40話 マリエルとの約束1
「ぼ、僕が……一番になったら、マリエルは……う、嬉しい?」
「もちろんです。ダリオ様が頑張る姿を見るのが、私はとても嬉しいのですよ」
隙間から差し込む朝日で、ダリオはゆっくりと目を開けた。乾いた草の匂い。冷えた天幕。現実の感触が一気に押し寄せる。
「くそっ!またあの夢か……」
喉の奥で噛みしめるように吐き捨てた。夢の中のマリエルは、いつもと同じ笑顔で、同じ言葉で、同じ優しさで── それが今の自分には、何よりも残酷だった。
(俺は一番にならないといけないんだ……)
『ルキアーノさまぁ〜〜〜っ!!』
朝の静寂を破るようにベリッサの雄たけびが、ヴォルカニア火山全域に響き渡った。
「……はぁ、最悪の目覚めだ」
ダリルは寝起きの頭を押さえながら、心底うんざりした表情を浮かべた。
恋愛に頭を侵食された伯爵令嬢の絶叫より、魔物の雄たけびの方がまだ理性的だと本気で思っている。
そこへロセッティ伯爵家騎士団の騎士が一人、天幕に入って来た。
「ダリル様、ご命令どおり、ルキアーノ様のご学友には”水属性の魔石”を渡しておきました」
「そうか、でかした。それで?」
「はっ、いっいえ。それで終わりです。特に変わった様子は――」
「変わったところは無いだと? 反対属性の魔石を持たせたんだぞ。 反発で体内の魔力はぐちゃぐちゃにかき回されるはずだ。最悪、死んでしまってもおかしくない」
「ですが、騎士たちは火山の魔力に耐えられず、早々に前へ進めなくなりました。 しかし、ご学友はそのあともルキアーノ様と共に進んだと報告がありました」
ダリルが、理解不能という表情で、報告した騎士を見る。
「……水属性のステラが、水属性の魔石を持って火山を登った? ありえん。そんな芸当、ここに充満している火属性の魔力を塗り替えるほどの魔力でもなければ……」
「あの―― それと、フォスティーナ家のご嫡男様はBルート、ご令嬢はAルートへ。ロセッティ家のご令嬢もAルートへ進んだとの事です」
「あの恋愛バカはAルートか―― よし、頭が膿んでいる女……じゃない、フォスティーナ侯爵家に遅れを取る事はロセッティ伯爵家として絶対に許されないぞ」
ベリッサのあの雄たけびをずっと聞かされるなど絶対にごめんだ!と彼は中ではAルートという選択肢はまったくなかった。
ダリルが騎士団を率いてヴォルカニア火山を登っていく。しかし、しばらく進むと背後から苦しげな声が上がった。
「ダリル様……これ以上は……」
騎士たちが次々と膝をつき、ついには地面へ倒れ込んだ。彼らは体力こそ優れているが、体内の魔力はほとんどない。この火山では、魔力がほとんどない騎士たちにとっては前に進むことそのものが敵だった。
ダリルが騎士たちを見下ろし吐き捨てる。
「ふん、ロセッティ騎士団ともあろうものが軟弱な。もういい、足手まといなど不要だ」
しばらく進むとダリルの腕にもミアやルキアーノたちと同じように、火傷のような痕が文字となって浮かびあがる。
”資格無き者、炎帝への謁見叶わず”
――そしてその文字は別の文字に変わった。
”資格欲する者、周りの者へ示したい事を示せ”
その文字が消えた瞬間、目の前の溶岩から溶岩粘体がダリルの前に現れた。
「出たか、ヴォルカニア火山には主の試練を受ける資格がある人間の前には特殊な火属性の魔物が出ると聞くが―― こいつがそうか……」
ダリルが溶岩粘体と対峙する。
「こいつを倒して頂上に進めばいいのか? ええい、腕に現れた言葉は”周りの者へ示したい事を示せ”だ。 俺は示したいのは周りに"俺こそが一番だ"と示したい。 ならその力を示してやる! 食らえ!!
炎柱」
轟音とともに、足元から巨大な火柱が噴き上がり、炎は溶岩粘体を包み込む。 しかし、溶岩粘体には一切ダメージを与えられなかった。
「それなら、これならどうだ! 獄炎葬」
炎が蛇のように巻きつき、溶岩粘体の“存在”そのものを燃やしつくす。
轟音と共に、獄炎葬の炎が消えると、溶岩粘体はその場に変わらずそこにいた。それの意味するところは溶岩粘体には”敵意”が存在しない事を意味していた。そしてその姿が突然大きくなると、ダリルに覆いかぶさって来た。
ダリルは咄嗟の事に対応できず、頭から被ってしまった。
「くそっ!…… がぼっ!!」
次に目を開けると、見覚えのある風景が広がっていた。 そこはロセッティ家の廊下―― 幼い頃、執務室に向かう父上を追いかけては、「できるようになったこと」を報告し、褒めてもらおうと必死だった場所だ。
しかし、父上は、当時の俺には全く興味を示さなかった。 その度に、褒めてくれたのはいつもマリエルだった。
「マリエル…… 父上は、僕なんていらないのかな……」
「そんな事はありません。 ダリオ様は、よく頑張っていますよ」
背後から聞こえた声── それは、幼い自分の声と、もう二度と会えないはずの少女の優しい声が重なっていた。 幼い頃、世界で唯一自分を見てくれた人。 父に見て貰えなかった自分を、まっすぐ受け止めてくれた人。
その声を聞くたびに、胸の奥が、ぎゅっとなり、息が詰まる。
「……マリエル……」
主の試練が見せている幻だと分かっていても―― それでも、二度と会えないはずの人の姿をもう一度見られた事に、胸が熱くなるほど感謝していた。 彼女の姿を見るだけで、陽だまりのような温かい気持ちに包まれる。
「無理だよ…… 父上は兄上の事ことしか興味がないんだ。 どんなに頑張っても、僕のことなんて…」
弱々しい声が漏れる。 それは幼い頃の自分の声であり、今の自分の奥底に残っていた傷そのものだった。
「ダリオ様が一番になってイグナーツ様を超えれば、旦那様もきっと見てくださいますよ」
マリエルの声は、昔と同じ優しさに満ちていた。 幻だと分かっているのに、胸の奥がじんと熱くなる。 彼女の言葉は、幼い頃の自分を支えてくれた唯一の光だった。
あの頃の俺には、父の冷たい視線よりも、兄と比べられる痛みよりも、マリエルが向けてくれる微笑みの方が、何倍も大切だった。
しかし、聖授の儀の日に、あの出来事が起こるなんて。 あの時の俺は夢にも思わなかったのだ。
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