第1話 眺めてみれば
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貴族の娘という立場上、私は様々な教育を受けさせられています。
数字の計算にダリアンの歴史、ワルツ家では重要な鉱山運営の基礎、そして音楽や社交界での立ち振る舞い。
侍女であるマリアンにそれこそ山のような量の知識を教えられ、否が応にも私にはそれらの知識が蓄えられていっているのです。
しかしこのダリアンにおいて最も重要な知識とは何か。
それはもちろん『芸術』であり、芸術の造詣の深さこそ最も重要とされています。
それに加え、ダリアンの社交界では『流行り』というのも重要視されます。
最新の服装の柄や着こなし。音楽での楽器や演奏技法。現在の文学界での騎士小説も『流行り』と言っても差し支えないでしょう。
そしてこのダリアンにて最も栄えている『絵画』においても『流行り』というのは切っても切れない関係があるのです。
「お嬢様、こちらの絵は現在のダリアンにて一世を風靡する著名な風景画家であるグロウリー氏による風景画です。青々と広がる牧歌的な光景と放牧された牛や山羊の姿が合わさり、まるでその場にいるような雰囲気を楽しめるでしょう」
「うーん…………、緑色ばかりね」
現在私達は都の北西にある『レゲ美術館』へ絵画を観にきていました。
目の前に映る壮大な緑色の絵にマリアンの解説。絵画を愛する者にとってこれ以上の贅沢は無いのでしょう。
しかし私には絵に関する造詣は深くなく、真っ白に染まったキャンパスのようなありきたりな感想しか出てきません。
本当に綺麗な緑色だなぁ、と。
「透き通るような青空に青々とした草木。風景画はどれも似たような描画がされてあまり好きではないわ。もっと桃色に染まった空が描かれた変わった絵とかないの?」
「お嬢様、その発言はワルツ家の品位に関わるので間違っても私以外にそのことは言わないでください」
確かに現在の美術界の風景画が『流行り』なのは理解できます。
この開放感のある絵は城壁に囲まれたダリアンの閉鎖感と、外の世界という未知の好奇心が組み合わさり、このような絵が流行っているのでしょう。
しかし私はもう少し刺激のある絵が見てみたいのです。
例えばそう、恵まれた肉体を持った麗しい女性を模った絵のような。
「…………私も彼に影響されているのかしら」
「何を言っているのでしょうか、お嬢様?」
「い、いえ、なんでもないわ」
その時の私の頭の中にはベレー帽にオーバーオールを着た若き人間である彼の顔が思い浮かんでいました。
『流行り』とは程遠い彼の描く絵は、このダリアンで一体どのような評価を受けるのでしょうかね。
そんなことを考えながら私とマリアンはこの後も綺麗な緑色の絵に眼を癒されていたのでした。
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美術館の訪問も終わり、私達は馬車に乗りお屋敷へ向かっていました。
車窓から通りを覗けば路上販売されている屋台の前でお菓子に舌鼓を打つ子供の姿が見えました。
甘い蜜に包まれた焼き菓子を食べる姿はまるでお星様を食べているようで、思わず私のお腹に住む妖精が『あれが欲しい』とおねだりしています。
「マリアン…………」
「ダメです、ご夕食が食べられなくなりますよ」
いじわるなマリアン!
でもいいです。屋敷を抜け出して勝手に食べるのですから。こんなことを言ったマリアンには分けてあげません。
と、そんなことを考えていた時でした。走っていた馬車が急に停止したのです。
その影響で私は思わず目の前にいたマリアンの胸元に顔を埋めることになってしまいました。服の固い感触の中に柔らかな感触が感じられます。
そんな私の胸中なんて知らずに、マリアンは御者席へ向けて声を上げました。
「御者、一体何がありました?」
「すみやせん、目の前に人集りが道を塞いでこれ以上進めやせん」
「人集り?」
窓から顔を出して先を見てみると、確かに沢山の人が一箇所に集まり何かを必死に叫んでいました。
一体何を言っているのか、耳を澄ませて聞いたみるとこんな声が過ぎってきました。
『泥棒、こいつが俺のモノを盗んだ!』と。
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時間が過ぎるのも早いものでワルツ家に派遣されてから四日が過ぎた。
屋敷の主な間取りも理解し、本格的に騎士団長から言われた任務の調査も行えるようになってきた。
しかし開幕の儀の日以降、ワルツ卿からは特に仕事は与えられず、ただただ屋敷の警備をするだけでという状況に甘んじていた。
そんな風に過ごしていた午後。ワルツ卿から初めての呼び出しを受けたのだ。
初めて状況が動いたということに浮き足立ちながら彼の執務室へ向かうと、ワルツ卿は開口一番にこんなことを言い放ってきた。
「この急ぎの手紙を鉱石商のリチャーの下へ届けて欲しい」
言ってしまえば雑用のお願いだった。
本来ならそこいらにいる子供にでもお願いするような内容だが、今の俺は彼に仕える騎士でもある。なので断ることはできなかった。
そうして俺はダリアン十二貴族のレゲ家が統治する『エリア・マシュウ・マロン』を歩いていたのだった。
このエリアの特徴はなんと言っても『お菓子』だ。
『優れたお菓子は芸術品になり得る』という言葉の通り、このエリアでは路上販売されているお菓子を目にすることがあるだろう。
そして街を歩けば焼き菓子の香ばしい香りと甘い砂糖の香りが合わさり、鼻腔の奥を甘く染め上げている。
「とはいえ、今は仕事中。寄り道せずに真っ直ぐ行かなくてはね」
騎士が露店でチュロスを買っている光景を見られてみろ。道行く子供達に笑われてしまうではないか。
こうして俺は視界と鼻の奥に広がる甘味の誘惑を振り払いながら目的地に向かって歩を進めていた。
「もう少しだな…………うん?」
そんな時だ。
大通りのど真ん中に沢山の人間が埋め尽くしていた。
おおよその数にして五十人ほど。明らかに異常な光景だ。
「衛兵隊は何をやっているんだ?」
街の治安の維持は国に所属する衛兵の仕事だ。
だが見渡しても彼らの姿は見えない。おそらくこの騒ぎをまだ把握していないということなのだろう。
そして通りの奥を見てみると、複数の馬車が立ち往生しているではないか。
「このまま放置すると暴動になりかねないな……」
流石にこれ以上の騒ぎはまずい。
仕える者としてワルツ卿から頼まれた仕事も大事だが、騎士として守るべき民の命はもっと大事だ。
「騎士団です! すみませんが通らせてくださいね!」
俺は意を決して人の津波の中へ飛び込むのだった。




