第10話 最高のソーセージを食べましょう!
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「ベルリン様〜!」
「私にも握手してください!」
「ひ、一人ずつね! みんな落ち着いて〜!」
甲高い黄色い声が狭い通りの中を木霊しています。
騒ぎもある程度の時間が経ち、人の波で作られた嵐は治ろうとしています。が、それでも嵐は嵐。その勢いは依然激しさを保ち、全てを薙ぎ払う勢いでこの通りを支配しています。そんな嵐の中心ではベルリン様は戸惑いを見せながらもなんとかそれに応えようと奮闘していました。
気の毒なベルリン様!
彼女は有名という力は世情を動かせる剣であると同時に己を縛る鎖にもなり得てしまうというのをまざまざと私達へ伝えているのです。
何もできない私を許してください。嵐に立ち向かうには私はあまりにも無力な存在なのです。
「おねえちゃん、あそこになにかあるの?」
「いえ、なんでもありません」
奮闘しているベルリン様に対して無言の激励を贈りつつ、私はソルちゃんと一緒に『エリア・キャン・ディーズ』の街を歩いていました。
この街は大まかに三つの地区に区分されます。
一つは狭いながらも大変盛況するいわゆる観光商業区。二つ目は趣きのある静かな雰囲気が特徴の住民達の住む場所である居住区。そしてこの街を見守るように聳え立つ大劇場のある劇場区。
この三つの地区を総称して『エリア・キャン・ディーズ』と呼んでいるのです。
そして私とソルちゃんは現在、劇場区の広々とした通りを手を繋いで歩いていました。
劇場区と言うだけであり、右を見れば麗しいご婦人、左を見れば逞しい殿方と、まさに舞台の花とも言うべき方達が至る所で咲き誇っていたのです。
そんな花畑の前では茶色い地味なコートを羽織っている私など雑草も同然。しかしそれでも私はソルちゃんのために堂々とした面持ちで一緒に歩いていたのです。
「とても賑やかな場所ですね。お散歩にはぴったりです」
「うん、すごい」
このような陳腐な感想が漏れ出てしまうぐらいに、今の私達はこの見目麗しい花畑に言葉を奪われていました。
そうして大劇場へ向けて歩みを進めていた時です。どこからか香ばしい匂いが漂って来たのです。
「おねえちゃん…………」
「ええ、行きましょう」
時刻は午後四時。小腹が空いていた私達はまるで蝋燭の火に誘われる蝶のようにその匂いを辿って行きます。
そうして歩いた先にあったのは劇場区の横道にひっそりと立つ一軒のお店。『ギリー・ブッチャー精肉店』と書かれた看板が目に留まりました。
店の片隅には小さな屋台が置いてあり、匂いの元はそこから漂っています。が、屋台には誰の姿も無く、香ばしい匂いだけがそこに置き去りになっていました。
「…………店に入ってみようか」
「うん」
そうして私達はお腹に住む妖精の思惑のまま、吸い込まれるようにして店内への扉を開くのでした。
「まいどー…………って、えらい小さな嬢ちゃんお二人さんやないか。まあええわ、ギリーお兄さんのお肉屋さんにようこそやで」
店内へ入ると独特な抑揚を付けた声、ここから東に位置する国であるアシュバルト特有の訛りの声が私達を出迎えました。
そこにはおそらく作業中だったのでしょうか、厚手のエプロンを掛けて紫色のバンダナを頭に巻いた茶髪の男性が包丁を片手に立っていました。
そして香ばしい匂いに混じって、生き物の血肉の匂いが仄かに香っておりソルちゃんが思わず嗚咽が漏れてしまいそうになっていました。
「こほっ…………」
「あ、すまんすまん。匂いキツいよなぁ? ちょいと待っとるんやで」
店主は慌てたように返り血が付着したエプロンを店の奥に放り込むと、どこからか緑色の液体が入った容器を取り出して辺りにシュッシュと振り撒きました。
すると先程まで咽せ返るような血肉の匂いが、爽やかなミントの匂いに変化するのでした。
「これでどや? ちょいとはマシになってるやろ?」
「ええ、かなり楽になりました」
「そりゃあええ、知り合いの薬屋に匂いを抑えるって勧められて買った甲斐があったわ。そんで嬢ちゃんらはアレやろ? ソーセージの匂いに釣られて来た口やろ?」
「うん。とってもおいしそうな匂いがしてた」
「よっしゃ! 匂いのことで迷惑掛けたお詫びに一本奢ってやるで! ささ、嬢ちゃん方、外に出ようや」
そうして店主と共に外に出て店のすぐ隣にあるまるで小さな家のような三角屋根の屋台の席に座ることになりました。
隣にはソルちゃん、対面にはお肉屋さんの店主。そして私達の目の前にはとても大きなソーセージと鉄板が並んでいます。
屋台に立った店主は二つのかえしを持つと、カンカンと叩きながら大きな声で口上を告げるのでした。
「さあさあ皆の衆。本日は大変お日柄も良く絶好の演劇日和でぇ御座い! 日昼のお客はなんとも可愛らしいお嬢様がお二人。こりゃあ一層の気合いを入れて焼かねば肉焼き職人の名折れというもの! それではギリー・ブッチャーの肉焼きをとくとご覧あれ!」
取り出したのはシンプルな赤いソーセージ。鉄板の上に油を敷いて、火打ち石で元々付いていた更に火を強めると、勢いよく二本のソーセージを鉄板の上に放り込むのでした。
ジュージューと小気味良いリズムを奏でながら香ばしい匂いを巻き起こしています。
「焼いて来ますは豊穣の国であるフェリアルの食材をふんだん使った自慢のソーセージ! オークが丹精込めて育てた豚の立派な赤身肉と、エルフ達が信仰する緑の神の祝福を受けた香辛料を練り込んだこのソーセージの味はやみつきになること間違いなし! 皮目を裂かずにゆっくりと焼いていくのがこらまた難しいが、それを乗り越えた先にはこの国一の極上が待ち受けてること間違い無し!」
店主の陽気な語り口とソーセージの焼けるたびに聞こえてくる調理の音色。これぞまさしくソリストが紡ぐ料理による独唱。この音色に私達の芸術を愛する心と空腹感をこれでもかと刺激するのでした。
「そんなこんなで焼き上がったソーセージを紙に包んでホイ完成! ………………ほな、出来上がったで。熱いから気いつけてな」
そうして一分も経たない内にソーセージが焼き上がると、新聞紙で包まれて私達へ手渡されるのでした。
確かに焼き立てのソーセージは新聞紙越しでも火傷しそうなほどです。しかしこのような食べ物は出来立てこそ最上。躊躇う必要はありません。
「「いただきます」」
そうして私とソルちゃんはガブリとあつあつのソーセージに齧り付きました。
その瞬間。パキッという軽快な音が聞こえてくると、ソーセージから大量の肉汁が口の中に溢れ出て来たのです。
まるで洪水のように溢れる肉汁は舌を喜ばせると、すぐに口の中で溶けていきました。
次に感じたのはその食感です。まるで雲の上を跳ねるかのような強い弾力がソーセージを噛むたびに伝わって来たのです。そしてバジルと胡椒の風味が喉全体を駆け巡り、なんとも素晴らしい後味を与えてくれました。
さて、ここまで長く語りましたが、私達の言いたい事は一言だけです。
「「とっても美味しい!!」」
横道にある小さな一軒の屋台で、私達はマリアンの作る料理にすら勝るとも劣らない、最高の美食に出会ったのでした。




