時代が変わる時
木曽山門牒状
義仲つらつら平家の悪逆を見るに、保元平治よりこのかた、ながく人臣の礼を失う。然りといえども、貴賎手をつかね、緇素足をいただく。恣に帝位を進退し、あくまで国郡を虜領す。道理非理をろんぜず、権門勢家を追捕し、有罪無罪をいはず、卿相侍臣を損亡す。その資財を奪い取ってことごとく郎従にあたへ、彼庄園を没収してみだりがはしく子孫にはぶく。就中に、去る治承三年十一月、法皇を城南の離宮に移し奉る、博陸を海西の絶域に流し奉る。衆庶物いはず、道路目をもってす。しかのみならず、同四年五月、二の宮の朱閣をかこみ奉り、九重の垢塵をおどろかさしむ。爰に帝子非分の害をのがれんがために、ひそかに園城寺へ入御の時、義仲先日に令旨を給わるによって、鞭をあげんとほっする処に、怨敵巷にみちて予みちをうしなふ。近境の源氏猶参候せず、況や冤境においてをや。しかるを園城は分限なきによって南都におもむかせ給ふ間、宇治橋にて合戦す。大将三位入道頼政父子、命を軽んじ、義を重んじて、一戦の功をはげますといへども、多勢のせめをまぬかれず、形骸を古岸の苔にさらし、性命を長河の浪にながす。令旨の趣肝に銘じ、同類のかなしみ魂を消つ。是によって東国北国の源氏等各々参洛を企て、平家をほろぼさんとほっす。義仲去じ年の秋、宿意を達せんが為に、旗をあげ剣をとって信州を出でし日、越後国の城四郎長茂、数万の軍兵を率して発向せしむる間、当国横田川原にして合戦す。義仲わづかに三千余騎をもって、彼数万の兵を破りをはんぬ。風聞ひろきに及んで、平氏の大将十万の軍士を率して北陸に発向す。越州、賀州、砺浪、黒坂、志保坂、篠原以下の城郭にして数ケ度合戦す。策を帷幕の内にめぐらして、勝つ事を咫尺のもとにえたり。しかるをうてば必ず伏し、せむれば必ずくだる。秋の風の芭蕉を破るに異ならず、冬の霜の群葉をからすに同じ。是ひとへに神明仏陀のたすけなり。更に義仲が武略にあらず。平氏敗北のうへは参洛を企つる者なり。今叡岳の麓を過ぎて洛陽のちまたに入るべし。此時にあたってひそかに疑殆あり。抑天台衆徒、平家に同心歟、源氏に与力歟。若し彼悪徒をたすけらるべくは、衆徒にむかって合戦すべし。悲しき哉、平氏宸襟を悩まし、仏法をほろぼす間、悪逆をしづめんがために義兵を発こす処に、忽ちに三千の衆徒に向って、不慮の合戦を致さん事を。痛ましき哉、医王、山王に憚り奉って、行程に遅留せしめば、朝廷緩怠の臣として,武略瑕瑾のそしりをのこさん事を。みだりがはしく進退に迷って案内を啓する所なり。乞ひ願はくは三千の衆徒、神のため、仏のため、国のため、君の為に、源氏に同心して凶徒を誅し、鴻化に浴せん。懇丹の至に堪へず。義仲恐惶謹言。
寿永二年六月十日 源義仲
進上 恵光坊律師御房
さっきからずっと胸に顔を埋めている。同じ床に入っているのにそれ以外しないし、眠りもしない。気乗りがしないのに床に呼ぶのかしら?と巴は思っている。
ふぅっ、と息を吐いた。溜息だろう。
「次郎殿?」
声をかけてみる。顔が動き、目が合った。
「、、、、、、、。」
凪いだような、ほのかに悲しそうな。
「何にお心を悩ましております?この巴でよければ。」
小さい頃から他の娘より大きく、力も周りの男の子より強かった。そんな自分はどこか女の体という自らの容れ物が合っていないように感じていた。子から娘に成るにつれてますますそう思うようになっていった。まだ信濃国の鄙でよかった。都で娘が弓馬の術を習っているなど許されなかっただろう。女にも男に依らない強さが求められる木曽だから、変わった大女、で済んだ。
「巴よ。」
この木曽義仲はそんな変わり者の自分を面白い女だ、と嫁に迎えてくれた。そして女としての快楽を味わい、愛され、この身体もそれはそれで良いかもしれないと心の片隅で思ってからも武を磨く事を容れてもらい、当たり前のように軍中に便女として加えてくれた。義仲への想いは強い。できることがあるなら是非したい。
「押し出してきた平家勢に勝ったがな、、、。」
「はい。」
「何故に実盛殿は私に向かってきたのだろうな。兵を挙げて源氏の一角、木曽の義仲!と名が轟けば助太刀に来てくれる、来てほしい、そして武者として立つこの姿を見てもらいたいそう思っていたのに。」
言葉を連ねる内に、悲しみが満ちてくるような声の調子だ。
「親兄弟でも別れて戦う事はある。それが武士に生まれた者の定めでは?次郎殿は巴にもよく教えてくれました。」
言うまでもない事だ。しかしそれで気が沈んでいる。それに戸惑っている。ぎゅっと巴の体が締められた。
「情けない。幼き日の恩人の討死にここまで気を悩ますとはな。」
ふっと息を吐いた。
「山吹には聞かせれんな。」
柔らかく巴は微笑んだ。
「はい。あの娘は強い次郎殿ばかり見ています。このようなことは、この巴だけに。」
尖っていた気が丸くなってゆくのを感じる。あくびを義仲はした。
「日が昇ると忙しい。ようやく休めそうだ。」
巴の顔の下に頭を突っ込むと、直ぐに眠りに落ちた。
篠原で木曽勢が勝ち、京に進む。源氏一番乗りは義仲。鎌倉でそう聞いた頼朝は複雑な気がした。
「平家め、口ほどにもない。」
結局、西国の米事情を伺っている内に京に木曽義仲が先駆けた。機に遅れた、こんな時に清盛ならどうしただろう。そう思っていた自分に驚いた。近頃、清盛なら如何にするとよく思う。親しんでいた京の女房よりはるかにあの男のことを考えている。復讐の念はもう薄い、不思議な気分だ。
人が訪ねてきた。畠山重忠だ。「西上するならぜひ」とのこと。関東の足場は固まってきている。
「西に向かう時は近い。宜しくお願いする。」
旧暦5月の鎌倉は既に蒸してきている。
明雲は悩んでいる。篠原で平家の殿が崩れたという報が伝わったと思うと、京を目指す木曽勢から書状が届いた。山門の主だったものが集められて書状が読み上げられた。悪逆なる平家の行状を挙げて、義心に耐えかねた自分がついに立ち上がり、平家の軍兵を破った。このまま都に進み天皇を救出するが国家鎮護の責を負う延暦寺は無論協力してくれるであろうな?という内容であった。
「、、、、、、。」
黙ったままに座主は衆議を聞いている。平家の在り方がすでに天下を乱しているのではないか?という声はどこでも強い。しかし、彼らに代わる存在が果たして木曽の義仲か?長年天下にある平家の雅量の代わりとなりえるか?いやむしろ力に頼るという点でいうなら信濃国の山ひだから出て来た彼らこそが、、、。じぶんが親平家だから、というよりも天下を担う物を木曽に見いだせない、それが率直な思いであった。しかし衆議は勝者への協力に傾いてゆく。
「一刻も早く協力、と返すのが必要です。実際は山の外のこと、歯向かいはしないので存分にそちらの方で力を尽くしてください、でゆくのが良いのでは。」
琵琶湖と麓に持ち、舟で山城国の都とつながる巨大な畿内の自治圏、そう返すのならおいそれと手は出せまい。
「泥の中に生えても美しい花を咲かせる、蓮のように、、、とはいかぬものよ、、、。」
小さくつぶやいた。座主明雲の決定は「協力」であった。
返書が進軍する木曽勢に飛んだ頃、京の都は騒ぎの中にあった。何せ西国の兵10万を集めて負けた。都に戻ってきたのは僅か2万。後は討ち死にか、平家の勢いの衰えを見てそのまま逃げ、あるいは降伏した。
「殿の斎藤殿も、、、、。」
引きずられるように戻ってきた平維盛は憔悴しきっていた。貴公子は戻り、関東から来て仕えた忠勇の士は帰らぬ人となった。衰運の集団においては真に勇なる武者から死んでゆくのか?篠原で立ち止まって戦った者たちこそがここに帰り、善後策を述べるべきだ。維盛の悔やみは深い。
「後どれ程で木曽は来る。どう戦う。」
父、平宗盛は責任云々を言い出す前に防衛策に話を移した。
畿内で戦うのなら、勝手知ったる地。地の利は平家だ。木曾勢も疲れているだろう。不利であるとは限らない。しかし兵の数だ。何とかして上積みしておきたい。どこに求める、、、と考える一堂が思いついたのが僧兵だ。そして山城国の隣国近江国の重し比叡山延暦寺を平家に繋ぎ止める一挙にもなろう。できれば同じ近江の園城寺、南都の興福寺にも協力してもらえるなら畿内はより固まるが、兵を出しやり合った以上望み難い。山門ならばイケる。堂衆合戦は山門の内紛に介入しただけだ、長年の誼が活かせるだろう。
「畿内で戦う。都は平家繁栄の地。退くことはあり得ない。」
宗盛の肚は決まった。疾く山門への牒状が出された。この動きは決戦を見越した行動としては良かった。既に山門の行く先が決まっていることを除いては。
ガイウス・ユリウス・カエサル曰く
「人は見たい事実しか見ようとしない」の一例でもあった。
返書
六月十日の牒状、同十六日到来、披閲のところに、数日の鬱念一時に解散す。凡そ平家の悪逆累年に及んで、朝廷の騒動やむ時なし。事人口にあり、委悉するにあたはず。夫叡岳にいたっては、帝都東北の仁祠として国家静謐の精をいたす。しかるを一天久しく彼夭逆にをかされて、四海鎮に其安全をえず。顕密の法輪なきがごとく、擁護の神威しばゝゝすたる。爰に貴下適累代武備の家に生まれて、幸に当時精撰の仁たり。予め奇謀をめぐらせて忽ちに義兵をおこす。万死の命を忘れて一戦の功を立つ。其労いまだ両年を過ぎざるに其名既に四海にながる。我山の衆徒、かつがつ以て承悦す。国家のため、累家のため、武功を感ず。かくのごとくならば則ち山上の精祈むなしからざる事を悦び、海内の恵護おこたりなき事を知んぬ。自寺他寺、常住の仏法、本社末社、祭奠の神明、定めて教法の二たびさかへんことを悦び、崇敬のふるきに復せん事を随喜し給ふらむ。衆徒等が心中、只賢察をたれよ。然れば則ち冥には十二神将、忝く医王善逝の使者として凶賊追討の勇士にあひくははり、顕には三千の衆徒しばらく修学讃仰の勤節を止めて悪侶治罰の官軍をたすけしめん。止観十乗の梵風は奸侶を和朝の外に払ひ、瑜伽三密の法雨は時俗を尭年の昔にかへさん。衆議かくの如し。倩是を察せよ。
寿永二年七月二日 大衆等
「木曽山門牒状」「返牒」




