17
夕焼けの住宅街を、少年と少女が手を繋いで走っていた。それだけ聞くと仲睦まじいカップルの様だ。
背後から銃を持った男に追いかけられていなければ、の話だが――
裏路地の曲がり角を駆使して、男の視界から上手く消えるように進む少年――優は内心の焦りを隠しながら必死に足を動かしていた。
優の焦りの原因は二つ、一つは言わずもがな背後から聞こえる怒号と銃声だ。
「待てぇっ!止まれ!その女渡せ!穴だらけにされてえか!」
付近の家の住民たちが危険を察知して家の中に引きこもってしまっているのはまだ幸運と言えるが。
二つ目は――
「ゆ、優君、私、もうはっ、走れない、かも――」
手を握っている少女の体力が限界だと言うことだ。
「ごめ、んね、もう少し、頑張って」
「そのセリフもう十二回目、ていうかここ日本ですよねあれ拳銃ですよね私狙われてますよね!」
ぜぇぜぇと息を切らしながら絶叫するサツキ、優としては余計な体力を使わず走って欲しいのだが、状況が状況だけに固まらず足を動かせているだけほめられたものだと考え直した。
「分かん、ない、でも、りょうさんは、メールって、言ってた」
「……ケータイさっき落としちゃいましたね」
「こまった、ね」
「優君、私、そろそろホントに限界です」
「ごめ、んね、もう少し――」
「置いてってください」
優はサングラスの奥で目を見開いて、サツキを見た。何かに諦めたような顔で、サツキは優を見返す。
「あの人の狙いは私っぽいし、それなら私を置いて行けば優君助かります」
「なに、言ってん、の?」
「もういいんです、この一週間皆さんに甘え続けました。どこの誰だかも分からない私を、こんなに優しくしてくれて――もうこれ以上の迷惑はかけれません」
だから置いて行け、と彼女は言う。掴まれている腕を離せと言う。
優は、うらやましいと思った。人のために、誰かのために、自分を犠牲にするという選択肢を迷わずとれるサツキの心根を。
自己犠牲は良くないことかもしれない、それでも彼が過去にとれなかったその選択肢に迷わず手を伸ばす彼女を素直に尊敬した。
だから――
「だから、尚更、置いてけ、ない……!」
「ゆ、優君!?」
相手がほどこうとした手を、優は強引に掴んで走り続けた。
離すわけにはいかない、薮木の家に届けるまでは、サツキを守るのは自分の仕事だ。それは薮木と、光矢と、鉄――自分の家族たちとの約束だ。それに――
「サツキちゃん、は、友だち、だから、やだ!」
「優君……」
一週間一緒にいて、初めて聞いた優の大声にサツキは言葉を失った。瞳に涙を浮かべながら、もう何も言わずに走る。
しかし、現実にスピードはどんどん落ちている。そして後ろを走っている男はまったくペースを落としていない。このままでは後数分と持たないことは目に見えている。
優は覚悟を決めると、右耳から耳栓を抜いた。その存在を知らなかったサツキが驚くのを無視して、耳に入って来る音に集中する。
瞬間、この空間に存在する音という音全てが彼の耳の中に飛びこんで来た。処理機能をはるかに超えた音の奔流が優を包む、意識がなくなる様な頭痛に耐えきって、その中から起死回生の一手を――
――見つけた。
「こっち!」
「え、こっちですか!」
突然優の足取りがしっかりと――今までのような相手の視界から消えるための走りではない、目的地を定めた走りに変わる。
そのまま二人は路地から大通りへ飛び出した。何故だか人が一人も見当たらない、皆建物の中に避難しているのかもしれない。
「優君、何処に!?」
「あれ!」
優が指さす方向には踏切があった。その踏切の先は生活地区のゴミ集積所となっていた。確かに広いうえにあらゆるゴミで溢れているあの場所なら、隠れ場所にはもってこいかもしれない
「行こう、あと二分くらいだから」
「え、何がで――」
もう幾度となく聞いた音、それと同時に、サツキの足から十数センチ離れた地面が抉れた。
振り返らなくとも分かる、まだ距離はあるものの相手の持っている獲物からすればそんなものあって無い距離だ。
「もう追いかけっこは終わりだ、五秒だけやる。その女渡せ?殺さないでやるから、なぁガキぃ」
「ちょっと、待って」
「あぁ?」
「なんで、このこ、狙う、の」
「テメエ、実験の関係者じゃねえのか、それともメール見てねえのか」
「実験?それって、『ハコブネ』の」
「そうだ、その女はあいつらに繋がる手掛かりなんだよ」
あいつらとか『ハコブネ』とか、サツキには二人が何を話しているのか分からなかった。ただその表情を見て、ただ事ではないと言うことだけはよく分かった。
「……おれたちも、あいつ、らの、行方、追って、るんだ」
「だから?」
「きょ――」
「協力しようってお誘いなら悪いけど無理だ」
「なん、で?」
そのとき、狂気のままに銃を振り回すだけだった男から、悲しみと寂しさ、何よりも大きい怒りを、優たちは感じた。
血走った目で、二人を睨みつけて男は吠えた。
「あいつらへのケジメは俺が一人で着けさせる!」
完全に交渉が決裂したことを優は悟った。となると当初の予定通り逃げるしかない。そして、優の体内時計でちょうど一分三十四秒。踏切までの距離と、男との距離を見るに、時間稼ぎは終わった。
「サツキ、ちゃん、こんど、こそ、最後の、頑張り!」
「……十四回目の正直、信じますよ!」
サツキが言い終わったのを合図に二人は全力で走りだした。
背後から銃弾の雨が飛んでくる、足元、顔の横、道路標識、生きた心地など一瞬もない、それでも足を動かさなければ待っているのは絶対的な死だ。銃弾が髪の毛をかすった感覚に冷や汗が吹き出す。
長い、永遠に感じた十数秒間も終わりを迎える、遮断機が降りかけている踏切の手前までたどり着いた。サツキの心にかすかな希望が湧いてくる。諦めかけていた生への執着がよみがえる。
その希望の芽を摘むように、隣を走っていた優が右肩に赤い花を咲かせた。隣を走っている少年の体が傾くのが、サツキにはいやに遅く見えた。そして、スローモーションの世界の中、はっきり見えた。マスクを外した優の口の動きが――
ト ン デ
反射で、完全な反射でサツキは線路に飛び込んだ。遮断機の下をくぐり、ゴロゴロと無様に転がって、線路の反対側にたどり着いた時、貨物列車が、線路の反対側に居る男の姿を消した。
「す、すごいですね優君、これを狙って――」
生き延びた興奮で隣を見て、言葉を失う。
肩から大量の血液を流しながら、呻いている優を。
「優君!」
「だい、じょ、ぶ、行こう、そん、なに、長、い、時間、は、無いから」
マスクが取れたことで露わになった口元を大きく歪めながら、優は立ちあがる。ふらふらと歩く彼の後ろについて行くことしか、サツキには出来なかった。




