第10話 舞曲と哀歌のまっしゅあっぷ
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「この店で一番安いお酒をください」
驚愕、仰天。今の私の心はまるで暗い部屋の中にある人物画が突然動き出し、そして言葉を喋り出したかのような衝撃に包まれていました。
ダリアンの騎士、クレイング・ラーブル様。
本日我が屋敷に派遣された騎士が私の声が私の鼓膜の奥を響かせたのです。
彼が何故この黄昏の家の敷地に立っているのか。騎士とは程遠い彼のその態度の理由は何故なのか。私の正体がバレていないか。
様々な疑問と不安が頭の中を駆け巡って離れません。
今の私はまさに疑惑の迷路に彷徨う哀れな子猫。
果たして私はこの疑惑と驚嘆の螺旋から抜け出すことができるのでしょうか。
「あー、よろしければそちらの席に座ってもいいですか。一人で飲む気分じゃないので」
「お〜、いいじゃんいいじゃん、若い子は大歓迎だぜ〜」
そんな私の心中なんて気にも留めず、クレイング様はベルリン様の隣へ座ったのです。
ああ、鎖に縛られた私を救ってくれたベルリン様の優しく温かい風のような態度が今は憎らしい!
「さてさてお兄さ〜ん。この席に座ったということは自分の名前をみんなに教える義務が出てきますよ〜。さあ、お兄さんのお名前は!」
「名前…………名前ですか」
名前を聞かれたらクレイング様は樹に留まった小鳥のように少しだけ首を傾けると、いかにもな爽やかそうに笑いながら、
「…………ブルース。私のことはブルースと呼んでください」
ブルース、その意味は、悲しく暗い気持ちをメロディに乗せる哀歌。そんな名前を彼は名乗ったのでした。
「ブルース、いい名前だね! 私はベルリン、よろしく!」
「ラギアンだ。画家をやってる」
「ヴォリスだ」
「…………レイです。よろしくお願いします」
各々の自己紹介を終わらせるとベルリン様はニッコリと青空のような笑顔を浮かべながら酒の入ったジョッキを手に取ります。
「よ〜し、それじゃあブルース君との出会いを祝そうか!」
「だな、仲間が増えるのは良いことだ」
「せっかくだ、わしも付き合ってやろう」
ラギアン様もヴォリス様も続くように自身の飲み物を手に取ります。
その表情は新たな出会いの喜びで少し綻んでいました。
「ささ、レイちゃんとブルース君も一緒にね」
「は、はい!」
「こういうのはなんか照れますね」
促されて私もミルクの入ったコップを持ちます。
そうして各々顔を確認するとベルリン様は手に持ったジョッキを大胆に掲げ。
「新たな出会いに、乾杯!!」
「「「「乾杯!!」」」」
大きな声を響かせながらクレイング様改め、ブルース様を歓迎する乾杯の鐘を私たちは打ち鳴らすのでした。
そして新たな出会いの儀式を行った後の次は、互いの親睦を深める時間になります。
「へえ、ブルースは騎士団の人間なんだな。どおりで体格がガッチリしてると思ったよ」
「はい。毎日厳しい訓練ばかりで大変ですよ」
「謙遜するな。騎士というのはこの国を守る最後の剣。その使命を思う存分に誇るべきだ」
「そう言ってくれるだけでも、ありがたいです」
三人の紳士が会話に花を咲かせています
先にも話した通り、ダリアンの騎士は42名しかおらず見かけるのは非常に珍しいのです。故に会話の内容も自ずと騎士についてが多くなっていきました。
「ブルースは最近流行りの騎士小説は見た?」
「騎士小説ですか、結構読みますよ」
「本物の騎士としての意見とかあるかな。何か表では言えない話しとかあったりする?」
「はは、ちゃんと内緒にしてくださいよ。ここだけなんですがね、『炎の騎士』に出てくる魔物の大群を一人で撃退したっていうお話し。あれ実際にあった出来事なんですよ」
「マジで! あれ作り話じゃないの? え、誰がそんなすごいことを…………」
「それは言えません」
イタズラっぽく笑うブルース様の言葉にラギアン様は"そこ焦らすのか"と感心したように叫びながら店の天井を仰ぎながら酒を呷りました。
「騎士というのは万夫不当の傑物達だ。それぐらい容易なことだろうよ」
「はあー、やっぱり騎士ってすごいんだなぁ」
ブルース様という新たな仲間が、黄昏の家の会話をさらに華やかに彩りを加えています。
しかし、そんな華やかな中でも私には黒いモヤのようにある疑問が付き纏っています。
「ク…………ブルース様はどうしてお店を訪れた野ですか? ここは騎士団とは無縁な場所だと思うのですが」
「この店に来た理由かぁ」
それは何故彼がここに訪れたのか、ということ。
もしかしたら彼は私の正体を知っているかもしれない。そしてそのことをお父様に言いふらすかもしれない。
それが私が一番恐れていたことなのです。
故に私は聞かずにはいられません。彼の真意を。
しかし、そんな私の疑問をブルース様はあっさりと言ってのけました。
「いやね、値段の安い酒を探してたらいつの間にかここに辿り着いたんだよね。大通りの店は高くて高くて」
「わかるよ〜、あの辺りの店って『一杯飲むのにどれだけ取るんだよ!』って言いたくなるよね〜」
「そ、そうだったんですね」
彼の話す態度からは嘘の気配は感じられません。どうやら本当にお酒を求めてこちらへ訪れたようです。
もしかしたら、私の思い違いなだけだったのでしょう。
野生の猫のように警戒心を強めすぎてもいけませんね。まあ私は猫族ですけど。
「レイさんはどうしてこの店に来たのです? 見たところ未成人だし、この辺は君みたいな若い子には危ないと思うけど」
「え? あ…………」
その問いに私は言葉を詰まらせてしまいました。なんと答えれば良いのでしょう。
ありのままの真実は当然言えません。しかし不器用な私は嘘も吐くことができません。
「あ…………えーと…………」
「…………?」
ああ、ブルース様の眼が細まり疑いの色に染まりそうになっています。しかし私は答えることができませんでした。
胸中を埋め尽くす『どうしよう』という言葉に取り憑かれようとしたその時、群青色の光が私に手を差し伸べてくれたのでした。
「ああ、レイちゃんはね、音楽家を目指すために、ここで演奏会を開いてるんだ。彼女の音色はとても綺麗なんだよ〜」
「あぁ音楽家、なるほど」
救世主ベルリン様!
ああ、嘘というのはこういった場面で必要になるのですね。こんなことはマリアンには教わっていませんでした。
保身だけではありません。誰かを助けるための嘘というのも時には必要になってくるのですね。
「さ〜て、まだまだ夜は長いからね〜、たくさん飲むぞ〜」
そんな心中で感激している私のことなど露知らず、ベルリン様はジョッキになみなみとお酒を注いでいました。
ああ、彼女の胃袋はまさに鋼鉄の鎧にも勝らない頑強さなのでしょう。本日六杯目のボトルが今にも飲み干しそうな勢いです。
「酔い潰れてぶっ倒れないでよ。また背負ってくのは勘弁だからな」
「今度はしっかりと題材にできるようにしてやるから安心して潰れておれ」
「ちょちょ、その話はもうやめて〜」
しかしお二人の言葉には流石の彼女も敵いません。
真っ赤なりんごのように頬を赤く染め上げながらあたふたと慌てふためいています。
「いい場所ですね、ここは」
「…………はい」
オレンジの夕陽が落ち、紺色の夜が訪れる。そして新たな出会いを祝福する星々が天に昇る。
こうして黄昏の家の夜は賑やかさに包まれながら過ぎていくのでした。
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黄昏の家にて繰り広げられた騒がしい一日も終わりを迎え、夜のとばりが空を包み込んでいる。
新しき友人であるラギアンとヴォリス、そしてレイは既に各々家路に着いており、現在この場には俺と黄昏の家のマスター、そして酔いどれた踊り子ベルリンが静かに酒を嗜んでいた。
「いや〜、今日はいつもより騒いだよ〜。これもブルース君のおかげだね」
「いえいえ、私も思う存分楽しみましたよ」
これに関しては本音だ。
名を偽り、少しだけ話を偽ったが彼らとの会話は心から楽しめた。
裏表の無い態度を取ってくれたラギアン、頑固ながらも他者を尊重してくれたヴォリス、そしてこの酒場に華を彩ってくれた少女のレイ。
騎士団という特異な立場に身を置いているオレにとって今日のひとときは本当に楽しかった。
「もし時間があればまた来たいですね」
「お〜、マスター、常連客のゲットだよ」
「是非とも来てくれると拙者も嬉しいでござるよ」
こうして先程までのワイワイとした酒場とは違う、バーのような静かなロケーションを心に浸しながら、安酒を傾けた。
良い、とても良い。こんな場所でも最高の雰囲気を浴びることができる。本当に今日は良い夜だ。
「そういえば、ちょっと聴きたいんだけどさ〜」
「はい?」
と、ベルリンが飲んでたジョッキを置いてこちらを見てきた。
その眼は先程までのへべれけな態度とは違う。はっきりした意識を感じた。
「ブルース君って貴騎相関の儀の時にいたよね」
「…………!」
その問いに頭に強い衝撃が走った。
実を言うとその話題を俺は意図的に避けていた。
酒場では、他人の心に深く入り込むのは御法度とされている。
故に儀式の時にいた彼女のことに言及はしなかったが、まさか彼女から踏み込んで来るとは思ってもいなかった。
「…………ええ、いましたよ。まさか貴女からその話題を振って来るとは」
「気になってたからね。別にそのことであーだこーだ言いたいんじゃないんだよ」
「ではどんな目的で?」
俺のその問いに彼女はゴキュっと音を鳴らしながら酒を飲むと一言だけ。
「いや〜、私の舞の感想を聴きたくてさ〜」
「え?」
「いやね、あの舞ってぶっつけ本番でやったやつだったからさ。見てる側としてどうだったかと思ったわけよ〜」
どっと強張った身体の力が抜けてしまった。
一体どんな問いが投げかけられるかと身構えてしまったがそのこととは思ってもいなかった。
「別に、普通にすごい舞だなぁと思いました」
「お、そうかそうか! いや〜、それなら良かったよ〜」
俺の感想に彼女はガハハと笑いながら再び酒を流し込んだ。
「ま、この酒場は色々な事情を抱えてるヤツらの溜まり場だけどさ〜」
母親、親友、腐れ縁、姉、そして恋人。
彼女の話すその態度は様々な人物の雰囲気を纏わせている。
「だけどみんな何かしら必死になって頑張ってるすごいヤツらだ、だからさ、もし良ければまた来てくれると嬉しいな〜」
俺の眼を真っ直ぐ見て、彼女ははにかんだ。
まったく、そんなこと言われたら答えは決まってしまうじゃないか。
「ええ、もちろんですよ」
寂れた店内で見つめ合う二人の男女。
本当に、本当に最高のロケーションだよ。この酒場は。




