第1話:完璧な婚約破棄
エレノアは身に覚えのない罪で王太子から婚約破棄を言い渡され、誰も立ち寄らない「極貧のド田舎領地」へと追放される。
彼女は絶望するどころか「これで面倒な宮廷政治から解放されて自由になれる!」と前向きに受けて立つのであった。
絢爛豪華な王城の大広間。天井から吊り下げられた巨大なシャンデリアが眩い光を放ち、絢爛な衣装に身を包んだ貴族たちが取り囲む中央で、一際甲高い声が響き渡った。
「エレノア・フォン・グランベル! 貴様のような悪毒な女との婚約など、もはや維持できん! 本日をもって婚約を破棄し、最果てのシルフィード領へ追放とする!」
怒号の主は、我が国の第一王子であり私の婚約者であるジョセフ王太子だった。 彼の傍らには、庇護欲をそそる可憐な表情でブルブルと身を震わせる男爵令嬢、マリアがぴったりと寄り添っている。ジョセフはまるで正義のヒーロー気取りでマリアの肩を抱き寄せ、冷酷な悪役に引導を渡すようなドヤ顔で私を睨みつけていた。
(……あ、ここ進研ゼミで見たやつだ)
静まり返る大広間の中心で、私――エレノアは、拍子抜けするほど冷めた頭でそんなことを考えていた。 脳裏に強烈なデジャヴが駆け巡り、パズルのピースがカチリと音を立ててハマる。
思い出した。 私は前世、大手クライアントを何社も抱え、連日連夜の過密スケジュールを乗り越えていた30代の経営コンサルタントだった。不眠不休で膨大な事業再生案件を完遂した直後、デスクの上で倒れて過労死したのだ。 そしてここが、生前に妹が熱心にプレイしていた乙女ゲーム『恋する聖女と王国の光』の世界であることも。
目の前で青筋を立てているジョセフは、顔だけは良いが数字の計算すら怪しい無能な攻略対象。彼の横でウルウルと涙を浮かべているマリアはヒロイン。そして私は、物語の序盤でヒロインをいじめた冤罪を着せられ、退場していく「悪役令嬢」エレノア・フォン・グランベルその人だった。
「エレノア! 貴様はマリアに対し、階段からの突き落とし、ドレスの破損、さらには毒殺未遂まで企てた! この証拠の数々を見ても、まだシラを切るつもりか!?」
ジョセフがバサリと羊皮紙の束を床に叩きつける。 チラリと視線を落とすと、そこには雑な偽造署名と、辻褄の合わない日付が並んでいた。コンサルタントの眼力で見れば、一秒で破綻しているお粗末な捏造文書だ。
「エレノア、何か弁明はあるか!?」
勝ち誇った笑みを浮かべ、自信満々に胸を張るジョセフ。 周囲の貴族たちも「まさかグランベル公爵家の令嬢が……」「恐ろしい女だ」とヒソヒソと囁き合っている。彼らはジョセフが提示した冤罪のストーリーにまんまと乗り、私を失脚させようという腹づもりらしい。
しかし、私の胸の中に湧き上がってきたのは絶望でも憤怒でもなかった。 溢れんばかりの……感動と解放感だった。
(待って、ちょっと整理させて……)
私の実家であるグランベル公爵家は、代々この王国の内政と財政の実務を裏で全て取り仕切ってきた。 そして私自身、10歳を超えた頃から王太子妃教育という名目で、ジョセフの代わりに王国の予算管理、地方自治体の決算書の精査、果ては外交文書の下書きまで、膨大なデスクワークを押し付けられていたのだ。前世のコンサル知識をフル稼働させ、睡眠時間を削ってこの国の経済を裏で支えていたのは、他でもない私である。
その無給の超ブラック労働から、向こうから勝手に解雇通知を出してくれたのだ。 しかも、追放先として指定された「最果てのシルフィード領」は、王国北端に位置する雑草だらけの極貧領地。誰も見向きもしない捨てられた土地だが――前世の記憶を合わせた私の頭脳なら、即座に重要事項に思い当たる。
シルフィード領は、王室の直接管轄を離れ、私の「個人領地」として所有権が移譲される取り決めになっているはずだ。
(自権制限なし、他人の介入なし、税率設定も自由……! これって、完全に自由な経営権を持ったプライベートカンパニーの獲得じゃない!? 最高の退職金だわ!)
無能な上司(王太子)の機嫌を取り、泥船のような王国の財政を火の車状態で回し続ける日々からの脱却。これ以上の幸福があるだろうか。
「……エレノア? おい、聞いておるのか! 恐怖で声も出ないのか!?」
返答をしない私を見て、ジョセフがしびれを切らしたように声を張り上げた。 私は深く息を吐き出すと、背筋をピシッと伸ばし、完璧な貴婦人のマナーで優雅に一礼してみせた。
「弁明などございません、ジョセフ殿下。謹んで、婚約破棄とシルフィード領への追放をお受けいたします」
「……は?」
拍子抜けした顔をするジョセフ。口を半開きにし、マリアもまた「え?」と間抜けな声を漏らした。 もっと泣き叫び、すがりつき、命乞いをすると思っていたのだろう。大広間を包む静寂が、先ほどとは違う意味で重く沈み込む。
「な、なんだその態度は! 罪を認めるということか!?」 「殿下がそのようにご判断されたのでしたら、私から申し上げることは何もございません。これまでのご指導、誠にありがとうございました」
私は心からの感謝を込めて微笑んだ。嘘偽りなく、このブラック環境から解放してくれたことに対する満面の笑みだ。しかし、周囲の貴族たちにはそれが「開き直り」か「狂気」に見えたらしく、ひっと息をのむ音が聞こえた。
「で、では直ちに王都から出ていけ! 二度とこの城の敷居を跨ぐな!」 「お言分に従い、明日には王都を発ちますわ。手続きに必要な書類は、私の部屋のデスク上にまとめておきますので、後ほどご署名をお願いいたします」
「くっ……最後まで生意気な女だ!」
悔しそうに顔を真っ赤にするジョセフをよそに、私は洗練された動作でくるりと身体を翻した。 ドレスの裾を軽やかに揺らし、呆然と立ち尽くす貴族たちの間を通り抜けていく。
(さて! 領地経営の事業計画書を練らなくっちゃ。シルフィード領の気候、立地、人口、現在の産業構造……やるべきことは山積みね)
前世の社畜魂と経営コンサルタントとしての血が、熱く脈打つのを感じる。 極貧領地? 雑草だらけの荒野? 上等じゃない。ゼロベースからの事業再生こそ、コンサルタントが一番萌えるシチュエーションなのだから。
騒然とする夜会会場を後にしながら、私は溢れ出る笑みを噛み殺し、どこまでも軽やかな足取りで廊下を歩み去った。
エレノア(主人公): 前世は優秀な経営コンサルタント。乙女ゲームの悪役令嬢に転生し、王太子から冤罪で婚約破棄された末、最果ての極貧領地に追放される。
アーク: 追放先で出会った無口な護衛騎士。実は隣国の皇子で、エレノアの才気に惹かれていく。
元婚約者(王太子): エレノアを追い出し、ヒロイン(男爵令嬢)と結ばれたものの、政治や経営が一切できない無能。




