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「でさ、僕はなんで呼ばれたのかな?」
薮木はマンションの近くにあるファミレスに、光矢を呼び出していた。まだ昼食には早い時間なので人は少ない。
突然呼び出された光矢は内心不機嫌だが、なぜか薮木の隣でサツキが寝ているので我慢している。
「こいつの分払ってくれよ」
「急に呼んどいて金の無心!?」
さすがに我慢できなかった光矢に非はないだろう。しかし薮木は何も悪びれることもなく続ける。
「家は俺が面倒みてんだから食費はお前ら出せよ」
「そんな堂々と……情けないと思わないの?」
無論思う、薮木だってここで全ての負担を自分一人で背負いきればどれほどかっこいいのかは分かっている。
しかし思い出してほしい、彼は一週間前にバイトをクビになったばかり、金銭的には非常に切実な事情があるのだ。
「だから恥を忍んでお前を呼んだんじゃねえか、ほら、出すもん出してさっさと帰れよ」
「忍べてないからね、今の君だいぶ恥ずかしいからね」
そう言いながらも素直に財布を出すあたり、これが彼らなりの付き合いなのだと分かる。
ついでに財布から軽い気持ちで万札を出せるあたり薮木と光矢の経済力の違いも見て分かる。
「で、そのお姫様はなんで寝てるわけ?」
「知るかよ、散々人のことバカにしながら飯食って腹いっぱいになったら勝手に寝やがった」
「随分仲良くなったね」
目を細めて笑う光矢に薮木は失笑を返事として返す。仲がいいわけではない、危ないところを助けたから心を許しているように錯覚しているだけだ。
「そこまで穿った考え方しなくても良いと思うけどねぇ」
「事実だろ、この年のガキなんてちょっと優しくされたらすぐにホれたハれたにつながる年だしな」
「失礼な、そんな軽い女じゃありませんよ」
薮木がその声にふと隣を見ると、サツキが目を覚ましてむくれていた。会話の中身が気に入らなかったらしく机の下で薮木の足を踏もうとしているが、器用にかわされている。
「おはようサツキちゃん」
「おはようございます光矢さん、今日もイケメンですね」
「お、ホントに?サツキちゃんにそう言ってもらえるなら今日もばっちりかな」
薮木と関わっている時のような、どこかバカにしている雰囲気はあまり感じられない、いったいこの差は何なのだろう。薮木は一人腑に落ちない気持ちを腹の中に押し込める。
「よう、目が覚めたなら行くぜオヒメサマ」
「……よきにはからえフール」
明らかにからかっている薮木に不満げな視線を向けながら、軽口で返すサツキを見て、光矢はばれないように微笑んだ。
――心配してたけど、大丈夫そうだねぇ。
先に席を立った二人を追いかけながら、光矢はあった直後のことを思い出していた。
時間は一週間前の晩にさかのぼる。場所は薮木の部屋、部屋の主と光矢は頭を抱えていた。その原因はもちろん寝室で寝ている少女のことだ。ちなみに鉄と優はこの二人に比べると、日々のスケジュールが決まっているため帰ってしまった。
「おいどうすんだよ」
「僕に聞かないでよ」
このやりとりも最早何度目か分からない、それほどに二人は途方に暮れていた。
「やっぱり感見さんとこに連れていったほうがいいんじゃないの?」
「それは後だ。そうした場合俺達にもう手掛かりは無くなる」
荷物の中身だった少女。
これはただの誘拐などではない気がする。ただの誘拐に、あれほど露出を嫌っていた研究所の連中が出てくるとは思えない。薮木はそう考えていた。
「手掛かりって……彼女は人間だよ、物じゃないんだ」
「大丈夫、話を聞くだけだ、そしたらちゃんと感見の親父さんとこに連れて行く、約束する」
「……わかったよ、藁にもすがりたいのは僕だって同じさ」
それっきり二人は黙りこんだ、室内にはエアコンが風を吐く音しかしなくなる。
手持無沙汰ではあるが沈黙に気まずさを感じてしまうような間柄でもない。ゆっくりと過ぎる時間の中、少女が目覚めることに対しての期待と不安だけが二人の胸中を渦巻いていた。
そして、時計の短針が3を過ぎた頃、寝室の扉が開く音がした。リビングに近づいて来る足音を前に薮木は思い出したように言った。
「相手はお前に任せるから」
「えぇ!?何言ってんの、君がやってよ、人と喋るの得意でしょ」
「女子供は俺の専門外だ。お前の専門だろ女の敵、頑張れ」
「その言い方でよく僕に任せようと思えるもんだよ」
「あのぅ……」
二人は入口から聞こえた声に諍いを中断して目を向けた。そこには当然数時間前に助けた少女が立っていた。
服はそのままだ、メンバーに男しかいないから当たり前だが。
「あの……」
「あー、その、なんだ」
「えっとね、とりあえずここには君に危害を加える奴はいないから大丈夫だよ?」
「……ここは?」
「俺の家だ」
少女はゆっくりと薮木の方へ顔を向ける。その黒に近いダークブルーの瞳があまりにも澄んでいたから、薮木はとっさに目をそらした。それを横から見ていた光矢が途端に意地の悪い表情を浮かべた。
「ちょっとリョー、ダメだよ、どう見ても中学生くらいじゃないこの子」
「なんの話してんだよ」
「顔が良ければ年なんて気にしない、これだから童貞は」
「なんの話してんだよ!」
「童貞?」
「どこ掘り下げようとしてんだガキ!」
薮木は己の尊厳のために大声を上げたが、少女はその声にビクッと震えると小さくなってしまいばつの悪い藪木は顔をそらした。
「だめだよリョー、怖がってるじゃない」
「元はお前のせいだからな」
光矢はとりあえず少女をソファに座らせて自分はソファの横に立つことにする。少女は隣に座っている薮木にちらちらと目をやりながら、俯いている。
「とりあえず、名前聞いても良い?」
「…………」
「あぁごめんね!そうだよね、先に自分から名乗るべきだよね。僕は速川光矢、ぴっちぴちの21歳です!」
肘で薮木のわき腹をつついて続きをやれと催促する、薮木は視線を正面に向けたまま、
「薮木、薮木療だ。ぴっちぴちじゃねえが同じく21だ」
「でさ、君の名まえ教えてもらっても良いかな」
少女は、なにか逡巡しているようだったが、顔をあげて二人の方へ視線を向けると喋り始めた。
「サツキです」
「サツキちゃんね、名字も教えてもらっても良い?」
「…………分かりません」
「分からない?どういう意味だ」
ようやく視線をサツキに向ける。正面から見た彼女の瞳は不安で揺れていた。どう言えば良いか自分でも分からないといった様子だ。
「リョー、もっと優しく質問できないわけ?」
「む、そうか、悪い。そんなつもりはなかったんだが」
「大丈夫です……本当に分からないんです。名前しか分からなくて」
藪木と光矢は顔を見合わせた。おそらくお互いまったく同じいやな予感を覚えていた。藪木は確認の意味も込めて一つの質問を飛ばした。話をこの先に進めるために絶対に必要なことだ。
「サツキって言ったな?お前何でもいいから名前以外で覚えてること全部口に出してみろ」
答えは、沈黙。なによりも、この場合何よりも分かりやすい答えだ。そしてそれは薮木たちのいやな予感が的中したということでもある。
「記憶喪失か」
その言葉を聞いた途端、少女の瞳に涙が浮かぶ、それはすぐさま大きな粒となって、その頬を流れ落ちて行く。
堰を切った様に次々と涙があふれてくる。今までずっと我慢していたのだろう。
「目が覚めた時から、なにも分かんなくて、なにも覚えてなくて、さっきも、ドア開けるのホント怖くて、悪い人がいたらどうしようって――」
嗚咽混じりにそう漏らす少女を見ながら、薮木は激しい自己嫌悪に襲われていた。
何か手掛かりにつながるかもしれない、そのことにしか意識が向いていなかった。よしんば彼女が記憶喪失でなかったとしても、この状況に恐怖を感じなかったはずがないのだ。
「クールじゃねえな、俺は」
誰にも聞こえないように口の中で呟いて、薮木はその掌をサツキの頭の上にのせた。顔をあげたサツキのその潤んだ瞳の中に映る自分はぎこちないながらも微笑んでいた。
「安心しろ、俺はお前の味方だ。約束する」
こんなつまらなくて薄っぺらい言葉しか吐けない自分に嫌気がさす。所詮このサツキと言う少女からすれば自分は素性の知れない人間の一人でしかないのだ。何を言おうと信頼など勝ち取れるはずもない。
それでも、それでもこの怯えている小さな女の子を放っておくわけにはいかない。
そんなのは、クールじゃない。
そして薮木療はそれが我慢できない。
薮木の言葉を聞いたサツキは唇を噛んで何かに耐えるような表情を浮かべていたが、最後には勢いよく薮木の腹に顔をうずめると声をあげて泣き始めた。
優しい光が東から差し込む頃、ようやくサツキはもう一度眠りに落ちた。




