15、彼との再会
「……いさん、……桜井さん!」
自動販売機の前で、紙コップにお茶が注がれていくのを眺めながら昔の思い出に耽っていた結は、営業所長の声で我に返った。
「はっ……はい!」
「ちょっと、大丈夫なの? 遅いから心配で様子を見に来たのよ。面談室で榎本さんがお待ちよ。」
まだ思い出から抜け出しきれていなかった結は、つい「戻るのが怖いです」と本音を漏らしそうになり、俯いた。
『本日担当させていただきます、桜井と申します。よろしくお願いいたします。』
『よろしくお願いします、榎本です。』
先刻、十数年ぶりに再会した京人が、初めて結の職場であるこの結婚相談所を訪れた。
営業所長が京人を面談室に案内する間に、結は自動販売機に3人分の飲み物を取りに来ていた。
職員は普段面談中に飲み物を飲まないが、京人は自分だけ飲み物を出されても口をつけないだろうと思い、結は3人分を用意していた。
「すみません、ちょうど紙コップの在庫がなくなっていて、取りに行っていました。」
「そう。それならいいけど。」
それだけ言うと、営業所長は踵を返した。
自動販売機から出ていたお茶がちょうど止まり、結はお茶がなみなみと注がれた紙コップを手に取り、小さなトレイに乗せた。
結は、紙コップが3つ乗ったトレイを両手で慎重に持つと、営業所長の後を追い、お茶が溢れない程度の小走りで廊下を進んだ。
営業所長は面談室の前で結を待っていた。この中では彼ーー京人が待っている。
面談室のほうを向いていた営業所長は、突然、くるりと後ろにいた結のほうを向いた。
「いい? 挨拶だけ済ませたら、私は隣の面談室で待っているわ。会話の内容までは聞こえないけど、何かあったら壁を叩いて、すぐに知らせて。」
「? 分かりました。」
何故オフィスではなく隣の面談室で待機するのだろうか?
しかも、何故そんな古典的な方法で知らせなければならないのだろうか?
結は不思議に思ったが、ひとまず彼女の言うことに従った。
今日は京人が来てからというもの、結は困惑してばかりだった。そもそも、自分の職場にやって来た彼の真意が全く分からない。
(どうして、私のところに……?)
幼馴染が務める結婚相談所で結婚相手を探すなんて、気まずいと思わないのだろうか。
結婚相手を探すにあたっては、過去の恋愛・婚活経験やお相手に求める条件等、個人情報をかなり深掘りして確認していく必要がある。
そのどれもが、知人には知られたくないような内容ばかりだと思うのだが……。
そもそも、京人は結のことに気がついているのだろうか。
毎年LIMEで年始の挨拶や誕生日やクリスマスのお祝いメッセージは送られてくるし、たまに近況報告のようなやりとりはしていたが、もしや同姓同名の他人と思われているのではないかーー。そんな疑念さえ生じている。
京人と結は、結がまだ中学生になったばかりだった「あの日」以来、一度も会っていない。
あれから暫くはバレンタインデーとホワイトデーのやりとりも続けていたが、京人が大学を卒業して実家を出たタイミングでそれも終わってしまった。
結は毎日テレビや町中のサイネージ広告で京人を見かけているため、久々に会う感じがしないが、京人にとって結は十数年ぶりに会う「昔の知り合い」に違いない。
そんなことを考えていると、営業所長が面談室の扉をノックした。
「失礼いたします。お待たせいたしました。」
営業所長は完璧な営業スマイルを浮かべて面談室に入り、結もその後に続いた。
室内には中央に4人がけの机が置いてあり、一番奥の席に京人が座っていたが、結たちが入室するとサッと立ち上がった。
営業所長が京人の近くに向かうと、結はお茶が乗ったトレイをドア横のオープンラックの上に置き、彼女の横に並んだ。
「それでは、改めまして。私は営業所長の桂です。こちらは担当の桜井です。よろしくお願いいたします。」
流暢な挨拶とともに、営業所長は名刺をサッと差し出した。
「頂戴いたします。」
京人は会釈し、営業所長の名刺を受け取った。
「桜井です、よろしくお願いいたします。」
京人の目の前に歩み出ると、結も名刺を差し出し、頭を下げた。
「頂戴いたします。」
京人は結を見て微笑むと、先程と同様に会釈して名刺を受け取った。
ほんの一瞬とはいえ、指が触れてしまいそうな距離に、結は緊張し、どっと汗が噴き出るような思いがした。
「本日はお忙しい中お越し頂き、ありがとうございます。よろしくお願いいたします。」
営業所長がお礼を伝えると、京人は営業所長と結を見て微笑み、丁寧に会釈した。
「こちらこそ、よろしくお願いいたします。」
営業所長が「どうぞお座りください」と京人に着席を促すと、「失礼いたします」と口にして京人が着席した。
それに続いて、営業所長も京人の向かい側の席に着席し、結はサッと全員分のお茶を机に並べ、営業所長の隣に着席した。
結がふと顔を上げると、京人と目が合った。
(わっ、ビックリした……!)
京人は結の一挙手一投足をつぶさに観察していたらしい。
結は少し恥ずかしくなったが、京人は嬉しそうに微笑んだ。
全員が席に着くと、営業所長は早速本題に入った。
「それでは、早速ではございますが、まずは希望されるお相手の条件等、基本的な情報を確認させていただいてから、弊社のサービスや料金についてご説明させていただき、最後に各フロアの施設のご案内をさせていただきますね。」
決まり文句のように、営業所長がいつもの流れをスラスラと説明すると、興味深そうに話を聞いていた京人は、彼女が話し終わったタイミングで頷いた。
「はい、よろしくお願いします。」
「それでは、ここからは担当の桜井からご説明させていただきますので、私は一旦失礼いたします。」
営業所長が会釈すると、京人も会釈した。
「はい。ありがとうございました。」
営業所長は立ち上がり、彼女の紙コップだけを持って「失礼致します」と口にして退室した。
ドアが閉まり京人と二人きりになると、結は途端に極度の緊張で倒れそうな思いがした。
「はぁ、緊張したー。」
その時、突然京人が気が抜けたような声を出し、結は驚いて京人のほうを向いた。
京人は結と目が合うと、心から嬉しそうに笑った。
「久しぶりだね、結ちゃん。」
(やっぱり、私だって気がついてたんだ……)
京人は昔と同じような笑顔で笑っている。
「……どうして?」
昔と全然変わらない態度の京人に、結は色々な感情が溢れて止まらない。
「真剣に、結婚したくて来たんだよ。」
結をまっすぐに見つめる京人のその言葉に結は、はっと我に返った。
京人にとって、今の結は「幼馴染の結ちゃん」ではなく「結婚相談所のプロ」だ。
「そうだよね。……分かりました。」
結は意識してプロとしての顔に切り替えた。
「まず、事前にお電話で桂がご用意をお願いした書類はお持ちでしょうか?」
「はい、こちらです。」
京人はクリアファイルに入れた資料一式を結に渡した。
結が中を確認すると、収入の証明書、卒業証明書、住民票等、会員情報を登録する際に必要になる書類が全て揃っていた。
中には発行するのに時間がかかるものもある。京人が前もって色々調べて動いていたことが伺える。
「ありがとうございます。確認させていただきました。」
その後、タブレットで氏名や住所等の会員情報登録を済ませた。
「それでは、答えられる範囲で構いませんので、これまでの恋愛や婚活の状況について教えてください。それをもとに、どういうお相手が理想なのか考えてみましょう。」
仕事だと割り切ってしまえば、習慣のようにすらすらと台詞が出てくるのが自分でも不思議だったが、確実に結の心はすり減っていた。
(聞きたくないなぁ……。)
『結ちゃんは恋愛禁止のアイドルです。……だけど、好きな子ができてしまいました。結ちゃんならどうしますか?』
結は京人と最後に会ったあの日、きっと答えを間違えてしまったのだ。
それからずっと、結はその時のことが頭から離れず、会うこともないのに、十数年間一途に京人を思い続けていた。
その間、素敵な人との出会いはいくらでもあったが、誰といても「何か違う」違和感が拭えなかった。
もちろん、結は今更京人とどうにかなれるとは思っていない。
かといって、毎日嫌でも目に入る彼を忘れることもできず、一目で良いから彼を見たくて、日程が合えばPlantsのライブに行き、彼が載っている雑誌はできる限り買っていた。
最早、幼馴染というよりただのファンだという自覚がある結だが、京人の恋愛遍歴を無傷で聞いていられるほど綺麗さっぱりとは忘れていない。
この時、メモをとる素振りをして俯いていた結は、京人がずっと結を見つめていたことに気がつかなかった。
「その質問に答える前に、約束してほしいことがあるんだ。」
「? はい。」
意外な返答が返ってきて結は顔を上げ、そういえばまだ守秘義務の話をしていなかったことに思い至った。
京人が望む約束とは恐らく、これから彼が話す内容の秘密を守ることではないかと予測した。
当然職員には守秘義務があるし、会社の信用に関わるため、決して口外はしないが、京人の職業柄、簡単には信用できないのかもしれない。
結はそのことを伝えようとしたが、京人が先に口を開いた。
「これから先、話せないこともあるけど、結ちゃんに嘘はつかない。僕の言うことを必ず信じるって約束してほしい。」
(どういうこと……?)
「約束」の内容が予想外で、結はとっさに返事ができなかった。
返事をするのは簡単だが、京人があまりに真剣な顔で結を見るので、結は戸惑った。
「結ちゃんには……信じてほしい。」
京人は懇願するような顔で結を見つめた。
結は、京人が演技に長けていることをよく知っているが、この必死な顔が演技だとは思えなかった。
「分かりました。」
結は京人の「約束」を了承し、頷いた。それを見た京人は、心底安堵したような顔をした。
「……ありがとう。」
結が了承したのを受けて、京人は意を決したように話し出した。
「それじゃあ、まずはこれまでの恋愛について話そうかな。」
こう前置きをして京人が語り出した内容は、結の予想から大きく外れたものだった。




