第15話 貴族は静かに言葉を紡ぐ
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ナブラルと呼ばれる男性と彼の仲間であろう者達は品の無い笑顔を浮かべながら私達を値踏みするように見つめていました。
「なんじゃ、お前達こやつらを知ってるのか?」
「先日、ラギアン様を足蹴にし、むごく傷付けた者です」
「おいおい、ありゃあこの耳無しが悪いんだぜ。俺の大事なモノを盗んでおきながら惚けやがったからな」
「そ、そんなの言いがかりだ!」
「うるせえ! 耳無し風情が生意気なこと言ってんじゃねえよ!」
そう言ってナブラルはヒステリックに声を荒げると、怒りのままに立て掛けてあった画架を蹴り飛ばしました。
「…………っ!」
「なんてことを…………!」
「クソが、イライラするぜ。これも全部貴族連中のせいだ!」
「そうだそうだ! 俺たちが不幸なのは全部貴族のせいだ!」
音を立てて崩れ去った画架に気にも留めず、ナブラルは苛立ちのままに足で地面を打ち付け、彼の仲間も続くように声を上げ地面を打ちつけています。
広場にいた人達は彼らの異常な様子を見て恐怖を帯びた表情を浮かべながら呆然と見続けることしかできません。
「では何故貴族ではなく私達へこのような仕打ちをするのですか!」
「あ? そんなもんスッキリするからに決まってるだろ」
「…………え?」
「テメェら貧民街の落ちこぼれを殴れはスッキリするんだよ」
絶句とはこのことなのでしょう。
彼は理性のある獣人では無く、感情でしか動けない獣でした。
そしてその行動理由は自身の虚栄心を慰めるため。
ああ、本当に…………。
「そんじゃあクソガキ。まずはテメエからだ」
「………………!」
そう言って獣は拳を私に向けて振り下ろして来ました。
足は動きません。このような状況は私にとって初めてのことだったから。
そのまま拳は私の顔目掛けて当たろうとしました。
「やめろォォッ!!」
グキリと。鈍い音が小さく聞こえて来ると同時に目の前に現れたラギアン様が私を庇って殴られてしまいました。
「ラギアン様!!」
「若造!」
慌てて駆け寄ると、ラギアン様は首の下辺りを押さえて蹲っていました。
幸い致命傷は避けていましたが、その唐突の一撃はとても苦しそうです。
「チッ、邪魔しやがって」
「………………」
「ま、いっか。所詮腐った耳無し野郎だ。死んだ方が世のためってヤツだ」
「そうだそうだ! 耳無し野郎なんて死んで当然だ!」
彼らは下卑た笑いを上げながら壊れた画架の残骸を踏み躙っています。
その下卑た姿にはもはや獣と扱うことすら野原で生きる獣に対して失礼当たるでしょう。その姿はまさに意志の無い塵芥そのものです。
「………………」
「おい、嬢ちゃん?」
切れる音というものがあります。
柔らかい紐を伸ばして伸ばして、力いっぱい伸ばしたらいつの間にか聞こえるあの音です。
その音が、何故か私の中ではっきりと聞こえて来ました。真っ赤な感情を迸らせながら、ぷちりと。
「さあて、この耳無し野郎は俺の邪魔をした。おしおきしなきゃ…………」
「やめなさい」
さて、それはまるで水面に落ちた水滴のように、小さな声がこの広場に響き渡った。
「あ…………?」
「これ以上ラギアン様を傷付けることは私が許しません」
波紋のように広がった声はいつのまにかこの広場全ての音を奪い去り一つの静寂を生み出していた。
住民達の賑やかな声で奏でられていた広場には噴水から湧き出る水の音のみ。波紋のように広がっていくその様はまるでオペラの上映前のような静けさ。
その中心で彼女、『ムーンレイ・ドゥ・ワルツ』は友人を傷付けた者へ侮蔑とも言うべき冷徹な眼差しを向けていた。
「なんなんだよテメエは…………」
「それはこちらの言いたいことです。貴方は一体どのような権利でラギアン様を縛り付けているのですか?」
子に優しく語りかける母親のように、耳にしただけでは怒りなど微塵も感じるのとのない声色が彼らを優しく諭している。
しかしその言葉の一つ一つに、確かな憤怒と聴く者を震え上がらせる程の強大な圧が込められていた。
「縛りつける…………だと?」
「差別という名の薄汚れた『鎖』で彼を縛り上げ、自身の低俗な虚栄心を慰める。まったく度し難い所業ですね」
紳士が歩きはしても走らないように、本物の貴族は怒ることはあれど決して声は荒げない。
その言葉は全てはただ目の前の相手に聞き届けるために発せられる。
「お、俺達の苦労も知らねえで好き勝手に言いやがって!」
「私は貴方ではありません。そして貴方は私でもありません。故に互いの主張は決して相容れないでしょう」
それは静かに燃える蝋燭の青い炎のように、どのような状況であっても貴族は静かに言葉を紡ぐ。
そしてその声を聞き逃す事は誰にもできない。静かに燃える篝火の情景は誰もが魅了される。
「しかしそんな事はどうでも良いのです。私が言いたいのはただ一言だけ…………」
しかし一度でもその炎に、その声に触れた時、触れた者の心を悉くを燃やすだろう。その声こそが、貴族が貴族たらしめる力の本質なのだ。
「二度とラギアン様に近づかないことを約束してもらいましょう。約束を違えた時は…………」
「ひっ…………」
声は、ただの少女から発せられたその声は、荒くれ者である彼らの心を底冷えさせるほどに冷たく、そして身体を焦がすほどに熱かった。
まるで静かに燃える炎を直に触れるかのように。
そして焦がすような炎に触れた者の感情は等しく同じになる。つまるところ炎への恐怖だ。
「お、お、覚えてやがれ!!」
「あ、待ってくれよ、ナブラル!」
そうして彼らは三文芝居の悪役のような捨て台詞を吐きながら走って行ったのでした。
まったく、去り際まで品の無い人達です。
「ふう…………」
そして静かな広場には再びの平和が訪れました。
額に滴る汗を拭きながら一息吐きます。やっぱり怒ると疲れてしまいますね。
しかし何かを成し遂げた時の達成感というのはやはりとても気持ちの良い物ですね。まるで爛々と輝く太陽のように晴れやかな気分になります。
しかし何か大切なことを忘れているような。
「あ、ラギアン様! お怪我は大丈夫ですか!?」
「う、うん、怪我はしてないから大丈夫だよ」
見たところ確かに重傷はありません。
ああ、大事にならなくて本当によかったです!
「ですが画架が壊されてしまいましたね…………」
「それぐらいまた作ればいいよ! そ、それより…………」
「どうかしましたか?」
ラギアン様は私の顔をじっと見つめています。ただ真っ直ぐ、じぃっと。
そして数秒が経つと一度だけ私から視線を外すと、少し躊躇うかのように声を絞り出しました。
「…………いや、なんでもない。助けてくれてありがとうな!」
「いえいえ、大した事はしていませんよ」
「おい、さっさと片付けて帰るぞ。このまま居ると目立ってしまいそうだ」
「あ、はい!」
こうして私達は急いで壊れた画架を片付けて、黄昏の家へ向かって帰って行くのでした。
本日は様々な出来事があり本当に疲れました。
ですがこの後はとても楽しい時間が私達を待っているのです。
「それにしてもこの金貨を見たらあの二人なんて言うかな? 驚いてイスから転げ落ちるかも」
「ふん、そんなことより絵が売れたことに驚くだろうよ」
「お二人の反応が楽しみになりますね」
こうしてまるで舞台の幕が下りるように、オレンジ色に輝く夕陽が並んで歩く私達の背中を照らしているのでした。
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「ちくしょう、クソが! なんなんだよあのガキは!」
「ナブラル、急にどうしたんだよ」
五人の男が、慌てた様子で走っていた。
まるで逃げるかのような足取りで息を切らせたその様は、まさに罪を犯した罪人そのもの。
そしてその末路もまた罪人のようだった。
「見つけたぞ!」
「なっ、なんでここに…………!」
その足は白い制服を身に纏った者達の声で止められる。ダリアンの衛兵隊だ。
彼らの倍の人数である十人の衛兵隊によって男達は呆気なく取り押さえられ、その身柄を拘束された。
「お前達は明らかに不正な運動活動を行い、あまつさえ民達の安寧を妨げた! その罪を償って貰うぞ!」
「ク、クソ! テメエら離しやがれ!」
ナブラルの叫びはこのダリアンの空の彼方へ向けて虚しく鳴り響いた。
まったく、最後まで往生際が悪い奴だった。
しかしその往生際の悪さこそただのごろつきである彼がここまで増長できた要因なのだろう。
「悲しいことにね…………おっと」
ついつい彼女の口癖が出てしまった。
意外と俺も影響されやすいのかね。
「だけど間に合ってよかった」
俺がやったのはこのエリアの警邏をしていた衛兵隊への通報だった。
幸いなことに、先の泥棒騒ぎのおかげでこの辺り周辺は衛兵隊が警戒しており、そしてナブラル達が騒ぎを起こそうとしていることを通報すると彼らはすぐに動いてくれた。
騎士として俺自身で捕まえたい気持ちがあったが、俺にそんな権限は無い。故にこんな回りくどいことをすることになってしまった。
だが広場の方を見てみるとあの三人は酒場に向かって元気そうに歩いている。ラギアン達に大きな怪我も無く、なんとか最悪の事態を回避する事はできたようだ。
「だけど少しやるせないな」
彼らの罪状は広場で騒ぎを起こし市民の生活を脅かしたことと、許可無く集会をしたことの二つ。
貧民街の住人であるラギアンへ暴行したことに関してはおそらく咎められる事はないだろう。
『貧民街というどうでもいい存在に対する暴行を咎める必要は無い』。これがダリアンによる貧民街の扱いというわけだ、悲しいことにね。
その罰も鞭打ち二十回程度だ。まあヤツらにとっては得難い苦しみだろうがそれでもやるせない気持ちは募ってしまう。
「…………戻ろう」
しかしそんなことを考えても仕方ない。
俺は踵を返してゆっくりと歩き始めたその時だ。
「すみません!」
唐突に背後から男の声が聞こえてきたのだ。
振り返るとそこには衛兵隊の制服を着た金髪の男が敬礼して立っていた。
彼は俺の目を見ながら腹に力を込めて声を張り上げる。
「騎士団のご協力感謝します!」
「あ、あぁ」
「それでは私は失礼します!」
礼を告げた男は素早く敬礼を解くと、なんとも堅い足取りで隊へ戻って行くのだった。
衛兵隊と騎士団はダリアンを守るために相互に協力する関係。そして言ってしまえば俺が衛兵隊に通報したのもそれが『仕事』だからだ。
なのにわざわざお礼をするとは、なんとも真面目な人だ。
だが、今はそんな事どうでも良い。
「…………早く戻ってショーラさんに事情を説明しないと」
勝手に抜け出したことをマリアンさんに伝えられたらどうなるかわかったもんじゃない。
あの悪魔のような笑顔を見るのは勘弁だからな。




