第19話 面倒くさい女の依頼
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黄昏の家のマスターの故郷には『蛇の道は蛇』という言葉がある。『専門的な事はそれに秀でた専門家が知っている』というような意味らしい。
この言葉を教えてもらった時はそんな言葉があるのかと適当に聞き流していたが、俺は今日になってその言葉の意味を嫌というほど実感する事になった。
最近の日課である、黄昏の家での演劇の稽古が終わった後、俺は『エリア・キャン・ディーズ』での聞き込みをしたのだがその結果に散々に終わった。
狭い通りで道行く人を相手に酒を売っている女性、カンバル・ビールー嬢に話を聞けば『怪しい人なんて見かけていないわ、それより聞いてよ。ここにベルリン様が来たのよ』と興奮した様子で三十分ほど拘束され知り合いの酔っ払いの話を散々と聞かされ。
小さな路地で精肉店を営んでいるギリー・ブッチャー氏は『変なヤツぅ? 可愛らしい子うさぎは見たがそんなヤツなんて見てへんで。まあにいちゃんも頑張りや』と気になる事を仄めかしながら慰められ。
大劇場の真ん中で辻演劇をやっている集団からは『ハハハ! そんなことよりあれを見ろよ!』と完全に無視された。
終いには『変なことを聞いて回っている変人』と街の者達に噂されてしまい、その結果変な噂を広まられては今後の任務に支障が出ると判断して何の成果も得られないままに聞き込みを終わらせた。
この散々な結果に思わず汚い言葉をぶちまけそうになるが、まあこれも仕方ないこと。
闇市を営んでいる悪人の事を善良な一般市民に聞くなんてそもそも筋の違う話。悪人の事は悪人に聞くというのが筋だろう、それこそ蛇を探すようにね。
そして俺には蛇の行方を知るための伝手がある。
何故最初からこうしなかったと至極真っ当な声が聞こえて来そうだが、あくまでこれは最終手段としてでしか使いたくないのだ。
何せ今から会うヤツはヴォリスさんやレイさんもびっくりするぐらいとびきりのくせ者だからだ。
そいつと出会うにはいくつかの手順を踏む必要がある。
まず場所。レゲ家の領地である『エリア・マシュウ・マロン』の寂れた裏路地の行き止まりが待ち合わせの場所だ。
次に合図。行き止まりの壁に背中を預けながら壁を四回叩く。二秒ほど間を置いたところで六回叩く。すると壁の奥から山彦が帰って来るかのように壁を三回叩く音が聞こえて来る。
最後に合言葉だ。ここまでは偶然で通ってしまうことがあるかもしれないが、合言葉には偶然は通用しない。
「"今日も太陽が眩しいな、こんな日は冷たいビールを飲みたいね"」
暗い夜に響くおかしな呟き、相変わらず安っぽい恋愛小説でありそうな気取ったセリフだが、これも合言葉なので仕方がない。そして壁の奥から鈴を鳴らしたような美しい声がこれまた気取ったセリフを吐き捨てた。
「"それは素敵ね。こんな雨降る夜には暖かいりんごのエール酒をご馳走してくださる?"………………こんばんはミスター・ラーブル。今夜もいい夜ね」
こうして壁の奥とのヤツと出会う手順は終わりだ。後はこちらの目的を果たして帰るだけ…………なのだが。
「………………はあ」
「あら? いきなりため息とはいい挨拶ね。何か嫌なことでもあったのかしら?」
「あんたに会うと考えたら思わず出ちまったんだよ」
「フフフ、可愛いわねぇ。そんなに私と会いたかったんだ♡」
「はあ…………言ってろ。情報屋」
コイツはこのダリアンの都に蔓延る情報屋。大通りの露店販売の値引き開始時間から流行りのレストランの裏メニュー、果てはダリアン十二貴族の弱みまで、この国でわからないことは大抵コイツが知っている。
俺の所属する騎士団の秘匿部隊という特殊な仕事からか、こういった手合いとの付き合いをすることもままあり、度々利用させてもらっている。
だが俺はコイツの顔も知らなければ、名前や素性も知らない。唯一わかることとすればその声色から壁の奥にいるのが女性だろうということだけ。
そしてその声も胡散臭いことこの上ないほどに甘ったるく、発する言葉もいちいち癪に障りそうな気取ったセリフの羅列。先程くせ者と言った理由がわかっただろうか。
つまりこの壁の奥にいる女はこの上無いほどに信用できないヤツということだ。
「ともかく仕事の話だ」
「まずは世間話をしましょうよ。そうねぇ…………アシュバルトに新しい教師が来たのとかどうかしら? なんでもある界隈での有名人らしいわよ」
「その話も興味深いが俺の知りたいことはもっとアングラな話題だ」
「つれないわねぇ。でもそんな貴方も素敵よ♡」
「はっはっはっ! ………………はあ」
引き攣った笑みを浮かべると共に三回目のため息を吐く。
この通りだ。コイツと話す度に頭の上にある薄緑色の毛に覆われた耳が痒くなってたまらない。俺の笑顔に苛立ちが混じるのも仕方ないことだ。
最初に会った時こそ丁寧に上品な会話を心がけていたが、今ではご覧の有り様、まったくもって忌々しいヤツだ。しかし任務を果たすためにはこんなヤツでも頼らなければならない。悲しいことにな。
「とにかくさっさと終わらせよう。俺の知りたいことはもう知ってるだろ?」
「フフ、もちろん。綺麗な劇場の舞台裏で火遊びをしているおばかさんの行方を知りたいのよね」
やはりコイツは知っていたようだ。さすがこの街で情報屋をしているだけあり、その仕事の早さには驚くものがある。
とはいえまだまだ油断はできない。この情報を知るための最大の問題が残っているのだから。
「それで、情報料はいくらだ」
「そうねぇ…………少しサービスして金貨五枚でどうかしら?」
「………………はぁ」
四回目。やはりと言うか何と言うか。この女と話していると頭が痛くなりそうだ。
当然ながら情報屋に支払う報酬はそのモノによってまちまちだ。銅貨数枚で済む安いモノもあれば、金貨を要求して来る高額のモノまである。
そして貴族が開いている闇市の情報は高値になるのは仕方ないことだろう。だがしかしだ。
「払えるわけないだろう。いくらなんでも足元を見過ぎだ」
「焦らない、焦らない。真面目なのは貴方の美徳だけどもう少しゆっくりお話ししましょう」
「………………わかった。それで、どうやったら安くしてくれるんだ。また変なことをやらせるのか?」
「せ・い・か・い♡」
この女が法外な報酬を要求する時、それは大抵俺に面倒な仕事をやらせる合図なのだ。
ある手紙を商人の家の前に届けたり。街の人に声を掛けてわけのわからない質問をしたり。露店で売り出されている安値の絵を買って、それをまた別の露店で更に安値で売ったり。
過去にもこうして高値をふっかけられては色々変な仕事をやらされた。どうやら今回もそれと同じ類のようだ。
この奇妙な仕事もこの女がくせ者だという理由の一つでもある。とはいえこれらは言ってしまえば子供の使い同然の簡単な仕事。それを終わらせるだけで情報が手に入るのだから安いものだ。
「それで、何をすればいいんだ。そこらの屋台でお菓子でも買ってどっかの子供にプレゼントすれば良いのか?」
「フフフ、今回はいつもと少しだけ違うわよ。でも貴方好みの内容よ」
そう言うと壁の奥から小石をくくりつけた一枚の手紙が投げ込まれた。
「その手紙をある人物へ届けて欲しいの。それも当人以外誰にも見つかること無く、まるで影のように静かにね」
それは貴族が使うような上質な高級紙で閉じ口には緑色のネズミの封蝋が押されていた。しかし俺の目を引いたのはこの封筒書いてある宛名だ。
まるで流れる水のような達筆で記されているその名前。それはこの国の頂点に数えられる由緒ある貴族の名前だった。
「…………これを? 誰にも見つからずに届ける?」
「そ、『ダリアン十二貴族・序列第七位ラプソディ家当主・ヘミアン・ドゥ・ラプソディ』にね♡」
こんな面倒なことになるんだったら変人と噂されながらも街で聞き込みを続けるべきだったと心の奥底から思いながら、俺は五回目のため息を静かにこぼすのだった。




