11、ファンサ
「うっ……うぇっ……ぐすっ……ぐすっ……」
「お母さん、気持ちは分かるけど……大丈夫?」
「少し休んでから帰りましょう。」
ライブが終わり、3人は会場から少し離れた裏路地にある小洒落た喫茶店に来ていた。
ライブで感極まった春香は、ずっと嗚咽が止まらず、景子と結でなんとか宥めてここまで辿り着いた。
コーヒーの香りが漂う店内には、幸いにも他の客の姿は無かった。
オシャレなBGMと、年配の男性マスターがサイフォン式のコーヒーを淹れるゴポゴポという音だけが店内に響いていた。
メニューには種類豊富なコーヒーが並び、それぞれ豆まで選べるようになっていたが、小学校を卒業したばかりの結には何が何だかよく分からず、ココアと軽食のホットサンドを注文した。
春香と景子は、結が聞いたこともないような、おしゃれな名前のコーヒーとホットサンドを注文した。
「……ぐすっ……京人君、本当にすごかったわ……。あんなに立派な子に育て上げたけいちゃんも……本当にすごいわ……。」
止め処なく溢れ出る涙をハンカチで拭い続けている春香の言う通り、京人のパフォーマンスは素晴らしかった。
実は結も開演前、ライブ中に自分が感動で泣いてしまったらどうしようかと心配していたが、いざ始まってみると、安定感のある完璧なパフォーマンスの連続で一瞬も目を離せず、泣く余裕すらなかった。
「ふふっ、ありがとう。まぁ正直、ずっと京人が地味すぎて心配してたんだけど、少しはマシになってきたかしら。」
(京人君が……地味?!)
ついさっき、ステージ上でキラキラと輝いていた人とは無縁の言葉のように思えるが、確かに子供の頃の京人はあまり目立つタイプではなかった。
「あの……ずっと気になっていたんですけど、京人君はどうしてアイドルになったんですか?」
結は勇気を出して、ずっと気になっていたことを景子に訊ねた。
星奈からの情報では、小林夏子さんに会いたいなどと言っていたようだが、それはあくまで表向きの情報でしかない。結は、実際京人に何があったのかを知りたかった。
勿論京人本人に訊くのが一番だが、今の多忙な彼に連絡するのは気が引けた。
「きっかけは、参考書を買いに東京の大きな本屋に行った時に、帰り道でスカウトされたみたいなんだけど、本当はその場ですぐ断っていたのよ。」
「えっ、そうなんですか?」
京人は頭の回転が速く、どんな事も即断即決して初志貫徹するイメージがあった。一度断る判断をしたことを覆すのは意外に思えた。
そう感じたのは春香も同じだったようで、結と同様に驚いていた。
「京人君は中高一貫の私立に通っていたし、きっとすごく勇気がいる決断だったんでしょうね……。」
京人は、今は芸能活動がしやすい高校に通っているようだが、以前通っていた学校では校則等での制限もあっただろう。
「色々あって……あの子なりにチャレンジしてみようと思って、いざ始めてみたら、あれよあれよとグループができて、デビューも決まって……ついに覚悟を固めたみたい。」
「どうしてチャレンジしようと思ったんでしょうか?」
結の質問に、景子は考えるような素振りをして天井を見上げた。
「うーん……あの子、あんまり自分の話はしないのよね……」
景子はふと結のほうを見て答えた。
「でも、さっきの様子を見てれば、なんとなく想像はつくわ。」
「さっきの様子……ですか?」
結は先程のライブでの京人の様子を思い返した。
ライブで結達がいた関係者席はステージから遠く、京人は結達に気が付かないだろうと思っていた。
しかし、ライブの途中でメンバーが観客席の間の通路を歩く時間があり、たまたま京人が結達の近くを通った。
にこやかに観客達に手を振っていた京人は、結と目が合った瞬間、一瞬驚いた顔をしていた。
だが、すぐにまた爽やかな笑顔に戻り、急にギャル風のポーズを披露した。
結の周りにいたファン達は「あのポーズ何?!」とざわざわしていたが、結には分かった。
あれは、演歌歌手のなっちゃんが若者向けのイベントにガングロギャル姿で登場した時に披露したギャルポーズだ。
結は、まさかの粋なファンサに思わず笑ってしまったが、それはそうと、なぜ最初に京人が驚いていたのか気になり、景子に理由を聞いた。
「京人君、一瞬驚いているように見えたんですけど、もしかして私達が来ること知らなかったとか……?」
「え?」
景子は驚いた顔をしている。
「結ちゃんが来てくれることは、京人も勿論知ってたわよ! だって、そもそも今回のライブに結ちゃんを誘いたいって言ってきたのは京人だし。」
「え?!」
まさかの事実に驚いた結は、春香を見た。
春香は、イタズラがバレた子供のような顔をしていた。
「え、えへ……バレちゃった!」
「バレちゃた! じゃないよ、お母さん! もしかして席を用意してくれた知り合いって、京人君のことだったの?!」
春香は結と目を合わせないようにするためか、斜め上を向きながら困ったような顔をしている。
「うーん……お母さんからは何とも……。」
既に殆どバレているのに、春香はなぜかこの期に及んで頑なに隠そうとしていた。
「あら、ごめんなさい。もしかして結ちゃんには秘密だった?」
「お母さん、どういうこと?」
2人の視線が刺さり、春香は少し居心地が悪そうにしつつ、事情を話した。
「……実は、京人君が結の合格祝いにぜひ2人でライブに来てください、って誘ってくれたの。でも、自分から結を誘うのってナルシストみたいで恥ずかしいって言ってたから、お母さんが誘うことにしたのよ〜。」
京人に恥ずかしいという感情があることが意外だったが、結はひとまず納得した。
「そうなんだ……」
「本当は京人君がチケット代も出すって言ってくれたんだけど、さすがにそれは遠慮したの。それで、代わりと言ってはなんだけど、迷子になりそうで怖いから、もし景ちゃんも行くなら一緒に行かせてほしいってお願いしたの。」
「ふふ、あの子きっと、結ちゃんにカッコいいところを見せたかったのね。まあ、全然カッコついてないけどね!」
笑って謙遜する景子に、結は思わず否定した。
「そんなことないです! 京人君は最初に会った時からずっと、いつも格好良いです。」
「……ありがとう。そんなこと言ってくれるの結ちゃんだけよ。」
そんなはずないのに……と思ったが、結はあえて何も言わずに話題を変えた。
「というか、お母さんが京人君と連絡とってるの全然知らなかったんだけど!?」
「だって、言ってないもの。」
「だって、じゃないよ。もう……」
結は文字通りに頭を抱えた。
「ごめんね、結ちゃん。受験があったから、京人も結ちゃんに直接連絡するのは遠慮してたんだと思うの。」
「そんな、気にしなくていいのに……」
京人はいつでも相手のことを考えて行動する。そこが彼の良い所ではあるが、ほんの少しでもいいから母ではなく自分に連絡してほしかったというのが、結の正直な気持ちだった。
でも二人の前でそんな本音は言えず、結は口を噤んだ。
その後、3人はお互いの近況等を話しながら、それぞれ薫り高く美味しいコーヒーとココアをいただき、ホットサンドを食べてから店を出て、マンションまで一緒に帰った。
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その晩、結は入浴剤入りのお湯にゆっくりと浸かりながら、今日の出来事を思い返していた。
(京人君のパフォーマンス本当にすごかったな……歌も、ダンスも、沢山練習したんだろうな。)
Plantsメンバー3人の角度まできっちりと揃った一糸乱れぬダンスは、3人揃って繰り返し練習した証だろう。
(それに、なっちゃんのポーズ。嬉しかったな。)
ライブ中に京人と目が合った瞬間のことを思い出して、結はふと気になった。
(結局、京人君は目が合った時、何に驚いてたんだろう。)
京人がスカウトを受けることを決めた理由を訊いた時に景子が言っていた、「さっきの様子を見てれば、なんとなく想像はつくわ。」というのは、どういう意味だったのか。
(近くで会えたのは一瞬だったけど、気づいてくれて嬉しかったな。……次に会えるのは何年後だろう。)
この日、結はずっと京人のライブのことや京人自身のことをぐるぐると考えながら、眠りについた。
まさか、このわずか数日後に、再び京人と再会することになるとは、この時の結は思ってもいなかった。




