第12話 夕焼けのソルト&シュガーレモン
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ソルちゃんとの出会いと別れの嵐を経験した私ですが、この街にはもう一つの嵐が巻き起こっていました。
そうです、ベルリン様によって作られた嵐です。
あれはまさしく全てを薙ぎ払う力がありましたが、二時間ほどの時を経て、その勢いはようやく鎮火し終息していました。
「あ〜〜〜、疲れたぁ〜〜〜!」
そして観光商業区に戻った私が最初に目撃したのは、通りにあるベンチに座り、げっそりと項垂れているベルリン様の姿でした。
その顔は身に纏うドレスの色と遜色ないほど真っ青に染まっており、窪んだ眼や煤けた唇からはまるで老婆を彷彿とさせます。
ああ、やはり嵐とは恐ろしい存在です。先程まで元気一杯だったベルリン様が今では見るも無惨な姿に変貌させるのですから。
しかしこれは吹き荒ぶ嵐から目を背けた私の責任でもあります。この罪を注ぐために精一杯ベルリン様の介抱をしなければならないでしょう。
「ベルリン様。長時間のご対応お疲れ様でした」
「あ〜、レイちゃん…………。うん、疲れた〜。もうこのまま泥みたいに眠りたいよぉ〜」
「それはいけません。横になるなら黄昏の家でなりましょう。さ、肩をお貸しします。馬車までご一緒に」
「うう〜。レイちゃんは優しいなぁ〜」
感極まって思わず泣いてしまったベルリン様と共に、走っていた辻馬車を捕まえて押し込むようにして乗り込むのでした。
心配そうに私達を見る御者のことなど気にも止めず、馬車の椅子に背中を預けながら沈みゆく夕陽をぼーっと眺めるのでした。
「何か忘れているような………………あっ!!」
そんな時です。私はある大事なことを思い出しました。
それは元々この街に来た目的。
レイちゃんとの遊覧とベルリン様の介抱による疲労で私の頭の中からすっぽりと抜け落ちてしまっていました。
それと同時に走る馬車の後ろから聞き覚えのある叫び声が聞こえて来たのです。
「アネゴぉ! ちびっ子ぉ! 待ってくれぇ!!」
「オデ達を置いて帰らないでくれよぉ!!」
その声に気付いた私は慌てて馬車を止めさせるのでした。
馬車が止まる時まで、貧民街のお二人の声が大きく響いていました。
後にこの迫真の叫び声を目撃した舞台劇の評論家は、『誰にも真似できないであろう素晴らしい演技』だと評するのでした。
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ロンド卿とワルツ卿の商談も終わり、屋敷に戻りしばらくいつもの警護の後に本日の仕事も終わりを迎えた。
その後、本来の任務を遂行するためにマリアンさんから話を聞こうとしたが。
「侍女長は月に一度だけ旦那様からお暇をいただいているのですよ。いつも働き詰めなのでこうして羽根を伸ばしているようですね」
「なるほど」
屋敷の前で箒を掃いていたショーラさんに話を聞くと、彼女はどうやら本日は一日中外出しているようで今日はもう帰ってこないとのこと。
少々肩透かしを食らったが、まあ彼女も血の通った人間なんだ。こうして休むというのも立派な仕事と言うことだろう。それにわざわざ今日じゃなくても話は聞ける。もう少し間を取って事に当たれば良いだろう。
そんな風に考えていた時だ、ショーラさんがこちらを見つめながら言葉を絞り出したのだった。
「そ、そういえば今日は大劇場にて舞台を観覧したのですよね?」
「うん、そうだね。ワルツ卿の商談のついでだけど見たよ」
「そうなんですね! よろしければ舞台の感想をお聞かせいただけませんか?」
「うんいいよ」
こうしてマリアンさんの代わりと言ってはなんだが、ショーラさんと今日あった出来事に会話の花を咲かせるのであった。
内容はもちろん舞台劇について。
暗い舞台の上で演じる俳優の演技。小道具や光を使った表現。稀代の作家が描いた絶妙な言葉回し。
全てが洗練された芸術の話題を、ショーラさんは余す事無く聞いてくれた。
「と、まあ主人公の青年の物語がこうして始まったというわけだ」
「なんと…………。物語と知っていても可哀想に思えます」
「そうだね、あの鬼気迫る演技にはある種の狂気を感じたよ。舞台の上でここまで絶望というのを表現できるのか…………って」
「クレイング様の話を聞いて、私もその舞台を見たくなりましたね」
「お、いいね。こう言うのを見るのはいい経験になると思うよ」
「そ、それでなんですけど………………」
ふと、ショーラさんの言葉の切れが鈍った。
箒を持った指を忙しなく動かし、唇をまごまごとさせている。
そして数秒をした後、彼女は勇気を振り絞りかのように大きな声を響かせた。
「わ、私と! 一緒に舞台を見に行きませんか!」
「え?」
そう言って彼女は右手を俺に向けて差し出すのだった。
それを見て思わず素っ頓狂な声が出てしまった。
この彼女の言葉は俺の予想外…………ではない。彼女の普段の俺に対する態度を見ればある種必然とも言えるだろう。
彼女の好意は嬉しい。だが俺はあくまで騎士の任務でこの屋敷に仕えているだけ、何より。
(俺は彼女を裏切ってしまう)
任務を遂行する上で、この屋敷の人間を裏切るというのは確定している。その事実がショーラさんの差し出された手を握るのを躊躇わせていた。
「だ、だめでしょうか…………」
閉じた瞳に涙を浮かべながら、俺の返答を待つショーラさん。
本来なら断るべきだろう。それが後々のためになるのだから。
しかし、だがしかし。
「いいですよ。次の休みの日に大劇場へ行きましょうか」
「ほ、本当ですか!!」
『流れに身を任せるのは悪では無い』
親しき先人の助言に従い。俺はこの流れに身を委ねるのであった。
改めて、俺の今日の仕事は終わりを迎えたのであった。




