第7話 『宵闇の月と明星の君』
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「深淵と渦の神ラブル様。この声が届いてるのなら私に応えてください!」
雲一つ無い夜空の下で、ボロきれを身に纏った男が月に向かって仰ぎながら叫び声を上げていた。
救いを求める男、しかし夜空に輝く月は無慈悲に黙したまま。だが男は諦めることなく空に向かって叫び続けた。
「私はかの『月の王』に全てを奪われました。母、父、弟、愛する者、そして帰るべき故郷! あの悍ましき貪欲な王は己の欲を満たすために蹂躙の限りを尽くし、笑いながら全てを奪ったのです! 無様にも皆を見捨てて逃げてしまった私はその罪を償うためこの身を海に投げ込みましたが、こうして助かった、助かってしまった! これは貴方様からの天命。あの王に復讐しろという天命なのでしょう!」
狂気に満ちた男は呼吸を荒げながらそれでも月に向かって叫び続ける。
その声が届いたのだろうか、星を喰らうかのように夜空が深淵に染まり始めた。
その光景を目にした男は「ああ!」と歓喜に満ちた声を漏らすと、続け様に言葉を紡いだ。
「ラブル様! 私の声が届いたのですね! ならば私の願いを聞いてください! あの王を、月の王に復讐するための力を私に! もとより私は死んだ身。たとえ魔の者に堕ちようと構いません! 私の全てを奪ったあの男を殺す力を私に!!」
瞬間。深淵に染まった空に巨大な影が映し出された。
その姿はまるで海に渦巻く災害。全てを蹂躙し薙ぎ払う嵐の姿そのものだった。
巨大な影は天を仰ぐ男を値踏みするかの様にその姿を揺らすと、どこからともなく声を上げた。
『貴様が我の力を求める者か』
神々しさすら覚えるその暗く低い声。
その声に男は目を見開き、口を大きく開けて応えた。
「その通りです! 私に護るべきモノはありません。全てが終わった時、身も心も貴方様に捧げることを誓います! お願いします! 私に力を!」
『…………よかろう。貴様に力をくれてやる。しかし篤と忘れるな、貴様は人の身に戻らぬことを。必ず後悔する結果が訪れることを』
「…………もちろんです」
決意か、それとも亡くなったモノに対する最後の憐憫か。先程とは異なる男の静かな声が反響すると同時に世界は暗闇に包まれるのであった。
そして幕が降りると、観客席から割れるばかりの拍手が舞台へと送られた。
もちろん俺と隣に座るワルツ卿も無意識のうちに拍手をしていた。
ここはダリアン十二貴族序列第四位であるロンド家の領地『エリア・キャン・ディーズ』にある大劇場の舞台観客席。
その一等席に俺とワルツ卿は座っていた。
先程公演された演目はかつて稀代の天才と謳われた作家『V・ランページ』による戯曲『宵闇の月と明星の君』という作品である。
全てを奪われた男が神に縋りつき、魔の獣となり果て全てに復讐するという悲しい物語だ。
今のは八幕ある舞台の内の三幕目。つまり序盤も序盤というところだ。しかし序盤と言えど役者の熱の籠った演技と舞台劇ならではの演出には思わず自身の任務を忘れて見入ってしまった。
さすがは数多の芸術が溢れているダリアンで二番目に栄えている芸術と言ったところだろう。
「ワルツ卿。ロンド様がお呼びです」
「わかった。ではクレイング殿、向かおうか」
「はい」
しかしこの楽しい時間も終わりだ。
今からは騎士として、そして仕える者としての責務を果たす時間だ。
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皆は貴族同士の会談について、どのようなロケーションで行われることを想像するだろうか。
豪華絢爛を体現した光り物で溢れかえる場所か。逆に暗く狭いまるで牢獄のような場所か。あるいはチェロとバイオリンの音色に包まれた趣あるバーのような場所か。
まあ俺は貴族では無いので実際のところはよくわからない。わかるのは今回ダリアン十二貴族の二家が相対する場は大劇場にある貴賓室ということのみだ。
貴族は広い部屋の真ん中には舞台を見られるように置かれた二つのソファに座り、お互い顔を合わせる事なくワイングラス片手にガラスの向こうで繰り広げられている舞台を眺め。
その後ろには二人の騎士が、己の主人を守るようにして立っている。
「どうかな、接待用に作ったこの部屋のソファの座り心地は?」
「………………演目の音が聞こえないようだが」
「ハハハ! ガラスで仕切っているからね。だが安心したまえ、そこの縄を引っ張れば音が聞こえてくる。おい!」
「………………」
でっぷりと腹を膨らませた犬族の男性――ダリアン十二貴族序列第四位ロンド家の当主『サンバルク・ドゥ・ロンド』が自身の後ろに控えている騎士へ縄を引き上げるように命令した。すると壁一面に広がるガラスが音を立てずに上がってくと、隔てていたガラスが目の前から無くなり舞台からの声が我々の耳に届けられた。
「素晴らしい眺めだろう?」
「…………ええ」
そして見せるものは終わったとでも言うようにロンド卿はもう一度騎士に命令して、ガラスを下げさせるのだった。
「と、まあこんなところだ」
「ふむ、さすがはロンド殿。細かいところにも目が行き届いている」
「そんなに褒めなくて良い。さて早速商売の話と行こうか。先にある演劇祭で使用する金鉱、並びに鉄鉱についてだ」
「もちろん用意している。金が五十。鉄が百」
「素晴らしい。あとは値段だ」
「金貨四十六、銀貨三十」
「それで良い」
そうして、ロンド卿とワルツ卿による商談はあっという間に終わりを迎えた。
相場はワルツ卿が少し得になるような金額だったのだが、さすが十二貴族の序列第四位ということか。金に糸目を付けずに提示された金額に即決した。
これは金額以上にワルツ卿に『貸し』を作る方が大きいと判断した結果の即決なのだろう。
この瞬時の判断力。大きなお腹に見合わずその俊敏さは油断ならない存在だ。
そんなロンド卿はソファに背中を預けながら、グラスに入ったワインを傾けた。
「商売の話も終わった。次の幕が終わるまで世間話と洒落込もうではないか。貴騎相関の儀で派遣された騎士の方はどうかね?」
「どうと言われましても。彼は私に忠実に仕えてくれている」
「ほお、それはそれは。しかし見てみると顔立ちが良すぎる。父親として心配ではないかね? 他の家のことはよく知らないが貴族の間でも流行っているそうじゃないか、騎士小説とやらが」
「娘には騎士と顔を合わせないように命じた。その心配は必要無い。それを言うならロンド殿、貴方もご息女を屋敷から出していないそうで」
「教育の一環だよ、来月の頭には外の空気を味合わせるようにする」
貴族同士の会話と言っても、その内容は黄昏の家でラギアンさんとヴォリスさんがするようなどこにでもある話。
言ってしまえば中身の無い下世話な、まああまり綺麗とは言えない会話の応酬だ。騎士である俺達が口を挟むような内容でもない。
しかし気になる情報もあった。
(ロンド家のご息女が軟禁されている…………ね)
貴族というのは面子を気にするというのはよく耳にするが、まさか自分の娘を軟禁するほどとはね。
まあこれも雲の上で繰り広げられる話。気にしてもどうしようもない。
「ご息女が屋敷を抜け出すということもありそうだが…………」
「ワルツ卿は何故ありえない話をするのかな? 私の命令に背くなど、私の娘は思い付きもしないだろう」
貴族の家というのは厳格な縦社会に近く。当主である親の命令に背くことなど言語道断だ。
つまり貴族の娘が親の命令に背むくこと自体が有り得ない話しなのだ。それ即ち自身の将来を棒に振るうの同義なのだから。
もしそんな馬鹿な事をするヤツがいたら見てみたいものだ。さぞかし頭が変なヤツなのだろう。
「………………!!」
「…………!! …………!」
そうしている間にもガラスの奥で繰り広げられている舞台の佳境も終わりを迎え、魔に落ちた男性が最初の復讐を成し遂げた。
そして先程のように幕が降りると万雷の拍手が舞台へと送られた。
「…………第五幕も終わったか」
「それでは私共はこれにて」
「ああ、品が届くのを待っておる」
こうしてロンド卿との商談も幕を閉じ、ワルツ卿と共に大劇場を去るのだった。
(…………劇場の雰囲気やロンド卿との会談では闇市に関する情報は無かったな。やはり今回も足で稼ぐことになりそうだな)
大劇場を出て、馬車に乗り屋敷に帰ろうとしたその時だ、ふと沸き立つような大きな声が俺の耳を刺激した。
「キャー!! ベルリン様よ!!」
「群青の舞姫がこの演劇の舞台に降り立ったのね!!」
聞き覚えのあるその名前に思わず眉を顰めてしまった。
まさか彼女ここに来ているのか?
まだ演劇祭でやる演目も決まっていないのになんで…………。
「クレイング殿」
「あ、すみません」
頭の中で様々な考えが渦巻いていたが、ワルツ卿に急かされた俺は急いで馬車に乗り込んだ。
「はっ…………はっ…………」
「………………?」
その時、息を切らせた声と共に小さな影が馬車の横を通り過ぎるのを視界の端で捉えた。
その声色からは小さな子供の面影が垣間見える。
「出発します」
「あ…………」
が、そんなことを考える間も無く、御者の合図を出すと馬車は屋敷へ向かう。
一方、小さな影はベルリンさんのファンが集まる群衆の方へと駆けていた。




