯で作陶に従事するようになる。

また、その頃、荒川豊蔵とも知遇を得たことにより、彼は東西のあらゆる古陶を荒川と共に研究し、様々な技法を扱えるようになっていった。

即ち、染付、色絵、金銀彩、志野、黄瀬戸、瀬戸黒、唐津、伊賀、備前、信楽なんでもである。漆器まで彼は自分で作ったほどだ。それができたのも、偏に彼の類まれな審美眼と、古陶研究の賜物であったに違いない。

そして、中でも彼の研究の成果が一番よく現れているのが、この織部であった。


あすかは陶板をまじまじと見つめる。


幅は25センチくらいだろうか。正方形をしている。表面は凸凹と自由にゆったりと波打ち、その作行きにまるでわざとらしさが感じられない。持った感触は分厚く、ゴツゴツしているのだが、その感じが見た目からはまるでイメージできないほど、それは美しい曲線を描いていた。

しかし、その陶板で何よりもあすかの目を奪ったのは、その深く、てらてらと輝く織部の緑釉だった。

この緑は当時の織部より、さらに濃く深い、魯山人独特の緑と言ってもいいものだろう。その釉薬を惜しげも無くたっぷりとかけ、焼き上げたその質感は実に野性味に溢れているのだが、どこか品があるのは、生粋の京都人、魯山人らしさかもしれない。


まぁ、かなりの変わり者、偏屈者で多くの人に嫌われた人ではあったらしいが、そんな感じは作品からは全然伝わって来なかった。もう亡くなってから随分経っているし、当時のことを知っている人もだいぶ少なくなってきたから、そんな「背後霊」もついに成仏したということか。

あすかは一人そう思うと、心の中でそっと手を合わせた。


「うーん……これ…どっからどう見ても、真作に間違いないわよね…。でも、三万円。数物かずものかしら?」


数物というのは、文字通りいっぱい同じ型のものを作った量産品、そのはぐれた物のことだ。

魯山人は自ら土を練り、絵筆を取り、窯の前に立つなど、なんでも自分でやった。相当作陶が好きだったとみえて、だから気に入った料理屋があると、勝手にその店のために皿を焼き、ダンボールで大量に送りつけてしまうのである。しかも、タダではない。ちゃんと領収書もつけてである。

その代金は今になってみれば格安だったかもしれないが、しかし、当時としてみれば高かった。有難迷惑とは、まさにこのことだ。だいいち、置き場にも困る。よって、邪魔だからと適当に客に配ったり、倉庫に仕舞われたり、捨てられたり、色々とした。もちろん、中にはせっかく先生にいただいたのだからと、現在でもちゃんとお店で出して使っている所もある。そんな事例だけを見ても、魯山人という人が、如何に人に好かれ、嫌われていたかがわかるだろう。合う人には合うし、合わない人にはとことん合わないのだ。


そんな送りつける食器には数物が多かったと聞く。店で使いやすいように同じ皿を焼いたのかもしれないが、魯山人の心境は知れない。

それが所謂、魯山人における「数物」であるが、あすかはこの織部陶板もその類なのかと思ったのだ。


「でも…この出来の良さ……絶対に一点物だと思うんだけどなぁ……他にどこか傷でもあるのかしら?」


次にあすかはそう疑って、よーく皿の端から端まで見てみた。


でも、やっぱり欠けなど見当たらない。

じゃあ、これは模造品?


と、そう思い、あすかがふと皿の真ん中に目をやった時だった。


「あっ!」

「うおっ! び、びっくりしたぁ……」


何かに気が付いたあすかが突然大声を出したので、榊は戻ってくるなり体をビクッとさせた。

電話を終えて、いきなりこれでは確かに仕方あるまい。

それを見て、あすかはやっと我に帰り、


「あ。す、すいません……」


と恥ずかしそうに言った。


「お、おう。ほんと、びっくりしたよ。どうしたんだい、いきなり……って、ああ。それか。なんだ、もう見つかっちゃたのか」


だが、カウンターから出て来た榊は、あすかの手にある陶板を目にすると、全てを理解して笑ってくれた。

榊があすかの隣まで来る。


「どうだい、これ? お買い得品だろう?」


榊はそう言って、いたずらそうにはにかんだが、あすかはむくれて


「もう…何がお買い得ですか。これ、割れちゃってるじゃないですか。それも、真ん中から真っ二つに」


と応えた。

そうなのだ。実はこの皿、傷物どころか、一度完全に割れてしまっていたのである。

しかし、そのことはプロのあすかが見たって、パッと見では気づけない。かなり巧みに継がれていた。こんなふうに直せるなんて…変な言い方だが、余程良い割れ方をしたのだろう。


けど、割れ物は割れ物だ。これでは値段が落ちるのも無理はない。


「だから、三万円なんですね?」

「ははは。ああ、そうだよ。まぁ、さすがに気がつくよなぁ、古瀬さんなら…」

「えっ!? まさか、榊さん、気づかないで高値で買っちゃったんですかぁ!?」

「馬鹿野郎。俺がそんなヘマするわけないだろう? これは頼まれて買ったのさ。三万円でな」


そう言うと、榊は経緯を話してくれた。

何でも、これは骨董の査定にとある方の自宅に伺った際に出されたもので、その昔、亡くなったおじいちゃんが自分で割ってしまったものを、自分で継いだものなのだという。

ずっと骨董が趣味で、自分で継ぎの勉強もしていたらしい。それも納得の仕上がりだ。しかし、何人も業者を呼んだのだが、ついにこの皿だけは誰も引き取ってくれなかったということらしい。だが、もしお金になるものならばしたいとご家族は言う。


確かに…自分がもしその立場だったら、これにいくらの値をつけてお預かりするだろうか? 捌ける自信もなければ、その分言い値も低く言わざるを得ない。


その落とし所が、榊の場合は三万円でお預かりするということだったのだ。


「…で、三万で預かったものを、こんな端っこで三万円で売ってるってわけですか? 利益出ないじゃないですか」


あすかはカウンターの前に出してもらった椅子に座り、麦茶を飲みながら言った。

その横で、榊も麦茶を飲み


「しょうがないだろ。こうなってしまったら値段なんて、本当にあってないようなもんだから。俺の中では三万なんだよ」


と言う。


「ふーん…そういうものですかね…」

そう言うと、あすかは改めて、カウンターの上に置いた魯山人の陶板を眺める。


確かに、一度気がついてしまうと気にならないと言えば嘘になった。

でも、その傷によって、この作品の美しさが損なわれてしまっているかというと、そうでもない。そこにはまだ、第一印象の時と違わぬ鮮烈さがあるし、何よりその独特の緑釉があすかの所有欲をそこはかとなくくすぐった。


再び、あすか電卓が動き出す。

悪いことに、あすかは今日は結構、お金を持っていた。と言うのも昨日、ずっと店に、それこそ何かの宿命のように掛かっていた熊岡美彦の油彩画が、ついに嫁いで行ったのである。


値段は二十万円+税。少し勉強はさせてもらったが、それでも「では、これをください」と言われた時には、久しぶりにびっくりした。

自分の店に自信を持って掛けている絵が売れて「びっくりした」というのも、おかしな話であるが、そのくらい物故は売れないから、今日のあすかの懐は特別、ホクホクと暖かかった。


あすかは考える。

今、財布の中には十二万円入っている。

その内、七万は自宅の家賃。そして三万は食費にと思っていたが…


「うん…食費を削れば…イケる!」


あすかが、そう結論を出すのにそれほど時間はかからなかった。


骨董というものは出会いが全て。

骨董市でも、悩んだ末一周して戻ってくると、既に売れてしまっていたという経験があすかには多々ある。

だから、次にこんな手の届く範囲の、これほどの魯山人に出会うことはもうないだろうと思ったのだ。


「じゃあ、これ、私に売ってください」


あすかがおもむろにそう言うと、榊は麦茶を置きニヤッと笑った。


「だと、思った」


と。それにどうしてだと、あすかが尋ねると、


「だって、目にそう書いてあった。『これ、欲しい!』ってさ」


と榊は言ってまた笑う。


はぁ…すっかりお見通しだったというわけだ。

けど、この時ふと、あすかにはこれを預かった時の榊の気持ちがなんとなくわかった気がした。

きっと、榊もこの作品に魅せられたからに違いないのだ。


やっぱり…骨董は身銭を切らないとわからない。

あすかは改めてそう思った。



その帰り道、あすかは西荻窪の八百屋でししとうを買って帰った。


そして、それを自宅で素焼きにし、買って来たばかりの魯山人の陶板の上に盛りつけた。

鮮やかな緑に、深い緑。なんとも、美味しそうにししとうが引き立った。


それを肴に、あすかは日本酒を呑む。


食費は減ってしまったけれど、その分、晩酌の楽しみがまたひとつ増えた気がした。

あすかは、ししとうをポリポリと食べながら


「明日はこれに、何を盛ってあげようかなぁ?」


と、ウキウキして考える。


そんな至福のひと時を仕入れることが出来た、今日の出会いであった。


(了)


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